Diminished Reality を描くアニメ
Augmented Reality(AR) に対して Diminished Reality(DR) というものを Mixed Reality(MR) の一分野として研究している人々がいる。ARとは逆に、DRは、現実に存在する情報量を減じてユーザに与えることで有用にするような技術だ。
ARが普及した世界を描いたフィクションとしては、第39回星雲賞メディア部門に輝いた『電脳コイル』があまりにも有名である。では、DRの世界を描いたアニメはないだろうかと考えてみたところ、すぐに思い当たった。『あたしンち』である。
考えてみれば、このアニメはすごい。不必要な情報を極限まで削ぎ落としている。“モブシーン”というものがまったくない。主要登場人物以外の通行人などは、ほとんど目も鼻も口もない輪郭だけの亡霊のようなものとして描写される。とくにストーリー展開に関係がなければ、“そこに人がいる”ということさえわかれば、『あたしンち』の世界ではオーケーなのである。
その主要登場人物にしてからが、これ以上省略できないほどすっきりしている。なにしろ、立花家の四人家族のうち、常態で黒目が見えているのは“母”だけである。父にもみかんにもユズヒコにも、ふだんは黒目がない。父はメガネだけで目、みかんは白目だけで目、ユズヒコは線だけで目なのである。表情を構成する要素として最も重要であろうと思われる“目”に関する情報をここまで意図的に削ぎ落としているのは驚嘆に値する。これが Diminished Reality でなくてなんであろうか?
将来、実現された“電脳メガネ”をかけると、たちまちおれたちのまわりの世界が『あたしンち』の世界のように単純化されて見える――なんてDRアプリケーションをおれは夢想してみたりする。とにかく、世の中情報が多すぎる。たまには『あたしンち』の中のようなところへ逃避して、単純な世界に浸ってみたいとは思わないか?
しかし、いくら単純化されているからといって、いつ見ても思うのは、あの“母”は、絶対アンクル・トリスの親戚だよなあ。さすが同世代(けら・えいこは、おれが生まれた二日後に生まれている)だなあ。
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コメント
|DRは、現実に存在する情報量を減じてユーザに与えることで有用にするような技術だ。
こんな時代に総裁選で内政の話しかしないのもDR技術の一つかしら。
投稿: 林 譲治 | 2008年9月15日 (月) 10時37分
>林譲治さん
最初から出来レースなのに、あたかも多士済々を擁する政党であるかのごとく盛り上げるというAR技術も使っていますよ。もっとも、augmented reality というよりは、exaggerated reality とでも呼ぶのが適当かもしれませんが。
投稿: 冬樹蛉 | 2008年9月15日 (月) 16時46分