近来稀に見るタモリの名弔辞
▼「私もあなたの作品」タモリ弔辞全文…赤塚不二夫さんにお別れ (スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080807-OHT1T00270.htm
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。
いい弔辞だねえ……。テレビでも一部を観たのだが、タモリが手にして読んでいた紙は、白紙だった。もしかすると、カメラが捉えきれぬだけで、話の流れくらいは薄い文字でメモしてあったのかもしれないが、おれはやっぱりあれは、ただただ目のやり場を作るためだけの白紙だったのだと思う。横山やすしの葬儀で涙に濡れた顔を上げてじっと遺影を見つめ語りかけた西川きよしのようなことをタモリがやったのでは、「おまえのキャラじゃねーよ」と、それこそ赤塚不二夫に叱られるだろう。タモリにはそのことがよくわかっていたので、弔辞の構成だけを頭に叩き込んで葬儀に臨み、おそらくは、あらかじめ書き上げた白紙を“読み”ながら、赤塚不二夫のみを観客にしたインプロヴィゼーションを披露するつもりで故人への想いを迸らせたのではなかろうか。かなりの部分を“その場で作った”んじゃないかと思うんだよね。タモリにはそれができるだけの藝と赤塚不二夫への想いがあるはずだ。
ひとつひとつの葬儀のときにはあまりに不謹慎なので口にはしないが、弔辞というのはたいてい退屈でつまらない当たり障りのないものである。最適任者による最高の弔辞に、おれはひさびさに弔辞というものそのものに感動を覚えた。故人を偲ぶすばらしい藝だったと思う。まこと、赤塚不二夫の眼力なかりせば、いまごろタモリは、支配人をしていたボーリング場が潰れたあとにできたカラオケ屋の店長でもしていたかもしれない。才能が才能を呼び合うということは、たしかにあるのだな。
「私もあなたの数多くの作品のひとつです」か……。誇りと感謝のこもった名文句だ。こう胸を張って言える理解者にめぐり会える幸運な人生は、そうはないと思う。それだけに、タモリの静かな“読み上げ”は胸を打った。
これでいいのだ。これで、いいのだ。
| 固定リンク
コメント
弔辞の引用部分は、SFマインドがありますね。いくつかの笑芸にSFを感じるのはこういうことなんでしょう。
合掌――あるいは合笑とするべきか。
投稿: 野尻抱介 | 2008年8月 8日 (金) 03時58分
最高の弔辞に対する最高の答辞(赤塚さんになり代わって)だと思います。感動倍増です。
投稿: abyss | 2008年8月 8日 (金) 11時35分
>野尻抱介さん
>SFマインド
これは“笑い”にも言えることですし、紙一重で“恐怖”にも言えることなんですよね。赤塚不二夫が楳図かずおのようにホラーも描いていたらどんなふうになっただろうと想像したりもするのです。
>abyssさん
いやいやそんな畏れ多い。「これでいいのだ」はあちこちでみんな言ってるんですが、やっぱりタモリこそが真底これをどっしりと言える人なんだと思います。
投稿: 冬樹蛉 | 2008年8月14日 (木) 01時46分