赤塚不二夫死去
▼赤塚不二夫さん死去 「おそ松くん」「天才バカボン」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0802/TKY200808020315.html
「シェー!」「これでいいのだ!」「ニャロメ!」など数々の流行語を生み、「おそ松くん」「天才バカボン」などで笑いのブームを巻き起こした漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名赤塚藤雄)さんが2日、肺炎で死去した。72歳だった。喪主は長女りえ子さん。
中国東北部(旧満州)生まれ。新潟県内の中学を卒業後に上京、化学薬品工場の工員をしながら漫画を描き、56年に貸本漫画「嵐をこえて」でデビュー。石ノ森章太郎ら多くの漫画家が住んだアパート「トキワ荘」で本格的な創作活動を始めた。
58年、初の月刊誌連載となった「ナマちゃん」を「漫画王」に発表。62年に六つ子を主人公にしたドタバタギャグ「おそ松くん」を「週刊少年サンデー」に、変身願望をくすぐる少女漫画「ひみつのアッコちゃん」を「りぼん」に連載して人気漫画家に躍り出た。
67年、前衛的笑いの集大成「天才バカボン」と“反体制ネコ”ニャロメが登場する「もーれつア太郎」が連載開始。多くの作品がテレビアニメ化され、一大ブームを巻き起こした。02年に脳内出血で倒れて以降は、東京都内の病院で、意識が戻らないまま闘病生活を続けていた。
65年に「おそ松くん」で小学館漫画賞、97年には日本漫画家協会文部大臣賞を受賞した。
♪こらえて生きるも男なら 売られた喧嘩を買うのも男
♪それはひみつ ひみつ ひみつ ひみつのアッコちゃん
♪西から昇ったお日様が 東へ沈む
おれたちの子供時代は、赤塚不二夫に塗り潰されておりましたなあ。おれなんか、学校のノートにニャロメとケムンパスとべしの絵ばっかり描いていたような気がする(もちろんおれのいちばんのお気に入りは“べし”だ。)。
おれたちの世代にとっての手塚治虫がビートルズだとすれば、赤塚不二夫はローリング・ストーンズだ。最後の最後までペンを握り続けたマンガの鬼としての手塚治虫と、狂気を爆裂させて壊れてしまった赤塚不二夫も、これまた好対照である。ギャグマンガ家というのは、ほんとうに危険な仕事だ。
カート・ヴォネガットが頻発するおなじみのフレーズ、 So it goes. は、「そういうものだ」というのが定訳だが、おれは「これでいいのだ」ってのもアリだと思う。ヴォネガットがもしも『天才バカボン』を読んだとしたら、バカボンのパパにたいへんな共感を覚えただろうと、おれは想像するのである。
トマス・マンに言われるまでもなく、滑稽と悲惨は、人生のエッセンスである。つまるところ、夾雑物を削ぎ落としてゆくと、人が生きるということの本質には、滑稽と悲惨が残る。というか、それしか残らない。この歳になって、ようやくそう実感できるのである。赤塚不二夫は、トマス・マンよりもヴォネガットよりも、ほんの少しだけ滑稽寄りの表現を選んだのだろう。
ともあれ、ギャグマンガ家の王道と言える人生を生きた赤塚不二夫の遺産に感謝を。なにもかも忘れてバカ笑いできた時間をありがとう。そして、お疲れさま、赤塚先生。
これでいいのだ。
| 固定リンク
コメント
「おそ松君」は平成版ですね。昭和版は藤田まことが歌ってたような・・・六つ子の名前はどういう順に呼ぶのが正しいんだったかな?
投稿: 村上 | 2008年8月 4日 (月) 14時36分
>村上さん
昭和版のも YouTube にはあるんですが、エンベッドは禁じているのです。これね( http://jp.youtube.com/watch?v=_h4c1YnjRcs )。
平成版の「正調おそ松節」は名曲ですから、やはりこれを外すわけにはいきません。
そういえば、平成版のテレビ『おそ松くん』は、ロアルド・ダールをまるまるパクった話があったなあ。ああいうのはどうかと思う。赤塚先生も怒るよ、きっと。
投稿: 冬樹蛉 | 2008年8月 5日 (火) 01時14分