“ガチで”考
“ガチで”という言葉が最近気にかかっている。“ガチンコで”という言葉がさらに縮まったものなのだろう。竹下登の孫とかがしょっちゅう使っている。あれくらいの世代の基本語彙なんだろうか。そもそも“ガチンコ”といった言いまわし自体、かなり最近のものではあるよな。
なぜ気にかかっているのかというと、わけのわからない言葉を作りやがってという年寄りのぼやきではなく、逆に、あまりに便利なので気にかかっているのである。年甲斐もなく使ってしまいそうになることがしばしばある。
じゃあ、“ガチで”というのは辞書的にどう説明すれば的確なのだろうと考えはじめると、これがまた意外と難しい。若者が指している意味領域はおれにもわかるのだが、うまく定義できないのだ。
あれこれ考えてみた結果、“ガチで”というのは、たぶん、“一切のメタ化・ヴァーチャル化を排して”ということを言いたいのではなかろうか。そこにあるがままのものに、それがそこにあるがままのレベルで、真正面から対峙するさまを端的に表したいわけだろう。ズラしたり、上から眺めたり、間にフィルタを挟んだりせずに、“直に向き合うさま”を、若者たちは“ガチで”と表現しているのではないかと思う。
そう考えると、しばしば、まるでいちいち注釈が必要であるかのように“ガチで”を多用する若者は、“現代では夾雑物を排してなにかに対峙するという行為そのものが、非常に稀で困難なことである”という前提を持っている、少なくともその前提の存在を感じているということになるのではなかろうか。
その感性はおれにも理解できる。が、ちょっと甘いなとも思う。もはや、現代では、メタとメタ、ヴァーチャルとヴァーチャルとが“ガチで”ぶつかることすら日常茶飯であるからだ。
リアルへ戻ってゆくことが必ずしも“ガチで”なのではない。そういう認識をベースに、“ガチで”という面白い言葉をもっと豊かにしてゆこうではないか。
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コメント
“一切のメタ化・ヴァーチャル化を排して”というのは「普通におもしろい」の「普通」にも適用できるのではないかと思いました。
いままでこうした用法での「普通」の意味をうまく説明できなかったのでなんだかすっきりした気分です。
投稿: HK | 2008年8月24日 (日) 17時46分