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2008年8月の34件の記事

2008年8月31日 (日)

飛行機は飛びながら作れ!

 いやあ、これには大爆笑したなあ。世の中には、バカ正直な会社があるもんだ。

If programmers have make a plane

 まさにソフトウェア業界ってのは、乗客を乗せて飛びながら、その飛行機を作っているに等しい。こんなことがいつまでも続いていいはずはないが、改善される気配は、少なくとも日本国内ではあんまりない。まあ、おれなんかは管制塔の窓際の隅っこでレーダーを覗き込みながら、「おいおいおいおい、大丈夫かいな、これ」と一喜一憂しているだけでなにもできないワーキングプアだからいいようなものの、実際に上空で飛びながら飛行機作ってる人たちは、さぞやたいへんであろうなあ。ご同情申し上げる。あ、顧客が急に複葉機にしろと言ってきたぞ。建設業界で十階建てのビルができかかっているときに急に二十階建てにしろと言ってくる発注者がいたら、発注者のほうが狂人扱いされるであろうが、ソフトウェア業界ではそれが日常茶飯事なのである。

 こんなことを続けていたら、そのうち業界ごと墜落すると思うな。In a sense, this is what we do. か。なんて正直な会社なんだ。Indeed, this is what you do. However, is that really the way you should do your job? Is there any alternative?



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2008年8月29日 (金)

G-SHOCK タフソーラー 電波時計 GW-5500-1AJF MULTI BAND5(CASIO)

 以前、G-SHOCKを買ったときには「こいつは二十年は使えそうだよなあ」などとほざいていたが、さすがにそろそろ浮気したくなった。かつての名機 DW-5500 の復刻進化形として去年出た反転液晶モデルの GW-5500-1AJF にかなりグッとキテいたんだけれども、先日、アマゾンをうろついていたらたまたま目に飛び込んできて、メタルもいいけど樹脂タイプの四角いのもいいなあと、ついつい耐え切れなくなってポチっとやってしまったのだった。

 実物は時計屋で見たことがあったのだけれども、いま改めてその夾雑物を極限まで削ぎ落とした真っ黒けの筐体を撫でまわしてみると、いやあ、惚れますわ。これ以上、地味な時計はあるまい。曜日・月日・時分秒がまったく無駄なく配置されている黒い文字盤。差し色を一切排除し、ビスとベゼルの蓋とベルトのバックルのシルバー以外は、ひたすら黒、黒、黒、黒、黒で押し通している。G-SHOCK を知らない人が見れば、せいぜい三千円くらいのチープな時計に見えるだろうあたりがまた、そこはかとなく痛快でよろしい(まあ、一万五千円だって充分 inexpensive だけど。でも、けっして cheap ではない)。最初の防塵・防泥モデル DW-5500 を模してはいるが、そこは二十一世紀、ソーラーバッテリーの電波時計である。蛍光灯であれ光にさえ当てておけば、なにもしなくてもいつもぴったり秒まで合っている。テレビの時報とぴったりに「ピピッ」と鳴るのを聴くのが密かな楽しみになる。日本が世界に誇る最高性能の腕時計であろう。オメガだのローレックスだのフランク・ミュラーだのをしているやつは非国民なので、石を投げつけてよろしい。

 つまるところおれは思うのだが、G-SHOCK の魅力というのは『刑事コロンボ』なんだよな。おれの言いたいこと、わかるよね? 「いい歳をしたおっさんが学生みたいなチープな時計しやがって」とでも言いたげな視線を左腕に感じるとき、おれは「愚か者め、非国民め、ええかっこしいめ」と腹の中で嘲笑しつつ、このメカのすばらしさにしばし陶然となる。これ以上ないくらい地味で、これ以上ないくらい高性能――ああ、機械って、なんてセクシーなんだ。

 G-SHOCK には、映画などで露出した“有名人着用モデル”というやつがあり、スティングトム・クルーズが着けていたものが有名であるが、調べてみると、この GW-5500-1AJF は、フジテレビの月9ドラマ『薔薇のない花屋』香取慎吾が着用していたモデルであるらしい。おれは観たことねえなあ。スティングやトム・クルーズに比べるとかなり格が落ちるような気はするが、スタイリストはなかなかいいセンスをしている。スタイリストがもともと G-SHOCK ファンだったのか、仕事熱心な調査魔なのかのどちらかだろう。最初の防塵・防泥モデルの復刻版にして二十気圧防水の G-SHOCK を花屋の主人公に着用させるとは、プロの仕事ですな。“地味”とか“機能一点張り”とかいったキャラクターを表現するには、絶好の小道具でしょうな。

 で、こいつ、なにしろ真っ黒けだから、スーツでもあまり違和感はないんだな。違和感がないどころか、「私は地味も地味で機能性能一点張りの中身しか気にしない人間ですがなにか?」といった強烈な自己主張になっている。下品なキンキラキンの時計が袖口からこれ見よがしに覗いているよりはよほどかっこいい。

 じつに気に入った。今後、こいつをデフォルトにしよう。



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2008年8月28日 (木)

じゃあ、ソースネクストの商品は企業じゃ使えなくなるよなあ

USBメモリでPCソフト販売 「どのPCにも使えるメディア」を強調 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/08/27025824.html

「PC(パソコン)にソフトをインストールする」といえば、CD-ROMを使うのが、これまでの「常識」だった。ところが、低価格PCの売れ行きが伸び、その風向きが変わりそうなのだ。そうした中で、大手ソフトウェア会社ソースネクストが、ソフトをUSBメモリに入れて発売することになった。記憶媒体の変遷が、また一段と明確になった形だ。
ソースネクストが年内計30タイトルを発売
ソースネクスト(東京都港区)は2008年8月27日、USBメモリにソフトウェアを収容して販売する「『Uメモ』戦略」を展開する、と発表した。具体的には、「ウイルスセキュリティZERO」などの定番ソフト7タイトルを08年9月5日に発売し、08年末までに合計30タイトルを発売する。ソフトが収納されている容量1GBのUSBメモリは、インストール後は通常のUSBメモリとして利用でき、販売価格はCD-ROM版と同価格を維持した(「ウイルスセキュリティZERO」であれば標準価格4980円)。
この背景にあるのが、販売価格が10万円を切る「低価格PC」の伸び。民間調査会社のBCN(東京都文京区)の調べによると、低価格PCの2008年7月時点での販売台数のシェアは、ノートPC全体の4割に達している。この低価格PCの売れ行きがPC市場全体を下支えしている模様で、PC全体の売れ行きを見ても、08年4~6月期の国内PC出荷台数(速報値)は前年同期比8%増の354万台に達している(IDCジャパン調べ)。
しかし、この低価格PCの価格は、「使用頻度の低い機能を削ぎ落とす」ことで実現されている面が強いのも事実。通常であればソフトなどのインストールに必要なCD-ROMドライブが搭載されていないケースも多い。

 これはなかなか思い切った戦略だなあ。

 たしかに低価格パソコンの伸びだけを見ればUSBで提供するのは合理的だが、並みのセキュリティー・ポリシーを持っている企業には、USBメモリをパソコンに接続することをそもそも禁じているところも少なくない。むろん、ソースネクストはそんなことは百も承知だろう。元々ソースネクストの主たるターゲット層は個人である。だが、安価で軽いソフトが多いため、企業でもけっこう重宝していたところが多いのが実情だろうと思う。今回のUSBでの提供は、「ウチの商品は個人のお客様のためのものであり、企業には売れなくてもかまいません。いや、むしろ使わないでください」と暗に宣言しているわけである。当然彼らも損益を緻密に計算したうえでこういう戦略を取ったのだろう。

 なんかソースネクストを見ていると、ノートパソコンが普及しはじめたころに、フロッピィーディスク一枚に入る軽くて安価な“文具”としてのソフトを売り出したアシストの姿が既視感を伴って甦ってくるよなあ。あれはけっこう重宝したよね、当時は。アシストのやったことは、早すぎたんでしょうな。いまでは、アシストはそうしたパーソナルユースの分野からはすっかり撤退しており、企業向けのミドルウェアを中心に扱う会社になっている。

 企業のシステム管理者は、今後しばらく、ソースネクストの商品を社内のクライアントパソコンにインストールしようとするやつに注意してまわる仕事が増えることになるだろう。社員が自分のパソコンにインストールしているソフトをすべて情報システム管理者が把握できるようなデスクトップ管理のインフラを導入している企業であればそうだが、あまり情報システムやセキュリティーにお金をかけられない企業であれば、もっと安価で効果的なシンプルきわまりない施策を採っているところもある。クライアントパソコンのUSB端子を、専用工具がなければ外せない“蓋”で塞いでしまうのだ。そうした用途のための蓋と工具は実際に販売されている。コストパフォーマンスを考えればバカにできない、コロンブスの卵的なソリューションである。USBマウスやキーボードはどうするんだろうと思うこともあるけどね。

 セキュリティーや内部統制がやかましく言われるようになればなるほど、今後ますます、野村総合研究所の言う「産消逆転」という現象は進んでゆくような気もするよね。おれの勤めてる会社なんかでも、完全に産消逆転してるしなあ。



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2008年8月27日 (水)

「東京ブギ」が変わってた

 あっ、なんてことだ。ひさびさに東京出張だったので、浜松町駅の「東京ブギ」でいそいそと昼飯を食おうとしたところ、メニューが変わっている。「カリーライス」がなく、ただの「ポークカレー」になっているではないか。しかも、メイドさんもいない。時間帯が悪かったのかなあ。それとも、メイドさんのウェイトレスは廃止してしまったのだろうか。材料費高騰の折、もう以前のような形態では続けられないということなのかもなあ。レトロな内装はそのままなのだが、なんだか以前と雰囲気が変わってしまった。残念だ。ポークカレーなんかどこでも食えるんだよ。おれが食いたいのは、あのカリーライスなのだ。

 ああ、昭和は遠くなりにけり。



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2008年8月25日 (月)

アスカ、来阪はいつか?

 おやおやおやおや、とうとう「稲垣早希」が、過去三十日間にこのブログへ検索エンジンからやってきた人々が検索に用いたキーワードのベスト10に入ってきてしまったぞ。まこと、テレビの威力はまだまだ侮れない。

 「関西縦断ブログ旅」のほうは、初回放送後、かなりたいへんなことになっている。正直、関西ローカルの番組で、これほどのコメントがつくとは、おれも予想していなかった。エヴァンゲリオンおそるべし。中には、カナダからコメントしている人さえいる。インターネットおそるべし。

 いやまあ、おれもなんとなく不憫になって、年甲斐もなく二回ほどコメントしたんだが……。だってまあ、とにかく可愛いじゃないか。稲垣早希は八十三円、じゃない、八十三年生まれだそうだから、おれが大学在学中に仕込んでいたとしたら、娘であっても不思議はない年ごろである。まあ、もしこんな娘がおったとしたら、「お父さんが悪かった、すまん」としか言いようがないが、父娘で酒飲んだら楽しいだろうなあ。「だからぁ、お父さんは内罰的すぎるのよ」「すまん」



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チリメンモンスター

 以前、「消えた“ちりめんタコ”」と題するエントリーで、ちりめんじゃこの中に紛れ込んでいる小さなタコに対するおれの熱い想いを吐露したことがあるが、今日、讀賣新聞の夕刊一面を見て仰天した。ウェブ版にも取り上げられている――

ジャコに紛れるエビ・タコ…その名は「チリモン」人気モン (YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080825-OYT1T00435.htm

 ちりめんじゃこに紛れ込んでいる小さなエビやカニ、タコ、ヒトデなどを採集できる「じゃこパック」(250グラム、730円)が、インターネットで販売され、子どもたちの人気を呼んでいる。
 人気アニメにちなんで「チリメンモンスター(チリモン)」と呼ばれ、和歌山県湯浅町の水産加工会社「カネ上(じょう)」が4年前、ホームページで紹介。子どもたちから「気持ち悪いけど、かっこいい」といった声が寄せられ、月に200件以上の注文があるという。
 チリモンは通常、加工時に除去される。「きしわだ自然資料館」(大阪府岸和田市)では、定期的に観察会を開いており、子どもたちは図鑑を手に、ルーペで種類を確認、標本にするなどしている。
 同館学芸員、風間美穂さん(36)は「手軽に生物を観察できるのが人気の理由では。チリモン博士を目指して」と話している。

 チリメンモンスターねえ……。この水産加工会社は、じつにいいところに目を着けたもんだなあ。商売にするとはたいしたもんだ。本来捨ててしまうものを有効利用して、子供たちの生物への興味をかき立てることができる。年端もいかぬまま、ちりめんじゃこのとばっちりを受けて捕まってしまった雑多な生きものの稚魚や幼生たちの死も、まったくの無駄になるわけではない。いいことずくめではないか。

 記事中にある「きしわだ自然資料館」と協力し合って活動している「きしわだ自然友の会」のサイトには、「チリモン図鑑」と題した研究成果がある。なるほど、市場に出る前のちりめんじゃこには、じつにいろいろなものが入っているのだなあ。ウニの幼生まで確認できるものなのか。

 もっと驚いたのは、友の会サイトの「チリモン広報板」に、「第47回日本SF大会開催記念・サイエンスファクトリーきしわだ」などという文字が躍っていたことだ。きっと、学芸員や友の会会員にも、スジモンが何人かいるんだろうなあ。



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スタンプカードは得なのではない

 『あたしンち』(テレビ朝日系)を観てたら、“母”が役にも立たないスタンプカードを溜め込んでいる話だった。ああ、これはわかるねえ。つまるところ、たまさか行ったような店でスタンプカードをもらっても、なにやら特典がもらえる前に期限切れになってしまうものなのである。そりゃもう、絶対にそうなのである。

 だいたい店側だって、店が損をするような大特典を出すはずがない。結局、スタンプカードというものは、常連が得をするように設計してあるのではなくて、一見が損をするように設計してあるだけのものにすぎない。

 おれはピザが好きなので、まあ、一、二か月に一夜くらいは、晩飯の準備をするのが面倒くさいときに、たまの贅沢としてピザを取る。おれは、妙に日本人好みにごちゃごちゃいじくったピザよりも、某シカゴのいかにもアメリカ臭い大味が好きなので(モスバーガーよりもマックが好きというタイプだ)、某シカゴを愛用しているわけだが、某シカゴのチラシには、いつも五百円引きのクーポンが付いている。デリバリーを頼むと、最新のチラシと五百円引きのクーポンを一緒に持ってくる。で、そいつが期限切れになる前にはまたピザが食いたくなるわけで、要するに、定価の五百円引きで食うのが常態なのである。

 じゃあ、おれは毎回五百円得をしているのかというと、そんなはずはあるまい。むしろ五百円引きクーポンを持っていないような“一見さん”や、クーポンが期限切れになるほどにたまにしかピザを頼まない人が、常連の“ふつう”のピザ食いよりも、五百円損をしているだけなのである。そういうものだ。

 つまるところ、顧客の購買履歴をRFM分析、あるいはRFMI分析して、細分化したアクションに結びつけるといったCRMを実現するほどのコストをかけるまでもないほどに単価の低い商品を扱っている場合は、このようなクーポンを発行することで、自動的に大ざっぱなRF分析をしているのと等価になるわけである。そしてそれは、かなり有効に機能する。費用を投じてごたいそうなデータマイニングをするまでもない。あくまで、損益分岐の問題なのだ。

 消費者は、スタンプカードなるものの特典で“得した”などとは夢ゆめ思ってはならない。一見さんが損しているだけで、あなたが得しているわけではないのだ。常連客は得をしているのではなく、その店へのロイヤルティーを証明することで損を食い止めているだけのことである。

 そう考えると、スタンプカードというものの有効な利用法は、おのずと見えてくる。“スタンプカードのために行動を変えなくてはならないようなスタンプカードは、あなたにとって要らないスタンプカードだ”ということだ。スタンプカードがあろうがなかろうがその店で買うという購買パターンを持っている消費者にのみ、その店のスタンプカードはいささかなりとも有効なのである。スタンプカードというものは、そもそもが、新規顧客を開拓するためのものではなく、常連顧客を手放さないようにするためのものである。

 「スタンプカードがあるから……」などと、ふだんあまり行かない店へゆく機会を待って買いものをするなど、愚の骨頂である。ローカルなスーパーやなんかが出しているものだととくにそうだ。あなたの日常的購買行動をことさら変えなくてすむような、ふだん買う店でのみ、スタンプカードは意味があるのだ。結局、そういうことなのである。全国展開しているチェーン店のポイントカードとなると、また損益はちがってくるけどね。



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2008年8月24日 (日)

サザエさんはなぜ街までゆけたのか?

 どうして四十年近くも考えてみようともしなかったのだろう? 日曜夕刻に流れるあの歌に関する第一の疑問は、子供のころから抱いていたというのに。

 そうだ、そうにちがいない。サザエさんは小銭入れと財布を別々に持っているか、バスや電車に乗るときには回数券を使っているかのいずれかだ

 ♪買い物しようと 街まで出かけたが
   財布を忘れて 愉快なサザエさん

 ……ってことは、サザエさんは街までは現金を使わずに行けたわけだ。また、ここで言う「買い物」とは、近所にダイコンを買いにゆくとかいった日常的な買いもののことではない。なにか高価なものや小さな店では揃えていないようなものを買いにいったのだろう。とすると、歩いてゆけるようなところではないと考えられる。昭和四十年代の「街まで出かける」という言いまわしには、そういう暗黙の了解があった。

 とすると、サザエさんが「財布」を見ずに街までゆけたのは、小銭入れを別に持ち、日常的にはそれを使っていたか、交通機関の回数券を利用していたからだと考えるのが妥当だろう。

 もしかすると、いまの世には、サザエさんがなぜ街までゆけたのかを、まったく不思議に思わない子供さえ少なからずいそうだ。もう少し先には、そんな子供ばかりになるだろう。ケータイさえあれば、乗りものにも乗れるし、買いものもできてしまう。むしろ、サザエさんが財布を忘れたことがなぜ「愉快」なのかがさっぱりわからないなんてことになるのかもな。「財布は忘れたけど、ケータイは持っていったんでしょ?」とか言いそうだ。



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“ガチで”考

 “ガチで”という言葉が最近気にかかっている。“ガチンコで”という言葉がさらに縮まったものなのだろう。竹下登の孫とかがしょっちゅう使っている。あれくらいの世代の基本語彙なんだろうか。そもそも“ガチンコ”といった言いまわし自体、かなり最近のものではあるよな。

 なぜ気にかかっているのかというと、わけのわからない言葉を作りやがってという年寄りのぼやきではなく、逆に、あまりに便利なので気にかかっているのである。年甲斐もなく使ってしまいそうになることがしばしばある。

 じゃあ、“ガチで”というのは辞書的にどう説明すれば的確なのだろうと考えはじめると、これがまた意外と難しい。若者が指している意味領域はおれにもわかるのだが、うまく定義できないのだ。

 あれこれ考えてみた結果、“ガチで”というのは、たぶん、“一切のメタ化・ヴァーチャル化を排して”ということを言いたいのではなかろうか。そこにあるがままのものに、それがそこにあるがままのレベルで、真正面から対峙するさまを端的に表したいわけだろう。ズラしたり、上から眺めたり、間にフィルタを挟んだりせずに、“直に向き合うさま”を、若者たちは“ガチで”と表現しているのではないかと思う。

 そう考えると、しばしば、まるでいちいち注釈が必要であるかのように“ガチで”を多用する若者は、“現代では夾雑物を排してなにかに対峙するという行為そのものが、非常に稀で困難なことである”という前提を持っている、少なくともその前提の存在を感じているということになるのではなかろうか。

 その感性はおれにも理解できる。が、ちょっと甘いなとも思う。もはや、現代では、メタとメタ、ヴァーチャルとヴァーチャルとが“ガチで”ぶつかることすら日常茶飯であるからだ。

 リアルへ戻ってゆくことが必ずしも“ガチで”なのではない。そういう認識をベースに、“ガチで”という面白い言葉をもっと豊かにしてゆこうではないか。



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2008年8月21日 (木)

♪胸の回路に指令が走る~

 ♪俺の 俺の使命 俺の宿命~~~ (わからん人は、オタクなおじさん・おばさんに訊いてね)


ネズミの「脳」内蔵ロボ、障害物記憶し回避 英大学開発 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0818/TKY200808180058.html

 【ワシントン=勝田敏彦】コンピューターではなく、生物の「脳」の判断で障害物を避けて動くロボットを開発したと、英レディング大の研究チームが発表した。
 チームは、ネズミの胎児から取り出した脳を酵素で処理し、神経細胞30万個がバラバラになったものを作った。これに約60本の電極をつなぎ、動き回るロボットの障害物センサーから出る電気信号で、神経細胞が刺激されるようにした。
 このロボットを繰り返し動かしたところ、障害物を避けるようになった。障害物センサーからの刺激でネズミの神経細胞に新たなネットワークができて、ロボットの動きを制御したと見られる。センサーの情報で、ネズミの「脳」が学習したことになる。
 チームのベン・ウェイリー博士は「一つひとつの神経細胞が、複雑な生物行動をどのように制御しているのかはわかっていない。実験はこの問題の理解に役立つのではないか」と話している。

Rise of the rat-brained robots (New Scientist Tech)
http://technology.newscientist.com/channel/tech/mg19926696.100-rise-of-the-ratbrained-robots.html

After the selected stimuli have been applied a few times, certain behaviours become embedded in the culture for some hours. In other words, the culture has been taught what to do. "It's like training an animal to do something by gradual increments," Potter says.
The Reading team are now planning to study whether particular parts of the culture, rather than all of it, can be more useful for performing certain tasks. They also plan to study whether the culture should be embodied in a robot early on. At the moment, they wait three to five weeks until a culture is mature before applying any sensory input. This might amount to trying to get a sensory-deprived "insane" culture to learn, says Whalley.
This work will hopefully contribute to our knowledge of how brains work, but its potential should not be exaggerated, says Potter. "This system is a model. Everything it does is merely similar to what goes on in a brain, it's not really the same thing. We can learn about the brain - but it may mislead us."
Warwick agrees, but believes it will be useful. "If this kind of work can make a 1 per cent difference to the life of an Alzheimer's patient it will be worth it," he says.

 生きた脳細胞で機械を制御するというのは、そりゃあもう、SFでは定番中の定番と言ってよい(ゲップが出るほどありがちな)アイディアではあるが、こうして実際に作られると、なんとも言えない感慨がありますなあ。二十一世紀やなあ……。

 こういう記事を読みビデオを見ると、当然、“人間の脳細胞でもできるはずだ”と思うのが人情である。ちょっと前までであれば、堕胎した胎児の脳細胞を培養し……みたいな話になって、倫理的には到底実現不可能、もしもやったらマッドサイエンティストの烙印を捺されること必至だったろうが、おれたちはいまやiPS細胞を手にしている。人間の脳細胞だけを大量生産できるようになれば、こんな実験はやり放題だろう。再生医療が目的であれば、発癌性やらなにやら遺伝子操作の弊害を徹底的に調べ安全性を担保せねばならないが、ロボット工学に使うぶんには、多少の遺伝子の瑕疵は問題にならない。それが人間の脳細胞であれ、単なる生体素子にすぎないわけだ。iPS細胞は、再生医療の分野への実用よりも早く、案外、ロボット工学や情報工学に貢献する日が近いのではあるまいか。

 「おお、キミが生体脳を搭載したネズミロボット第一号か。おれたちのころは、迷路を走らされたもんだがなあ。生きた脳細胞で障害物を回避するとはたいしたもんだ」
 「畏れ入ります。これも先人、いや、先鼠の方々の業績あってのことです、あ、アルジャーノン先生」
 「そんなに固くならなくてもいいよ、先輩でいい」
 「は、ハイ、先輩っ!」
 「♪ぽっぽぽぽぽぽ、ぽっぽー ぽぽぽぽぽ、ぽっぽっぽっぽっぽー……」
 「……さては、それが唄いたかっただけやな」



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2008年8月20日 (水)

いける! 「サラダをおいしく食べるお酢」

 たまには新鮮な野菜を食わんといかんなあと、コンビニででかいサラダを買って帰る。高いけどな。時間も買っているわけだ。

 そういえば、先日近所のディスカウントスーパーで大量に安売りしてたのを試しに買ってみた「サラダをおいしく食べるお酢 さっぱりリンゴ酢」ミツカン)ってのがあったっけと、初めて使ってみた。

 おおおお。

 全然問題ないじゃん。というか、掛け値なしにうまいじゃん。低カロリーなうえに塩分も少なく、いいことずくめだ。酢ってのは嫌いな人はとことん嫌いみたいだから、万人にはお薦めできないが、酢が好きな人は試してみる価値は充分にあると思う。まあ、おれなんかは黒酢を生(き)のまま飲んでも平気なタチで、酢のものの最後に溜まった酢も人前でだって飲んでしまうくらいだから、このドレッシング(というか、要するに酢)はおれのためにあるような商品である。このドレッシング(だから、酢だって)のいいところは、最後にサラダの容器の底に溜まったやつを、なんの気後れもなしに飲み干せる点だ。酢の苦手な人はそこまでせんでもいいけど。

 そうかー、サラダに酢だけをかけて食うかあ。盲点だったな。バルサミコ酢などは、サラダにかけて食うという人がけっこういるみたいだが、そんなハイカラなものは冷スパくらいにしか使わないからなあ。なんにせよ、油や塩は摂り過ぎるとろくなことがないのはたしかだが、酢の飲み過ぎで病気になったって人はあんまり聞かんもんな。ま、程度問題だとは思うが。

 こいつは気に入った。今度安売りしてたらまとめて二、三本買っとこう。同シリーズの「サラダをおいしく食べるお酢 まろやかトマト酢」ってのも試してみよう。企画力の勝利だな、これは。おし、これからは、サラダには酢だ。




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2008年8月19日 (火)

中国語の部屋

♪いつの間にか部屋に閉じ込められていた
 漢字だけが入るせまい部屋で一人
 君に出来ることは中国語の問い
 だけど充ち足りていた
 やりきれぬ虚しさも無知も
 マニュアルの指示どおりにした
 もしもどちらかもっと強い知能でいたら
 会話続いていたのか
 餃子かじりながら語り明したよね
 意味はあれから何処へ


 元歌が古いしなあ、ネタがマニアックだしなあ。ウケねえだろなあ。でも、だしぬけに思いついちまったものはしかたがない。備忘録(?)として書き残しておこう。人工知能スジの人かSFファンにしか通じねーだろなあ。さっぱりわからない人は、『中国語の部屋』を調べてください。



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♪ハンガーと阿呆の絡み合い~

 クリーニング屋が洗った衣類のおまけに付けてくれる、あの細い針金のハンガーがだんだん溜まってきて、気がつくと物干し竿にずらりと並んでいる。

 あのハンガー、物干し竿に掛けにゆくのも面倒だから、ついついそこいらへんに重ねて置いておいたりする。ああ、こんなところに放っておいてはいかんなあ、洗濯には重宝するのだから、ちゃんと洗濯機のそばの物干し竿にまとめて掛けておかねばいかん……と思い立って十本くらいまとめてむんずと掴んだときにヘンなふうに絡み合うと、これがまたじつにイライラさせられる。なかなかほどけないのだ。ハンガーなんて簡単な形をしているのだから、絡み合うといったってたかが知れているだろうという思い込みが、ますます苛立ちを募らせる。

 簡単な形をしていることはしているのだが、よ~く見るとこいつら、チープなハンガーだからこそ、ひとつひとつ、少ぉ~しずつ形や大きさやねじれかたがちがっているのだ。そこを油断してまとめて掴んだりすると、たちまち絡まりはじめる。ぴったりと形やサイズが合っていれば、重ねたってこんなふうにはなるまい。ハンガーのほんのわずかな“個性”が、カオスを生み出すのだろう。北京で一匹の蝶が羽ばたくと、日本でハンガーが絡まる。イライラしながらいじくりまわしていると、気がつけばハンガーたちは、あたかも「塊魂」のようなありさまになっている。

 きぃいいい~っ、ああもぅ、イライラする!! 奥さん、経験ありませんか?



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2008年8月18日 (月)

中沢厚子のウェブサイトができてたのか

 わわわ、いつのまにか中沢厚子ホームページができているじゃないか。去年の四月にできてたのか。疎いにもほどがある。おれがこのブログで中沢厚子について書いたのは、一昨年の五月だったな。

 なるほどねえ、おれが中学生のころにハマった『タワーリング・インフェルノ ~愛のテーマ~』は、“第一期中沢厚子”の最後のほうだったわけだな。

 かつて将来を嘱望されつつも家庭に入って活動を休止していたシンガーソングライターが、三十年以上の時を経てばりばり活動を再開しているというのは、じつにカッコいいねえ。あのころの中学生は、もう四捨五入して五十になろうというおっさんになっていますよ。なんか、時の流れって、楽しいねえ。ええーっ、去年の七月に三十二年ぶりの新曲が出てたんだ。むかしの曲を復刻盤で聴くばかりだったからなあ。疎いにもほどがある。買う買う、いますぐ買います。はい、買いました。



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2008年8月17日 (日)

ストライクゾーンがどんどん広がる爺いのしあわせ

 『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)で、アジアン隅田の恋人募集などという企画をやっていて、司会の島田紳助は、仕事とはいえ、さんざんブスキャラとしての隅田をいじりまわしていたけれども、前から言ってるように、おれは隅田がそんなにブスだとは思えないんだよなあ。たしかに、いわゆる美女ではないにしても、研ナオコとかと同じように、ハマる人にはズバッとハマる、じつに味のあるいい顔をしていると思う。前にも言ったように“見ていて心地よいブス”なのである。また、本人もネタにしているように、とくに首から下はすばらしい。褒めてるんだか、いじってるんだか。

 若いころは、「歳を取るとストライクゾーンが広がってくる」などといったことを聞くと、「そ~んなもんかな~」と半信半疑に思っていたが、なるほど、そうなのかもしれないといまにしてしみじみ思う。そしてそれは、さまざまな人やものに多様で豊かな美を見い出せる能力が高まってきたからではないかと、ずいぶん得をしているように思うのである。安めぐみもよけりゃ、アジアン隅田もいい。

 本もそうだよな。おれときたら、いまやすっかり、なに読んでもそれはそれで個別に面白いという淀川長治状態である。面白い、すごく面白い、めちゃくちゃ面白いみたいな評価しかできない。仮につまらなかったとしても、そのつまらなさが面白いというわけのわからない感想を抱いたりする。楽しんだもん勝ちというかね。おれは辛口書評家には絶対なれないよなあ。顧客視点からは、バッサバッサと切り捨てて読者のために投資価値を示してくれる人のほうが実用的価値は高いとはおれ自身顧客として思うし、そういう方々の意見はたいへん読書生活の参考になるのだが、それでも「ここまでけちょんけちょんに言われる作品とはどのようなものなのか」という興味がむしろ逆にむらむらと湧いてきたりもして、結局、貶される作品というのも、貶されるだけの価値があるのだと思えてくる。

 つまるところ、こういうのは、どんなものからでも楽しみを搾り出そうとするただの意地汚さなのかもしれないけれども、主観的には、こういう状態はたいへんハッピーなのである。隅田、魅力的じゃん。森三中、可愛いじゃん。光浦靖子、カッコいいじゃん。大久保佳代子、なんか疲れててセクシーじゃん。

 でもまあ、安めぐみはいい。



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打ち水が「温暖化対策」なわけないだろう

打ち水で「温暖化止めよう」 暑さ日本一の岐阜・多治見 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0816/NGY200808160002.html

 昨年8月16日に最高気温が40.9度となり、74年ぶりに国内記録を更新した岐阜県多治見市は、毎年この日を地球環境を考える「たじみクールアースデー」と定めた。今年は1日早い15日に催しがあり、市が打ち水や消灯など身近な温暖化対策への取り組みを呼びかけた。
 市役所前での打ち水には、貯水槽にためた雨水が使われた。市民ら約200人のほか、「住民票」を交付された市のマスコットキャラクター「うながっぱ」も登場。約500リットルをバケツやひしゃくで道路にまいた。
 市立精華小学校の近くでは、市街地の地下を流れる虎渓用水の水をくみ上げる手押しポンプ「ガチャポン」がお披露目され、地域の人たちがくんだばかりの水を歩道や庭先に打ち水した。
 用水から給水した散水車も市内を巡回。夕方からは、市役所の敷地内でろうそくをともし、庁舎の照明を落とした。

 ちょ、ちょっと待て。この記事、まず見出しを一瞥しただけで、義務教育を修了した人ならズッコケるだろう。「市が打ち水や消灯など身近な温暖化対策への取り組みを呼びかけた」って、えーと、これは市がトンチンカンなのか、記者がトンチンカンなのか、両方トンチンカンなのか?

 消灯はまあいいとしようや。たしかに二酸化炭素排出削減には繋がる。二酸化炭素を含む温室効果ガスがどのくらいの時間幅でどの程度地球全体の温暖化に寄与しているかしていないかといった議論は置いておくとして、やらないよりはやったほうがいいことだろう。

 だが、打ち水「温暖化対策」などと呼ぶのは、ミスリーディングもおびただしい。教育上、悪い。打ち水の効果は、水が蒸発するときに地表から気化熱を奪い、地表からの輻射熱を減らし、地表付近の気温も多少下げるというだけのことにすぎない。熱エネルギーは地表から水の分子に移動しただけであって、ちょっと広い範囲で見れば、熱の総量は変わっていない。

 こういう文脈で「温暖化対策」なんて言葉を使っちゃいけませんなあ。この言葉は「地球温暖化対策」と解釈されるのが常だ。そういう“流行語”をイベントの広報や新聞記事にちりばめたいという大人の思惑はわからんでもないけど、限度というものがある。これは拡大解釈なんてもんじゃなく、ただの歪曲だ。打ち水を「温暖化対策」と呼ぶのは、水飲み鳥を永久機関と呼んでいるに等しい。いくらなんでもやりすぎだ。「打ち水をすることで少しでもエアコンの電力消費を抑えることができると考えられるから、“温暖化対策”なのだ」と言いたいのかもしれないが、だったらその意図こそを明確に書け。この記事の書きかたでは、打ち水そのものが直接「温暖化対策」として効果があるかのように読めてしまう。

 「温暖化対策」で人類が求められているものの見かたは、打ち水という行為の効果が体感できる範囲のものの見かたと、むしろ真っ向から対立するとすら言えるかもしれない。いや、おれは打ち水が悪いと言ってるんじゃないよ。生活の場に淡水が豊富に存在する日本が育んできた貴重な文化ではある。おれが問題にしているのは、あきらかに地球温暖化対策ではないものに「温暖化対策」などという中途半端な言葉を軽々に貼り付けて、狂騒的な“ブーム”のようなものに乗っかって目立とうとする多治見市だか記者だかのあさましい姿勢である。

 科学部を持っているような大新聞が、こういう、中学生でもおかしいと思うような軽薄で意地汚い言葉遣いをノーチェックで通しちゃいけませんなあ。

 多治見市も多治見市で、ちゃんとオチまでつけている。「夕方からは、市役所の敷地内でろうそくをともし、庁舎の照明を落とした」って、もの燃やしとるやないかあっ! 何本くらい燃やしたのか知らんが、誰か市の職員は二酸化炭素排出量の計算をしたのか? あるいは、然るべきところに算出を依頼したのか? もし、ふつうの蛍光灯が消費する電力を得るために排出する以上の二酸化炭素を蝋燭を灯すことで出しておったとしたら、洒落にもならんイベントだということになる。市民の税金でやっとるんだろう?



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2008年8月16日 (土)

タマネギの丸かじり

 巨乳グラビアアイドルの相澤仁美が、生のタマネギを丸かじりにしてばりぼりと貪り食うという芸(?)を披露しているのを何度か観たのだが、あれはほんとに“ガチ”でやってるのだろうか? おれもタマネギの辛さには相当強くて、鉄板焼きやらなにやらのときは、飴色になる前にばりばり食ってしまうほうだけれども、さすがに生を丸かじりしたことはない。東海林さだお《丸かじり》シリーズにだって、そんなのはなかったと思う。

 たしかにああやってタマネギを丸かじりできるようになれるのなら、それはそれでうまそうなんだが、訓練(?)であんなことができるようになるものであろうか。まあ、人間、なんにでも慣れるもんではあるから、生タマネギのサラダを食っているうちに丸かじりできるほどの耐性が身につくものなのかもしれん。

 初めて相澤仁美のあの芸を観たときに思ったのは、このコはタマネギの辛味に対して先天的な味盲なのではないかということだった。だけど、そんな味盲あるのかなあ? ダイコンの辛味に対する味盲の存在はよく知られているが、タマネギは聞いたことないなあ。ウェブで調べてみても、それらしき記述を見つけることができなかった。

 あるいは、このコは亜鉛かなんかの微量養素が不足していて、味覚そのものが鈍っているのだろうか? 可能性はある。それが生タマネギを丸かじりしても平気になるような症状を呈するものかどうかおれにはよくわからないが、体型が商売道具のグラビアアイドルがバランスの悪いダイエットでミネラル不足になったりするようなことは、いかにもありそうに思える。

 タバスコをぐびぐび飲んだりする人だっているわけだから、タマネギくらい訓練次第かもしれんが、不可思議だなあ。オッパイの大きなアイドルなんていくらでもいるし、そもそもおれはあまりでかいのは好みでないので、ふつうなら雨後の筍のように現れる巨乳アイドルなど、別段おれの印象には残らんのだけれども、これは妙なところを突いてきたなあ。事務所の戦術にまんまとハマっているような気もするが、いまのところ、おれの頭の中で相澤仁美は、グラビアアイドルではなく、一種の“びっくり人間”に分類されているのだった。

 大食いタレントの次には“異食タレント”が流行るのだろうか?? リア・ディゾンみたいなルックスのコが、壁土とか消しゴムとかをむしゃむしゃと貪り食っている光景を想像すると、なんとなく癖になりそうな怪しいコーフンを覚えないこともないような気がほんのちょっとするけどな……。合わせ技の“異色大食いタレント”なんてのもすごそうだ。寿司型の消しゴムを二百貫食うとかな。いや、芸能プロの方、フツーのコに売り出し戦術として妙なものを食わせるようなことはしないでね。本人が好きで食ってるぶんにはいいんだけどさ。



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♪タコ、手と足ばかりでごめんね~

タコの足6本、実は「手」? えさ探しに活用、利き手も (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0814/TKY200808140212.html

 みんなが8本足だと思っているタコだが、実は足の大半は「手」かもしれないという研究結果を、欧州の水族館「シー・ライフ」のチームが発表した。AFP通信が伝えた。特に一番前の2本は探索を担い「生きた獲物に忍び寄り、飛びかかって捕まえるのに役立っている」という。
 英国、ドイツ、ベルギーなどの16カ所の水族館で、タコの足の働きを調べる実験をした。すると、一番後ろの2本が主に移動を受け持っていたのに対し、前方の6本はえさの探索、調査などさまざまな目的で使われ、むしろ「手」に近い働きをしていた。
 また、こうした「手」の使い方をみると、タコによって右利き、左利きがいることもわかった。色の好みもさまざまで、研究チームのアレックス・ジェラード氏は「タコは非常に強い個性をもっている」としている。

Octopuses more arms than legs: research (Yahoo! News)
http://news.yahoo.com/s/afp/20080813/od_afp/britainanimalsresearchoffbeat

However, he does not believe octopuses -- named after the ancient Greek for eight footed -- will have to be give a new name.
"The name's pretty good and they would have to rename James Bond movies," he said.

 asahi.com の記事を読んだだけではなにが言いたいのかいまひとつよくわからなかったのだが、元記事を読んでようやく納得がいった。

 つまり、タコに八本ついている“アレ”は、ハードウェアとしてはまったく同じだが、ソフトウェアレベルで機能が分化していると言いたいのだな。実証的研究によってあきらかにしたのはたいしたものだが、情報処理の効率化という観点で考えれば、予測はつきそうな話だ。つまり、タコの情報処理系が“次の直近のアクション”を起こそうとする場合に、いちいち八通りの可能性を検討しているとは考えにくい。そんな効率の悪いことをしているのだとしたら、タコが八本も“アレ”を持っていることにたいした生存価はないだろう。タコが生まれて自然界で運動を繰り返すうちに、おのずと情報処理の“定石”のようなものが形成されてくるはずだ。文字どおり“決まり手”(“決まり足”でもいいけどさ)ができてくるのだろう。すべての“アレ”を同列に扱って処理するよりも、決まり手を作るほうがタコの脳にかかる負荷は小さいに決まっている。Life finds a way. タコは、いままで生き残ってきた中で、柔軟性と効率性を計りにかけて、このような情報処理を落としどころとして選択したのだ。

 それにしても、「ジェームズ・ボンド映画を改題しなくちゃならんようでは困るからね」とは、イギリスの学者らしいユーモアですな。

 本筋とは関係ない話だけど、octopus の複数形は正式には octopi ではないのかとツッコむ人もいるかもしれないが、英語圏のメディアでも octopuses といった完全に英語化した複数形はごくふつうに使われている。というか、むしろ多数派だ。focus の複数形も foci よりは focuses のほうが目にする頻度はずっと高い。まあ、たぶん、英語ネイティブの世界でも、ギリシア語やラテン語といった古典語の教養が廃れてきて、日常的慣用の圧力に屈してきているということなのでしょうな。日本語の“ら抜き言葉”みたいなもんかな? 面白いことに、fungus の複数形は、fungi のほうが(まだ)優勢なようだ。つまり、「菌」なんて言葉は、「タコ」や「焦点」よりもずっと日常生活での使用頻度が低いということなのだろう。



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2008年8月15日 (金)

ラベンダーで時をかける

 ラベンダーの入浴剤というやつを風呂に入れてみたところ、おれの脳裡に小学生のころの思い出が走馬灯のように甦った。

 放課後の理科室とか、そういうやつではない。入浴剤を入れたとたんに、風呂の湯が一瞬にしてうがい薬になってしまったのであった。

 おれが小学生のころは、給食の前などに日直がやかんに入った紫色のうがい薬を取りにいかされ、おれたちは各自持参したコップにそのアメフラシの体液のような液体を日直に恭しく注いでもらって、ガラガラとうがいをさせられたものであった。あの味はその後も味わったことのないケッタイな味であったが、紫色の液体を見ると、なんとも不可思議な懐かしさを伴って、あの味が口の中に甦ってくる。

 ラベンダーの入浴剤は、香りはいいのだが、なんだかうがい薬に浸かっているような気分になる。まあ、こういう奇妙な条件反射を持っているのは、四十代後半以上の人だけでしょうなあ。



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2008年8月14日 (木)

せめて、人間らしく

 先日にわかにハマった桜・稲垣早希が、テレビ番組の企画で「関西縦断ブログ旅」なるものをはじめているのを発見……ってこれ毎日放送じゃねーかよ。関西に住んでいながら、『なまみつ』なんて番組、一回も観たことないなあ。あ、裏は筒井先生か。この時間にリアルタイムでテレビを観ているときには、そっちを観てるなあ。どうも、ハードディスクレコーダを使いはじめてからというもの、CMをあまり観なくなり、録り貯めた決まった番組ばかりをひたすら消化してゆくというテレビの視聴パターンが身についてしまい、知らん番組は徹底的に知らんってことになってしまっている。たまにはリアルタイムでテレビを観て、あちこちの局をザッピングしてみんといかんな。世間が狭くなる。

 「一部のマニアに大人気!? エヴァンゲリオン・アスカのモノマネで人気急上昇中の桜・稲垣早希がブログを使った旅企画に挑戦します!」……た、たしかに「一部のマニアに大人気!?」なんだろうなあ。というか、わからん人には徹底的にわからへんわい。なんでも、「関西縦断ブログ旅」に寄せられるコメント数に応じて稲垣に旅の資金が支給され(一コメント一円らしい)、このルールでもって関西最南端の和歌山・潮岬から関西最北端の京都・経ヶ岬まで旅をするという、かなりバクチな企画のようだ。全然コメント付かなかったらどうするのよ。いくらテレビ放送という武器があっても、せめて一コメント百円くらいにしないときついと思うがなあ。

 それにしても、こんなカッコしたコがそこいらへんを歩いてたら、なにごとかと思いますわな、カタギの人は……。「おかあちゃん、あのおねえちゃん、なに?」「しっ、見たげたらあかん」みたいなことになりそうな。もっとも、来週の二十三日・二十四日にうまく岸和田市あたりを通過するような旅程を組めば、たまたま日本中から集結している大勢の「一部のマニア」たちが大歓迎してくれるにちがいないぞ。おれは行かないけどさ。

 京都では苦戦しそうだな。なにしろ、京都でテレビ大阪が映らない地域に住んでる人は、テレビ東京の『新世紀エヴァンゲリオン』を放送では観たことがないはずなのである。かく言うおれもそうだ。まあ、逆に考えると、京都というアニメ後進府にいながらエヴァを観ている人には、その後なんらかの媒体・方法で金を払って観ている人が多いわけであって、モチヴェーション(?)は高いかもしれん。

 というわけで(どういうわけだ?)、全国の「一部のマニア」の人は応援してあげよう。毎日放送が観られないような田舎に住んでいる人も日本にはけっこういるわけだが、ウェブの場合はそれは障害にならない。「おけいはん」だって、全国にファンがいるのである。

 ところで、稲垣早希って、コスプレしてないとめちゃめちゃ可愛いな。いやまあ、アスカはアスカでいいのだが、それは特殊なテイストだし、おれはやっぱりレイ派だからな。しかし、これくらいベースが可愛いのなら、ごくふつうの女のコとしてごくふつうの暮らしができたであろうに、ヘンなアニメにハマってしまったばっかりに冥府魔道に生きる羽目になるとは、エヴァンゲリオンも罪作りな作品である。多感な時期にアレの直撃を受けた世代には、いろんな冥府魔道に入っていったやつがいるんだろうなあ。おめでとう、おめでとう。



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蛙王と鉢巻きと

 おれはあんまりオリンピックに興味はないんだが、北島康介が中国メディアで“蛙王”と呼ばれているとあっては、親近感を禁じ得ない。すげえ称号だなあ。さすが、同じ文字を使っているだけのことはある。おれは中国語はさっぱりわからんけど、バタフライの王者は“蝶王”とか言うんだろうか?

 ウェブ上の英語メディアを見ていると、英語でコミュニケートしている中国人たちのアンビヴァレントな感情が見え隠れして、なかなか面白い。彼らの中でも、とくに強く反日感情を持っている人は、北島の快挙が頭では癪に障るらしいのであるが、小さな身体の北島(っつったって、日本人的には充分でかい)がやたら身体がでかく手足の長い欧米人を制するのが、やはり同じアジア人としては小気味よいらしいのである。まあ、わからんでもないわなあ。

 それにしても、新華社通信Japanese Kitajima wins 100m breaststroke with new world record なんて記事には、ちょっとカチンとくることはくる――

 Kitajima punched his fist in the air firmly when he was introduced to the spectators, some of whom waving Japanese flags and wearing "National Spirit" and "Victory" strips around their heads.

 そんなこと、選手・北島の功績とはなんの関係もなかろう。厭らしい書きかただなあ。あきらかな印象操作だ。まあ、日本人がそういう鉢巻きをしているだけで不気味に感じたり、不快感を覚えたりする層もたしかにいるんだろうし、その心情もわからんではない。おれたちも、それがあなたたち中国人の目にどのように映るか、多少の配慮をすべきかもしれん。だが、スポーツの祭典に関してこういう厭らしい報道のしかたをせんでもよかろうに。若い中国人民の方々に於かれては、いつまでもこういう厭味たらしい報道をすることは、ちっともお互いの国益にならんことをご理解いただき、品がなくド厚かましく近代国家としての人権もへったくれもないそちらの政府言うべきことも言えない主権国家とは名ばかりのこちらの腰抜け政府は放っておいて、民間では仲良くしてゆきたいものである。おれはあなたたちやあなたたちの文化が嫌いではない。だが、あなたたちの政府は大嫌いだ。

 まあ、このままでは、五十年後には、ウチはあなたたちの“ヤマト自治区”になっていたり、正式にアメリカの五十一番めの州になっていたりするのかもしれないが、できればどちらでもない未来を祈るよ。



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2008年8月13日 (水)

電気ですかーっ!?

 電気があればなんでもできる。

 じゃなくて。

 どひゃー。八月分の電気代(七月十四日~八月十二日)が一万三百六十五円だとー? 六月分の倍近くではないか。今年の夏は暑いからなあ。

 それでも、前年同月の電力使用量が643kWhだったのに比べ、今年は445kWhである。198kWhも節約しているのだ。まあ、去年が使いすぎっちゃ使いすぎなんだが……。

 エアコンの設定温度はできるだけ二十八度にしているし、こまめに点けたり消したりしている。設定温度を高めにして風量を強くするほうが節電になるそうだから、そうしている。効果はあるみたいだ。先日買った〈とく子さん〉もちょっとは効いてるのかな。洗濯や食器洗いもできるだけバッチ処理するようにしているから、これもバカにならんだろう。

 それにしても一万円の大台に乗られると、なんだかなあ。かといって、あんまりエアコンの使用をケチりすぎて身体を壊してしまったのでは余計に金がかかる。冷蔵庫を弱く設定しすぎても腹を壊して余計に金がかかる。落としどころが難しい。



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2008年8月12日 (火)

苔が生えないように

ローリングストーン誌、サイズの小型化を発表 (asahi.com)
http://www.asahi.com/showbiz/enews/RTR200808120055.html

 [ロサンゼルス 11日 ロイター] ローリングストーン誌は11日、独自の大型サイズで知られる誌面を一般的な雑誌サイズに縮小する大幅なデザイン変更を発表した。広告収入の増加と売店での販売てこ入れを狙う。
 ポップカルチャーを中心に扱う同誌は過去30年以上にわたり、独特な大型サイズで親しまれてきたが、10月17日刊行分からサイズを変更する。
 同誌のウィル・ダナ編集長は「われわれにとって自然なステップだと感じる。少しだけ変化を起こして成長し、違ったことをするのはいつだってエキサイティングだ」と語った。

 これって、ちくわの穴が広がっているってのとは、またちがう話なのか? ちくわの穴が広がるのはあんまりエキサイティングじゃないんだが……。



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『floating pupa』(pupa/EMI Music Japan)

 高橋幸宏原田知世高野寛高田漣堀江博久権藤知彦によるユニット pupa のファーストアルバム。え? どうせおまえは原田知世目当てだろうって? いや、たしかにそうだけどさ、おれは高橋幸宏も好きなんだよ。サディスティック・ミカ・バンドも好きだしさ。今風の木村カエラちゃんも好きだけどさ、おれはやっぱりSMBと言えば桐島かれんの世代なのよのさ。そんな八〇年代には、知世ちゃんはまだひっくり返った声で主演映画の主題歌を唄う初々しいだけのアイドルであって、よもやその後独自の世界を確立するミュージシャンに大成しようとは、当時のおれには神ならぬ身の知る由もないのであった。

 そんなわけで、高橋幸宏が原田知世と組むと聞いたときには仰天した。と同時に、高橋幸宏のセンスのよさに唸った。原田知世に白羽の矢を立てたかー。二十数年前のおれに、将来、高橋幸宏と原田知世がユニットを作るんだよなどと教えてやっても、絶対信じないよな。

 pupa の音楽はとにかく品がいい。押しつけがましくない。じっくり聴くと、なるほどあちこちに職人気質が迸っているのだけれども、BGMとして流していると、とにかく品がよくて耳障りでない。不思議な浮遊感がある。原田知世という人は、こういうふわふわした感じに持ってこいなのである。かといって、知世ちゃん、いや、知世さんは、ヴォーカルばかりで活躍しているわけではないのだ。エレクトリック・バグパイプなる楽器で、演奏も聴かせてくれる。

 灰汁がなさすぎてもの足りないという声もありましょうが、なんちゅうか、意地汚い主張がなくてよろしいなあ。原田知世の声はとにかくうるさくなくていい。BLENDYやなあ。案外、いそうでいないんだよねえ、原田知世みたいなヴォーカルって。

 ともあれ、SFファン的には、『さなぎ』ってネーミングがいいよねえ。べつにSFとは関係なくて、高橋幸宏が近年フライフィッシングに凝ってるからこういう名前になったそうなんだが……。



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2008年8月10日 (日)

「あんたバカぁ?」な夏休み

 このところ観ていなかった『溜池Now はミッドタウンにお引越ししました』をまとめて観たのだが、第61回~第63回「ギザ細かすぎて伝わらないアニメものまね選手権」には驚嘆した。『溜池Now』の最高傑作のひとつだろう。どこかの番組のパクリとはいえ、これを企画したやつはえらい。テレビでやったとしても、絶対スポンサー付かねーよ。ウェブの媒体特性を最大限に活かした企画でありましょう。

 アマチュアのヲタな人や、本職の(あんまり売れてない)ヲタ芸人たちが、アニメネタのやたら細かいものまねをやるのだが、まあ、このブログを読んでいるような人には、かなりウケるであろうこと請け合い。

 おれがとくに気に入ったのは、 稲垣早希」って人。おれは知らなかったんだが、Google で検索してみると、ちょうどおれを検索したのと同じくらいのヒット数といった知名度で、よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本部所属の芸人である。ひたすら『新世紀エヴァンゲリオン』ネタをやっているらしい。信じられないほど惣流・アスカ・ラングレー宮村優子)に声が似ているが、レイシンジをやってもすばらしい。「桜」というコンビ(ブログはこちら)で“エヴァ漫才”をやっているらしく、蛮勇というかなんというか、コンビでM-1ピンでR-1に出場したりしている。あのー、こういうネタやってるかぎり、絶対メジャーにはなれないとは思うんだが、少なくともおれは好きだよ。むかし、宮村優子の声でしゃべるルータという、いったいどういう層をターゲットにしたのかよくわからない商品があったものであるが、いまあのルータが復刻されたとしても、稲垣早希なら充分ミヤムーの代役が務まるよ。ルータがしゃべる程度の音質なら、まず聞き分けられないと思う。

 ただ、「私、ロンギヌスの槍でスパゲッティー食べたことあるわ」というネタには異議あり。おれはロンギヌスの槍で羊羹を食ったことならある。あれって、和菓子類によく付いてくるじゃんか。柄はちょっと短いけどさ。

 必ずしも一般の方々にはお薦めしないが、おれは稲垣早希のネタ、もっと観たいなあ。不特定多数向けにやるネタじゃないだろうけどねえ。『溜池Now』で岡田斗司夫が評していたように、SF大会ガイナックスの忘年会でなら、熱狂的にウケると思うけど……。

 まあ、むかしなら、こういう芸人が乗る媒体がそもそもなかったわけだが、いまはインターネットがあるから、“特異すぎる才能”を発揮できる場所ができてきてはいるんだよね。アマゾンなら「本で419,757位」に来るといった才能だ。「ロングテールなんて大嘘だ」という議論もあるけれども、やっぱり個々の利用者にとってみれば、ロングテールに手軽にアクセスできるって状況は、非常にありがたいんだよねえ。

 しかし、夏休みだからといって、朝方に酒飲みながらこういうものを観てのたうちまわって笑っているというのは、われながら人としていかがなものかと思うことは思うけれども、これもゼーレのシナリオどおりなのかもしれん。




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2008年8月 8日 (金)

近来稀に見るタモリの名弔辞

「私もあなたの作品」タモリ弔辞全文…赤塚不二夫さんにお別れ (スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080807-OHT1T00270.htm

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

 いい弔辞だねえ……。テレビでも一部を観たのだが、タモリが手にして読んでいた紙は、白紙だった。もしかすると、カメラが捉えきれぬだけで、話の流れくらいは薄い文字でメモしてあったのかもしれないが、おれはやっぱりあれは、ただただ目のやり場を作るためだけの白紙だったのだと思う。横山やすしの葬儀で涙に濡れた顔を上げてじっと遺影を見つめ語りかけた西川きよしのようなことをタモリがやったのでは、「おまえのキャラじゃねーよ」と、それこそ赤塚不二夫に叱られるだろう。タモリにはそのことがよくわかっていたので、弔辞の構成だけを頭に叩き込んで葬儀に臨み、おそらくは、あらかじめ書き上げた白紙を“読み”ながら、赤塚不二夫のみを観客にしたインプロヴィゼーションを披露するつもりで故人への想いを迸らせたのではなかろうか。かなりの部分を“その場で作った”んじゃないかと思うんだよね。タモリにはそれができるだけの藝と赤塚不二夫への想いがあるはずだ。

 ひとつひとつの葬儀のときにはあまりに不謹慎なので口にはしないが、弔辞というのはたいてい退屈でつまらない当たり障りのないものである。最適任者による最高の弔辞に、おれはひさびさに弔辞というものそのものに感動を覚えた。故人を偲ぶすばらしい藝だったと思う。まこと、赤塚不二夫の眼力なかりせば、いまごろタモリは、支配人をしていたボーリング場が潰れたあとにできたカラオケ屋の店長でもしていたかもしれない。才能が才能を呼び合うということは、たしかにあるのだな。

 「私もあなたの数多くの作品のひとつです」か……。誇りと感謝のこもった名文句だ。こう胸を張って言える理解者にめぐり会える幸運な人生は、そうはないと思う。それだけに、タモリの静かな“読み上げ”は胸を打った。

 これでいいのだ。これで、いいのだ。



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2008年8月 6日 (水)

『TIGER VE電気まほうびん<とく子さん> 電気ポット グレー 2.2L PVN-A220H』(タイガー)

 先日、十年近くは使ったであろう電気ポットがぶっ壊れたので、こいつを買ってみた。初期投資は少々割高だが、豆電球を発光ダイオードに買い換えるようなものだろう。ランニングコスト重視である。

 ウチはとにかく物持ちがよすぎるのがよくないのかもしれん。家電を十年も二十年も使うのは考えものだ。というのは、その間の技術革新で、ランニングコストが段ちがいに下がっている分野もあるからだ。エアコンなんかはまさにそうだった。

 以前から、一度沸かした電気ポットの湯を電気で保温するってのは無駄だなあとは思っていたのだ。魔法瓶という枯れた技術がすでにあるのだから、ハイブリッドカーのように、電気で沸かした湯を魔法瓶で保温するという手もアリではないか、なんでそういうものを作らんのだ――と思っていたところへ《とく子さん》シリーズが出たのだけれども、やっぱりせっかくいま使えている電気ポットを廃棄してまで乗り換えるのはいかがなものかという貧乏性が発揮され、とうとう壊れるまで古い電気ポットを使い続けたのであった。

 《とく子さん》をしばらく使ってみて思うのは、やっぱり魔法瓶というのは偉大であるということだ。電気を使わずに保温しても、家庭での実用上、ほとんど困ったり苛立ったりすることはない。

 《とく子さん》でもって、いったいどのくらい電気の節約になっているのかは、次の電気代の請求を見てみるまでわからない。というか、見てもおそらくわからない。ほかの電気製品もいっぱい使っているし、なにより、夏はエアコンを酷使するため、長期間の電気代を記録してでもいないかぎり、《とく子さん》による節電効果は、なかなかデジタルには弾きにくいのである。

 とはいえ、定量的な測定は難しくとも、こいつをしばらく使っていると、どう考えたっていままでより電気を使っていないことが実感できる。いやなに、その、あのね、おれはなにも電気代が得だとか、そういうみみちいことを考えているのではなくて、一家庭がいかに二酸化炭素の排出抑制に協力できるか、地球のため、姪たちの未来のためになにができるかと崇高なことを考えて、たかが電気ポットごときを選んでいるわけなのであるのだぞ。そうなのだぞだぞ。電気代がもったいないのではない。電気がもったいないのだ――と、自分に言い聞かせる今日このごろである。いやそれにしても、次回の電気代の請求が楽しみだ。

 おれが買ったのは湯量も少なく値段も比較的安い普及型だが、最上位機種ともなるとえらいもんですなあ。「過去14日間の使用パターンを記憶して、曜日ごとの使用パターンに合わせてポットが自動的に使う時間帯はヒーターON、使わない時間帯はOFFに切り替え」るのだそうで、たかがポットごときがえらくインテリジェントである。

 おれはどうも昨今の“二酸化炭素排出抑制ファシズム”みたいなものにはイラっときて抵抗を覚えるのだが、まあ、電気を使うよりは使わないほうがいいにはいいに決まっている。これから十年くらいは、このポットにがんばってもらわんとな。



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2008年8月 5日 (火)

そういえば、ご無沙汰だった

 「○○と××くらいちがう」を長らくやってなかったな。

「モーガン・フリーマンとミルトン・フリードマンくらいちがう」

 続報によると、モーガン・フリーマンは順調に回復しつつあるとのこと。よかった、よかった。



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がんばれ、モーガン・フリーマン

Actor Morgan Freeman hospitalized at The MED after accident (WMC-TV)
http://www.wmctv.com/global/story.asp?s=8783679

MEMPHIS, TN (WMC-TV) - Academy Award winning actor Morgan Freeman was involved in a serious car accident Sunday night in north Mississippi.
Mississippi Highway Patrol spokesperson Ben Williams said Freeman and a female passenger were traveling eastbound on Mississippi Highway 32 in Tallahatchie County when his vehicle went off the edge of the road. Freeman overcorrected, flipping his 1997 Nissan Maxima several times before coming to a rest.
Emergency crews extracted Freeman and his passenger from their vehicle using the jaws of life. According to Williams, they were both airlifted to the Regional Medical Center in Memphis, where Freeman was listed in serious condition Monday morning.
The condition of Freeman's passenger has not been released.
Freeman, who won an Academy Award for his performance in 2004's Million Dollar Baby, is a co-owner of the Ground Zero Blues Club in Memphis. He currently stars in the Batman sequel The Dark Knight.

 モーガン・フリーマンが交通事故でかなり深刻な状況らしい。

 おれは個人的には『ディープ・インパクト』の大統領役がとても好きだ。渋い。

 いいお歳ではあるが、なんとか助かって銀幕に帰ってきてほしいなあ。



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お買い上げ御礼(2008年7月)

■2008年7月

【最も値段の高いもの】

 おおお、『マクロスF』人気で、歴史を勉強しようという感心な若者がいるのだな。あるいは、HDリマスター版が欲しいという年寄りだろうか。まあ、どちらであるにせよ、この劇場版は名作ですからなあ。ラストの決戦シーンはCGも使わずにアレですから。“花火大会”のようだ。当時としては、目を見張る映像である。

 これを買ったのが若者であるにせよ年寄りであるにせよ、これより貴艦を援護する。

【最も値段の安いもの】

 またまたおなじみ『英会話上達法』、今回も一円で売れております。なんか、毎月のようにランクインするのだが、一円なのだから、もちろんおれには一円も入らない。でもいいのだ。こういう名著を手にしてくださる方が一人でも増えれば、ご紹介している甲斐があるというものである。

【最も多く売れたもの】

 6月に引き続き、7月もこいつがいちばんたくさん売れた。ウチに来る人は、生物が好きな人が多いのだろうか。おれの書評(というか、感想)はこちら

【最もケッタイなもの(主観)】

 ひさびさに、正真正銘のケッタイな買いものである。しかも、VHSだし。

 季節が季節だから、都会のコンクリートジャングル(昭和な言葉だなあ)でこれを観て、故郷の盆踊りを懐かしんでいる人がいらっしゃるのであろうか。それとも、こういうものを学術的に研究しているのだろうか。あるいは、ただただニッチな“盆踊りおたく”なのだろうか。謎は深まるばかりである。

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2008年8月 4日 (月)

冷しゃぶにはこれ!

 このところ、土曜日にはカナダポークをどっさり買ってきて冷しゃぶを食うことにしているのだが、先日近所のディスカウントスーパーで試しに買ってみた「冷しゃぶドレッシング 和風しそわさび」ハウス食品)というのがおれには大当たりで、たいへん気に入っている。

 冷しゃぶにかけるものといえば、ポン酢とかごまみそドレッシングとかがあたりまえだと思っていたおれにとって、そもそも“しそわさび”などという“流派”があったこと自体発見であったが、これがまたヒジョーによろしい。しその香りがさわやかで、ツーンと適度に鼻に抜けるわさびが豚によく合う。わさびが苦手な人にはお薦めしないが、酒飲みの人は、絶対こういうのは好きだと思う。飲み助はお試しあれ。



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2008年8月 3日 (日)

赤塚不二夫死去

赤塚不二夫さん死去 「おそ松くん」「天才バカボン」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0802/TKY200808020315.html

 「シェー!」「これでいいのだ!」「ニャロメ!」など数々の流行語を生み、「おそ松くん」「天才バカボン」などで笑いのブームを巻き起こした漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名赤塚藤雄)さんが2日、肺炎で死去した。72歳だった。喪主は長女りえ子さん。
 中国東北部(旧満州)生まれ。新潟県内の中学を卒業後に上京、化学薬品工場の工員をしながら漫画を描き、56年に貸本漫画「嵐をこえて」でデビュー。石ノ森章太郎ら多くの漫画家が住んだアパート「トキワ荘」で本格的な創作活動を始めた。
 58年、初の月刊誌連載となった「ナマちゃん」を「漫画王」に発表。62年に六つ子を主人公にしたドタバタギャグ「おそ松くん」を「週刊少年サンデー」に、変身願望をくすぐる少女漫画「ひみつのアッコちゃん」を「りぼん」に連載して人気漫画家に躍り出た。
 67年、前衛的笑いの集大成「天才バカボン」と“反体制ネコ”ニャロメが登場する「もーれつア太郎」が連載開始。多くの作品がテレビアニメ化され、一大ブームを巻き起こした。02年に脳内出血で倒れて以降は、東京都内の病院で、意識が戻らないまま闘病生活を続けていた。
 65年に「おそ松くん」で小学館漫画賞、97年には日本漫画家協会文部大臣賞を受賞した。

 ♪こらえて生きるも男なら 売られた喧嘩を買うのも男

 ♪それはひみつ ひみつ ひみつ ひみつのアッコちゃん

 ♪西から昇ったお日様が 東へ沈む

 おれたちの子供時代は、赤塚不二夫に塗り潰されておりましたなあ。おれなんか、学校のノートにニャロメケムンパスべしの絵ばっかり描いていたような気がする(もちろんおれのいちばんのお気に入りは“べし”だ。)。

 おれたちの世代にとっての手塚治虫ビートルズだとすれば、赤塚不二夫ローリング・ストーンズだ。最後の最後までペンを握り続けたマンガの鬼としての手塚治虫と、狂気を爆裂させて壊れてしまった赤塚不二夫も、これまた好対照である。ギャグマンガ家というのは、ほんとうに危険な仕事だ。

 カート・ヴォネガットが頻発するおなじみのフレーズ、 So it goes. は、「そういうものだ」というのが定訳だが、おれは「これでいいのだ」ってのもアリだと思う。ヴォネガットがもしも『天才バカボン』を読んだとしたら、バカボンのパパにたいへんな共感を覚えただろうと、おれは想像するのである。

 トマス・マンに言われるまでもなく、滑稽と悲惨は、人生のエッセンスである。つまるところ、夾雑物を削ぎ落としてゆくと、人が生きるということの本質には、滑稽と悲惨が残る。というか、それしか残らない。この歳になって、ようやくそう実感できるのである。赤塚不二夫は、トマス・マンよりもヴォネガットよりも、ほんの少しだけ滑稽寄りの表現を選んだのだろう。

 ともあれ、ギャグマンガ家の王道と言える人生を生きた赤塚不二夫の遺産に感謝を。なにもかも忘れてバカ笑いできた時間をありがとう。そして、お疲れさま、赤塚先生。

 これでいいのだ。




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2008年8月 2日 (土)

改造内閣、空前のサプライズ人事!

 なにがサプライズって、首相が留任というのには、誰もが度肝を抜かれているにちがいない。こ~れは意外だったなあ。

 いよいよ、おれの生きているあいだに、ほんとうの政権交代が見られる可能性が高くなってきたぞ。たしかにいままでも、事故のように洒落で成立してしまった非自民党政権をいくつか見たような気もうっすらしないでもないのだが、ああいうのは形式上のことであって、おれはまだ政権交代らしい政権交代を体験していない。

 おれもべつに民主党にさほど期待しているわけではないが、もはや自民党が考えているよりもずっとずっと多くの日本人が、ビートルズが見たい、美空ひばりが見たい、上野のパンダが見たい、ツチノコが見たい、来日したモナリザが見たいというのとまったく同じような感じで、ただただいっぺんくらいほんとうの政権交代を見てみたいという気分になっているんじゃなかろうか。こういうのは自民党にとっては怖いぞ。もはや理屈じゃないからだ。どんな人寄せパンダ的人事で選挙のためだけの布陣を敷こうが、正直なところ、単に“自民党に飽きた”という率直なムードの高まりには、抗し切れるものではないとおれは思う。

 こりゃあ、次の総選挙までは、ちょっと死ねないなあ。酒と煙草をにわかに少し控えることにしよう。アポロ11号の月着陸を間近に控えた当時の大人たちの気持ちは、きっとこんなだったのだろう。まあ、あれほどのでかい事件じゃないけどさ、せっかく見られるものなら、いま死んだら損だ。



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2008年8月 1日 (金)

今月の言葉

汚職の碑

 先生もお金払ったの?



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