肥後守とケータイ
最近、充分な議論もなされぬまま、とにかく「子供にケータイを持たせるな」という、大人も子供も最も頭を使わなくてよい安易な規制の方向に持ってゆこうとするやつが増えてきているようである。要するに、問題の種になりそうなものは禁止するのが面倒がなくてよいという思考停止だ。大人の怠慢と言ってもいいだろう。
なんだかなにかに似てるんだよなあともやもやしていたんだが、今朝トイレでウンコしてたらだしぬけにわかった。むかし社会党の浅沼委員長が刺殺されたことによって盛り上がった「子供に刃物を持たせるな」という風潮に似ているのだ。といっても、浅沼委員長が刺されたのはおれの生まれる前だが、なんというか、あとから知った“記憶のような知識”としておれの頭の中にあるものだから、「そういえば似ている」と思い出して(?)しまうのである。
あの事件のあとに盛り上がった刃物追放運動の影響で、おれたちよりちょっと上の世代には、肥後守(といっても若い人にはピンと来ないかもしれないが、工作なんかに使う鞘の付いた切り出し刀のことである)で鉛筆を削れない人が多いという。おれたちが子供のころくらいになると、すっかり浅沼委員長刺殺事件のほとぼりは冷めていて、おれは文房具屋でなにごともなく売られている肥後守を買ってきて、竹薮に落ちている切り残しの竹を拾ってきては、よく竹トンボを作ったりしていた。さすがにおれたちの子供のころには、鉛筆は鉛筆削り(手回しや電動)で削るのが一般的であったが、肥後守やカッターナイフで削るのがなんだかカッコいいような気がして、鉛筆削りと併用していた。
そういうものだ。つまり、ケータイはナイフのようなものだということにすぎない。追放(?)しようとしたところで、無駄なことである。自分も人も傷つけないように正しく使えばたいへん便利なものであり、大人にはそれをきちんと子供に教える義務と責任がある。どのみち、いま、安易な考えと勢いだけで「子供にケータイを持たせるな」なんて言ってる連中の多くは、そのうち、中国やら韓国やら台湾やらの子供に比べて日本の子供は情報機器を使いこなす能力が低い――なーんて調査結果が出たりすると、掌を返すように「子供にケータイを持たせろ」と言い出すに決まっているのだ。
繰り返すが、おれたちが小学生・中学生のころ(昭和四十年代後半)には、肥後守はふつうに文房具屋で売っていたし、持っていても、親も先生もなにも言わなかった。「手ぇ切るなよ。人に向けるなよ」くらいのもんである。それでも何度か自分の指を切り、血を流し、痛い思いをして、“正しく使わないと怖い道具がある”という大切なことを、大人に叱られたり説教されたりしながら、おれたちは学んでいったように思う。
まあ、肥後守で鉛筆が削れない子供が大量生産されたからって、それで大人になってから困ったという人はいないだろう。だけど、ケータイはそうかな? 英語は早くから子供にやらせたがるくせに、ケータイはいかんというのは矛盾しとらんか? 自分ではいまの社会を生きていないくせに口だけは出したがる輩の考えることはまことに不可解だ。だいたい、コミュニケートするということの大切さと怖さに目隠しをさせながら、英語でコミュニケートできる日本人を作るもへちまもあるもんか。どうして、「ケータイでインターネットを使って、外国のお友だちと英語でやりとりしてみよう!」という方向に子供たちを導こうとせんかなあ? そういうふうに教育することのほうが、問答無用でケータイを取り上げるよりも、はるかに前向きで、これからの時代の要請に合っていると思うんだがどうか。
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コメント
|英語は早くから子供にやらせたがるくせに、ケータイはいかんというのは矛盾しとらんか?
日本語でケータイを使ってはいけないならどうでしょう。
#英語も「敵性語」と言って禁止した歴史のある国なんですよね。
投稿: 林 譲治 | 2008年5月28日 (水) 06時09分
> 日本語でケータイを使ってはいけないならどうでしょう。
洒落でなく、このアイデアにのるバカ……いや、教育熱心な親御さんたちがいそうな気がします。
出会い系とか学校の裏サイトとか、そんなのはトーゼン日本語で運営されてます。したがって、日本語の使えない携帯電話なら、そんなユーガイサイトに毒される心配はありません。
といえば、きっと信じます。
日本語の使えない携帯電話を作るのは簡単、というか日本語使えるようにする方がたいへんだし。
友達とのメールも英語、ネット参照も英語、これならきっと海外に売り飛ばされてもやっていける優秀な子供が育ちます。
投稿: 東部戦線 | 2008年5月29日 (木) 01時59分
>問題の種になりそうなものは禁止する
「事故があったから雲梯を撤去」というのを思い出しました。遊具もケータイもエスカレーターも禁止になるんでしょうか。
投稿: 湖蝶 | 2008年5月29日 (木) 07時36分
>林譲治さん
>#英語も「敵性語」と言って禁止した歴史のある国なんですよね
かなり偏った研究とはいえ、敵を研究して『菊と刀』をものしたプラグマティズムには、われわれも学ぶべきだと思うことしきりです。
>東部戦線さん
>海外に売り飛ばされてもやっていける優秀な子供
いやあ、まさにこれからの日本には、そういう人材が求められていると思うです。ソフトウェア業界なんか見てると、もはや国境という防護壁は取り払われてしまっていて、中国やインドや東南アジアのエンジニアたちが、自分たちの直接の競争相手になってしまっているという危機感がないぬるま湯技術者・ぬるま湯SIerが多すぎることに絶望的になってしまいます。きっと、もう十年もすれば、「日本の技術者は日本語しかできないうえにスキルも低いけど、まあ、とにかく安く長時間働いてくれるからねえ」と、中国やインドや東南アジアの企業が、日本を“オフショア開発”先として“アタマドカタ”的仕事を投げてくるようすが目に見えるようです。
>湖蝶さん
なぜか自動車は禁止にならないんですけどねえ。
投稿: 冬樹蛉 | 2008年6月 9日 (月) 01時01分
お酒も禁止にならないのはめでたいことです。
投稿: 村上 | 2008年6月 9日 (月) 16時42分