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2008年5月の24件の記事

2008年5月31日 (土)

『Apple iPod nano 8GB ブラック MB261J/A』(アップルコンピュータ)

 とうとうスティーブ・ジョブズの軍門に下ってしまった。三年弱使いに使いまくった iriver のプレイヤーのロックがバカになってしまい、ロックが掛かりっぱなしになったり掛からなくなったりで、操作に支障を来たすようになってしまったのだ。まあ、これは iriver のせいではない。妥当な寿命であろう。音はホントによかったよ。単三乾電池一本で動くというのも気に入っていた。iriver 、ご苦労さん。

 で、新しいのも iriver を考えたかというと、ここで悪魔が囁いた。おれはパソコンではほとんど iTunes で音楽を聴いている。ほとんどはCDからぶちこんだものだが、iTunes Store で買った曲もけっこう貯まってきた。持ち歩く曲はそうそうたびたび入れ替えるわけではないから、べつにプレイヤーが iTunes と自動同期しなくても、手動でプレイヤーに転送するのはさほど手間というわけでもない。だが、ポッドキャストは大いに手間なのである。iPod ならパソコンに繋ぐだけでポッドキャストもいろんなパターンで同期できるぞお、時間の節約になるぞお……と悪魔に囁かれたのでは、いつまでもアップルを忌避しているわけにもいかない。折れた。ポチっとやってしまった。

 ウェブで迷いもなく買えるほどに、モノ自体はあちこちの大手電器店で実機をいじくりまわしてよく知っている。ユーザインタフェースはたしかにすごい。だが、音楽プレイヤーとして、可もなく不可もなく無難な音がする点が、どうも好きになれなかったのである。おれはたいていの分野に於いて判官贔屓だ。

 で、観念して使ってみると、うーむ、う、薄い。軽い。スーツのポケットに入れて常時携帯するのには文句ない。なにしろおれは、HP200LXをスーツの内ポケットに入れて持ち歩いていた男だ。iPod nano など、おれの敵ではない(だから、なんでそう敵視する?)。いい。くやしいがすごい。なんだ、このちっちゃな画面は? ちっちゃいくせに、怖ろしくきれいだ。ビデオポッドキャストの文字が読める。老眼でもなんとか読める。おれは画像評価用と自分に言い聞かせて iTunes Store で買った「ギリギリHERO」mihimaru GT)のPVを観ながら、柳沢慎吾のおなじみの刑事藝と hiroko の美貌を堪能した。こ、このちっちゃい画面で……。

 それにしても、hiroko は基本的に矢口真理なのに、なんでこんなに品がいい感じがするのだろう。目が知的だからだろうか。品のいい美貌に“おもちゃ声”、舌足らずな発音に似合わぬパワフルな発声、はっちゃけたファッションに幼児体型、可愛い関西弁にぶっとんだ天然リアクション――存在そのものがミスマッチの塊みたいな不思議なコである。芸能人として観てるぶんには心地よいが、実際にこんなコが身近におったら、異星人の作った謎の機械を前にしたようで、おじさんは途方に暮れますわ、きっと。こんなコを自由にはっちゃけさせて、じつにうまく魅力を引き出しているのだから、miyake もすごい人だと思うですよ。なんか、この人もすごく品がいいんだな。最初に観たとき、リチャード・カーペンターを連想したね。たぶん、才能のわりに地味でストイックな印象を受けるからだろう。

 えーと、iPod nano の話だっけ? いや、べつにおれはスティーブ・ジョブズが嫌いじゃないんだよ。ビル・ゲイツよりはずっと好きだ。なんちゅうか、カッコよすぎて、ちょっとイラっとくるんだよ。こういう異端の変人が生きているうちに報われる姿を目にすることに、おれたちはあまり慣れていないからかもしれない。長生きしてナイトに叙せられてしまったジョン・レノンを見るかのような違和感があるのよ。きっとむかしは、こういう人は時代が追いつく前に寿命のほうが尽きるものだったんだが、時代の変化が加速されちゃったもんだから、生きているうちに評価が間に合っちゃったのだ。じゃあ、加速したのは誰かといえば、ほかならぬビル・ゲイツだったり、ラリー・ペイジサーゲイ・ブリンだったりするんだろう。げに、面白い時代に生まれ合わせたもんだ。

 いやもう、ちょっとイラっとくるけど認めましょう。いまさらながら、脱帽です。もう iPod なしでは生きていけません。



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2008年5月29日 (木)

多様性、みんなで守れば怖くない

生物多様性基本法が成立 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0528/TKY200805280306.html

 多様な生物を守り、その恩恵を持続的に利用することを目的にした「生物多様性基本法」が28日、参院本会議で全会一致で可決され、成立した。6月にも施行される。
 国や自治体に対し、生物多様性を守る国家戦略や地域戦略の策定を求めている。国は法制や財政、税制上の措置のほか、公共事業など開発の計画段階で環境への影響評価が必要となる。生物多様性に影響が及ぶ恐れがある場合は保全策をとらねばならない。

 それはそれでけっこうなことだとは思うんだけれども、わが国の場合、先に人間の多様性を尊重する法律を作ったほうがいいような気もするんだがどうか。



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インテリジェンス

 「地球外の知性体からの信号をキャッチしたって?」
 「はい、主任。つまらないことに、なんの工夫もない電磁波で送ってきています」
 「どんな信号なんだ?」
 「ピッ、ピピッ、ピピピッ、ピピピピッ、ピピピピピッ、ピピピピピピッ、ピピピピピピピッ……と、つまらないことに、自然数をビープ音でカウントアップしていっているだけです」
 「それが自然現象でないと言い切れるだろうか? そうだな、たとえばなにかインクリメンタルな――」
 「言い切れます」
 「えらい自信だな。なにを根拠に?」
 「その、お、音が……素数のときだけアホになるのです」



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2008年5月28日 (水)

肥後守とケータイ

 最近、充分な議論もなされぬまま、とにかく「子供にケータイを持たせるな」という、大人も子供も最も頭を使わなくてよい安易な規制の方向に持ってゆこうとするやつが増えてきているようである。要するに、問題の種になりそうなものは禁止するのが面倒がなくてよいという思考停止だ。大人の怠慢と言ってもいいだろう。

 なんだかなにかに似てるんだよなあともやもやしていたんだが、今朝トイレでウンコしてたらだしぬけにわかった。むかし社会党の浅沼委員長が刺殺されたことによって盛り上がった「子供に刃物を持たせるな」という風潮に似ているのだ。といっても、浅沼委員長が刺されたのはおれの生まれる前だが、なんというか、あとから知った“記憶のような知識”としておれの頭の中にあるものだから、「そういえば似ている」と思い出して(?)しまうのである。

 あの事件のあとに盛り上がった刃物追放運動の影響で、おれたちよりちょっと上の世代には、肥後守(といっても若い人にはピンと来ないかもしれないが、工作なんかに使う鞘の付いた切り出し刀のことである)で鉛筆を削れない人が多いという。おれたちが子供のころくらいになると、すっかり浅沼委員長刺殺事件のほとぼりは冷めていて、おれは文房具屋でなにごともなく売られている肥後守を買ってきて、竹薮に落ちている切り残しの竹を拾ってきては、よく竹トンボを作ったりしていた。さすがにおれたちの子供のころには、鉛筆は鉛筆削り(手回しや電動)で削るのが一般的であったが、肥後守やカッターナイフで削るのがなんだかカッコいいような気がして、鉛筆削りと併用していた。

 そういうものだ。つまり、ケータイはナイフのようなものだということにすぎない。追放(?)しようとしたところで、無駄なことである。自分も人も傷つけないように正しく使えばたいへん便利なものであり、大人にはそれをきちんと子供に教える義務と責任がある。どのみち、いま、安易な考えと勢いだけで「子供にケータイを持たせるな」なんて言ってる連中の多くは、そのうち、中国やら韓国やら台湾やらの子供に比べて日本の子供は情報機器を使いこなす能力が低い――なーんて調査結果が出たりすると、掌を返すように「子供にケータイを持たせろ」と言い出すに決まっているのだ。

 繰り返すが、おれたちが小学生・中学生のころ(昭和四十年代後半)には、肥後守はふつうに文房具屋で売っていたし、持っていても、親も先生もなにも言わなかった。「手ぇ切るなよ。人に向けるなよ」くらいのもんである。それでも何度か自分の指を切り、血を流し、痛い思いをして、“正しく使わないと怖い道具がある”という大切なことを、大人に叱られたり説教されたりしながら、おれたちは学んでいったように思う。

 まあ、肥後守で鉛筆が削れない子供が大量生産されたからって、それで大人になってから困ったという人はいないだろう。だけど、ケータイはそうかな? 英語は早くから子供にやらせたがるくせに、ケータイはいかんというのは矛盾しとらんか? 自分ではいまの社会を生きていないくせに口だけは出したがる輩の考えることはまことに不可解だ。だいたい、コミュニケートするということの大切さと怖さに目隠しをさせながら、英語でコミュニケートできる日本人を作るもへちまもあるもんか。どうして、「ケータイでインターネットを使って、外国のお友だちと英語でやりとりしてみよう!」という方向に子供たちを導こうとせんかなあ? そういうふうに教育することのほうが、問答無用でケータイを取り上げるよりも、はるかに前向きで、これからの時代の要請に合っていると思うんだがどうか。



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2008年5月27日 (火)

ズルはアホよりタチが悪い

コピペしたリポート、ばれちゃうぞ 検出ソフト開発 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0525/TKY200805250186.html

 インターネット上の公開情報を引き写しただけの「コピー・アンド・ペースト(コピペ)」でないかをチェックするパソコンソフトを、金沢工業大学教授が開発した。コピペは学生のリポートなどで横行しているとされ、先生らには朗報になりそうだ。
 金沢工大知的財産科学研究センター長の杉光一成教授が今年2月に特許出願した。来年にも市販する予定という。
 電子データで提出された文章をソフトに入力すると、翻訳ソフトに使われている「形態素解析」という技術で、文章を文節や単語に分解。それぞれの文節や単語をネット検索し、類似した文章がネット上で見つかれば、URLを表示して知らせる。複数のリポートを比べて、学生同士が写し合っていないかチェックすることもできる。
 杉光さんは一昨年、学生に課したリポートを読んでいて、学生2人の表現が似ていることに気付いた。共通する文章をネット検索したところ、あるブログからの引き写しとわかった。同僚もコピペに悩んでいると知り、昨夏、開発に着手した。
 杉光さんは「先生が不正を見抜く技術を持てば、学生には大きな抑止力になるはず。安易にコピペできなくなれば自分で文章を考えるから、学生のためにもなる」といっている。(山口智久)

 ほおお、こりゃいいや。前から、こういう学生の意地汚い根性にむかついていたのだ。稲葉振一郎さんにとっても朗報であろう。

 なにがむかつくと言ってだな、要領だけいいのがむかつく。要領がいいことはたしかに少なからぬ局面で大事なことであるが、要領だけいいのがむかつくのである。勉強してないのなら、堂々と悪い点を取るという潔さはないのか。また、勉強してもダメだったのなら、少なくともその科目においては自分には才能がないのだと受け容れる潔さはないのか。自分が得られるもの以上のものを要領よく得ようとする、そのこすからい根性がよろしくない。吐き気を催す。

 たしかに世の中には、なにをやらせても人並み以上という才人もたまにはおるが、自分がそうなのかそうでないのかくらいは、まともな人間であれば人生の早いうちに自覚するはずである。誰にでも得手不得手はある。なんに於いても、的確に現状を把握しないことには、立てるべき戦略、次に打つべき戦術など、策定のしようもない。等身大の自分以上のものを、分不相応にも得ることにだけに血道を上げる人生など、くだらないことおびただしい。おれはアホは許すが、ズルは許さん。英語には deserve といういい言葉がある。おのれに見合わないものを受け取って嬉しいか? 嬉しいなどというやつは、その程度の人間なのだ。全世界が賞賛しようとも、自分にとって納得がいかなければ、そんなものには価値がないと考えるのがサムライである。

 大学の先生に於かれては、ぜひこのようなソフトを活用なさり、要領だけよければいいのだと思っているような根性の腐った学生どもをどんどん落第させていただきたい。そういう性根の腐ったやつらが、カタチさえ踏んでおけば本来の目的などどうでもよいと考えるような、腐った小役人になり下がる(というか、当然のようになる)のにちがいない。日本の将来のためにも、そういうズルいやつらを叩き潰しておかねばならない。自分が怠け者だアホだと自覚したやつは強い。そこから進歩する無限の可能性を秘めている。だが、ズルはどこまでいってもズルのままである。一生ズルだ。そんなやつらを栄えさせてはならない。叩き潰しておくのは、大学の重要な使命だと思うぞ。



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2008年5月26日 (月)

『Sennheiser ダイナミック・オープン・インイヤー(カナルタイプ) ブラック CX300 BLACK』

 以前 iriver のMP3プレイヤーを買ったときにゼンハイザーのイヤホンがデフォルトで付いてたので、「げげ、添付品がゼンハイザーとは渋いなあ」と仰天したのだが、その添付品がけっこうな音だったもんだから、気に入ってかなり長く使っていた。やがてそいつがついに断線してしまい、小さな電器店で国内メーカーの二千円くらいのカナルタイプを間に合わせに買ってずるずると使っていたんだけれども、これがもう、全然いただけない。厚みというものがない。ベースはどこにあるのだ、という感じだ。安かろう悪かろうの典型である。

 で、やっぱりゼンハイザーにしようとウェブで探していたら、値段のわりにやたら評判のよいものがあったので、ハズレであってもゼンハイザーなら大ハズレではあるまいと、バクチのつもりで試してみたのである。おれには、プレイヤーより高いような何万もするイヤホンやヘッドホンを次々試す趣味はない。そもそもそんな金がない。おれは音楽が聴きたいのであって、音波が聴きたいのではないのだ。

 いや、アタリだよ、これは。こんなものが実売四千円を切るなどとはウソのようだ。低音の厚みと迫力は、いままで使ったことのあるどのイヤホンをも凌ぐ。そりゃ、まともなヘッドホンにはかなわんと思うが、CD屋の試聴コーナーに置いてあるようなしょぼいヘッドホンになら充分勝てるだろう。

 ちょっとドンシャリかもしれんが、慣らしているうちにそうでもなくなってきた。音の位置もはっきりわかる。ヴォーカル音域の素直な再現力も、おれのような声フェチにとってはじつにけっこう。これくらいのイヤホンなら、音のほうもイコライザでいじり甲斐がある。ひどいイヤホンだと、イコライザでいじってもその変化をろくろく拾ってくれないんだけれども、こいつは自分好みの微調整にきちんと反応してくれるので嬉しい。ホントに、これがこの値段でいいのかなあ。

 オーディオ機器なんてものは、とにかく金さえ出す気であれば、いくらでも高性能のものが手に入るのだから、価格相応の性能であったところで、それはあたりまえなのである。価格を裏切る高性能に当たったときに、お得感もひとしおだ。こりゃあ、いい買いものであった。ゼンハイザー、さすが。



 

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2008年5月25日 (日)

「子供に見せたくない番組」五年連続第一位とはすばらしい

子どもに見せたくない番組、5年連続「ロンドンハーツ」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0515/TKY200805150255.html

 日本PTA全国協議会は15日、小学5年と中学2年生の保護者らを対象にした「子どもとメディアに関する意識調査」の結果を発表した。子どもに見せたくないテレビ番組の1位は5年連続で「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)、逆に見せたい番組1位は前年に続き「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)となった。
 見せたくない理由は「内容がばかばかしい」「言葉が乱暴」など。調査は昨年11月に実施し、見せたくない番組には延べ1170人、見せたい番組には延べ2258人の回答があった。

 出たな、おれが一方的に敵視している日本PTA全国協議会(笑)。おれは『ロンドンハーツ』『世界一受けたい授業』も、両方とも録画して毎回観ているが、なんで『ロンドンハーツ』がこの人たちにこんなに目の敵にされるのか、さっぱりわからない。「内容がばかばかしい」て言われてもなあ。あの人たちは、バカバカしいことを言ったりしたりするのが仕事なのである。大人があれだけの手間と時間をかけて懸命に仕事をしている姿はかなり教育的ではあるまいか? 他人の“格付け”なんぞ、自分の道を堂々と歩む人々にとっては、それこそ笑いのネタにするのがちょうどいい程度のバカバカしいものなのだというメッセージをメタレベルで発信していると考えれば、相当教育的ではあるまいか? まあ、『ロンドンハーツ』関係者にしてみれば、日本PTA全国協議会恒例のこの意識調査は、それ自体がギャグにしか見えていないだろうし、「子供に見せたくない番組」のトップを取ることはむしろ誇らしいであろう。もはや、世間もギャグかお祭り程度にしか思ってないのではあるまいか? つい先日、田村淳は、番組の中で“四年連続一位”を自慢してたしな。

 そりゃまあ、もしおれに子供がいてだよ、『ロンドンハーツ』だけしかテレビ番組というものを観ないのであれば、「おまえ、大丈夫か?」と心配になることだろう。「『クレヨンしんちゃん』とかも観ろよ」くらいの教育的指導を親としてするかもしれん。また、『世界一受けたい授業』だけしか観ないというのも、こりゃ、親として相当心配だ。非常に不健全な気がする。「いかん。こんなことでは、いまの時代に、まともな情報リテラシーを育むことができん」と、親たるおれはあわてて、『ダウンタウンDX』『サイエンスZERO』『探偵!ナイトスクープ』『タモリ倶楽部』『マクロスF』を観せようとするかもしれん。

 子供のいないおれが言うのも妙だが、おれの教育方針は「きれいはきたない、きたないはきれい」ということに尽きる。そうした玉石混交の情報の海から、他人ではなく自分にとって意味のある“なにか”を嗅ぎ分けて見つけ出す逞しい姿勢と力をこそ、わが子に身につけてほしいと思うにちがいない。だいたい、おれはテレビにどっぷり浸かって育ったテレビっ子である。「これを観ろ、これは観るな」なんてことを、どの口でわが子に言うことができようか。ただ、「きれいなものばっかり観るな。きたないものばっかり観るな」ということだけは言ってやれるだろう。というか、それしか言ってやれない。「そうか、ろくに勉強もしないで、いろんなものをなんでもかんでも観てたから、お父さんみたいになっちゃったんだ……」と言われたら、返す言葉はないけどな……。

 まあ、子供がおったとしたら、テレビに関しては非常に寛容な親になっていたであろうと想像されるおれではあるが、さすがにこればっかりは子供にあまり観せたくないという番組はある。国会中継だ。「内容がばかばかしい」うえに「言葉が乱暴」だからである。



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2008年5月21日 (水)

「光あれ」

ミサイル監視衛星も保有可能に 宇宙基本法が成立 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0521/TKY200805210132.html

 最初に聞いたときから思っていたんだが、それにしても「宇宙基本法」とは、どえらく大きく出たネーミングだなあ。

 きっと、「第一章 普遍定数 : 第一条 プランク定数、第二条 光速度、第三条 万有引力定数……」といった調子で、この宇宙のスペックがえんえんと“定めて”ある法律なのだろう。宇宙を作ってゆくときには、この法律に基いて設計せねばならないのだ。

 問題は財源だが、なんでも、空間税、時間税、質量(エネルギー)税などなどが裏でこっそりかかっていて、宇宙特定財源に充てられているという噂だ。どこの噂だ?



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武器よさらば?

 検索エンジンからこのブログにやってくる人がどんな奇妙奇天烈なキーワードで検索してここを見つけたかをご紹介する、おなじみ《ヘンな検索語》シリーズなんだが、う~む、こ、これは……。まあ、硫化水素で自殺する方法を探してるよりは、なんぼか平和かもしれんがなあ……。

「素手で殺す方法」

 そ、それを調べてどうしようと? 傭兵にでもなりたい人なんだろうか?

 よく考えたら、なにを殺すのかは明確にされていない。ゴキブリとかだったら、ときどき素手で殺してる豪快な人はいますなあ。



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2008年5月20日 (火)

力は六千六百倍?

 ……ってとこまではいかず(いったら危ないわい)、二十倍くらいらしい(そもそもタイトルのネタが古すぎる)。

Robotic suit amplifies human strength (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/TECH/05/15/robotic.soldier.ap/index.html

Much as the brain sends signals to tendons to get muscles to move, the computer sends instructions to hydraulic valves. The valves mimic tendons by driving the suit's mechanical limbs, replicating and amplifying the wearer's movements almost instantly.
"With all the previous attempts at this technology, there has been a slight lag time between the intent of the human, and the actual movement of the machine," Obusek said.
In the demonstration, the bulky suit slowed Jameson a bit, but he could move almost normally.
When a soccer ball was thrown at him, he bounced it back off his helmeted head. He repeatedly struck a punching bag and, slowly but surely, he climbed stairs in the suit's clunky aluminum boots, which made him look like a Frankenstein monster.
"It feels less agile than it is," Jameson said. "Because of the way the control laws work, it's ever so slightly slower than I am. And because we are so in tune with our bodies' responses, this tiny delay initially made me tense."
Now, he's used to it.
"I can regain my balance naturally after stumbling -- something I discovered completely by accident."
Learning was easy, he said.
"It takes no special training, beyond learning to relax and trust the robot," he said.

 どうもアメリカ人というのは、こういう技術の話になると、すぐ兵士が着るだの、身体障害者自身が着るだのと、貧困な発想を露呈するなあ。だいたい、アメリカ人というのは“攻めてゆく”とか“自分で守る”とか“自立する”とかいった、強迫的に“個”に囚われた発想をしすぎる。基本的におれ自身は indivisualist ではあるし、アメリカ的発想もわからんでもないんだが、こういう技術を話題にするのなら、“弱い人を助ける”とか“互いに助け合う”といった発想にはならんのか、アメリカ人よ。こういうの見ると、真っ先に災害救助用に役立ちそうだと思うわな、日本人は。

 この種の研究だと、日本で有名なのは、神奈川工科大学山本圭治郎教授らによる「介護用パワーアシストスーツ」だろう。日常生活で力を二十倍にもする必要なんかあるもんか。山本教授らの研究は、その発想に於いて、世界に誇るべきものがあると思うのだがどうか。介護師や介護する家族がパワードスーツを着るなんて発想は、アメリカ人にとっては、あっと驚く盲点にちがいない。

 まあ、アメリカでも、ボランティア団体が傷痍軍人にセグウェイを寄贈したりしているようで、テクノロジーのそのような使いかたにはたしかに見るべきものがある。だけどな、そもそも、国家の名の下に国民がこういう目に会ったりしないような政治をしろよ、ブッシュ。それから、ブッシュ、セグウェイは電源入れてから乗るようにな。

Donated Segways may help disabled vets get back on feet (USA TODAY)
http://www.usatoday.com/news/nation/2007-12-04-Segway_soldiers_N.htm

Wounded Arizona Veteran to Receive Segway to Improve Mobility (EVliving.com)
http://www.evliving.com/cities_news.php?action=fullnews&id=9854



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2008年5月19日 (月)

半回転の味

Kandzume01Kandzume02Kandzume03 おれは焼酎党だが、まあ、たまにはウィスキーもいいかと思って、ひさしぶりにコンビニでウィスキーを買ったわけだ。オーソドックスにもほどがあるサントリー・オールドだけどな。で、そのオールドに、缶詰のおまけが付いてたのよさ。「さんまのしょうが煮」だ。おれはサンマも好きだから、これは都合がいい。

 で、家でそのおまけの箱をよく見てみたら、裏に「おいしい水割りのつくりかた」というのが書いてあった。おれはウィスキーを飲むときは、お湯割りかロックなので、水割りにすることはほとんどない。つきあい酒のときくらいのものだ。むかし筒井康隆も書いていたが、“水割り”というのはいかにもまずそうな呼称ではないか。

 それはともかく、まあ、家では水割りを飲まないおれではあるが、後学のために、「おいしい水割りのつくりかた」とやらを知っておいても損はなかろうと、一読して仰天した。こういうのである――

1.氷をたっぷり入れます。
2.ウイスキーを注ぎます。(2フィンガー)
3.水を足さずに13回転半かきまぜます。
4.氷を足します。
5.ミネラルウォーターをウイスキーの2.5倍注ぎ、3回転半かきまぜます。

 誰もが不可解に思うであろうが、この「13回転半」とか「3回転半」とかに、なにか意味があるんだろうか? 約十回転とか約三回転とかならまだわかるんだが、ここまで厳密に書いてあるからには、“半回転”かきまぜかたを誤っただけで味が変わってしまうほど、ウィスキーというのはデリケートなものであるらしい。そんな畏れ多い酒をコンビニで売っているというのもどうかと思うが、それにしてもなあ……。この「13回転半」とかは、たぶん“おまじない”みたいなもんなんだろう。「13回転半」ということになっていると知っている者同士で、コミュニティー感覚を醸成するための、符牒のようなものなのかもしれん。納豆は何回かきまぜたらいいかなんてのにも、諸説ありますからなあ。

 おれが思うに、食いもの・飲みもののレシピや作法とか、オーディオとか、武道・格闘技とかには、どう考えても“おまじない”としか思えない俗説が多々存在するようである。むろん、科学的に考えても納得のゆくことも少なくないけれども、“おまじない”的なものも同様に語り継がれているようだ。なんなんだろうね、あれは? なにもかも理屈で説明できるのは凡庸な段階であって、“真髄”とか“奥義”とかの世界になると、なにかしら神秘的なものを盛り込みたくなるということなのかな? こういうところにも、ニセ科学への入口が開いている。

 いやまあ、おれが浅学菲才であるばかりに、この「13回転半」に秘められたきわめて合理的・科学的な意味を読み取ることができないだけかもしれないということもあり得る。非科学的と一蹴するわけにもいかんかもしれない。

 そうそう、おいしい水割りを作ろうとする場合、ミネラルウォーターの瓶に、あらかじめ「ありがとう」と書いた紙を貼っておくのは、基本中の基本である。ゆめ、疑うことなかれ。



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2008年5月15日 (木)

『おろち』にしばじゅん……異議なし

柴田淳、映画『おろち』で初の映画主題歌担当 (Yahoo!ミュージック 音楽ニュース)
http://music.yahoo.co.jp/music_news/d/20080514-00000016-bark-musi

女性シンガーソングライター柴田淳の歌う「愛をする人」が、今秋公開予定の木村佳乃主演映画『おろち』(楳図かずお原作/鶴田法男監督)の主題歌に決定した。柴田が映画主題歌を担当するのは、今回が初めて。以前より柴田の楽曲のファンであった鶴田監督からのラブコールを柴田が快諾したことで実現した。
柴田自身、楳図作品については以前からファンを公言するほどで、今回主題歌を担当するにあたり、台本を熟読。映画の世界観に合った楽曲を書き下ろした。主演の木村佳乃とは、昨年12月、柴田が東映大泉撮影所を見学に訪れた際に対面したという。2人とも1976年生まれの同い年ながら、柴田は木村に会った感想を、「テレビで見ててももちろんキレイなんだけど、実物は、数百倍キレイ。同い年には思えなかった」と自身のブログに綴っている。

 ああ、これはなんだか、すげーわかるなあ。おれが『おろち』を映画化しなきゃならん監督だったとしたら、やっぱり柴田淳を指名するにちがいない。その主題歌ってのは、まだ聴いたことがないけれども、これはもうドンピシャリだろうな。「紅蓮の月」を初めて聴いたときに抱いた、情念と狂気を冷徹に見つめているようなもの哀しくもホラーな印象は、なにかに通ずるとは思っていたんだが、そうかー、楳図かずおだったかー。言われてみれば、とてもわかる気がする。

 こりゃやっぱり、今度のアルバムも予約しとくとするか。どのみち買うだろうけどなあ。

 主演に木村佳乃って人選もすばらしい。もう二十年早かったら、おれが監督なら真行寺君江にしたかもしれないが(笑)、いまなら木村佳乃で文句ない。鶴田法男監督は、やはりほとんど同世代だけに、おれたちと感性が似ているのかもしれん。貞子仲間由紀恵を持ってきた監督だしねえ。

 ちなみに、柴田淳は、記事にもあるように木村佳乃と同い年であるが、誕生日はジョディ・フォスターと同じ(11月19日)である。だからどうということもないのであるが、まあ、林家ペー的興味だ。



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2008年5月14日 (水)

世界のナベアツにやってほしいこと

 



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2008年5月13日 (火)

テロリストを「アホ」と呼んで、なにが悪いものか

松本人志が硫化水素自殺で「放言」 「アホが死んだら別に俺はええねん」 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/05/12019982.html

 はて、松本人志の発言のどこがどう問題なのか、おれにはさっぱりわからないよ。あえて松本発言に文句をつけるとするなら、硫化水素で自殺しようなどというやつを単に「アホ」と呼ぶのは生ぬるい。あれはアホどころではなく、先日も書いたように“テロリスト”なのである。自分が死ぬという目的のためであれば、無関係の人が巻き添えになってもかまわぬと考える程度の人間なのだ。「アホ」程度ですんだら上等である。

 おれは、どうしても死にたいという人に死ぬなとは言えない。おれの知っている人が自殺したいと言えば、そりゃあ絶対止めるが、おれが顔も知らない不特定多数の人に、生きているほうが絶対いいなどと自分の価値観を押しつけるわけにはいかない。ずいぶん前に、『せっかく生きてるのにわざわざ早めに死ぬなんて、生きたいのに死ななければならない人に失礼きわまりない。「失礼でもなんでも、私はどうしてもいま死ななければならないのだ」と判断したのなら無理に止めたりはしないから、せめてできるだけ人に迷惑をかけないように死んでほしいものだ』とおれは書いたが、いまでもまったく考えは変わっていない。だって、どうしても死にたいと思っている人のほうだって、どこの馬の骨とも知れぬおれなどに「とにかく死んじゃだめだ」などと型どおりの陳腐な説教などされたくないだろう。大きなお世話である。

 だから、おれはおれに関係ない人が死にたがろうが生きたがろうが無責任に口は出さん。人にはそれぞれ事情というものがあろう。はたして、この宇宙で生き続けることが賢明な選択なのかどうか、おれ自身、ときどき疑問に思うことがあるのは事実である。おれが生き続けているのは、単に「せっかく生きてるのにもったいない」という貧乏性のなせる業かもしれん。

 だけど、何度も言うが、どうしても死なねばならんというのなら、せめて、せめてできるだけ人に迷惑をかけないように死になさい。どうもおれは日本人の多数派の心性を身につけ損ねたのか、死者に鞭打つことをなんとも思わん。鞭打たれてもしようがないような死者であれば、いくらでも罵ることにしている。死んだらなにもかもすむと思うなよ!

 考えてもみろ、ただたまたま本人も死んだというだけの些細なことを理由に、不特定多数の、生きたい、生きようとしている人々にテロを仕掛けたやつに、なんで同情せねばならんのだ。本人が死んでいるだけに、余計腹が立つ。許し難いやつに対して反射的に出てくる「死ね!」という罵倒が通じないのだから、忌々しいことおびただしい。

 もっと科学技術が進めば、安部公房グレッグ・イーガンが書いたように、死んだ人間の脳を一時的に強引に機能させるようなことができるようになるかもしれん。そうなれば、硫化水素でテロを仕掛けて死んだやつの脳を無理やり機能させ、いちばん苦しいところで寸止め(?)にして、発狂するまで生かしておくという“死後刑罰”を作ればよいと本気で思っている。そのような刑罰が可能になれば、自分が死ぬついでに不特定多数の人間が死んでもかまわぬなどと考える憎むべきテロリストに対する大きな抑止力となるだろう。



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2008年5月11日 (日)

ご家庭でも出せる船場吉兆の味

 日曜の夕刻も迫ると、長年の条件反射で日本国民の頭の中に勝手に流れる歌がありますわな。あの歌に関して、おれには子供のころから抱き続けている疑問がある。
 
 「♪お魚くわえたドラ猫 おっかけ~て 裸足で駆けてく」のはいいのだが、もしも猫の捕獲に成功してしまったとしたら、サザエさんは奪還した魚をどうするつもりだというのだろう? なに食わぬ顔で料理して、家族の食卓に並べるつもりなのだろうか?

 もしかしたら、そういうのは必ずマスオさんに出すことにしているのかもしれん。



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2008年5月10日 (土)

天然ウナギイヌ

爬虫類+鳥類+哺乳類=カモノハシ? (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0509/TKY200805090094.html

 オーストラリアに生息する哺乳(ほにゅう)類のカモノハシは、アヒルのようなくちばしをもち、卵を産むが、体は毛で覆われ、母乳で子どもを育てる。この「世界で最も奇妙な哺乳類」のゲノム(全遺伝情報)を英米豪や日本の理化学研究所の研究員らでつくる国際チームが調べたところ、遺伝子も哺乳類、爬虫(はちゅう)類、鳥類の「パッチワーク」のようになっていたことがわかった。8日付の英科学誌ネイチャー(電子版)に発表した。
 約100人の研究チームが、カモノハシのメスの約1万8500個の遺伝子を調べたところ、オスのつめにある毒はヘビなどの爬虫類と同じたんぱく質だった▽性の決定にかかわる遺伝子は鳥類に似ている▽哺乳類の特徴である母乳をつくる遺伝子がある、といった特徴があった。研究チームの欧州生命情報学研究所のユアン・バーニー氏は「カモノハシは見た目と同じく、遺伝子も奇妙に混ざっていた」とコメントしている。
 進化の過程で、哺乳類が鳥類、爬虫類と共通の祖先から分かれたのは3億1500万年ほど前。カモノハシは約1億7千万年前にヒトと共通の祖先から分かれたが、鳥類、爬虫類の特徴を持ち続けたと考えられる。英オックスフォード大のクリス・ポンティング氏は「カモノハシのゲノムは、ヒトなどの哺乳類がどのように誕生したのかを探るうえでのミッシング・リンク(鎖の環(わ)の欠けている部分)だ」と指摘している。(香取啓介)

 結局、研究者も言っているように“見たまーんま”だったんだなあ。なんか、安心したと同時に、生物の驚異に改めて感じ入ったよ。よくこんな中途半端なやつがいままで生きてこられているもんだが、そこがやっぱり、オーストラリアやニュージーランドあたりの面白いところだよなあ。

 おれが前から不思議でしようがないのは、有名なカモノハシの生体電流感知能力である。あのクチバシにある感覚器で、餌になる小動物のきわめて微弱な筋電位による電場の変動を感知し、視覚がまったく役に立たない水中の泥の中でも獲物を捕えられるのだという。この進化の迷い子は、そのような能力を、遺伝的にはいったいどこから持ってきたのだろう? カモノハシになってから獲得したのか? 以前からゲノムに持っていたコードを、なんらかの形でカスタマイズして使いまわしているのか? 魚類には電場を感知する能力を持っているものは少なくないし、鳥類には磁場に敏感なものがいる。もっと下等な細菌にも、走磁性を持つものがあったよな。

 おれはなんの証拠もなく勝手に面白い方向に想像しているだけなのだが、カモノハシの電場感覚器は、ひょっとすると鳥類の磁場感覚器と遺伝的な起源を同じくしているのではなかろうか? なーんとなく、そんな気がしませんか? 「あ、DNAのこのへんのコーディングは、ちょっといじれば水中で電場センサーとして使えるやん!」などとカモノハシが考えたわけじゃもちろんないだろうが、突然変異と自然淘汰が結果的にそのようなカスタマイズを促したのやもしれない。鳥類は“それ”を地上での磁場センサーとして進化させ、カモノハシは“それ”を水中での電場センサーとして進化させた……んだとして、その“それ”が特定されたら、さぞや面白かろう。

 いやまあ、おれの言ってることは、あくまでワイルドな想像だけに頼った与太にすぎないから、こういうところをこそ分子遺伝学や分子進化学が科学的に解明してくれて、おれたち素人の酒の肴を増やしてくれるのを楽しみにしているのだ。

 それにしても、おれたち“ふつうの哺乳類”は、どうして電場や磁場に対する感覚を捨てちゃった(とも言い切れないけれども)んだろうねえ? 方向音痴のおれとしては、たいへんもったいないと思う。もっとも、そんな感覚を人間が持ったままでいたとしたら、エレクトロニクスの進歩は大幅に遅れたんじゃないかな? いや、あるいは、もっと速く進んだろうか? みんなが生まれつきファラデーやフレミングなのだ。

 まあ、いまのおれたちに、なにかの弾みで、突如、電場感覚や磁場感覚がよみがえったとしたら、“うるさくて”とても生活していられないにちがいないだろうけどねえ。



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2008年5月 8日 (木)

『A Long and Winding Road』(Maureen McGovern/P.S. Classics)

 押しも押されぬ“ストラディヴァリウス・ヴォイス”モーリン・マクガヴァンの懐メロカバーアルバム。六〇年代から七〇年代にかけてヒットした、アメリカ人なら誰でも知っているようなオヤジ世代の青春の名曲を、モーリン・マクガヴァンが非の打ちどころのない歌唱力で聴かせてくれる。アレンジもグー、グ、グーな大人の一枚である。

 その歌唱力がジャンルを選ばないというか、その人が歌うとジャンルのほうに箔が付くくらいの、シンガーにとっての“大自在の境地”というのは、アメリカならモーリン・マクガヴァンのために、わが国なら美空ひばりのためにあるような言葉で、いや、このアルバムでまたまたモーリン・マクガヴァンに惚れ込んじゃいましたねえ。

 ジョニ・ミッチェルジミー・ウェッブローラ・ニーロボブ・ディランポール・サイモンといったラインナップは、じつのところ、おれの世代ではあとから追いかけた古典であって、リアルタイムの思い出に刻まれているわけではないのだ。ジョン・レノンポール・マッカートニーくらいになると、自分史のアルバムにBGMとして流れてくるけどね。とはいえ、どの曲も、洋楽ファンならどこかで聴いたことがあるようなものばかり。SFファン的には、The Moon's a Harsh Mistress なんてのも楽しい。曲のほうをハインラインの小説のあとに知りましたけどね。

 おれはたぶん、歳のわりには、自分にとってのリアルタイム以前の洋楽懐メロを意識的に聴いているほうだと思うから(カーペンターズ小林克也のおかげだ)、モーリン・マクガヴァンの声で懐メロが聴けるこのアルバムにはゴキゲンなのだが、本来は、日本に於ける“団塊の世代”にとってこそ、このアルバムの選曲はストライクゾーンなのだと思う。

 いやしかし、モーリン・マクガヴァンという歌手はすばらしいですなあ。たいていの歌手は、“おいしい”音域とあまり得意でない音域があるもんだが、モーリンにそんなものはない。どの音域も完璧。ストラディヴァリウスと讃えられるゆえんである。むかしのフォーク風から、堂々たるバラード、遊び心たっぷりのジャジーなアレンジまで、それが“歌”であるかぎり唄えないジャンルはないのではないかと思う。ビートルズ・ナンバーの Rocky Raccoon は、とくにすごかった。

 若い人にはピンと来ないとは思うが(でも、いいもんは年齢に関係なくわかる)、四十代後半以上の洋楽ファンには、涙がちょちょ切れるアルバムでしょう。それにしても、日本のレコード会社は、なんでこういうのを出さないのかねえ。これからの時代は、音楽産業もおじさん・おばさん、爺さん・婆さんがターゲットなんじゃないの?

【収録曲】All I Want/America, The Times They Are a-Changin', The Circle Game, The 59th Street Bridge Song (Feeling Groovy), Cowboy, The Coming of the Roads, Will You Still Love Me Tommorow?, Shed a Little Light/Carry It On, The Fiddle and the Drum, Fire and Rain, Rocky Raccoon, Let It Be, By the Time I Get to the Phoenix, MacArthur Park, The Moon's a Harsh Mistress, And When I Die, Imagine, The Long and Winding Road



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2008年5月 6日 (火)

物騒な検索語

 う、うーむ……。これはどう解釈すべきだろう。《ヘンな検索語》といえば《ヘンな検索語》なんだが、ヘンというより、物騒というか……。

「硫化水素で自殺しよう」

 まあ、興味本位の検索だろうとは思うのだが、もし万が一、本気でその方法を探して検索し、たまたまここにやってきたのだとすれば、あなたはこの前のエントリーを読んだことだろう。テロリストとして憎まれて死にたいか?

 できれば死ぬのもやめたほうがいいが、どうしても死にたい、死なねばならぬというのなら、無理には止めないし、おれにはそもそも止められない。それはあなたの自由である。とにかく、その方法だけはやめなさい! 巻き込まれて死んだり障害を負ったりするかもしれぬ“どこかの誰か”は、あなたになにかひどいことをしたのか?



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2008年5月 5日 (月)

硫化水素自殺対策に関する控えめな提案

 最近やたらむかついているのが、硫化水素による自殺である。そりゃまあ、自殺するのは、この際、個人の自由であるとしよう。するなとは言わん。おれは牧師じゃない。ここでは、専らその方法のみを問題とする。

 気体の硫化水素を発生させて自殺しようとする場合、当然、本人はそれがたいへんな毒ガスであることを知っているわけである。つまり、不特定多数の無辜の市民が、ことによると巻き込まれて、死んだり障害を抱えたりすることになると知ったうえでそのような毒ガスを発生させ、おのれの目的のみを果たそうとしているわけだ。手前の都合だけしか考えていない。同じ死ぬにしても、もう少し他人に迷惑のかからん方法がありそうなものだ。まあ、人が死ぬということは、どんな死にかたであろうが自動的に他人になにがしかの迷惑がかかるものなのであるが(かからない方法があればどんなにいいだろう)、よりによって、他人も巻き込まれて死ぬことを織り込んで、自分勝手に死ぬことはなかろう。これは、未必の故意による殺人あるいは傷害である。“死ぬ”というおのれの目的のためであれば、関係のない人がどうなろうとかまわんという思想がベースにある。要するに、自爆テロといささかも変わらん。

 しかし、自暴自棄で死ぬ気になっている人間に対して、「それは人としてどうか」などと難詰したところで詮ないことである。本人は、自分が死ねさえすれば、人がどうなろうと知ったことではないという心境なのだろう。その自分勝手さに腹が立つというのは、大方の人が共有する心境なのではなかろうか。だが、おれたちがいくら腹を立てようと、硫化水素で死にたいやつは、自分勝手に死ぬのである。

 となると、そうした死にかたを抑止する(死ぬのを抑止するのではない)方法としては、まず、死後に罰するという方法が考えられる。たとえば、未必の故意による殺人あるいは傷害を見込んで硫化水素で自殺した者には、死後、遺体、いや、死体を全裸で河原に晒しものにしてカラスやらについばませるに任せ、往来の人々は暇潰しに石を投げたり棒でつついたりチンポコを切り取って犬に食わせたりオマンコにアイスキャンディーの棒を突っ込んだりしてもよいことにし、葬儀も出させず、本人についての一切の記録を抹消し、そんなやつは最初からこの世にいなかったことにするくらいの死後刑罰を科すといった方向もあろうが(“市中引き回しのうえ獄門”みたいなもんだ)、他人が死んでもかまわぬという心持ちで自分が死にたいと思っているくらいのやつになら、自分の死後の扱いがどのようになろうがまったく意に介さぬというやつも少なからずあろうから、死後にひどい扱いをしてやるという刑罰がどの程度危険な自殺に対する抑止力になるかは疑問である。

 むろん、自殺などしないに越したことはないが、ここでは、他人を巻き込んでもかまわんと考えて自殺する身勝手なやつはけっしていなくなりはしない、いや、ことによるとどんどん増えてくるやもしれぬとして、冷徹に考えることとしよう。

 じゃあ、そうした自殺そのものが阻止・抑止できないのであれば、どうしたらよいのか? 本人が死のうとすることは避けられぬとした場合、最優先で考えるべきことは、無関係の人々が巻き添えになるのを防ぐことである。

 とすると、硫化水素で死にたがっている人々に、せめて他人を巻き込まぬよう、“安全に死んでもらう”方法を提供するしかあるまい。つまり、ガスが漏れたりせず、自殺志望者だけが安全に死ねるような設備を提供するという方法が考えられる。いわば、個人用の公衆ガス室だ。自殺志望者のみが確実に死ね、換気や通報の機能によって、無関係の人にはまったく危害を加えない公共の施設を用意してはどうか?

 ここまで書くと、似たものがすでに実在するのにお気づきになるだろう。そう、“赤ちゃんポスト”である。あれは、望まぬ赤ん坊を産んでしまった人々に対して、嬰児を殺害するくらいであれば、このポストに“投函”して命を救ってくださいというものだ。だったら、どうしても硫化水素で自殺したい人に対しては、「無関係の人を巻き添えにして殺したり障害を負わせたりするくらいなら、どうぞこの設備であなただけが安全に死んでください」というコンセプトの公共施設があってもいいのではなかろうか。これを“自殺ボックス”とでも名づけよう。赤ちゃんポストも自殺ボックスも、望まずして命を危険に晒される人々を救うためのものである。なにか問題でもあるだろうか?

 いまの日本は、自分の力でなんとか生きていけないような、能力のない人間、不運な人間、弱い人間、不健康な人間、老いた人間は、とっとと死んでくれたほうが国のためであるという国策を推し進めている国家である。だったら、おれの提案する自殺ボックスを実現するのに、なんの不都合もあるまい? おれの論理になにかおかしなところがあるか、福田さん? 硫化水素で自殺しようとしている四十代のニートが、日本のGDPを引き上げているIT企業の有能な社長を巻き添えにして殺すかもしれないのだぞ。介護疲れで年金もろくろくもらえない六十代の老いた夫が認知症の妻と一緒に硫化水素で死のうとして、なんの仕事もしていないが有能であることになっている天下り官僚を巻き添えに殺してしまうかもしれないのだぞ。そんなことがあってはならない。日本政府としては、早急に自殺ボックスを設置すべきではないかとおれは思うのだがどうか。

 多少英文学を齧った方であれば、このエントリーのタイトルだけでおれの真意を察してくださることと思うが、おれの提案は、聖職者であったジョナサン・スウィフトにのそれに比べれば、ずっと“控えめな提案”として日本政府に嬉々として受け容れられるだろうと思うんだがどうだろう?



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2008年5月 3日 (土)

どこかで人気なの?

 なんだか、このところ「バトルプログラマーシラセ」という検索語でこのブログにやってくる人が急増しているんだが、どこかで再放送でもやってるのだろうか? それとも、誰か名のある人が公の媒体で言及したのだろうか? どうも、検索が増えている原因が見当たらない。いやまあ、おれはアレ、大好きですけど。



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2008年5月 2日 (金)

地球にやさしい船場吉兆

せこい!船場吉兆 食べ残しの天ぷら、アユ塩焼きを別の客に (MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080502/crm0805021423026-n1.htm

 牛肉の産地を偽装表示していた高級料亭「船場吉兆」(大阪市中央区)が、本店の料亭部門で客が残した天ぷらやアユの塩焼きなどの料理をいったん回収し、別の客に提供していたことが2日、分かった。料亭経営を取り仕切っていた当時の湯木正徳前社長(74)の指示で昨年11月の営業休止前まで常態化していたという。大阪市保健所も同日、「モラル上あってはならないこと」として食品衛生法に基づき、本店の立ち入り調査を行った。事実関係を確認したうえで行政指導する方針という。

 あ~あ、これで船場吉兆の息の根は完全に止まったな。三流食堂の刺身の妻じゃあるまいし、一流料亭の料理が食べ残しだったとはびっくりだ。偽装牛肉はべつに不潔じゃないが、これはイメージ的には不潔、飲食店としては致命傷である(実際には、これに類することがしばしば行なわれているとは、安い飲食店で働いたことのある人からはよく聞いたりするのだが……)。隠す嘘をつく不潔の三拍子揃ったイメージがすっかり全国に広まった飲食店がやってゆけるわけがない。まあ、おれには縁のない店ではあるが、一応、お別れを言っておこう。さようなら、船場吉兆。

 同じやるのなら、公明正大にプラスの価値を打ち出してやればよかったのにね。つまり、「食べ残し」というのを正式にメニューに入れるのである。「当店では地球環境に配慮し、資源の有効利用を図るため、一度お客様にお出しした料理でも、箸をつけていらっしゃらなければ、衛生面に配慮した再調理を一流の料理人が施し、“地球に優しい食べ残し”として、ご希望のお客様に正価の半額でお出ししております。お得でエコな“食べ残し”をぜひご利用ください」とかなんとかさ。“食べ残し”という語感が悪ければ、“レフトオーバー品”とかなんとかテキトーな横文字にしておけば、なにやら積極的な価値を打ち出そうとしている感じはするだろう。それが実際に利用されたかどうかは別として、そのコンセプトは、かえって社会に評価されたかもしれないよ。

 学生時代、ホテルの宴会場でアルバイトしてたころ、立食パーティーとなると、それはそれは楽しみだったものである。手つかずで残る料理が多いから(立食パーティーだから、箸をつけたものは大皿にはまず戻さない)、貧乏学生にはふだんまず食えないような料理の“取り残し”を、捨てる前に手当たり次第に腹いっぱい食えたからだ。パートのおばちゃんたちと一緒に、右手で食っているあいだに左手で次のを掴み、その左手を口に運ぶあいだにまた右手を伸ばすといった調子で、餓鬼のように食っていた。おれはとても地球にやさしい学生だったと、われながら思う。

 それにしても、船場吉兆で食事したことのある人は、このニュースを聞いてどう思ったろうね? デリケートな人なら“えずく”かもな。多くの人は、頭が真っ白になったことだろう。



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宮崎県ってどこでしょう?

宮崎どこ? 小学生も??? 正答率46%、全国最下位 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0501/TKY200805010259.html

 宮崎がどこか正確に答えられた小学生は半分以下で、47都道府県で最も低い――こんな調査結果を財団法人総合初等教育研究所がまとめた。高校生、大学生の調査でも同じ結果が出ており、東国原英夫知事は宮崎の位置を示した法被を手に、各地を回っている。
 調査は、社会科についての基礎知識がどの程度身についているかを知るのが目的。07年2~3月、北海道から長崎までの21都道府県の23小学校の5、6年生計3962人に47都道府県名を示し、全国の白地図のどこに当たるかを埋めてもらった。
 正答率が9割を超えたのは北海道、沖縄、青森の三つのみ。岩手と秋田、栃木と群馬、鳥取と島根、熊本と大分と宮崎など近隣で間違えたり、福島と福井と福岡、愛知と愛媛、宮城と宮崎など似た名前を混同したりした誤答がめだった。無回答が最も多かったのは佐賀(22.3%)だった。
 半分以上が位置を答えられなかった宮崎県は、日本地理学会が今年3月に発表した10都県の位置を答えさせる調査でも、正解が高校生の4割、大学生の3分の2と最も低かった。

 ううーむ、これがおれ、このあいだから意外でしかたがないのよ。宮崎って、そんなにわかりにくいところにあるかなあ?

 小学生のころ、学校の教材だったか雑誌の付録だったかよく憶えてないが、日本地図のパズルがあって、各都道府県の形をしたバラバラのピースを組み合わせて日本列島を再構成するといったものだった。おれはこれで都道府県の形と位置を覚えたんだよ。

 で、だ。パズル的に考えると、宮崎というのは、どう考えてもわかりやすいピースだと思いませんか? 海岸線が長いし、だいたいまっすぐだ。“こっちは海”というのがはっきりしている。ジグソーパズルだとしたら“枠”になるピースのようなもんだ。チリみたいで(?)わかりやすいやん!

 ちなみに、関西の子供としてのオレ的感覚では、群馬やら栃木やら山梨やらが、“なんかごちゃごちゃしているあそこいらへん”“とくに強い主張のない形をしている”といった感じで、覚えにくかったように思う。ほれ、たとえば茨城とかは、なにかを懸命に主張しているという感じがする。それがなんなのかはわからないのだが……。

 まあ、おれたちの子供のころは、“新婚旅行といえば宮崎”といったイメージがまだまだあったから、印象も強かったのかもしれないけどね。いまでも“宮崎”という言葉を聞くと、「♪フェニックスの木陰~、ンンンー、ンンンー」デューク・エイセスのハーモニーが頭の中で反射的に流れる。ええ、まだおれの人生の半分以上は昭和ですとも。



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2008年5月 1日 (木)

お買い上げ御礼(2008年4月)

■2008年4月

【最も値段の高いもの】

 なんと、4月に売れた【最も値段の高いもの】は古本であった。二千七百円で買った人がいるのである。アマゾンのマーケットプレイスでの売り上げだ。この本、保存状態がさほどよくないものなら数百円からあるのだが、状態良好なものは二千円から三千円はしている。いやあ、バクスター、値打ち出てるんだね。

 それにしても、現存するハードSF作家で確実に五本の指に入るであろうスティーヴン・バクスターの邦訳が古本でしか手に入らないとは、なんか寂しいですなあ。たしかにバクスターの作品はあまりにも話のスケールがでかすぎて、若い女のコが売春したり不治の病に冒されたり出てくる人がすぐ死んだりすぐ真実の愛を知ったりするとかいうせせこましい話ばかりを狭いディスプレイで読み慣れている読者にはキツいかもしれないが、ちょっとそのスケールに慣れれば、べつに専門的な科学知識を持たない読者にでも、「とにかくすげー」感はちゃんと楽しめるように書いてある。ハードSFだというだけで敬遠しないで読んでほしいなあ。

【最も値段の安いもの】

 またもや古本。一円から売られているんだが、これは百十六円でのお買い上げ。この本は何度も紹介しているが、古本でもちょいちょい売れてゆくと紹介しがいがある。

【最も多く売れたもの】

 三か月連続のランクイン。よもや、いい大人が、本一冊読んだくらいでたちまち英会話が上達するなどと思って買っているわけはないと思うけれども、念のために言っておこう。これを読んだからと言って、たちまち英会話が上達したりしません。でも、ちゃんとした英語でコミュニケートできるようになりたいなあという思いは、一段と強くなるだろうと思う。とくに“関西ノリ”が好きな人にはお薦め。おれとしては、倉谷先生を“英語教育界の人生幸朗師匠”と呼びたい。

【最もケッタイなもの(主観)】

 最初、「これはいったい全体、なんに使うものなんだろう?」と思ったが、どうやら自転車に乗るときにズボン(おれはいまだに“ズボン”って呼んでるんだよ)が汚れないように縛る道具らしい。そんな用途のためだけに専門の道具があるとは、まこと趣味の世界は奥が深い。これで血圧測るのかと思ったよ。

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今月の言葉

評価損塾

 ま、リスクあっての投資ですから……ということを教えてくれる塾だと思う、たぶん。



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