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2008年4月27日 (日)

重いけど重くないレジ袋

 近所のスーパーに一週間分の食糧を含めた生活必需品を買出しにゆく。まあ、土曜、日曜と二回に分けて買いにゆけないわけではないのだが、わざわざ休日に二回も外出するのが面倒くさいので、おのずと土曜日の買いもの一回で一週間分を買うことになるわけなのだ。

 「今日はちょっといつもより重いなあ」と思ったので、買いものから帰ったその足で、荷物を持ったまま体重計に乗ってみた。七九・四キロ。次に、荷物を置いて体重計に乗ってみた。六五・三キロ。つまり、今日の買いものは、十四・一キロというわけか。えらく重いと思ったわりに、あんまり重くない。おれはふだん両手で二十キロずつ、四十キロのダンベルを上げている。

 スーパーでの買いものがやたら重く感じる原因は、たぶんあのレジ袋にある。重さそのものはさほどでもないのだが、レジ袋の細い持ち手の部分が指に食い込んで痛いから、必要以上に重く感じるのだろう。

 そういう観点からも、自前のバッグでも持っていったほうが“地球にやさしい”(おれはこの傲慢な言葉が大嫌いである)うえ、重さもあまり感じないのだろうが、レジ袋がもらえないと、それはそれで困るのである。うちでは、レジ袋を“内袋”としてゴミ箱に敷いたり、生ゴミの水分が漏れないようにキッチン用の薄手のゴミ袋を捨てるときの“外袋”として利用したりと、レジ袋が大活躍なのだ。

 最近、レジ袋を有料化したり、レジ袋そのものをなくしたりしようとする動きがさかんであるが、あれはおれにとっては痛し痒しだ。ここいらでレジ袋が有料化されたとしても、少々のことなら、おれはたぶん買う。ないと不便だからだ。

 そういえば、新聞だって、おれみたいなネット依存度の高い人種にとって、情報源としてはもはや不要とさえ言えるが、一紙だけは惰性で取り続けている。なぜかというと、なにかを包んだり、うっかり床やカーペットに大量の液体をこぼしてしまったりしたときに、新聞紙以上に便利で安価なものはそうそう見当たらないからである。つまりおれは、主に新聞“紙”やチラシを入手するために、新聞を取っているのだ。新聞はなくならない。なくなったら弁当を包むのに困る、と言っていたのはたしか小松左京だったと思うが、まことに鋭いユーモラスな洞察と言えよう。そのとおりだ。さすが、外宇宙へと向かう二十二世紀の宇宙船に成田山のお守りを積ませた(映画『さよならジュピター』)作家だけのことはある。



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コメント

レジ袋、私も各種内袋や犬の散歩用外袋として多用しております。

今までタダで配っていたものを有料化するのですから、販売店での利益率は100%ですよね。
こんなおいしい商品は、他には観光地の空気の缶詰くらいですね。
「地球にやさしい」は「庶民にきびしい」ですが、妙なところで役に立つようです。

投稿: くらっしゅまん | 2008年4月27日 (日) 15時44分

>くらっしゅまんさん
>観光地の空気の缶詰

 「摩周湖の霧」なんてのもありますね。でも、よく考えると、霧を缶詰にするのは空気を缶詰にするよりずっと難しいと思うなあ。すぐにただの“空気と水の缶詰”になってしまいそうな……。

 食品の過剰包装分の資源をレジ袋にまわせばいいんじゃないかとも思うのですが、異物・毒物を混入させる事件が頻繁に起こると、食品がどんどん過剰包装になってゆくのもいたしかたないように思いますし……。結局、治安の悪い社会は、自分で自分の首を絞める方向へゆかざるを得ないのでしょうね。

投稿: 冬樹蛉 | 2008年4月27日 (日) 20時25分

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