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2008年4月の29件の記事

2008年4月30日 (水)

連休中に自分に課す単純なルール

  (1)食ったら運動する。
  (2)運動したことを理由に食ってはいけない。

 (2)がないと、人間、結局は食うほうが多くなるということを学ぶほどには、おれは馬齢を重ねてきた。



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2008年4月29日 (火)

君にも取れるウルトラの資格

Qからメビウスまで…ウルトラ検定開催 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/nikkan/NIK200804250010.html

 世代を超えて愛され、コアなファンも多いウルトラシリーズの知識を問う「ウルトラ検定」が誕生から43年目で初めて実施される。66年の「ウルトラQ」から06年の「ウルトラマンメビウス」まで全16作のテレビシリーズと30作を超える映画、登場した35体のヒーローに関して出題され、7月27日に東京、大阪、名古屋で同時開催する。
 試験問題は、テレビを見たことがあれば分かる基礎知識から、関連商品や撮影秘話、制作の円谷プロまで及ぶ多彩な範囲から出題される。第1回は3級と2級が実施され、1級は2級の合格者を対象に次回から行われる予定。3級問題の7割は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」から出題。2級は7割がテレビシリーズ、残りは関連分野が出題範囲と定められている。
 解答はマークシート方式で出題数や合格基準などの詳細は未定。検定に対応した公式テキストが5月15日にダイヤモンド社から発売され、この中から一部が本番の問題として出題されるため、受験勉強も可能だ。
 受験者、合格者には特典のオリジナルグッズが贈られる。参加者にはピンバッジ、3級合格者にはポストカード5枚組、2級には脚本の復刻版、1級にはソフトビニール特製バルタン星人(ブロンズカラー版)が用意され、魅力も倍増。ウルトラ博士の称号をかけて多数の応募が見込まれる。
 ◆応募要項 願書受け付け期間は28日~7月10日(郵送の場合は当日消印有効)。試験時間は3級、2級とも70分。受験料は3級4800円、2級5800円。併願も可。申し込み方法はインターネット(公式サイト=http://ultra-kentei.jp/)、もしくは郵送(ウルトラ検定本部事務局〒164・0003、東京都中野区東中野3の17の11)、ファクス03・3367・0982で。問い合わせは公式サイトか(電話)03・3360・4068まで。

 昨今“検定”ブームだから、そのうちこういうのも出てくるだろうとは思っていたが、なんだかスペックを見てるとやたら本格的。最初は1級がないなんてのも、まるで真面目な検定試験みたいだ(いやまあ、真面目は真面目なんだろうけど)。すごいな、2級の受験料なんて、情報処理技術者試験より高いのだ。

 うーむ、こんだけ金払って受験する気にはとてもならないが、あろうことかダイヤモンド社から出る公式テキストってのはけっこう魅力的かも。受験する気がなくても、これはちょっと見てみたい。ことによると、値段次第では買ってしまうかもしれない。1級合格者に与えられるソフトビニール特製バルタン星人(ブロンズカラー版)ってのも、ぜひ実物を見てみたいな。

 『3級問題の7割は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」から出題』されるということは、こりゃほとんどおれたちの世代を狙っているとしか思えない。試験会場に行ってみたら、四十代、五十代のおっさんばっかりだったりしてな……な、なんか不気味(自分のことは棚に上げる)。

 1級合格者ともなると、やっぱり全国に名前が発表されるのだろうな。新聞にも載るのだろうか。第一回の1級合格者がネットで発表されたのを見に行ってみると、小林泰三田中啓文北野勇作牧野修……とかが並んでいたりして。絶対、「プロによる犯行」とか「先生何やってんすか」とかいうタグが付くよな。ど、どこに?



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2008年4月27日 (日)

重いけど重くないレジ袋

 近所のスーパーに一週間分の食糧を含めた生活必需品を買出しにゆく。まあ、土曜、日曜と二回に分けて買いにゆけないわけではないのだが、わざわざ休日に二回も外出するのが面倒くさいので、おのずと土曜日の買いもの一回で一週間分を買うことになるわけなのだ。

 「今日はちょっといつもより重いなあ」と思ったので、買いものから帰ったその足で、荷物を持ったまま体重計に乗ってみた。七九・四キロ。次に、荷物を置いて体重計に乗ってみた。六五・三キロ。つまり、今日の買いものは、十四・一キロというわけか。えらく重いと思ったわりに、あんまり重くない。おれはふだん両手で二十キロずつ、四十キロのダンベルを上げている。

 スーパーでの買いものがやたら重く感じる原因は、たぶんあのレジ袋にある。重さそのものはさほどでもないのだが、レジ袋の細い持ち手の部分が指に食い込んで痛いから、必要以上に重く感じるのだろう。

 そういう観点からも、自前のバッグでも持っていったほうが“地球にやさしい”(おれはこの傲慢な言葉が大嫌いである)うえ、重さもあまり感じないのだろうが、レジ袋がもらえないと、それはそれで困るのである。うちでは、レジ袋を“内袋”としてゴミ箱に敷いたり、生ゴミの水分が漏れないようにキッチン用の薄手のゴミ袋を捨てるときの“外袋”として利用したりと、レジ袋が大活躍なのだ。

 最近、レジ袋を有料化したり、レジ袋そのものをなくしたりしようとする動きがさかんであるが、あれはおれにとっては痛し痒しだ。ここいらでレジ袋が有料化されたとしても、少々のことなら、おれはたぶん買う。ないと不便だからだ。

 そういえば、新聞だって、おれみたいなネット依存度の高い人種にとって、情報源としてはもはや不要とさえ言えるが、一紙だけは惰性で取り続けている。なぜかというと、なにかを包んだり、うっかり床やカーペットに大量の液体をこぼしてしまったりしたときに、新聞紙以上に便利で安価なものはそうそう見当たらないからである。つまりおれは、主に新聞“紙”やチラシを入手するために、新聞を取っているのだ。新聞はなくならない。なくなったら弁当を包むのに困る、と言っていたのはたしか小松左京だったと思うが、まことに鋭いユーモラスな洞察と言えよう。そのとおりだ。さすが、外宇宙へと向かう二十二世紀の宇宙船に成田山のお守りを積ませた(映画『さよならジュピター』)作家だけのことはある。



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「ひので」と『サイエンスZERO』

 今回の『サイエンスZERO』(NHK)、お題は「ここまで見えた 知られざる太陽」。一昨年秋に打ち上げられた太陽観測衛星「ひので」からのデータが着々と予想以上の成果を挙げているようすを紹介していた。思えば、二〇〇六年、「ひので」が送ってきたばかりのデータを紹介していたこの番組も、ナビゲータは二人とも変わってしまっている。彼らの記憶に小杉健郎の名はないかもしれないが、こうしてまた同じ番組で「ひので」の成果が紹介されるのであるから、お星様になった科学者もさぞやお喜びであろう。

 それにしても、今回は、内容の興味深さもさることながら、音楽が妙に懐かしかったぞ。吉川洋一郎『地球大紀行』からやら羽田健太郎『さよならジュピター』からやら、選曲したのはおれと同世代の人じゃないかな?



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2008年4月26日 (土)

さて、いまから刺身で一杯

Konnyaku 今夜の晩飯は、ちょっと贅沢に刺身を付けよう。

 思えば、「こんにゃく発表」若草食品)のテレビCMを初めて観たときには、そのあまりにアヴァンギャルドなネーミングにうしろにコケそうになったものである。すばらしい。“こんにゃく界の小林製薬と呼んであげたい。




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2008年4月24日 (木)

「たり」ない

 前から気になってるんだが、近年「たり」の使いかたが急速に変化しているのが感じられる。「さっきからあの男はずっと、きょろきょろあたりを見まわしたり、小走りに物陰に隠れたりしている」といった具合に使う、あの「たり」のことである。

 こいつの使われかたが、最近、あきらかにおかしい。本来、「○○したり、××したり、△△したり……」と、並置する動詞の数だけ「たり」をつけるべきである。というか、並置する動詞の数だけ「たり」をつけるからこそ、並置部分の長さが不揃いであったり、耳で一度聞いたくらいでは覚えきれないくらいに文章が長くなったりしても、なにとなにとなにとを同格に扱っているのかが明示され、意味の塊や論理構造がはっきりして理解しやすくなったり覚えやすくなったりするのだ。

 ところが、最近では、並置の最後に置く動詞には「たり」をつけないようになっている。テレビのニュース原稿ですら、もはやそのほうが多数派だとはっきり感じる。たとえば、「休日は本を読んだりDVDを観たりします」という使いかたが、おれのような年寄りにはしっくりくるんだが、近ごろでは、「休日は本を読んだりDVDを観ます」というのが、ごくごくあたりまえになってしまっているのである。多くの人が、後者に違和感を覚えなくなっているようだ。

 おれなんかは「たり」が足りないとイラッと来る。やはりおれの嫌いなら抜き言葉などとは比較にならないくらいにイラッとくる。なぜこんなにイラッとくるのか、よくよく考えてみて、はたと気づいた。上記例文の前者と後者では、おれには意味が変わってしまっているように感じられるからだったのだ。好き嫌いの問題ではなく、伝達される情報の内容が変わっているから、こんなにイラッとくるのだ。

 説明しよう。「休日は本を読んだりDVDを観たりします」と言われると、おれは、「ああ、この人は休日には読書とDVD鑑賞以外にもいろんなことをするのだが、最も時間を費やす代表的なふたつを例示しているのだな」と解釈する。「たり」に、並置と同時に例示のニュアンスを感じ取る。

 ところが、「休日は本を読んだりDVDを観ます」と言われると、「読書とDVD鑑賞しかしないのか」と思ってしまうのだ。「読んだり……」までのところで、「おっ、このあとに何個か“たり”が続くぞ、いったいどんなことが並置・例示されてゆくのかな、わくわく」と、言語化する間もないほどの刹那に、おれの脳は期待に打ち震える“構え”を取る。そこへ、「DVDを観ます」とあっさり言い切られたのでは、脳がはらほろひれはれとずっこけてしまう。あたかも、いい感じで食事とお酒を楽しんで店を出たところで、女性に「じゃあね」と言われたかのような落胆がおれを襲う。

 こんなふうに感じてしまう言語感覚の持ち主のほうがすでにして少数派なのかもしれない。だが、おれの脳神経細胞は、並置される要素の数だけ「たり」を期待してしまう回路を子供のころに形成し、それが強化され、固定されてしまっている。そりゃもう、しようがないのである。

 「休日は本を読んだりDVDを観ます」がここまで一般化したいま、もはやこれが“まちがい”であると主張したところで詮ないことではある。おれは丸谷才一ぢやない。現時点で妥当な正当性を持つ日本語の守護者であるべき放送人までが、新用法に汚染(?)されているのだから、勝ち目はないだろう。多勢に無勢だ。日常的に日本語を使っている人々全員の多数決を取ったら負けるんじゃないかとすら思う。だけど、おれはおれの主観を述べるしかない――

気色悪いんだよ、それは!



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2008年4月20日 (日)

片面にバターを塗ったトーストは、とても高いところから落とすと「マーフィーの法則」に従うか?

 ふと思い出したのだが、むかし、「マーフィーの法則」ってのが流行りましたなあ。中でもおれが好きだったのは、「トーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」(あるいは、「トーストは必ずバターを塗った面を下にして着地する」と言い習わされている)といったやつだ。まあ、“法則”というほど再現性があるかどうかは別として、悪い結果になったときのほうが、人間、印象に残るものだから、まるで法則のように見えるということなのだろう。そこいらへんの道路にはいつもタクシーが走っているのを見かけるようになーんとなくふだんは思っているのだが、いざタクシーを捕まえたいときにかぎって見つからないように思えるといった“印象のマジック”なのだな。

 で、トーストだ。なんでも、人間の身長くらいのところから片面にバターを塗ったトーストを落とすと、バター面を下にして落ちる確率は1/2を上まわると、物理的なファクターをいろいろ考慮して計算で導いた人がいるそうなんだが(ご苦労さまです)、実際のところ、どうなのかねえ? 人間の身長くらいの高さから落とすのなら、たしかに半回転して落ちる確率のほうが高そうな気はするんだが、それはバター面を上にして手に持っていることが多いという前提があってのことだ。トーストの耳を地表からの鉛直線に重なるようにして(つまり、トーストを縦にして)落とした場合、人間の身長くらい(実際には、胸から腹にかけての高さくらいが多いだろう)のところから落とすのなら、バター面が上になる確率も下になる確率も、ほとんど変わらんだろうと思う。

 ここまでは前振りである。では、すごく高いところから、片面にバター(マーガリンでもいいよ)を塗ったトーストを落としたとしたら、バター面を下に着地する確率はどうなるだろう――と、ぼーっとしているときにうっかり考えてしまったわけなのである。こういうことは、トイレでウンコきばってるときとか、風呂で鼻歌唄ってるときとかに、だしぬけに思いつくことが多い。

 そうだなあ、まあ、ざっくり一万メートルくらいのところから落とすとしようか。落としかたは、公平を期するために、やはり地面からの鉛直線にトーストの耳を揃え、“縦”に落とすことにしよう。

 最初、トーストはまっすぐ落ちてゆくだろう。が、バターを塗った面と塗っていない面とでは、空気の流れかたが多少ちがうはずである。非バター面では、トーストの表面に細かな凸凹があるため、空気の流れはうまくトースト表面近くを流れてゆくだろう。空気の小さな渦があちこちにできるだろうから、全体的に見ると、かえって空気はトースト表面に吸いつくようにスムーズに流れるはずだ。

 一方、バター面はつるつるしている。よって、空気の流れはトースト表面から少し離れ、そこに不規則に大きな渦ができたりするだろう。よって、バター面側は、トースト表面近くを空気が流れている非バター面に比べると、わずかに気圧が下がるのではなかろうか。となると、トーストは最初まっすぐ地面に向かって縦に落ちてゆくが、そのうちバター面側にカーブしはじめるだろう。

 すると、カーブしはじめたことによって、非バター面は空気の抵抗をもろに受けるようになり、落下運動そのものにブレーキがかかりはじめ、トーストは一気に非バター面を下にしてバター面側に「し」の字を描くように運動し、わずかに上昇すらするかもしれん。飛行機が失速したような状態だ。

 こうなると、トーストの両側の圧力差が急になくなり、そこからはまたまっすぐ落ちはじめ、充分速度を得るとトーストの両側にまた圧力差が生じて、カーブして失速する――ということを繰り返しながら落ちてゆくだろう。つまりトーストは、ちょうど木の葉がひらひらと舞い落ちるように、右へ左へと振動しながら落ちてゆくのではなかろうか。

 その過程全体を見ると、トーストが失速するときにはバター面側にカーブして失速するのだから、トーストのバター面が上を向いている時間の総計は、非バター面が上を向いている時間の総計を上まわるはずである。よって、当然、確率的には、着地時にはバター面が上を向いている確率のほうが高くなるはずだ。

 というわけで、充分に高いところから片面にバターを塗ったトーストを落とすと、バターを塗った面を上にして着地する確率のほうがずっと高くなるとおれは思うのだが、実際にはどうなるでしょうね? 『トリビアの泉』の特番かなにかで、百回くらい実験してデータを取ってくれないものかねえ? これは、空気はあるが無重量状態の場所でブーメランを投げるくらい興味深い実験なのではないかと思うがどうか。



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2008年4月19日 (土)

鏡に不細工な自分が映っていたら、それは鏡が悪いのかね?

「アマゾン」の商品検索で 自殺に必要な品一式表示 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/04/16019103.html

入浴剤と洗浄剤を混ぜ合わせてガスを発生させ、これを吸って自殺するケースが社会問題化している。たとえば、「アマゾン」で問題の入浴剤を検索すると、関連商品として、自殺に必要な品一式が表示される。ネット上には「これは自殺の勧めだ」という批判が出ている。

 こ、これは、アマゾンやら、「自殺に必要な品一式」に含まれるアイテムの各メーカーを批判したってしようがないでしょう。とばっちりもいいところだ。

 おれはむしろ、この記事を読んで、アマゾンの協調フィルタリング技術というのは、なかなか大したものだという印象を受けたけどね。ちゃんと動いて機能しとるなあと。

 たとえば、ハンマーで自分の頭を殴って自殺するという豪快な方法が一時的に流行したとすると、ふだんアマゾンを利用している自殺志望者はハンマーについてアマゾンであれこれ検索して自殺に適したハンマーを見繕い、また、書籍のコーナーでは自殺の方法についての本をあれこれ検索して研究することだろう。そういう自殺志願者が増えてくると、ハンマーと自殺方法についての書籍の相関が強くなってゆき、カスタマプロファイリングの有為なパラメータとして機能するようになってゆく。そうなると、単に家の棚を修理したくてハンマーを探している人に対しても、「自殺本はいかがですか?」と薦めてくるようになってしまうはずだ。たいていの人は、「なんで自殺本なんか薦めてくるのだろう?」と不可解に思うだろうが、“最近ハンマーで自分で自分の頭を殴って自殺するのが流行している”ということを知っている自殺志願者は、すすめられたアイテムをクリックして眺めてみたりする。するとさらに、ハンマーと自殺の相関は高くなってゆき、“ハンマーに興味を持つ人は自殺にも興味を持っている”と、システムがあたかも認識しているかのようなふるまいをする傾向が強くなってゆく――というわけである。つまり、端的に言うと、ハウリングを起こしているようなものだ。アマゾンが表示してくる“おすすめ”といったところで、その“おすすめ”の過程に人間は一切介在していない。ひょっとすると、電車に飛び込んで自殺したいと思ってアマゾンで調べる利用者が増えると、電車と自殺の相関が高くなり、アマゾン(のシステム)は鉄道模型と自殺本を薦めてくるかもしれないわけだ。つまり、アマゾンの利用者の中で特殊な動機を持つ人々のアマゾンでの操作履歴が、たまたま特定の目的に使えそうなアイテム同士の相関を、あたかもハウリングのようにぐんぐん高めてゆくことになる。

 この記事が取り上げている“事件”が示すのは、単に、硫化水素で自殺したがっている人も、相当数アマゾンの利用者であるということにすぎない。

 極端な話、SFの読みすぎで自殺するという方法が流行した場合(流行せんとは思うが)、アマゾンはアーサー・C・クラークの本を検索して買おうかどうか迷っている人に対して、『完全自殺マニュアル』を薦めてくるように動作する可能性が高い。もし、アマゾンで薬品や医療器具を売っていたとしたら、塩化カリウムを買った人に対して、アマゾンは注射器や自殺本を薦めてくるように動作するかもしれない。

 アマゾンが自殺を薦めてくるかのように見えているのは、単に世間の流行を忠実に反映し、その傾向を強化する方向へとデータを表示してくるからというだけのことである。つまり、アマゾンのシステムが自動的に行なっていることは、一種の報道と見ることができる。テレビの選挙予測報道が投票行動に影響を及ぼしてしまうのにも似た、ハウリングが起こっているのである。

 旧来のマスメディアもネットも、そのようなハウリングを生む媒体特性を内包している点に於いては変わらない。問われているのは、意識を持たず機械的なアルゴリズムで動いているだけのシステムが出してくる程度の情報に惑わされないための、利用者側のリテラシーだ。

 聖書で自分の頭を殴って死ぬという自殺方法が一時的なファッションとして流行すれば、アマゾンは、聖書を買った人に自殺マニュアルを薦めてくる可能性が高くなるだろう。つまるところ、協調フィルタリングによるレコメンデーションというやつは、“あなたに似た人と推測される人はこんなことをしていますが、あなたはそれをただただ真似しますか?”と言っているに等しいわけだ。真似したほうが便利だと思えば、機械のおすすめに従えばいいだろうし、「ふざけたおすすめをしてきやがる」と思うのならば、逆らえばいいだけの話だ。利用者の意志こそが最も問われている局面で、責任を機械になすりつけても虚しいことだ。

 もっと単純に言えば、「おまえはアマゾンが死ね言うたら死ぬんか?」という問題にすぎない。死ぬか、そんなもん。おれにはおれの意志があり、おれにはおれの考えがある。おれが死んで喜ぶやつに、おれのオールは任せない。アマゾンに文句を言うのは、どう考えてもお門ちがいだと思うのだがどうか。



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2008年4月18日 (金)

お役に立てたかな?

 ひさびさに《ヘンな検索語》シリーズである。今回は、ヘンというより、ちょっと喜ばしい。

「花の木登り協会」

 年配の方はご存じであろうが、『花の木登り協会』というのは、三十年以上もむかしに出たイーデス・ハンソンの風刺小説。なるほど、「花の木登り協会」で Google 検索すると、このブログのエントリーもヒットするな。

 近年は本の shelf life (日本語で正しくどう呼ぶのか知らん)が極端に短い。つまり、新刊として棚に並んでいる時間が短い。極端な場合は、書店に並んだ次の日に返本されてしまうそうだ。そんな時代に、三十年以上前の本について手軽に調べられ、また、そんなものについてもの好きにも書いているやつ(というのは手前のことだが)がすぐ見つかる手段があるというのは、まことに喜ばしいことである。

 そんなむかしの本についてたまたま調べた人の役に、少しは立てたのだろうか。おじさん・おばさん、爺さん・婆さんは、新しいことについて書くのもいいが、生きているうちに、古いことを書いてウェブに公開しておくのも、総体としてのウェブの価値を高めるのではないかと思う。そりゃ、アクセスは少ないだろうけどさ、いつかどこかの誰かの役には立つわけだよ。「ホワイト・ノイズの中から意味を汲み出す個別の利用者を想定したとき、はじめて個別に価値が生じる」のだ。

 アクセス数獲得に死ぬほど血道を上げるというのもひとつだろうけどさ、「いつかどこかの誰かの役には立つ」と信じて、気長にのんびりまったりとむかし話を遺しておくのも、またブログのひとつのありかただろうと思うわけなのよのさ(なぜピノコ語)。



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2008年4月16日 (水)

朝メガ、昼メガ、夜メガ

 最近マクドナルドがものすごいテレビCMを流している。「♪朝メガ~、昼メガ~、夜メガ~」って、あのな~。

 つまり、朝はメガマフィンを食い、昼はメガマックを食い、夜はメガてりやきを食うことを推奨(?)しているかに思えるのだが、当のマクドナルドのサイトで試算してみると、メガマフィンは695キロカロリー、メガマックは768キロカロリー、メガてりやきは900キロカロリー、しめて、2,363キロカロリーである。成人男性の一日の摂取カロリーは、いろいろ説はあるが、まあ、ざっくり2,000~2,500キロカロリーあたりである。おれなんかは、あんまり動かない仕事なので、1,800~2,000キロカロリーくらいに留めている。おれの基礎代謝は、だいたい1,400キロカロリーである。

 つまり、メガマフィン、メガマック、メガてりやきを食ったら、少なくともカロリーベースで考えるかぎりは、その日はほかになにも食わなくてもよい、というか、食ったらあきらかに肥るということだ。

 そりゃまあ、おれもマックのハンバーガーは嫌いではない。じゅるじゅると肉汁の滴るメガマックをときには楽しむこともある。が、「朝メガ、昼メガ、夜メガ」は、さすがにやったことがないし、やろうとも思わない。

 マクドナルドも商売ではあろうが、これは国策に真っ向から敵対しようというCMなのではあるまいか。おれは、個々人が肥っていようが痩せていようが、そんなことに国が口出ししてくることには反対だが、おれ個人は肥っている自分を好まない(他人は知らん)。なにより、階段昇ったりするのがしんどいからな。

 とはいえ、いくらなんでもこれは、あまりにものすごいCMではありますなあ。「朝メガ、昼メガ、夜メガ」のカロリーの合計が、それらのみを食うとしたら必ずしも食べすぎとはいえないあたりに留められているところに、マクドナルドが思い切ってこのようなCMを打つことを是とした計算が秘められているように思える。要するに、このCMは、「ほかにはなにも食うな」と暗に言っているわけである。

 たしかに、毎日この三つだけを食い続けるとしたら、存外にバランスはいいかもしれないよなあ。



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♪あん、あん、あん、とっても似ているド○えもん~

世界ふしぎ発見! (いいことばかりじゃないけれど… 水野美紀 Official BLOG)
http://mizunomiki.at.webry.info/200804/article_4.html

マレーシアで売っていたお菓子。
似ている・・・・。
とってもにているぞ・・・・・。
あの、国民的キャラクターに・・・・。

 どわはははは、こりゃ怪しいなあ。怪しすぎる。“パチもん”という言葉を全身で体現したようなキャラクターだな。マレーシアでもこんなことしてるんだなあ。中国の国営遊園地が大量に輸入してたりしてな。

 それにしても、なんとなく『溜池Now』早乙女おろちを連想するのはなぜ? なんちゅうか、不測の事態に迫られ“テキトーに間に合わせた感”に通ずるものがあるのだろう。



 

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生きた、書いた、死んだ

米国で著名ブロガー死亡相次ぐ 日本でも「ドクターストップ」発生 (J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/04/10018844.html

「ドクターストップ」がかかった著名ブロガーが国内にもいた。自身のブログのページビューが年間950万ほどにまで成長した経済学者の池田信夫さんは、
「プレッシャーはありますよ。月間100万アクセスを超えた辺りから、寝られない日が続き、医者にブログをやめろと言われて…。もう、どうしようもないコメントやスパムとかノイズが凄く飛んでくるんですよ。私はこういったものについて気にしない方なんですが、さすがにストレスになってきています」
と明かす。池田さんは、ストレスを抱えながらも、雑誌に掲載されるよりも社会的に影響力のある情報をいち早く掲載できるメリットがあるとして、ブログの運営は続けていく意向だ。

 うわあ、たいへんだなあ。まあ、池田氏は、アメリカの専業ブロガーとはちがって、学者としての情報発信に貴重な媒体だと意義を感じて運営なさっているんだろうから、ただただスクープを競ってブログで食っている人たちとはまたストレスの質がちがうだろうとは思うが、それでもたいへんだろうなあ。

 その点、ウチなんかは気楽なもんである。年間100万アクセスなんてのは夢の夢だ。せいぜい多いときで月間3万くらいだから、浮き沈みを考えると、ざっくり年間30万くらいか。楽しみでやっているものがストレスになってはたまらん。なんであれ、仕事にしちゃうとたいへんなのだ。

 ま、「人生の意味」を検索してやってくる人に、それは「42」だと答えているようでは、まちがったって年間100万アクセスにはならんと思うから、その点では安心だ。



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2008年4月15日 (火)

あれはこっちではシャベルじゃない

 「家族と、もっと、シャベる。」――というのが、最近の au のコピーなんだが、ちょっと待った。

 テレビCMのあの映像などを観て、関西人の多くは違和感を覚えるはずである。ふつう、ここいらへんではあのハンディな掘削用具をシャベルとは呼ばぬ。あれはスコップだ。

 そりゃまあ、標準語では“シャベル”があのようなものを指すことになっているというのは、知識としては知っている。が、やはり、おれのコアにあるものが、「あれはシャベルではない。スコップだ」と言い張って聞かぬのである。

 小学生のころ、学校の花壇に球根やらなにやらを植えるのに使った道具はなんであろうか? スコップである。断じてシャベルなどではない。花壇にしゃがみこんで夢中で作業をしていたあのコのまぶしい太もものあいだに覗いていた純白のパンティーに誓って、あれはスコップである。

 不思議なことに、“スコップ”と言うと、関東人の多くは、工事現場とかで使っているあのでかいやつが頭に浮かぶらしい。あっちが“シャベル”やんか。

 この“シャベル-スコップ”問題、小林泰三さんがこだわっている“冷麺”問題に匹敵する不可思議な問題である。いかにしてこのような逆転が生じたのであろうか?



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ab + ac = a(b+c)

 晩酌に焼酎のお湯割りを作っていた。当然、お湯を先に入れ、焼酎をあとから入れる。と、中途半端なところで米焼酎がなくなった。そこで蕎麦焼酎を注ぎ足してチャンポンにした。

 おお。

 これを“そばめし焼酎”と名づけよう!



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2008年4月13日 (日)

百貫目のサル

エサもらい放題…気がつけばメタボ猿 「虐待」の声も (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0412/OSK200804120060.html

 大阪府堺市が管理する大浜公園(同市堺区)の猿山に住むアカゲザルが、集団肥満に陥っている。常駐する管理人も金網もないため、見物客から餌をもらい放題になっているのが原因らしい。おなかはだらんと垂れ下がり、ついたあだ名は「メタボ猿」。市大浜公園事務所は昨年からダイエット食に変えたが、焼け石に水だ。専門家からは「劣悪な管理が原因で、虐待だ」との指摘もある。
 「デブざるだ。乳牛みたい」「おなかに赤ちゃんがいるのかな」。子どもたちが歓声をあげる中、猿たちは膨らんだおなかを揺らしながらのっしのっしと歩く。10年以上世話を続けている職員は、「妊娠ではありません」。

(中略)

 だがダイエットは思うように進まない。猿山の周りには「害になる食べ物を与えないこと」と書かれた看板が四つあるが、毎日10~20人がパンや菓子を投げ与えている。近所の女性は、朝食の残飯やバナナ、かりん糖、ピーナツなどをやるのが日課という。「大きな猿に餌を取られる小さな猿がかわいそうで」
 日本モンキーセンター(愛知県)の加藤章園長によると、10年ほど前から猿山の周囲を透明なプラスチック製の壁で覆って餌を投げ込めないようにしたり、専用の餌を限定販売したりと見物客の餌やり対策が進んだ。「まだそんな管理をしている公園があったとは。無制限に食べ物が与えられる状況を放置しているのは明らかな虐待。早く手を打つべきだ」と忠告する。

 ひええ、こっ、こりゃすごいな……。それにしても、サルが肥ると不格好だねえ。

 サルにラッキョウの皮を剥かせるとなんとやらとか、オナニーを教えるとなんとやらとかいった話は俗によく語られるのだが、人間の食いものを際限なく与えるというのも同じような話なんだろう。こりゃたしかに管理も悪いが、「かわいそう」だとかなんとか言って餌を与える見物客のマナーも悪いよ。見物客というものはいくら注意しても理解できない阿呆であるということを前提にして管理するのがプロの管理というものなのかもしれないが、むかしから驚異的な識字率を誇るわが国で、それもなんだか悲しい話である。

 そもそも、記事のとおりだとすると、その看板って、日本語おかしいだろ。「害になる食べ物を与えないこと」って、いったいどういう意味だ? 農薬の入ったギョーザとかを与えるなという意味なのだろうか? だいたい“害になる食べもの”をわざわざ持ち歩いている見物客なんているんだろうか? 飼育係以外が勝手に食べものを与えることが害になるからやめてくれと伝えたいのであれば、単に「食べものを与えないでください」と書けばいいだけの話ではなかろうか? 不可解なこと、このうえない。「誰でもいいから皆殺し」に匹敵する奇ッ怪な日本語表現である。

 まあ、近年、ここのサルみたいな人間の幼児をしばしば見かけるよなあ。子供がうまそうにものを食っているところを眺めるとたしかに癒されるし、子供が欲しいと泣けば食わせたくなる気持ちもわからんではない。が、そりゃ大人側の都合だ。子供はまだ十全に“人間”ではないのだから、食いものの質や量を親が管理してやるしかない。ギャル曽根みたいな特殊な体質の人ばかりではないのだ。この公園のサルが“虐待”されているのだとしたら、どう見ても虐待されているとしか思えないほど肥っている幼児の親も、然るべき筋が指導すべきだと思うぞ。例のメタボ検診とやらいう大きなお世話の制度は、むしろ子供に適用すべきだ。大人は、なんだかんだ言っても、つまるところ自分の意志で肥ったり痩せたりしているわけであって、むしろ自分でコントロールできない子供こそ、バカ親の虐待(?)から護ってやるべきではなかろうか?



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2008年4月12日 (土)

“引きずり箱車”の流行

 そう言えば、このあいだ大竹まこともラジオでぼやいていたが(おれはポッドキャストで聴いてるんだが)、最近、駅やらでスチュワーデスちゅうかフライトアテンダントちゅうか、そういう人々が引っぱって歩いてるようなアレを引っぱって歩いてる人をやたら見かけるようになった。アレはなんと言うのだ、アレは? カートかな? まあ、いいや、仮に“引きずり箱車”とでも呼んでおこう。

 “引きずり箱車”は邪魔だ。著しく邪魔だ。歩いているときの一人あたりの占有空間が、ふつうの鞄に比べて広い。人ごみで犬を連れて歩いているくらい広い。おまけに“引きずり箱車”は、カーブするときに駆動者(?)の動きに遅れてついてゆき、しかも内輪差(?)を生じる。人間(じんかん)距離を取ってうしろを歩いている者にとっては、カンが狂うことおびただしい。危うく“引きずり箱車”に蹴つまずいてしまいそうになる。

 そりゃまあ、常に大量の重い荷物を持ち歩かねばならぬ商売の人がああいうものを利用しているのであればしかたがない。だが、そうでもないようなんだな。階段やなんかでは、ひょいと片手で持ち上げて、さほど重そうでもないやつがいる。重くないんなら、いちいちそんなかさばる道具で通勤時間に運ぶなと言いたくなる。ふつうの鞄を敢然と重力と闘いつつ雄々しく(あ、政治的に正しくない言葉かな)持ち歩け。腕の鍛錬になってよいではないか。なに、私は女だから腕が太くなったらイヤだ? そんなことあるか。ぶよぶよした二の腕の下に脂肪がぶらぶら垂れていて『アリーmyラブ』のリチャードが喜びそうなたるたるの女性の腕は、細くてもあまり美しくないぞ。水野裕子の腕なんか、きりりと締まった筋肉のカットが浮いてカッコよくセクシーだぞ。キャメロン・ディアスの腕なんかも、じつにメリハリがあって美しい(まあ、なんでもアレは『チャーリーズ・エンジェル』以降、鍛えるのが病みつきになったおかげらしいんだが……)。心配せんでも女性はよっぽど不自然なことでもせんかぎり、シュワルツェネッガーみたいにはならんて(あそこまでは男性でもならんか)。鍛えればむしろ、女性として美しいラインが出るとおれは思うのだがどうか。

 重い荷物を常に持ち歩かねばならん人が、俄然、にわかに、めきめき増えたとは考えにくいので、最近“引きずり箱車”をやたら目にする現象は、一時的に流行しているファッションなのだろう。そのうち止むとは思うんだが、とりあえず、不要不急の“引きずり箱車”反対! むろん、ホントに必要な人は、ご苦労さまです。身体壊さんようにしてください。



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2008年4月11日 (金)

いかにもエンジンの名にふさわしい

Steampunk Unboxing: Difference Engine Arrives in Silicon Valley (Wired)
http://www.wired.com/gadgets/miscellaneous/multimedia/2008/04/gallery_babbage

When Charles Babbage invented a massive calculating machine in 1849, he probably didn't count on the 150 years it would take to actually get the thing built.
Babbage's Difference Engine No. 2 was a precursor of modern computers, capable of performing complex mathematical calculations with 31 digits of precision, all using Victorian-era rods, gears, levers and linkages.
But Babbage never completed it. It took engineers and curators at London's Science Museum almost six years of work to bring Babbage's 20 pages of blueprints to life in 1991.
Now, thanks to Microsoft multimillionaire Nathan Myhrvold, a second Difference Engine has been built and delivered to the Computer History Museum in Mountain View, California, where trained docents will turn its brass handle to crank out the calculations Babbage dreamed of automating.

 ううーむ、なんてセクシーなんだ。なんかこういうのには、下手なエレクトロニクス(って、どんなエレクトロニクスだ?)より萌えますなあ。タイガー計算機のでかいやつ。惜しむらくは、やっぱりこれは蒸気機関で動かしてほしいよなあ。まあ、湿気に弱いそうだから、蒸気機関本体とは隔離して駆動力を伝えなきゃならんだろうけど。

 これを機会に『ディファレンス・エンジン』(ウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング/黒丸尚・訳/角川書店)の復刊希望。こういう記念碑的古典(というには新しいが、やっぱり“スチームパンク”という意味では古典だよなあ)が古本でしか入手できないのは、じつにもったいない。『パヴァーヌ』(キース・ロバーツ/越智道雄・訳/扶桑社)なんかは、サンリオ文庫なきあと、扶桑社から復刊されたのになあ(それももう古本でしか手に入らないのか。おれも歳食ったもんだ)。



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2008年4月10日 (木)

くいだおれ、ついに倒れる

「くいだおれ」閉店、消える「ナニワの顔」 惜しむ声 (asahi.com)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200804080095.html

 戦後の大阪・道頓堀と歩みをともにしてきた「ナニワの顔」が消える。7月に閉店することが明らかになった飲食店「くいだおれ」。若者の街に変わりゆく道頓堀で創業者の教えを守り、大阪の味やユーモアにこだわり続けてきた。時代の波に押されて姿を消すことに、道頓堀の活性化をめざす地元や観光客らに惜しむ声が広がった。

くいだおれ:名物人形「太郎」売却も 7月に閉店 (毎日.jp)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080410k0000m040086000c.html

「名前と太郎を引き継いで…」売却検討 くいだおれ会見 (asahi.com)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200804090100.html

 そうか、関西人として寂しいなあ。思えば、おれはくいだおれ人形の前まで行って写真を撮ったことやら、あちこちぺたぺたといじくりまわしたことはあっても、あの店で飯を食ったことは一度もなかったなあ。こんなやつがたくさんいるから、このような事態に至ったのだろう。まことに申しわけない。

 チャールトン・ヘストンの訃報を聞いたばかりのときに、くいだおれ閉店のニュースが入ってくるとは……。なんか、おれの頭の中では、この奇妙なシンクロ加減が無性にもの悲しい。え? チャールトン・へストンとくいだおれになんの関係があるのかって? それは、おれが1997年10月24日に書いた日記をご参照いただきたい。

 せめて人形だけは、どこかが生き延びさせてほしいものだなあ。



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暴力反対は大いにけっこうですけどね……

高村外相「暴力には賛同しがたい」 聖火リレー妨害で (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0408/TKY200804080146.html

 高村外相は8日、国会内で記者団に対し、北京五輪の聖火リレーが欧州各地で妨害を受けていることについて「どういう目的でも、リレーを暴力で頓挫させようとするのは賛同しがたい」と述べた。日本の調査捕鯨を妨害した反捕鯨団体を例に「オーストラリア政府は捕鯨反対だが非難している」と指摘し、「(チベット仏教の最高指導者)ダライ・ラマ14世も、そういうことはやめるように呼びかけている」と暴力を批判した。

 「どういう目的でも、リレーを暴力で頓挫させようとするのは賛同しがたい」というのには、おれも全面的に同意するが、じゃあ、日本政府は中国の非人道的暴挙に対して言論ではっきりと姿勢を示しているのか? そこんところをはっきりしてもらわないと、外務大臣がこういうことを言っても、なんの説得力もないわな。



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2008年4月 8日 (火)

約74日

 イリジウム192の半減期。人の噂よりは長期間放射線を出すようだ。

 というか、ふだんイリジウムを取り扱っている人たちも、きっと最初に「え~と、半減期はだいたい人の噂くらい」と覚えたのにちがいないぞ。

放射性物質盗まれる 防犯カメラに不審者 市原の検査会社 (東京新聞 TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008040802001924.html

 七日午前七時ごろ、千葉県市原市五井の検査会社「非破壊検査」(大阪市)京葉事業部の保管庫で、放射性同位元素イリジウム192を密封した容器(被害額約百三十万円)が無くなっているのを出勤してきた男性社員(66)が見つけた。
 非破壊検査によると同社は五、六の両日は休みだったが、五日未明、保管庫内の防犯カメラに容器を持ち出す不審な人物が写っており、市原署が窃盗事件として調べている。



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胡散臭いにもほどがある“人間力”

 どうも近ごろ“人間力”とかいういやらしい言葉をあちこちで耳にするので胸が悪くなる。“ヒューマンスキル”とかいういやらしい言葉も同類だ。人間力もへったくれも、こちとら幸か不幸かすでに人間だ。文句あるか? ヒューマンスキル? なんじゃ、そりゃ? 岩城淳一郎のスキルか? それとも、紙で作った円盤に鉛筆刺してくるくる回すスキルか? (わ、わからん人は、四十代後半以上のおじさん、おばさんに訊いてね)

 だいたい、“人間力”だの“ヒューマンスキル”だのと企業の研修担当者とかがやたら言い出したら、そろそろその会社は危ないと思ったほうがよかろう。なんであれ本業のスキルなんてものは一朝一夕には身につかないものにちがいないから(だからこそ、そういうものを身につけると金がもらえるのだ)、ごまかしに“人間力”だの“ヒューマンスキル”だのにやたら力を入れて、お茶を濁すのである。おれが突然手術を受けなきゃならない病気になったとしたら、“人間力”とかいうわけのわからないものだけがなぜか高いとされているヤブ医者よりも、知識と判断力と手技が確かで経験豊かな医者に腹を切ってもらいたい。少々性格が悪かろうが、そんなことは些細な問題に思えるほどに本業での能力があれば文句はない。

 思うに、どんな商売であろうが、プロとしての判断・決断をするときには、むしろおのれが人間であることが一時的に邪魔になるものなのではなかろうか?

 

人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。

――芥川龍之介『侏儒の言葉』



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2008年4月 6日 (日)

常識が覆った応急心肺蘇生法

Revised CPR method helps save Arizonans (CNN.com)
http://www.cnn.com/2008/HEALTH/conditions/03/31/moh.cpr/index.html

In a bold departure from standard practice, paramedics in most Arizona cities do not follow the guidance of the American Heart Association. Instead, they follow a protocol that was developed at the University of Arizona's Sarver Heart Center, largely by Dr. Gordon Ewy.
Even after cardiac arrest, Ewy said, there's enough oxygen in the body to feed the brain and keep a person alive for several minutes. But that air helps only if someone compresses the heart to circulate blood. In traditional CPR, rescuers alternate 30 chest compressions with two long "rescue breaths." Paramedics are trained to start by checking the airway, and insert a breathing tube at the start of resuscitation. These extra steps, said Ewy, waste precious time.
In Arizona, paramedics skip the breathing step when they begin to treat a cardiac arrest. They simply alternate two minutes of pumping on the chest -- 200 compressions -- with a single shock from a defibrillator.
Epinephrine, a powerful stimulant that jump-starts the body's vital systems, is given as soon as possible. Paramedics insert a breathing tube only if several cycles of shock and compressions fail to re-start the heart.
Ewy said the Arizona study, along with studies on bystander interventions in Japan and his own animal research, show that resuscitation without additional breathing is superior.
"In my mind, the evidence is overwhelming right now," he said.

心停止、とにかく胸押して 救急医ら調査、指針見直しへ (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0404/TKY200804040161.html

 心停止状態で倒れている成人を助けるには、胸を押し続けて圧迫するだけでも、人工呼吸を加えた方法と同じ蘇生効果があることが、日本の二つのグループの調査でわかった。調査を受けて米心臓協会(AHA)は、この「圧迫」を蘇生法として市民に勧める見解を発表。日本でも指針が見直される見通しだ。
 心臓発作などで倒れた場合、命を大きく左右するのは早期の心肺蘇生。蘇生法は、胸の真ん中を押す「胸骨圧迫」と人工呼吸を交互に行うのが原則で、海外でも同じ。ただ、第一発見者の多くはたまたま居合わせた人。他人に口をあわせる人工呼吸に抵抗感があるのが課題だった。
 ところが京都大の石見拓・助教や大阪府の救急医らの調査で、人工呼吸を省いても効果が変わらないことがわかった。調査対象は、98~03年に心臓病で心停止して倒れたが、近くに人がいた大阪府民の事例約4900件。倒れて1年後に、後遺症なく社会復帰できた率を調べた。

 先日、上のCNNの記事を読んで、90へぇくらいを叩いていたんだが、American Heart Association (AHA) のガイドライン見直しを受けて、日本のメディアも報道したようだ。CNNの記事にある“studies on bystander interventions in Japan”というのが、おそらく朝日の記事にある「京都大の石見拓・助教や大阪府の救急医らの調査」なんだろう。

 要するに、急に心停止した場合には、血中には脳を数分間生かせるだけの酸素は溶けているのだから、人工呼吸に貴重な時間を費やすより、即、胸の圧迫に入って、とにかく血液を循環させることに集中したほうが、緊急の際には予後がよくなるということのようだ。言われてみれば、なるほどそうしたほうがよさそうだと素人にでも思えるんだが、なにしろ実験をするわけにはいかない分野だけに、こうした統計的な調査が威力を発揮する。

 何十万、何百万人に一人といった珍しい病気に関してならいざ知らず、心臓発作などといった、ごくありふれた症状に対する応急処置についてすら、二十一世紀になって常識が覆るんだから、まこと医学というのは奥が深い。ひょっとしたら、実際に医療の現場にいる人たち個々人には、「教科書や研修ではこう習ったが、どうも長年の経験に照らすと、ひょっとしたらこっちのほうがいいんじゃなかろうか?」と思っていることが、あれこれあるんじゃなかろうか? とはいえ、なにしろ人の命がかかっていることであるから、常識とされている手順を無視して、「こっちのほうがいいんじゃなかろうか?」と思っていることを軽々に実行するわけにはいかないのだ。下手すると、人体実験になってしまう。そのあたりが、ロゴスとプラクティスとが不可分である医学という分野の難しいところだよねえ。ジェンナーなんか、いまなら確実に訴えられますわな。おれたちが子供のころ偉人伝なんかで読まされた“自分の息子で実験した”という話はウソらしいが、自分の息子だろうが他人の子だろうが、結果オーライだったからまだよかったものの、やってることは人体実験そのものですからねえ。

 たぶん、ちょこっと未来の人たちは、いまのおれたちが中世の医術を語るような感覚で、「二十世紀には、道端で心停止して倒れた人に人工呼吸してたんだって。信じられねー」などと言うようになるのだろう。まあ、医学ってのは、もちろん科学としての理屈も大事だが、得られた経験則をすぐにでも利用して、結果として多くの人が助かりゃオーケーって面もある。それこそお釈迦様の毒矢の喩えじゃないけれども、ごちゃごちゃ議論している暇があったら、とっとと矢を抜くべき局面というのがあるだろう。

 CNNの記事は、こう続く――

Crystal Sorenson, a Glendale firefighter and medic for more than 20 years, experienced a vivid example last summer with the case of 48-year-old Daniel Lane. As she pounded his chest, Lane kept grabbing her wrist, struggling to look up. Each time she paused to deliver a defibrillator shock, "he'd let go and drop down, passing out."
A similar story inspired Ewy, who told CNN about a recording of a 911 call he heard several years ago, on which dispatchers guided a woman through CPR on her husband while she waited for paramedics to arrive.

 (これに似た話に、ユーイ博士ははっとしたのだった。彼はCNNに数年前に聴いた911の録音について語ってくれた。ある女性に、救急配車係たちが救急隊が到着するまでのあいだに心肺蘇生法の指導をしている録音である)

"After a while, she came back to the phone and said, 'Why is it every time I press on his chest, he opens his eyes, and every time I stop and breathe for him, he goes back to sleep?' " Ewy paused and gave a rueful laugh. "This woman in 10 minutes learned more about cerebral perfusion [getting blood flow to the brain] than we had in 15 or 20 years of CPR research."

 (「しばらくして彼女は電話口に戻ってきて言ったのです。“夫の胸を圧すたびに彼は目を開け、人工呼吸のために圧すのをやめるたびに意識を失うのはどうしてなの?”」 ユーイ博士は少し間をおいて、悔しそうに笑った。「この女性は、脳灌流(脳への血流確保)について、われわれが心肺蘇生法の研究で十五年、二十年とかけて学んできた以上のことを、十分間で学んだのです」)

 夫を救いたいと必死で応急処置をする妻が、その修羅場で発見したことについて、このように言える謙虚な研究者というのも、またすごいと思う。この rueful laugh は、「これにもっと早く気づいて人々に知らしめていれば、もっともっと多くの人を救えたものを、わしゃ大学のドクターでございと、いったいいままでなにをしとったんだろう……」という心持ちの laugh なのだろう。



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2008年4月 5日 (土)

責任者、吸い込んだろか

謎の深海生物「オオグチボヤ」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/komimi/TKY200803260301.html

 生態がほとんど知られていない深海生物「オオグチボヤ」が富山県魚津市の魚津水族館で、展示された。今後、水温2度以下で飼育・展示して、観察を続ける。
 このオオグチボヤは、体長約7センチ。地元の漁師が3月19日、同市青島沖の水深450メートルに仕掛けた刺し網にかかったポリ袋に付着していたのを見つけて、同館に持ち込んだ。
 オオグチボヤは、ホヤの一種。雌雄同体のゼリー状で、大きな口をあけたような姿。米国・モントレー湾やチリ沖、相模湾、富山湾、佐渡沖などで発見されているが、群生地が確認されているのは富山湾だけとされている。生きた状態での捕獲が難しく、謎の多い生物といわれる。

 「オオグチボヤ」という文字を見たとたん、どこかのマッドサイエンティストが京唄子人生幸朗の遺伝子を組み込んで造り出した世にも禍々しい怪生物の姿がおれの脳裡をよぎったのだった。

 「ポリ袋に付着していたのを見つけて」って言うけどさ、ほとんどポリ袋じゃん、こいつ。さすが漁師さん、よく見逃さなかったもんだなあ。なんの道によらず、プロフェッショナルというのはすごい。



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2008年4月 3日 (木)

お買い上げ御礼(2008年3月)

■2008年3月

【最も値段の高いもの】

 もはや誰もが持っている機器とはいえ(おれは持ってないけど)、ネットでひょいと買っちゃう人がいるわけだねえ。思うに、ネットでひょいと買えるのは、本とかCDとかDVDとか、どこで買おうが中身は同じといった商品が多いと思う。ということは、DSはもはや本やCDみたいな感覚で、品質に関しては完全に信頼されていて、色のヴァリエーションだけが問題だということなんだろうね。たいしたもんだ。家にパソコンのないおれの姪たちも持ってるもんなあ。




【最も値段の安いもの】

 いやまあ、なんちゅうか、この日記の読者に不動産鑑定士をめざしている人がいるってことなんでありましょう。がんばってください。

【最も多く売れたもの】

 『新・英会話上達法』のほうには、しばしば触れているので、今回は『生物と無生物のあいだ』に触れておこう。といっても、昨年のベストセラーでもあるし、この本のすばらしさについては、さんざんあちこちで触れられているので、いまさらおれが付け加えるようなことはなにもない。まあ、内容をちゃんと理解するには、大学教養程度の生物学の知識があるに越したことはないとは思うが、よしんば義務教育程度の知識すらない人であったとしても、きちんと読めば、生物学に対する興味が掻き立てられること請け合いである。おれとしては、高校生くらいの人にぜひ読んでほしいなと思う。


【最もケッタイなもの(主観)】

 いやあ、なんちゅうか、おれはコレ、観たことないんだが、たしかにこのアホ日記を読んでいるような人であれば、いかにも買いそうなものだとは思うねえ。

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実食

CoCo壱番屋で「カレーのトッピング全部のせ」に挑戦してみた ~実食編~ (GIGAZINE)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080403_coco1_topping_all_2/

無謀にもココイチの「カレー トッピング全部のせ」を注文したGIGAZINE編集部員たち。テーブルに置かれたのはもはやカレーに見えないカレー皿と、揚げ物が大量に乗せられた皿でした。自分たちの手で揚げ物もトッピングして全部のせカレーを完成させた様子をさきほどの注文編でお届けしましたが、今回はいよいよこのド級カレーに挑戦です。

 むちゃしおるなあ。まあ、複数人で食ったみたいだから、まだ常識がある(?)ほうだが、これ、一人で食ったらギャル曽根だよなあ。

 それはともかく、この“実食”という言葉、最近日本語に定着してきているような気がするんだが、よくよく考えると妙な言葉ではあるよな。たぶん、『とんねるずのみなさんのおかげでした』「食わず嫌い王決定戦」から出てきた言葉のように思うんだが、近年、あちこちで耳にする。

 わざわざ“実食”と言うからには、それとはちがう“食べかた”があるかのように聞こえる。食うという行為は、常に“実”に決まっているんだが、“実食”という言葉には、たしかに日本人の語感を納得させるなにかがある。元々は、まさに「食わず嫌い王決定戦」のようなシチュエーションが文脈としてないと奇異に感じる言葉のはずなんだが、「あんなものをこんなふうに食ってみたい」と事前に話題にしたうえでいよいよほんとうに食うといったシチュエーションでは、なるほど、“実食”という言葉が適切に思える。

 では、“虚食”という言葉が定着しているのかというと、これは全然そうじゃないんだな。さしずめ、雑誌の写真などを見ながら「ああ、こんなものを食ってみたいなあ」と強く想像する行為を“虚食”と呼んでもよさそうなものなんだが、どうもそういう言葉は生まれそうにない。

 宣伝とか書評とかを読んで、「なんか、この本はこういう内容らしい」と思っている段階を“虚読”とし、実際に読んでみる行為を“実読”と呼ぶようにしたら、それはそれなりに面白いんじゃないかと思うんだがどうか。



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竹宮惠子学部長

竹宮惠子さん、マンガ学部長に 京都精華大 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0402/OSK200804020089.html

 京都精華大(京都市)は2日、マンガ学部長に漫画家の竹宮惠子教授(58)が就任したと発表した。1日付。竹宮さんは「風と木の詩」「地球(テラ)へ…」などの作品で知られ、00年から同大学教授を務めている。ほかに、漫画評論家の呉智英氏(61)が同学部客員教授に、漫画家の六田登氏(55)が同学部特任教授になった。

 ひょえ~。京都にはすごい人たちがうろついている(失礼)んだなあ。そこいらですれちがわないともかぎらない(すれちがってもわからないだろうけど)。せいぜい気をつけておくことにしよう。

 それにしても、六田登特任教授ってのは、おれくらいの歳の人にとっては、〈小学六年生〉「おしゃべりらくがき」“のぼ~る”だよね――っつっても、わかる人はごく限られているとは思うが……。十一から十二歳のおれは、アレをけっこう楽しみにしてたんだよ。アレは当時の小学館の学習雑誌にしては、ずいぶん好き勝手にやってたコーナーだと思うのだ。昭和は遠くなりにけり。



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不在の耐えられない軽さ

FRB議長「景気後退」初めて言及 (asahi.com)
http://www.asahi.com/business/update/0402/TKY200804020356.html

 【ワシントン=西崎香】米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は2日、低所得者向け(サブプライム)住宅ローン問題による経済危機を巡り、米議会で証言し、今年前半に米経済成長がマイナスに転じて景気後退を迎える可能性を初めて示した。金融不安による貸し渋りや住宅不況の長期化、失業増、所得の伸び悩みなどの影響を厳しく見ており、成長が勢いを戻すのは09年との認識を示した。

 すごいなあ。やっぱり、アメリカってのは侮れない国である。FRBには、少なくとも議長がいるんだから、じつにたいしたもんだ。



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2008年4月 2日 (水)

アメリカだと、壊されないのか心配だけどね

戸田 覚のPC進化論『【米国ルポ】驚愕のiPod自動販売機を発見!』 (日経トレンディネット)
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20080328/1008617/

 帰りがけに空港で暇をつぶしていて、さらに驚愕!
 なんと、iPodや周辺機器の自動販売機が設置されているではないか。菓子パンの自販機のように選んだ商品が販売口から落ちてくるタイプなのだが、これには参った。日本では想像すらしなかった光景である。

 これには笑った。ほんとにこんなもんがあるとはねえ。エイプリルフールのネタかと思ったよ。セカンドライフ内の日産車の自動販売機みたいだ。

 iPod の自動販売機があるんなら、G-SHOCKの自動販売機とかもあってもよさそうだよねえ。



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2008年4月 1日 (火)

今月の言葉

急所、猫が噛む

 いてててててて。それ、ネズミじゃないから。



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