“放蝶ゲリラ”と自然と人為と
▼マニアが放蝶? 中国原産種、首都圏で繁殖 在来種駆逐 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0218/TKY200802180175.html
昆虫マニアが10年ほど前に神奈川県内で放したとみられる中国産のチョウ「アカボシゴマダラ」が首都圏で分布を広げている。大きくて美しくて珍しいチョウが簡単に入手できるようになったため愛好家も増えているが、このチョウは在来種を駆逐し生態系を乱す「要注意外来生物指定」。不注意な放蝶(ほうちょう)で更に分布が広がる恐れがあると、専門家は警鐘を鳴らしている。
見つかったアカボシゴマダラはすべて中国原産種。台風などで迷ってきたことは考えにくく、神奈川県立生命の星・地球博物館の高桑正敏学芸部長は「誰かがひそかに国内に持ち込んだ虫を繁殖させ、さらに自然界で増やそうと、藤沢でまとまった数を放したとしか考えられない」と話す。外国から生きたチョウを持ち込むのは植物防疫法違反で、「放蝶ゲリラ」と呼ばれる行為だ。
その後の自然繁殖で、かつての希少種は近郊の野山や公園で手軽に捕まえられるようになった。チョウを繁殖させ幼虫から育てたサナギが羽化するのを観察、感動を楽しむ愛好家は多いが、アカボシゴマダラは特に好まれ、幼虫売買などが広がっているらしい。
中国産のアカボシゴマダラは、幼虫が地表の落ち葉などで越冬する在来種のチョウと違い、木の幹や枝で越冬する。春に他のチョウよりも先に活動を始めて木を独占するため、ゴマダラチョウやオオムラサキなどの在来種への影響が心配されるという。
高桑さんは「ゲリラ行為以外に、羽化させたあとで自由に飛び回らせてあげたいとか、虫を増やして自然を回復させたいといってチョウを放す人もいるが、生態系を混乱させることは絶対にやめて欲しい」と話す。
ううーむ。おれはこういう話を聞くと、いつも悩んでしまう。
そりゃまあ、おれだって、自分が慣れ親しんだ日本の自然の姿というものに愛着はある。表を歩いていて、ふと気づくと腕をセアカゴケグモが這っているのであわてて払い落とそうとしたら足が滑って池に落ち、ふと気づくとカミツキガメがジーンズに噛みついている。大あわてで池から這い上がったら、なにかがぼとんと肩の上に落ちてきた。グリーンマンバだ。泡を食って駆け出したら、足を滑らせて今度は川に落ちた。すると目の前でなにやら細長いものが跳ねる。ガーだ。アリゲーター・ガーだ。ひいいいぃと川岸をめざし必死で泳ぐと、メガネカイマンが大口を開けて笑っている――などというありふれた日本の自然に馴染みたくはない。だが、もしそうなったとしても、それはそれでいたしかたないような気すら最近はしている。冷静に考えると、単なる慣れの問題のような気もするのだ。ヒメジョオンの咲き乱れる草っぱらを駆けまわり、チューインガムやスルメでアメリカザリガニを釣っていたおれの子供時代とどこがちがうというのだろう?
おれはSFファンだからだろうか、どうも、“自然”と“人為”というものに、明確な境界線が見えない。そういうものの見かたに“悪慣れ”してしまっているのだろうか? 「生態系を乱す」と言うが、いったいなにを以て“生態系が乱れる”と考えればよいのだろう? 地球の生命圏全体で考えれば、人間が生物を移動させるのも“自然現象”なのではあるまいか? どこで線が引けるのだろう?
このニュース、「マニアが販売? 日本原産アニメ同人誌、首都圏で繁殖 在来種駆逐」とロシアあたりで報道されるのと、本質的にどこがちがうというのだろう? ちがうのかもしれんが、おれにはよくわからない。これがウイルスなどの病原体だとしたら多数の人死にを含めた実害が出るわけだが、この「放蝶ゲリラ」問題と、やっぱり本質的に変わらんように思えるんだよな。事実、変わらんのだろう。「放蝶ゲリラ」なんてのどかに呼んでるが、不測のアウトブレイクもバイオテロも、結局、おれには同じものにしか見えない。
どうも、このあいだ、川端裕人の『エピデミック』を読んだせいか、妙にこのニュースが“立ち上がって”見えてしようがない。ウイルスもチョウも(そして、ミームも)、おんなじだよねえ、やっぱり。“生態系が乱れる”というのは、つまるところどういうことを意味するのか、おれは近ごろ、弱い頭を振り絞って考え続けている。ひょっとすると、生態系というのは絶対に乱れたりするもんじゃなく、単におれたちの都合で、乱れたの乱れてないのと言っているだけなんじゃないだろうか?
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コメント
これだけ地面をアスファルトで固めてエアコンかけまくって今さら「生態系が乱れる」もないもんですよね。「在来種」を滅ぼすのは誰なんですか?
投稿: 村上 | 2008年2月19日 (火) 10時48分
自然の風景が変わってゆくのは当然とか、自然を破壊しているのは人間の生活だとか言うのは、それだけなら事実かもしれません。
しかし、やっぱりそれは論点のすり替えだと思いますよ。
外来種が作為的に導入されたのが原因で在来種が滅亡したら、それは一種のテロ行為だと思います。
それに今まであったものがなくなってしまうというのは、それだけで惜しいことです(まぁ、天然痘とか無くなっても、ちっとも残念に思わないというのも本音ですが)。今までいなかったものをいないままにすることで、既存のなにかが保存できるならば、それはやったほうが良いと考えるのですが。
投稿: 東部戦線 | 2008年2月19日 (火) 11時16分
アカボシゴマダラは特に好まれ、幼虫売買などが広がっているらしい
ホントか?という記事ですね
食草 榎ですね 自宅に榎の大木でもなければ飼育大変ですよ
飼育ファンの間では放蝶禁止がデフォだし
虫を飼ってみればわかるけど、何で虫を飼うのにガーデニングにせいださなあかんねんってくらい
虫3花7くらい
投稿: kaoru | 2008年2月19日 (火) 13時23分
中南米にしか存在しなかったジャガイモが何者かにより日本国内に持ち込まれ、広範囲に栽培され、北海道独自の生態系を大規模に破壊したという事例もありますしね。
結局は人間と周辺環境の関係性の問題と、さらには人間のタイムスケールの問題があると思います。アカボシゴマダラだって一万年も経過すれば日本の生態系の一部になるだろうし、逆に今日この列島に生きている動植物だって一万年前には他の動植物を絶滅させたかもわからない。
ただ現時点でアカボシゴマダラが増えることが生態系にどういう影響を及ぼすか予測不能。そのリスクを回避したいから、未知の要素は増やしたくないということじゃないかと思います。
外来の動物が生態系を乱すのはけしからんなどと言い出せば、日本列島に居住している人間はどうするってな話に。
投稿: 林 譲治 | 2008年2月19日 (火) 15時12分
中国原産のアカボシゴマダラが餃子を食えば、中国で殺虫剤入り冷凍餃子が作られたのも納得できるんですがね。
…できませんか、そうですか。
投稿: アダチ@白虎野の娘中毒 | 2008年2月20日 (水) 00時50分
放蝶なんていうと優雅ですけど、幼虫がどれほど大食らいかを知ったら、看過できなくなるんじゃないでしょうか。被害が目立つかどうかは食草にもよりますけど。
釣りをしていて実感したのですが、ブルーギルのいる川といない川では、後者のほうが多様性が豊かなことは歴然としています。観察して面白いのも後者なわけで、この面白さを子孫から奪っちゃいかんのではないかと。
土着の生態系も人為的に作られた部分があるんですが、長年月を経ているのでよく平衡していて、精密に仕上がっています。移入からの時間が短い生態系は粗雑で面白みが少ない。
……なんて真面目な話はちっとも面白くないですね(^^;。
投稿: 野尻抱介 | 2008年2月20日 (水) 04時40分
多様性が減じるということを以て“生態系が乱れる”といってもいいんじゃないかという気もするんですが、高い淘汰圧がかかった結果、カンブリア爆発のように一時的に劇的に多様性が高まったあとには、多様性が減じることで生態系がオプティマイズされるといったこともあるんじゃないかと思うんですよね。結局、時間的・空間的なスパンの問題じゃないかと。生態系の“乱れ度”の指標など作りようがなくて、あくまで、さしあたり時間的・空間的にどのようなスパンで捉えるかで、多様性は減じたり増したりする。それが限定的な時間・空間の範囲で、人間にとって益になるか損になるかというのが、どこまでも人間にとっての問題なんだろうと思います。
長期的には、生態系が乱れたのかどうかなんてのは、判断のしようがないですね。だから、どのくらいの時間的・空間的スパンを対象にするかで、エコロジカルな判断や活動というものも、意味がちがってくるんだろうと。まあ、人間なんてもんは、せいぜい百年やそこらのスパンしか“わがこと”として捉えられないでしょうから、とりあえずは、それくらいのスパンでの出来事を考えればいいんじゃないかという気はしますけども。
投稿: 冬樹蛉 | 2008年2月21日 (木) 01時56分
人間のすることなんざ自然現象の一部さ。わしらみたいな高級な種族には人為淘汰も自然淘汰も見分けがつかんね――という、某簒奪者の集合知性みたいな立場で言えば、「判断のしようがない」と言えるかもしれませんね。人類周辺の生態系を観察したら「おや、あちこちニッチが残ってる。どうもこなれてない生態系だなあ」と思うかもしれませんが。
人間の活動のせいで系統樹の枝が大量に刈り込まれていますが、もうちょっと我慢して人類が滅亡すれば、どかんと適応放散するんじゃないでしょうか(^^)。
投稿: 野尻抱介 | 2008年2月22日 (金) 00時39分
>野尻抱介さん
>もうちょっと我慢して人類が滅亡すれば、どかんと適応放散するんじゃないでしょうか(^^)
人類が枝分かれするというオプションもありますよ。某『タイムマシン』のようになるか、某『スキズマトリックス』のようになるか、某『カエアンの聖衣』のようになるかはわかりませんが(^_^;)。
投稿: 冬樹蛉 | 2008年2月22日 (金) 01時24分
昨日、船橋市街でアカボシゴマダラを見付けてWhy?と思っていたらなるほど、“放蝶ゲリラ”ですか。
良い悪いは別にして、不自然だと感じました。
奄美の種より大きくて黄色っぽい?でも間違いなくアカボシゴマダラ。
不自然であり面白くもあり、環境の変化、を感じました。
要は、都合の良い様に変えたくても変わらないし変えたくなくても変わっていくのが環境。
今をそのまま受け入れる。その今を生きる。
命の営みってそういう事。
今生きている事に感謝できました。
ありがとうございました
投稿: ringohappy | 2016年10月27日 (木) 10時02分