どうも世の中ではポピュラーらしいのだが、ここ四十年ばかり、おれは一度も使ったことのない道具がある。それはアイロンと呼ばれている。
子供のころ家にあったので、いっぺん使ってみたいと思ってハンカチだったかなにかにかけたのが、おれがアイロンを使った最後だ。それ以来、一度も使ったことがない。たぶん押入れの奥かどこかにいまも眠っているのだと思うのだが、あんなものがなかったところで、まったく困りはしない。そもそも、クリーニング屋かなにかならいざ知らず、ふつうの家庭にアイロンなんてものがなんで必要なのか、おれにはさっぱりわからないのだ。もちろん、ズボンプレッサーなどという、ズボンの皺を取るしか能がないくせにやたら場所を取る言語道断の装置も、わが家にはない。
だいたい、服なんてものは、着ていれば少々皺が寄ってきてあたりまえである。どうせすぐ皺になるのに、貴重な時間を使っていちいち皺を展ばすなどという面倒くさい作業をする気には到底ならない。そんな時間があれば、鼻糞でもほじっていたほうが、少なくとも呼吸がしやすくなるだけ、アイロンがけなどよりなんぼか有益だ。ワイシャツやらなにやらなんぞ、洗濯したときにパンパンと手で引っぱってパァ~ンっと適当に振りさばいておけば問題ない。皺が寄っていたから着るときに怪我をしたとか、皺のせいで袖を通しにくくなったなんて話は聞いたことがない。衣服やらハンカチやらに皺が寄っていようがいまいが、それらの機能になんの影響があるというのだろうか。
おれがこういうことを言うと、「でも、奥さんがいたらアイロンかけてもらうでしょう?」などと愚かな推測をする人がたまにいるのだが、いーや、おれに妻がいたら、そのような無駄なことはさせない。そんな作業に割く時間があったら、鼻糞でもほじっていてくれたほうがなんぼか有益であるとアドバイスする。
おれはピチーッとアイロンのかかった不自然に皺のない衣服を着用している人間を見ると、「ああ、この人はアイロンがけなどというくだらない作業に貴重な時間を費やすつまらない人間なのだな」と、まず思ってしまう。あなた、思いませんか? いや、わかっている。人を身なりで判断してはいけない。アイロンのかかった皺のない服を着ている人の中にも、おれにはにわかに理解しがたいけれども、事実ちゃんとした人間は少なからずいる。まあ、そのへんが世の中の面白いところだ。たしかに、これはおれの偏見である。あくまで第一印象でおれが反射的に抱いてしまう偏見であって、アイロンがかかった服を着ているからといって、つまらない人間だと決めつけたりはしないように努めている。
アイロンは危ない。うっかりすると、火事の元になったりする。触ると火傷する。電気を食う。場所を食う。アイロンというものを所有し使用するリスクとコストは、ただただ布の皺を展ばすというくだらない目的と引き換えにするにはあまりに大きい。
たとえば、エルキュール・ポアロのように非凡な頭脳や才能を持っているというのなら、衣服の皺ごときに注意を向ける余裕もあろうというものだが、幸か不幸か、おれにはそのような余裕はない。平々凡々たるおれなどが衣服の皺などを気にするのは、五十六億七千万年早いわ。分不相応である。
よって、アイロンの発明者やアイロンメーカーには申しわけないが、おれはこれからも、死ぬまでアイロンを手にすることはないだろう。アイロンなんてものがいくらくらいするものか、おれにはまったく相場の見当がつかないけれども、アイロン一台買う金があれば、少なくとも本の一冊、CDの一枚くらいは買えそうな気がする。
それにしても、世の中には不思議な道具があるものだ。
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