雄と雌の勝敗
「雌雄を決する」というのは、よく考えてみるとケッタイな言葉である。いわゆる“政治的に正しくない”表現だろうと一瞬思うのだが、よくよく考えてみると、雄が勝ったほうで雌が負けたほうだと明言しているわけではないのである。つまり、男が使うときには腹の中で「勝ったほうが雄だ」と思っていていいのだし、女が使うときには「勝ったほうが雌だ」と思っていていっこうにかまわないのである。
「いよいよおまえと雌雄を決するときだな」
「そうね、雌雄を決するときね」
「わはははははは」
「あはははははは」
などという会話が、お互いに都合よくちゃんと成り立ち得る。「雄飛」とか「雌伏」とかいう言葉は政治的に正しくないかもしれないが、「雌雄を決する」に関しては、いずれかの優劣を明言していないだけにビミョーなところがあるよな。
いまのところ、たぶん、雄が勝ったほうを指すと思っている人が多いだろうとは思うが、なにしろ雌のほうを先に言っているわけだから、この先、「雌雄を決する」と言えば、当然「勝ったほうが雌だ」と大多数の人が思うようになる社会がやってくる可能性はある。いわゆる“国語力”が低下すればするほど、そうなる可能性は高い。まあ、そんな国語力は低下してしまえと思わないでもない。言葉狩りみたいなことが進み、表現そのものが抹殺されて言葉が貧しくなってゆくのはいただけないが、表現が残ってその意味が変わってしまうというのは、なかなか愉快ではないかなと思うね。よく言われる「犬も歩けば棒に当たる」とか「転石苔むさず」とか、ああいう表現の仲間にそのうち「雌雄を決する」も入るかもしれない。まあ、「情けは人の為ならず」みたいなのは、元々の意味のほうがおれは好きだけどねえ。つまるところ、多数決だからね。なんか寂しい気もするが。
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コメント
「雌雄を決する」の由来はなにか、WEBで調べたのですけど、中国の「史記」が出典ということしかわかりませんでした。というか、「何の」雌雄が決するのか。
中国だからコオロギかなとも思ったのですが、あれは雄だけで戦わせるわけだし、そもそも戦う前から雄雌の区別は(産卵管とかで)付くわけだし、いや、その前に戦った結果雌雄の区別が付くような生物があるのだろうかと考えたのですが、ひとつだけ思い当たるのはカマキリです。
カマキリなら(戦った結果かどうかは別として)一方が他方を食べてしまい、しかも食べたほうが卵を産むのだから、戦った結果雄雌の区別が付くと思われても仕方がないのでしょうか。(雄雌の大きさの違いはあるでしょうが)とすると、あれはメスが優位なのか。
別の考えとしては、そもそも雌雄同体だったものが戦った結果、勝ったほうが雄(もしくは雌)に決まるという考えもあるわけで、カマキリの場合、勝ったほうが人類の敵となる、じゃなかった雌となって卵を産むというふうに見えたとも考えられます。その世界では、ふたりの勇者が戦ったあげく一方が他方を組み敷いて勝敗が決まったとたんに、そのまま・・・ええと。
思うに、腐女子の方々の頭の中ではたえず「雌雄を決し」ているのではないでしょうか。「いま、福田と小沢の雌雄を決しているの」などというふうに意味が変わらなければいいのですけど。
投稿: いぎたなし | 2008年1月 9日 (水) 21時26分
>いぎたなしさん
>思うに、腐女子の方々の頭の中ではたえず「雌雄を決し」ているのではないでしょうか
わははははははは、なるほど(^_^;)。でも、アレは、雌雄を決してるんではないと思うなあ。なにか別の区分を決しているわけで……。
むかしは「攻め」の対義語は「守り」だったものですが、最近では「受け」と答えられることのほうが多いかも。ま、言葉は生きものですからー(笑)。
投稿: 冬樹蛉 | 2008年1月16日 (水) 00時24分