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2008年1月 6日 (日)

「誰でもいいから皆殺し」とは高校二年にもなって情けない

商店街で5人に切りつける 容疑の16歳少年逮捕 品川 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0105/TKY200801050128.html

 5日午後3時25分ごろ、東京都品川区平塚2丁目の「戸越銀座商店街」で、「男が包丁を振り回している。けが人がいる」と通行人の男性から110番通報があった。女性2人が男に胸部を切られるなどして軽いけが。ほか男女3人が服を切られた。警視庁は、都内の私立高校2年生の少年(16)=品川区=を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。調べに対し「誰でもいいから皆殺しにしたかった」と供述。病院の精神科への通院歴があった。
 少年は両手に文化包丁を持ち、数分の間に200~300メートル移動しながら次々と通行人を切りつけた。「殺してやる」などと叫んでいたという。

(中略)

 通報を受けた同署員2人が現場付近で少年を取り押さえた。少年は抵抗しなかったといい、包丁2本を両手に持ち、1本は靴に差し込むようにしていた。包丁の刃渡りはは15~17センチだった。黒いジャンパーにジーパン姿の少年は取り調べには落ち着いた様子で応じているという。

 以前にも、池袋で似たような事件があったなあ。

 それにしても、「誰でもいいから皆殺しにしたかった」というのは、じつに興味深い供述だ。「誰でもいい」という無条件の宣言と、「皆殺し」という特定の部分集合の要素すべてを殺害する意の限定が、真っ向から矛盾している。「誰」と言っているからには対象は人間だと認識しているとすれば、「誰でもいいから皆殺し」という表現を論理的に成り立たせる行為はただひとつである。“人類皆殺し”にほかならない。こいつがいくらおかしなやつでも、文化包丁三本で人類を皆殺しにしようとしていたとは思えない。本気でそう思っていたのだとすれば、こいつは包丁でハムとかを切ったことがないやつなんだろう。

 こいつは義務教育で集合を習ったのか? それとも、いまは、文系理系を問わず、高校二年まで集合の基礎の基礎も教わらずに来られるようなカリキュラムがあったりするんだろうか? あるんだったら、それはちょっと考え直したほうがいい。集合の基礎は論理的思考には不可欠なものである。人を騙そうとするような連中が弄する詭弁には、集合の考えかたとその論理操作を意図的にねじ曲げたものがけっこう多い。学校出てから三角関数だの無理数だの虚数だのとはまったく縁のない人であっても、集合の考えかたを使わないなどということは、仕事につけ日常生活につけ、およそあり得ない。計算なんぞ多少苦手でも、論理の操作がしっかりしておれば、そうそうとんでもないところへたどり着いたりはしないものである。高校二年にもなって、「誰でもいいから皆殺しにしたかった」などという非論理的なことを吐き散らしているようでは情けない。困るなあ、学校でちゃんと教えておいてくれなくちゃあ。

 もっとも、この場合、集合より先に教えておくべきことがあったのはたしかだ。困るなあ、家庭でちゃんと教えておいてくれなくちゃあ。



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コメント

 私もこの記述は気になりましたが、もしかすると彼は人間というのは単体ではなく、複数のサブユニットの統合体と思っているのかもしれません。

投稿: 林 譲治 | 2008年1月 6日 (日) 09時29分

みんな同じところにツッコムんだなあ(笑
「誰(から)でも良いから(最終的に人類)皆殺し」
と言う意味でしょうかね。でも包丁三本では無理だろう。

投稿: ROCKY 江藤 | 2008年1月 6日 (日) 10時06分

 それより許せないのは、「反省はしていない」が抜けたことです。衝動殺人ってのはこれが言いたくてやるもんでしょう? いまどきの若い人の考えることはわからないなあ。

投稿: 野尻抱介 | 2008年1月 6日 (日) 21時00分

「集合」は本来、カントールというド天才が、この世に存在しない「無限」なるものを定義するために作った概念で、現実の「もののあつまり」とは違うもの-と思ってたけど違ったかしらん?

 ということとは全く別に「包丁は人を切るものではない」ということは家で親が教えること-というか教えてわかることかしらん?

投稿: 村上 | 2008年1月 6日 (日) 21時32分

「皆=たくさん」、で、3以上は「たくさん」なのでしょう、きっと。

投稿: ふみお | 2008年1月 6日 (日) 23時08分

ちょっと趣旨からずれますが、うちの娘は、高1で初めて「集合」を習ったそうです。びっくりしたー 
私らの時は小学校で習ったはず。 ゆとり教育ど真ん中だったんですよね、娘たち。 
全く、悲しくなりますよ。

じゃあね

投稿: こり | 2008年1月 7日 (月) 00時04分

>林譲治さん
>人間というのは単体ではなく、複数のサブユニットの統合体

 なるほど、だとすると、かなりSFになじんでいるのかも。あるいは、服も合わせた統合体だと思っているのかもしれません。服だけ切ったりしてますし。それも“皆殺し”という行為の一部なのかも。


>ROCKY 江藤さん
>包丁三本

 しかも、百円ショップで買ったやつらしいですね。どう考えても、あんまり上等のものではないから、切られたら痛そうです。


>野尻抱介さん

 近ごろの若い者は、様式美というものがわからんのでしょうかねえ。「反省した」と言ってみせるのを前衛だと思っているのかもしれません。


>村上さん

 いや、それを言い出すと、そもそもリンゴやらミカンやらを「1」と数えてしまった瞬間から抽象化の階梯を昇ってしまっているわけですから、すでに現実の対象とは離れているわけで。1はリンゴでもミカンでもないですから。でもって、1+1=2などと抽象世界で操作をした結果をふたたび現実に当てはめてみると、現実が抽象世界の操作にたまたま非常によくフィットするようなふるまいをするので、われわれは現実世界の実体にも抽象世界の数を当てはめて生活していても、あんまり支障を感じないわけです。もし、現実があまりフィットしないようなら、抽象化のしかたが適していないか、記号論理の操作が適していないか、われわれの世界の把握そのものに問題があるか、とにかく、この世界にはたまたまフィットしない数学を作ってしまっているということでしょう(それで悪いことはまったくないのですが)。まあ、数学の話じゃなく言語学の話だとしても、シニフィエはあくまで抽象であって、レフェランそのものではないのは自明のことです。つまるところ、ものに名前をつけたり数えたりするということは、とてもヤクザな行為なのでしょう。

 というか、この少年の奇妙な言葉遣いは、カントールやらゲーデルやらにゆくまでもなく、常人の抽象化能力でたやすく把握できる次元の問題ですね。もっとも、この少年は独特の抽象化能力を持っていて、案外、超限数みたいなのはすんなり理解しているのかも(^_^;)。いまごろ、「“誰でもいいから皆殺し”は“誰でもかれでも皆殺し”よりは皆殺しの“濃度”が低いのです。ぼくがやりたかったのは“誰でもいいから皆殺し”であって、“誰でもかれでも皆殺し”といった意地汚い野蛮な行為ではありません」とか供述してたりして……。


>ふみおさん

 「なあ、あれ買うてぇな、みんな持ってるんや」「みんなは持ってへん」――ああ、子供はこうやって集合の基礎を学ぶのか……。


>こりさん

 こんな興味深いエントリーを見つけました( http://d.hatena.ne.jp/ahirasawa/20071028/p1 )。「中学1年の1学期に集合論や2進数を教えるのは、昭和46年から54年までの9年間だけだった」って、えーと、わ、おれ入ってるじゃん!

 ある大学関係の方からご教示いただいたのですが、いまは小中高を通じて集合を習わない人がおそらく大多数とのことです。指導要領には一応あっても、受験にあまりなじまない統計やら集合やら論理やらはとても軽んじられていて、現実問題としては、大多数の人は習っていないのではないかという話でした。おとろしー。詐欺師はもちろん、地獄婆あやスピリチュアル・デブまでが幅を利かすのもわかる気がします。

 なんか、テキトーに詭弁を弄したり、テキトーにもっともらしい数値データかなんかを見せたりしたら簡単に騙せそうな人が増えているんでしょうかねえ? 学校じゃ教えてくれないから、みんな『クロサギ』くらい読んどいたほうがいいぞ!

投稿: 冬樹蛉 | 2008年1月 8日 (火) 02時15分

へーへーへー
すんごく勉強になりました。
わ、私も入ってます(^^ゝ
そっかー、数学落ちこぼれ(本当はその前の算数落ちこぼれ)
の私が当たり前のように知っているものを、今のというかS55年以降の人たちは
義務教育の間では習ってないんですね。 
ひゃ~ 賢くなった気分(笑)

じゃあね

投稿: こり | 2008年1月 8日 (火) 23時47分

少し古い話題に反応しますが、これ、「皆殺し」を「半殺し」の最上級表現と間違ってたんではないでしょうか。「全殺し」という表現があるか知りませんが。

数学より国語の能力の問題だったりして。

投稿: きむら | 2008年1月11日 (金) 12時56分

>こりさん

 なんかねー、私も数学は嫌いでしたけど、なかなか面白い時代に当たったもんだなーとは、いまになって思いますね。


>きむらさん
>「皆殺し」を「半殺し」の最上級表現と

 うーむ、それは斬新な。半魚人の倍は全魚人ってネタにも通ずるものがあります。それはただの魚なのではないか、なにがどう“人”なのか、謎は深まるばかりです。

投稿: 冬樹蛉 | 2008年1月16日 (水) 00時16分

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