先願主義?
さっき、キュウリを食おうと思って、キュウリを洗っていた。コンビニ弁当だけではさすがにちょっと野菜が足りんかなと思うときには、キュウリに適当に塩かドレッシングをつけて丸ごとばりぼりべりばりと立て続けに二本くらい貪り食うのがおれは好きなのだ。いちいち切るのは面倒くさいし、丸ごと食ったほうがなんだか身体によさそうな気もする。切って表面積が増えるとドレッシングがからむ量が必然的に増えてしまい、無駄な油を摂ってしまうだろうから、丸ごと齧るほうがヘルシーだとは言えるだろう。
それはともかく、キュウリを洗っていてふと思ったのが、なるほど、こいつはナマコに似ているということである。だが、そもそも、ナマコを sea cucumber などと呼ぶのは、あまりにもナマコに失礼ではあるまいか? なんだか、キュウリのほうが本家で、ナマコのほうが“海バージョン”のパチもんみたいである。英語文化圏の連中の先祖は、たぶんキュウリのほうを先に知っていたからこういう失礼な呼称ができたのであろうが、わが日本民族はたぶんナマコのほうを先に知っていたのではあるまいか?
調べてみると、日本でキュウリが栽培されはじめたのは、平安時代であるらしい。とすると、絶対、ナマコのほうが先だ。大森で貝を食っていたような連中が、ナマコを知らなかったとは考えにくい。だから、われわれはナマコを“海キュウリ”などと呼ぶべきではない。キュウリのほうを“畑ナマコ”と呼ぶべきなのだ。日本人のみなさんは、これからそう呼ぶように。
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