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2007年12月26日 (水)

カニの肩

 この時期になるといつも不思議に思うのが、“カニの肩”というのはどこを指すのかということである。市場やスーパーなんかでは、カニの片側の脚ひと揃い(が繋がったもの)を、ひと肩、ふた肩と数えて売っているからには、脚の付け根のところがどうやら“肩”であるらしいのだが、擬人的に捉えるとすると、ハサミの付け根はたしかに“肩”かもしれんが、その他の脚の付け根はやっぱり“股”ではないかと思うんだがどうか。まあ、ひと股、ふた股と数えて売られると、あんまりうまそうじゃないけどな。

 で、素朴な疑問が湧いた。カニの肩を英語で shoulder と呼んだら、はたして英語ネイティブの連中には通じるのだろうか? 中学一年のときからかれこれ三十三年くらい英語を学習し続けているが、こんな疑問を抱いたのは初めてである。人間やっぱり、一生勉強ですなあ。

 英語ネイティブの連中がそもそも食材としてのカニをどのように数えて取り引きしたり料理したりしているのか、ウェブのあちこちを調べまわってみたところ、どうやらカニの脚の付け根のところの肉を shoulder と捉える感覚はあるようだ。カニの shoulder の肉のうまさを説いている文章はあちこちに見つかる。この感覚はまあ、納得できるよな。なにしろ、一応、腕の付け根なんだし。しかし、日本語のように“肩”を単位にカニの肉を数えている例は、いくら探しても見つからない。重量を単位に数えるのが一般的なようだ。

 獣の肉の場合、a shoulder of mutton (lamb/pork/beef/venison/bacon, etc.) といった具合に数えるのは、英語ではごくふつうの用法である。これはまあ、英語史を齧った方ならご存じのように、生きているときには英語の可算名詞で呼ぶ獣が、死んで食肉という“素材”になるとフランス語起源の不可算名詞に化けるということがあって、むろん、ノルマン征服以降の歴史的経緯がある。「ワタシ獣を飼ったり獲ってきたりする人、アナタ食べる人」というわけで、外からやってきた支配階級がフランス語(ノルマン・フレンチ)をしゃべり、土着の下々の者が英語をしゃべっていた時代に、言葉が混じり合ったプロセスの名残りなのである。食材としての肉はなにしろバラバラなので数えられないから、おおざっぱに可算化する方便として、身体の部位や取り引きしやすい形状・大きさの塊などを単位に、a shoulder of beef だの a rib of pork だのと数えているわけである。

 だが、考えてみると、カニ肉には、beef やら pork やらに対応する、食肉用専用のこなれた不可算名詞がない。せいぜい、crabmeat (crab meat) とでも呼ぶしかない。なんでかよくわからん。調べもしないで推測するに、十一、二世紀ころのフランス人は日常的にはカニを食わなかったのかもしれないよなあ。だもんだから、仮に a shoulder of crabmeat などという言いかたをしても、たぶん連中にはピンと来ないのだろう。ウシやらブタやらシカやらに比べると、連中にとってのカニってのは、たまに食うには食っても、日常生活に密着した感じがなかったんだろうなあ。

 面白いことに、カニ肉を「2 shoulders」などとして売っているのは、きまって日本の業者の英語ページなのである。きっと、日本語の数えかたを直訳しているのだろう。だけどこれ、必ずしもまちがいであると言い切ってしまうには惜しい表現だと思いませんか? 英語ネイティブの連中にも、「この和製英語は、なかなか捨てがたい味があって面白い」と思って、逆輸入しはじめる人々が出てくるかもしれない。salaryman (sarariman) みたいにさ。ひょっとしたら、未来の英語では、two shoulders of crabmeat といった表現が広く認知され、使われているかもしれないよ。

 海産物を愛でてきた民族として、カニ肉を“肩”で数えるエレガントな習慣を英語に輸出してやるのも、ちょっと愉快だとは思いませんか?



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