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2007年12月13日 (木)

今年の漢字は当たったけれど……

今年の漢字は「偽」 清水寺貫主「悲憤に堪えない」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/1212/OSK200712120062.html

 今年の世相を表す漢字は「偽」――。日本漢字能力検定協会(本部・京都市下京区)が全国から公募した「今年の漢字」が12日、清水寺(同市東山区)で発表された。森清範(せいはん)貫主が、縦1.5メートル、横1.3メートルの巨大な和紙に太い筆で一気に「偽」の字を書いた。

(中略)

 2位以下も「食」「嘘(うそ)」「疑」など、不信が渦巻いた世相を示す言葉が目立った。森貫主は「こういう字が選ばれるのは、誠に恥ずかしく悲憤に堪えない。分を知り、神仏が見ているのだと自分の心を律してほしい」と語った。

福田首相「今年の字はやっぱり『信』だ」 (nikkansports.com)
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071212-294812.html

 「『偽』も人ベンだけどやっぱり『信』だ。来年も信を追求しないといかん」-。福田康夫首相は12日夜、官邸で記者団に今年の世相を表す漢字に「偽」が選ばれた感想をこう語り、自らが11日に選んだ「信」の1文字にこだわった。

 やっぱり、大方の予想どおりになりましたなあ。というか、ほかに思いつかなかったくらいだよ。

 首相たる者、前向きなことを言わなきゃならない立場だということで配慮をしているのかもしれんが、今年の世相を表す一文字を訊いてるんだから、福田首相のこだわる「信」はやっぱりとんちんかんでしょう。誰もあんたの希望を訊いとらん。まあ、一文字と言われて二文字答えてた人よりは、なんぼか頭はしっかりしているようだが……。

 しかし、考えてみれば、私利私欲のために偽りを為して恬として恥じぬ人々に、なにも日本人が今年になっていきなり成り下がった(香山リカ流に言えば「劣化した」)わけではない。当人たちはずっとあたりまえだと思って長年やってきたことが、今年俄然発覚しはじめただけのことである。さまざまな偽装を知っていながら、「みんなでやれば怖くない」とばかりに集団で感覚が鈍麻してしまうあたりは、むしろとても日本人的な行動様式であり、もしかすると、日本人は根っからの偽装体質民族なのかもしれない。今年になって次々と内部告発などで噴出してきたという現象そのものが、構造的には、偽装を生んできたものと通底しているようにすら感じられるくらいだ。

 その“根っからの偽装体質”を持っている日本人を、魔法のように勤勉で品格ある人々にしていた重要な“縛り”が、近年、急速に外れはじめたのだろう。やっぱりそれは「恥」なのかなあ?

 おれは日本人の「恥」という概念に、アンビバレントな想いを持っている。二種類あるような気がするんだな。「世間様に対して恥ずかしい」とかいうのは、おれは好かん。その集団迎合的な匂いが厭だ。「世間様が死ね言うたら死ぬんか」と、子供のように天邪鬼にふるまいたくなる。

 おれが重要だと考えるほうの「恥」は、“おのれに対して恥じる心”である。たとえ全世界がなにかで自分を賞賛しようとも、自分自身がおのれに対して恥じるようなことであれば、それを“恥ずかしい”と感じる美意識だ。noblesse oblige の指すところに近い。この美意識が日本人から失われたとき、「神仏が見ている」といった強固な道徳コードを持たない日本人は、私利私欲のために偽りを為すことも厭わぬ烏合の衆に成り下がりはじめたのではなかろうか。

 では、どのようにしてそうした美意識が醸成され、超自我に叩き込まれるのか――これがおれにはよくわからん。敬虔な無宗教者であるおれとしては、宗教などという必要悪に頼らずに、こうしたメンタリティーを育む方法が知りたい。論理的に考えると、つまるところ、“おのれを愛し、尊ぶ心”が持てれば、自動的に“おのれに対して恥じる心”が生まれるはずだ。

 じゃあ、おのれを愛し、尊びなさいとただただ教えたとしたら、モンスター・ペアレントやらモンスター・ペイシェントやら、図書館の本を切り抜きだらけにして返却するアホやらが、たぶん大量生産されるような気がする。

 美意識を共有するということは、じつに難しい。美意識を滅ぼすのは、とても簡単なのだが……。

 結局のところ、“この世界には、自分と同じように生命や自意識を持った存在が、自分のほかにも存在する”という、じつに単純だが強力で汎用性の高い認識だけを子供に叩き込めればいいのではなかろうか。この重要な“知恵”(“知識”ではない)を欠く人間を次々と“生産”しているような社会は、そのうちどうにかなってしまうだろう。

 来年は、もう少しましな文字を、誰もが当然のように予想するような年になってほしいもんである。



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