『music & me』(原田知世/ヒップランドミュージックコーポレーション)
原田知世のデビュー二十五周年記念アルバム。知世ちゃんがもう四十とは、まったく月日の経つのは早いものである。ちなみに、原田知世と岡田有希子は同い年だ。つまり、岡田有希子も、生きていれば今年四十歳の誕生日を迎えたはずなのである。合掌。
それはともかく、知世ちゃんである。若い人から見れば、四十五のおっさんが四十のおばはんを捉まえて“知世ちゃん”などと言うておるのは気色悪いことでありましょうが、おれたちの世代にとっては、知世ちゃんは永遠に知世ちゃんなのである。タモリなどの“サユリスト”の気持ちがわかるのはこういうときだ。いつも青春は時をかける。いいじゃないか、原田知世さんは、おれたちにとっては、ずっと“知世ちゃん”なのである。
いや、それにしても、知世さんはいい歌手になった。声がでんぐり返っていた十代のころが嘘のようだ。どんな歌でも唄えるすごい歌手になったという意味ではない。原田知世の最もおいしい音域、最もおいしさを発揮する楽曲というものがあるのである。そういう楽曲をうまく選曲すると、歌手・原田知世は、他の追随を許さない“心地よさ”を発揮する。肩の力の抜けた天性のヴォーカルを聴かせてくれる。自分が天才でないことは本人がいちばんよく知っているにちがいなく、原田知世はけっして“歌が巧い”ことをめざしているわけではないことは、彼女の声のファンはよくわかっていると思うのだ。知世ちゃんがめざしているのは、“等身大の原田知世”の力まない歌唱であって、それを愛してくれるファンにはわかる“心地よい等身大の歌唱”なのである。
原田知世の声は天性のものである。ナレーションの仕事で認知されているように、聴く者の肩の力を抜く不思議な魅力がある。原田知世の歌が好きな人は、われを忘れて聴き惚れ、涙が溢れてくるような熱唱を期待しているのではない。土曜の午後、陽だまりにテーブルなど持ち出してお気に入りのコーヒー(ブレンディかどうかはわからんが)を飲みながら、あたりまえの日常があたりまえに過ぎてゆくことのしあわせを味わう、ふつうの人のふつうの人生のBGMとして、無性に聴きたくなるような声なのである。それを本人もめざしているであろうし、彼女の声を愛するアーティストたちもわかっていてプロデュースするのだろう。
ビートルズのカバー「I Will」、「シンシア」「ノスタルジア」「くちなしの丘」は、とくに土曜の午後のコーヒータイムにおすすめ。セルフカバー「時をかける少女」の“肩の力の抜け具合”は、往年のファンには涙、涙でありましょう。みんな、あれからいろいろあった。ほんとにいろいろあったよね。
♪過去も未来も 星座も越えるから 抱きとめて
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