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2007年12月の22件の記事

2007年12月30日 (日)

謎の人物たちの素行を調査する

 「WEB素行調査」という巷で人気の調査機関があり、便利なうえに無料だというので、人をさんざん待たせてばかりで、いつもついに姿を現さないあの謎の人物について、おれは調査を依頼した。結果は、以下のようなものであった。


ゴドーは、シについて聞いて回っていた。
ゴドーとベケットが、なにやら親しく話しているところを目撃したという証言がある。
ゴドーといえば逆転裁判日和。
パトリックによると、ゴドーは「一言でいってコーヒー」らしい。
ゴドーは、吾伽式とタイトルの関係について何か知っているようだ。
戯曲の歴史にはゴドーの影が見え隠れしている。
ゴドーは、登場について何かを掴んでいるいるらしい。
ホテルについて一家言あるらしい。
ゴドーの謎をとく鍵、それは名前、オブ、こ、不条理劇、blog。
サミュエルはゴドーの過去を知っている。
ゴドーはワイエルとつながっている。
山崎清介はゴドーに特別な感情を抱いていたらしい。
ゴドーは、コメントの世界ではそこそこ名の通った人物である。
成歩堂について調べると、必ずゴドーに行き当たる。
ゴドーについて聞くと、別役実は堅く口を閉ざした。
ゴドーのおかげで串田和美の今がある、と言っても過言ではない。


 おれはさらに、主に発明家をしているらしい謎の人物についても、調査を依頼した。


エヌ氏のおかげで浅野忠信の今がある、と言っても過言ではない。
ボッコちゃんはエヌ氏に何か隠し事があるようだ。
本について調べると、必ずエヌ氏に行き当たる。
エヌ氏は、古本とウォッチリストの関係について何か知っているようだ。
エヌ氏は、冠号について聞いて回っていた。
出品者について一家言あるらしい。
エヌ氏といえばワザップ。
エム氏はエヌ氏の過去を知っている。
ケイ氏はエヌ氏に特別な感情を抱いていたらしい。
エヌ氏は、楽天ブックスについて何かを掴んでいるいるらしい。
エヌ氏の謎をとく鍵、それは情報、楽天市場、次、マイページ、出版社。
エヌ氏と星新一sfワールドが、なにやら親しく話しているところを目撃したという証言がある。
エヌ氏は、名前の世界ではそこそこ名の通った人物である。
エヌ氏について聞くと、星新一は堅く口を閉ざした。
ショートショートの歴史にはエヌ氏の影が見え隠れしている。
綸太郎氏とエヌ氏の間に肉体関係はまだない。
エヌ氏はオークションとつながっている。


 なに!? 「エム氏はエヌ氏の過去を知っている」とな! さっそくおれはエム氏の調査を依頼した。


池原ダム悪戦苦闘記について調べると、必ずエム氏に行き当たる。
エム氏は切通理作とつながっている。
日記について一家言あるらしい。
道の歴史にはエム氏の影が見え隠れしている。
エヌ氏はエム氏の過去を知っている。
エム氏の謎をとく鍵、それはmembers、デジカメ日記、東尋坊、遊園地、おにぎり。
ラーメン太郎はエム氏に何か隠し事があるようだ。
エム氏は、満腹探検隊とオフィス街の関係について何か知っているようだ。
エム氏といえばホームページ入門講座。
エム氏は、夜の世界ではそこそこ名の通った人物である。
エム氏は、ほんブログ村について何かを掴んでいるいるらしい。
エム氏は、競走馬一覧について聞いて回っていた。


 なに!? 「エヌ氏はエム氏の過去を知っている」とな! そういうことか。この二人は、互いに過去を知られているので、それについては互いに言及しないようにしているにちがいない。なるほど、うまくしたものだ。それにしてもこの調査機関、なかなか侮れない調査能力を持っている。

 この調査機関を評価したおれは、どこの誰かは知らないけれども誰もがみんな知っているという不可思議な人物について、思い切って調査を依頼してみた。


歌について調べると、必ず月光仮面に行き当たる。
月光仮面について聞くと、川内康範氏は堅く口を閉ざした。
ちくわの歴史には月光仮面の影が見え隠れしている。
千葉隆三によると、月光仮面は「一言でいって幽霊党」らしい。
月光仮面は谷幹とつながっている。
月光仮面は、爪の世界ではそこそこ名の通った人物である。
児童養護施設について一家言あるらしい。
山田のり子と月光仮面の間に肉体関係はまだない。
月光仮面は、幻について何かを掴んでいるいるらしい。
正義は月光仮面の過去を知っている。
月光仮面は、評価について聞いて回っていた。
月光仮面といえば昭和。
月光仮面は、おじさんと東映東京の関係について何か知っているようだ。
月光仮面の謎をとく鍵、それは名、味方、子どもたち、精、和音。
月光仮面のおかげでオークションの今がある、と言っても過言ではない。
鬼塚さんは月光仮面に何か隠し事があるようだ。
西村明は月光仮面に特別な感情を抱いていたらしい。
月光仮面と大瀬康一が、なにやら親しく話しているところを目撃したという証言がある。


 「月光仮面について聞くと、川内康範氏は堅く口を閉ざした」のか……。勝手に歌詞を追加して唄ったやつがどこかにいるにちがいない。

 そして、ついにおれは、みずからの危険も顧みず、調べてはならない人物についての調査を依頼した。たぶん、この調査機関なら信頼できると思うのだが、万一、ターゲットに気取られると、調査を依頼したおれの命も危ない。


デューク東郷は、質問について何かを掴んでいるいるらしい。
デューク東郷のおかげで雪藤洋士の今がある、と言っても過言ではない。
オークションによると、デューク東郷は「一言でいって作」らしい。
仕事術漆田公一はデューク東郷に特別な感情を抱いていたらしい。
デューク東郷は、レンタルサーバーの世界ではそこそこ名の通った人物である。
デューク東郷といえばお願い。
デューク東郷の謎をとく鍵、それは女、人物、激裏名無しさん、漫画、うち。
ブログについて調べると、必ずデューク東郷に行き当たる。
殺し屋の歴史にはデューク東郷の影が見え隠れしている。
デューク東郷は、名無し職人と名前:,ゴルゴの関係について何か知っているようだ。
かんについて一家言あるらしい。
デューク東郷は、出品者について聞いて回っていた。


 「デューク東郷は、レンタルサーバーの世界ではそこそこ名の通った人物である」だと? そういうことか……。レンタルサーバ事業を闇で展開して、さまざまな情報を収集しているのだろう。最近、日本の大手電機メーカが彼と手を組んでいるという事実も、おれの独自の調査であきらかになっている。そうか、そうだったのか……。



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2007年12月29日 (土)

美しきチャンジャー

Chanja いやあ、最近、近所のコンビニでこんなものまで売り出した。まったく、売れさえすればなんでもアリですな、コンビニは。おれ、これ、好きなんだよ~。焼酎の肴に最高! まあ、基本的に酒呑みだよね、こんなものを食うのは。「炊きたてのご飯にはタラチャンジャが最高」とか言ってるやつは見たことがない。焼酎か日本酒だろう。洋酒には合わんだろうなあ、やってみたことないけど。

 近所のスーパーはときどきタラチャンジャを出してるんだが、スーパーだと土日にしか行けないんだよな。分量のわりにけっこうな値段だということもあるが、いっぺんに食ったら血圧が上がりそうな気もするので、一パックを二日で食うことにしている。それにしても、うまいな、これは。サンマには日本酒、タラチャンジャには焼酎。これ、日本のジョーシキです。年末年始は、ちょっと贅沢して、ふだんより多めに食うとするか。

  ♪ボールは私~
   人は呼ぶチャンジャ~
   いつの日も ひとりよ~~~

 ……って、古すぎるにもほどがある。唄えるおじさん・おばさんは、チャンジャを食うときに唄ってね。



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2007年12月27日 (木)

日本製の「心のふるさと」

除夜の鐘、自動鐘つき機で「ゴ~ン」? 後継難で急増 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/1226/OSK200712260038.html

 無人で鐘を突く機械式の撞木(しゅもく)を採り入れる寺院が増え、今や全国約1600カ所に広がっている。住職が高齢化したり、過疎化で後継者がいなくなったりする突き手不足の中、地域の鐘の音を守りたい住民らの願いがのぞく。タイマーで動く撞木を唯一、製造しているのは奈良市の上田技研産業。日本人の「心のふるさと」を消すまいと、除夜の鐘を控えた年の瀬、駆け込み需要に追われる日々だ。


 「ばあさんや」
 「なんですか、おじいさん」
 「ちょっと寒いんで、窓を閉めてくれんかね」
 「あら、いやですよ、おじいさん。除夜の鐘が聞こえにくいから、少しだけ開けておいてくれと、おじいさんがおっしゃったんじゃありませんか」
 「そんなこと言うたかいな……。除夜の鐘は聴きたいし、この歳じゃ寒いのも身体にこたえるし、いったいどうすりゃいいんじゃろうなあ」
 「ふふふふふ」
 「なんじゃ、ばあさん、その不敵な笑いは?」
 「こんなこともあろうかと密かに買っておいた“自動除夜の鐘聴き機”を、いまこそ試すときですわいな」
 「そ、そりゃいったいどんなものじゃね?」
 「おじいさんのような寒がりの年寄りのために、スイッチを入れると自動的に除夜の鐘を聴いておいてくれる機械ですよ」
 「ひえ~、こりゃ驚いた! するってえとなにかね、その機械は、スイッチを入れると自動的に除夜の鐘を聴いておいてくれるというわけかい?」
 「だから、そう言ってるじゃあありませんか、おじいさん」
 「いやあ、長生きはするもんだね。文明開化の音がするね」
 「じゃあ、スイッチを入れておきますね」
 「うん、頼むわい」


 「おじいさん、コタツで寝ると風邪引きますよ。そろそろ『ゆく年くる年』の時間ですよ」
 「……ん? あ、ああ、もう紅白は終わったのかい」
 「終わりましたよ。今年も小林幸子はすごかったですよ。すっかり衣装と一体化してましたよ」
 「一体化してたのかい?」
 「ええもう、継ぎ目なく」
 「ああ、そうかい。いや、どうもわしは毎年寝てしまっていかんね」
 「お酒をお召しになるからですよ」
 「いやしかし、やっぱり『ゆく年くる年』はNHKだねえ」
 「そうですねえ」
 「ときに、鐘はいくつめかな?」
 「自動除夜の鐘聴き機によれば、次が九十八ですよ」
 「『ゆく年くる年』もいいけど、やっぱり遠くからかすかに聞こえてくるナマの鐘の音色がいいねえ」
 「ちゃんと機械が聴いておいてくれますよ」

 アナウンサー「……そしていま、去りゆく年に最後の鐘の音が響こうとしています。さようなら、三千百七十三年……」

ごぉおおおおお~~~ん

 アナウンサー「……年が明けました。あけましておめでとうございます。西暦三千百七十四年の幕開けです」

 「あけましておめでとう、ばあさん」
 「あけましておめでとうございます、おじいさん」
 「ありがたいことに、また二人で新年が迎えられたのう、ばあさんや」
 「ほんにありがたいことですよ、おじいさん」
 「じゃあ、そろそろ寝るか、ばあさんや」
 「そうですね、おじいさん」
 「自動除夜の鐘聴き機のスイッチを切るのを忘れんようにな」
 「いやですよ、おじいさん。ちゃんと百八つ聴いたら、自動的にスイッチが切れるんですよ」
 「ほえ~、よくできてるもんだね」
 「そんなのあたりまえじゃありませんか、おじいさん」
 「そんなものかね。じゃ、おやすみ、ばあさん」
 「おやすみなさい、おじいさん。今年はよい年でありますように」

 爺さんと婆さんは互いのスイッチを“待機モード”に設定し、七時間かっきりの眠りについた。



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2007年12月26日 (水)

カニの肩

 この時期になるといつも不思議に思うのが、“カニの肩”というのはどこを指すのかということである。市場やスーパーなんかでは、カニの片側の脚ひと揃い(が繋がったもの)を、ひと肩、ふた肩と数えて売っているからには、脚の付け根のところがどうやら“肩”であるらしいのだが、擬人的に捉えるとすると、ハサミの付け根はたしかに“肩”かもしれんが、その他の脚の付け根はやっぱり“股”ではないかと思うんだがどうか。まあ、ひと股、ふた股と数えて売られると、あんまりうまそうじゃないけどな。

 で、素朴な疑問が湧いた。カニの肩を英語で shoulder と呼んだら、はたして英語ネイティブの連中には通じるのだろうか? 中学一年のときからかれこれ三十三年くらい英語を学習し続けているが、こんな疑問を抱いたのは初めてである。人間やっぱり、一生勉強ですなあ。

 英語ネイティブの連中がそもそも食材としてのカニをどのように数えて取り引きしたり料理したりしているのか、ウェブのあちこちを調べまわってみたところ、どうやらカニの脚の付け根のところの肉を shoulder と捉える感覚はあるようだ。カニの shoulder の肉のうまさを説いている文章はあちこちに見つかる。この感覚はまあ、納得できるよな。なにしろ、一応、腕の付け根なんだし。しかし、日本語のように“肩”を単位にカニの肉を数えている例は、いくら探しても見つからない。重量を単位に数えるのが一般的なようだ。

 獣の肉の場合、a shoulder of mutton (lamb/pork/beef/venison/bacon, etc.) といった具合に数えるのは、英語ではごくふつうの用法である。これはまあ、英語史を齧った方ならご存じのように、生きているときには英語の可算名詞で呼ぶ獣が、死んで食肉という“素材”になるとフランス語起源の不可算名詞に化けるということがあって、むろん、ノルマン征服以降の歴史的経緯がある。「ワタシ獣を飼ったり獲ってきたりする人、アナタ食べる人」というわけで、外からやってきた支配階級がフランス語(ノルマン・フレンチ)をしゃべり、土着の下々の者が英語をしゃべっていた時代に、言葉が混じり合ったプロセスの名残りなのである。食材としての肉はなにしろバラバラなので数えられないから、おおざっぱに可算化する方便として、身体の部位や取り引きしやすい形状・大きさの塊などを単位に、a shoulder of beef だの a rib of pork だのと数えているわけである。

 だが、考えてみると、カニ肉には、beef やら pork やらに対応する、食肉用専用のこなれた不可算名詞がない。せいぜい、crabmeat (crab meat) とでも呼ぶしかない。なんでかよくわからん。調べもしないで推測するに、十一、二世紀ころのフランス人は日常的にはカニを食わなかったのかもしれないよなあ。だもんだから、仮に a shoulder of crabmeat などという言いかたをしても、たぶん連中にはピンと来ないのだろう。ウシやらブタやらシカやらに比べると、連中にとってのカニってのは、たまに食うには食っても、日常生活に密着した感じがなかったんだろうなあ。

 面白いことに、カニ肉を「2 shoulders」などとして売っているのは、きまって日本の業者の英語ページなのである。きっと、日本語の数えかたを直訳しているのだろう。だけどこれ、必ずしもまちがいであると言い切ってしまうには惜しい表現だと思いませんか? 英語ネイティブの連中にも、「この和製英語は、なかなか捨てがたい味があって面白い」と思って、逆輸入しはじめる人々が出てくるかもしれない。salaryman (sarariman) みたいにさ。ひょっとしたら、未来の英語では、two shoulders of crabmeat といった表現が広く認知され、使われているかもしれないよ。

 海産物を愛でてきた民族として、カニ肉を“肩”で数えるエレガントな習慣を英語に輸出してやるのも、ちょっと愉快だとは思いませんか?



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2007年12月25日 (火)

『里田まいのおバカ伝説』(竹書房)

 はっきり言って、おれはバカな女が嫌いである。だが、白状しよう、おれは最近里田まいにメロメロだ。テレビにこのコが出ていると、「いったい全体、次になにを口走るのか……」と、手に汗握り固唾を呑んでわくわくせずにはいられない。無視することができない。これはもうではあるまいか。いや、そんなはずはない。おれはバカな女が嫌いなのだ。もし里田まいのアレが演技で、放送作家がすべてネタを書いているのだとしたら、おれはその放送作家に脱帽するよ。そんな異能の天才作家がいたとしたらバレないはずがないと思うので、やっぱり里田まいのアレは“天然”なんであろうか? うーむ、わからん。菊川怜の言いそうなことは、大方見当がつく。だが、里田まいの言いそうなことは、まったく予測不能、というか、そんなものが予測できるような人になんかなりたくない。

 “天然”だとしたら、まったくもって、いったいニューロンがどういうふうに繋がったら、あのような発想が出てくるのか。里田まいがひとたび言葉を発すると、おれの乏しい知識が、おれの凡庸な価値観が、おれの脆弱な思想が、おれのちっぽけな宇宙が、おれの実存が、根底から揺さぶられる。強引かもしれんが、これはもうほとんどSFである。そうか、だからおれは里田まいから目が離せないのか。

 本書は里田まい本人が書いているわけではなく、仕事やプライベートで彼女と関わりのある人々を対象に、里田まいの常軌を逸したエピソードを集めてまわったというスタイルの、じつにまあ、安易な作りの本である。だが、千二百六十円でこれだけ笑えれば上等だ。なにはともあれ笑うことだけが目的であるならば、確実な投資であると言える。

 ここで面白いネタをいろいろ紹介したいのはやまやまだが、なにしろこの本はネタが命なので、とびきり面白いやつはマナーとして書くわけにはいかない。「ヘキサゴン伝説」の章から、おれに関わりの深いネタをふたつ、「予選ペーパーテスト」からひとつ、里田まいのそこそこの珍回答を紹介してみよう。


Q:映画や小説などのジャンル「SF」はどんな言葉の略語でしょう?(正解:[Science Fiction] サイエンス・フィクション)

  「スペシャルファイト」


 い、いやまあ、そう言われてみると、たしかに、いろんな意味で、当たらずといえども遠からずという気もしないではないんだが……。「サンフランシスコ」とか「セックスフレンド」とかは言い古されているんで、なんとなく新鮮かも。


Q:おたまじゃくしが成長するとカエルになりますがヤゴが成長するとどんな生き物になるでしょう?(正解:トンボ)

  「ウミガメ」


 ほんとうにそうだったら面白いのにと思うのは、おれだけではあるまい。


[予選ペーパーテスト 問題6]

 「君の瞳に乾杯!」というセリフで知られる、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが共演した映画は何でしょう?

  「23の瞳」


 いったい何人いるのか、あんな妖怪とかこんな怪人とかを思い浮かべながら、危うく組み合わせを真剣に考えそうになった。ひょっとすると、目が二十三個ある妖怪が一匹だけいるのかもしれんしな……って、そもそもなんの問題だったっけ?

 こんなのはまだ序の口なのだから怖ろしい。まこと“天然”というのは怖ろしい。芸人殺し、放送作家殺しである。芸人でも放送作家でもなくてよかった。とまあ、こういう類の“里田まい伝説”がでかい活字で一冊ぶん。ふつうに読めば三十分、じっくり味わえば(?)一時間くらいでつるつる読めて笑えます。年末年始、コタツの上に一冊置いておくと、ご家庭が明るくなること請け合い。ただ、お年寄りの方は、心臓に悪いうえに、餅を喉に詰めかねないから、数回に分けて服用なさることをお勧めします。



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2007年12月24日 (月)

滅びつつある「スピリチュアル」

 なにやらいろいろな事件が重なって、昨今では「スピリチュアル」という言葉が、その“バズワード”としての力をすっかり失って、世間では単に「胡散臭いもの」とイコールになりつつあるようだ。これは、おれみたいな思想の持ち主にとっては、非常に喜ばしいことだ。

 ええ、もう、全然かまわないですとも、そこのお兄さん、お姉さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、「スピリチュアル=胡散臭い、詐欺、インチキ」と覚えていただいてけっこうです。spiritual という英語には英語としてちゃんとした意味があるわけで、それはまあ、英語を真面目に勉強するつもりの奇特な若者とかにはラテン語の spirare あたりまで遡ってちゃんと学習していただきたいが、そんなもの好きな人はまちがったって多数派じゃないので、そこの純朴なお爺ちゃん、お婆ちゃんは、そこいらへんの広告やらテレビ番組やらでカタカナで「スピリチュアル」と書いてあったら、それすなわち「胡散臭い、詐欺、インチキ」と頭の中で自動的に翻訳してください。そう思っておいてまちがいありません。覚えましたか? いいですね? 「スピリチュアル」というカタカナ語を使ってくるやつは、あなたがたを騙そうと手ぐすねひいてやってくる胡散臭い連中だと断じてしまってかまいません。ええ、かまいませんとも。その言葉を使っている広告はみんな詐欺です。その言葉を使う企業は、みんな食わせものです。その言葉をラテ欄に書いているような放送局は、メディア人としての魂を失った阿呆が経営しています。できるだけ視聴しないでおきましょう。「マイナスイオン」という言葉もほぼ同じだと思っていただいてけっこうです。お爺ちゃん、お婆ちゃん、気をつけてくださいね。



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2007年12月23日 (日)

『もうひとつの未来 ~ starry spirits ~』(森口博子/キングレコード)

 すばらしい。森口博子ここにありである。ただただ、すばらしい。ゲームのテレビCMで「おおお!」と思い、ウェブでPVを観て鳥肌が立ち、あわててCDを注文した。

 ゲームソフト「SDガンダム Gジェネレーションスピリッツ」(PS2)のテーマソングなわけだが、おれはゲームにもガンダムにもあんまり思い入れはない。だが、実力のわりにメディアでの露出が少なく、あまりに過小評価されている歌手・森口博子には思い入れがあるのである。個人的に顔やキャラが好みであるという点はこの際置いておくとしてもだ、この「もうひとつの未来 ~ starry spirits ~」はすばらしい。元祖バラドルとしてのイメージしかない人々、アニソン歌手として一段下に見ている人々、とんでもない、こいつを聴いて、水をぶっかけられていただきたい。すごいポピュラーシンガーがここにいるのですぜ。

 森口博子の不幸は、そのストレートな天性の歌唱力にあるだろう。つまり、むかしは歳のわりにあまりに巧すぎたのだ。巧いことは文句なく巧いのだが、なんとなく、こましゃくれた(って言葉を大人に使うのも妙だが)感じがした。また、頭がよすぎるため、歌手としての才能以外の部分が評価されすぎた。レコード会社の力があんまりないうえに、宣伝が下手ということもあるだろう。ここへ来てようやく、年齢による蓄積が生まれ持った抜群の歌唱力に追いついてきたという感じだ。才能と技巧と表現力が絶妙のバランスを見せるところにきた森口博子は、これからがすごいぞ。アニソンという“ジャンル歌謡”を歌手としてどこまでも誠実に唄うことに誇りを持った森口博子は、それがゆえにこの曲でアニソンの枠を突き破って普遍に至った。ゲームもアニメもガンダムもまったく知らない人がこの曲を聴いても、「いい歌だなあ、巧い歌手だなあ」と思うはずである。そういう人がもしあなたのまわりにいたら、森口博子だということを伏せてこいつを聴かせてあげていただきたい。「ええーっ! 森口博子ってすごいんだー」と認識を改めるはずである。

 四十代、五十代の森口博子は、根強いファンが根強く支持する大御所として日本の歌謡界に君臨することになるのではあるまいか。そうだなあ、おれたちの若いころで言えば、伊東ゆかりみたいな存在になるんじゃないかなあ。

森口博子:ガンダムソングで歌手復活 「もうひとつの未来」で12年ぶりオリコン30位入り (毎日.jp)
http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20071205mog00m200064000c.html

「SDガンダム ジージェネレーション スピリッツ」主題歌「もうひとつの未来 ~starry spirits~」を唄う森口博子さんにインタビュー (GAME Watch)
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20070924/mori.htm


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2007年12月21日 (金)

映画『2001年宇宙の旅』のラストシーン

 生まれたばかりのスターチャイルドは、カメラ目線でこう言った。

「いつまでもデイヴと思うなよ」



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UFOは北から来るの?

UFO襲来への対応「個人で考える」 石破防衛相 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/1220/JJT200712200003.html

 「災害派遣が使えるのか。領空侵犯でもなさそうだ。防衛出動なのか」。石破茂防衛相は20日午前の閣議後の記者会見で、未確認飛行物体(UFO)が日本を襲来した場合、自衛隊がどう対応するかについて「防衛省として取り組むことはないが、わたし自身としてどうなるのかは考えたい」と大まじめに語り、法制面の研究に個人的に取り組む考えを明らかにした。
 UFOをめぐっては、政府が「存在を確認していない」との答弁書を決定したばかり。石破氏は「存在しないと断定できる根拠はない」と異を唱えた上で、「いろいろな攻撃を仕掛けるのなら防衛出動だが、『地球の皆さん仲良くしよう』と言えば急迫不正の武力攻撃ではない」と指摘。脱線気味に「ゴジラがやってきたら、(破壊行為をしても)天変地異のたぐいだから災害派遣だ。モスラも大体同様だ」と独自の見解を披露する場面もあった。(時事)

 なにやら先日から、UFOについて政府が公式見解を出したり、それに対して町村官房長官が個人的に異を唱えたりと、ケッサクな話が続いているが(そもそも「UFO」という言葉の使いかたがおかしいだろう)、とうとうこの問題まで出てきたか。奇しくも、『パンドラ 4』(谷甲州/ハヤカワ文庫JA)の文庫解説でおれが枕に用いたネタそのものである――

 ある日、絵に描いたように凶悪な宇宙からの侵略者が、なぜかたまたま最初に日本を標的として攻撃を仕掛けてきたら、はたして自衛隊は出動できるのか――という、半ば本気、半ば冗談の問いがある。
 これに対する、やはり本気とも冗談ともつかない答えは、「災害出動できる」というものだ。つまり、日本の現行法では(宇宙人が攻めてくることを想定した法を持つ国があるかどうか知らないが)、地球外からやってきた飛行物体が発した未知の光線が国会議事堂を瞬時に蒸発させたとしても、それは“自然災害”としか解釈しようがないだろう。よって自衛隊は、地震や台風に対するのとまったく同じように宇宙からの侵略者に立ち向かうことになる……はずだ?
――『パンドラ 4』解説:冬樹蛉「“異”なればこその希望」

 いやあ、まさかこんなことを内閣やら総理大臣やら官房長官やら防衛大臣やらが大真面目に論じる日が来ようとは思わなかった。SFみたいじゃん(しつこいようだが「UFO」という言葉の使いかたがおかしいけど)。石破防衛相の個人的研究の成果は、ぜひ公開してほしいものだ。おれもこういう事態の法解釈には、大いに興味がある。

 そうそう、やっぱりここはひとつ、みんなが期待しているだろうが、麻生閣下のご意見をぜひとも賜りたいものである。


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2007年12月20日 (木)

ご立派な“過失”ですこと

3児死亡で危険運転罪見送り 福岡地裁、業過致死適用か (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1218/SEB200712180010.html

 福岡市東区で06年8月、幼児3人が死亡した飲酒運転事故で、危険運転致死傷などの罪に問われた元同市職員今林大(ふとし)被告(23)について、福岡地裁は18日、予備的訴因として業務上過失致死傷罪と道路交通法違反(酒気帯び運転)を追加するよう検察側に命じた。検察側は危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)の併合罪で最高刑の懲役25年を求刑していたが、地裁は危険運転致死傷罪の適用は困難と判断したとみられる。
 危険運転致死傷罪(最高刑懲役20年)とひき逃げとの併合罪は最高刑が懲役25年。これに対し、業務上過失致死傷(同5年)と酒気帯び運転、ひき逃げの併合罪は同7年6カ月(今年6月の法改正で15年に引き上げ)。適用できる最高刑に3倍以上の開きがある。
 変更命令について、検察側は「適切に対応したい」としているが、応じない場合、地裁は危険運転致死傷罪については無罪を言い渡すとみられる。検察側は予備的訴因の追加に応じるか、それとも危険運転致死傷罪について補充して立証できるかを検討する。

 先日のエントリーで、「酒飲んでクルマを運転してはいけない国で、近所の人が度重なる奇行を指摘している男に、散弾銃やら空気銃やらを合法的に所持させているというのは、いったい全体どうしたことか?」と書いたが、申しわけない、おれの認識に誤りがあった。この国では、酒を飲んでクルマを運転することは、酒に酔ってクルマを運転することに比べれば、さほど悪いことではない。この事例にかぎらず、危険運転致死傷罪なんてものは、いまのところ、適用が難しい事案のほうが圧倒的に多く、まあ、あってないようなもんだ。バカバカしい。“酒を飲んでクルマを運転する”という行為そのものに厳罰を科さなければ、あんな法律、なんの意味もない。おれだったら、焼酎お湯割りを二杯くらい飲んで運転しても、さほど問題ないわけだ。三杯くらいになると、ようやく罪が重くなるのかな? もっとも、おれはそもそも自動車の運転免許そのものを持ってないわけだが……。

 この伝でゆくと、おそらく、かなり頭のおかしなやつが合法的に銃を所持していることも、実際に人間に向けて発砲してみせないかぎりは、さほど問題のあることではないと推測される。

 まあ、なんといっても、日本は放置国家、もとい、法治国家だからね。司法は司法の行うべきことを、厳かに粛々と行なっているだけである。軽々に裁判所を批判すべきではない。おれたちにできるのは、せいぜい最高裁の裁判官をクビにすることと、立法に携わる連中をおれたちの意志で入れ替えることだけだ。文句があれば、選挙で表明するしかあるまい。まあ、ブログに書くというのも、数が集まれば、ゴマメの歯軋り程度の異議と認識はされるだろう。



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2007年12月19日 (水)

猿の暗算、なにするものぞ

暗算、サルにもできる 正答率8割 米大学が実験 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/1218/JJT200712180006.html

 サルにも足し算の暗算をこなす能力があり、正答率は8割近くに達したとする実験報告を米デューク大学(ノースカロライナ州)のエリザベス・ブラノン准教授(認識神経学)らの研究チームがまとめ、科学誌プロス・バイオロジー12月号で発表した。
 動物には数量を認識する能力が備わっていることは分かっているが、足し算などの算数ができるかどうかははっきりしていなかった。(時事)

 なんのこれしき、まだまだサルには負けんぞ。おれなんか、三桁と二桁とか、三桁と三桁とかの掛け算が、なんと一、二秒でたちどころにできる。

  108×92=9936
  503×497=249991
  709×691=489919

 どうだ! サルめが、小賢しいわ。

 でも、112×88くらいになると、ちょ、ちょっと時間がかかるかもしれないが、そういう些細なことにこだわってはいけない。



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2007年12月17日 (月)

おれが「銃を持つ」と言い出したときのためのお願い

 酒飲んでクルマを運転してはいけない国で、近所の人が度重なる奇行を指摘している男に、散弾銃やら空気銃やらを合法的に所持させているというのは、いったい全体どうしたことか?

 そりゃ、狩猟を生業にしている人は商売道具として銃を持たなきゃならんだろうし、人にはスポーツとして射撃を楽しむ自由もあるだろう。しかし、狩猟で食っているわけでもなく、親の金と借金で遊び呆けていて、スポーツとしての射撃に打ち込んでいるわけでもないやつが銃を持っているという事実を、市民からの指摘があったにもかかわらず、警察は調べもしないでほったらかしていたんじゃないか。あまりにもヘンではないか。なーにが銃の所持に関して世界一厳しい国であるか。手続き自体がすっかり形骸化しているではないか。おれはもっと厳しいもんだと思っていたんだが、この程度だったら、おれですら銃が持ててしまうんじゃなかろうか? そう考えると、心底怖ろしくなってきた。

 おれが銃を持ててしまったら、きっとえらいことになるぞ。おれはあのような美しいものを手にして、なにもしないという自信がない。自分を抑える自信がない。もしおれが「よし、銃を持とう」などと言い出したら、ぜひ止めていただきたい。「あいつはふだんから奇行が目立つ。本人はそれをいっこうに奇行だと思っていないようだ。あいつのブログを読めば、あいつがまともな社会人でないことがわかるだろう。あんなやつに銃を持たせるくらいなら北朝鮮に核を持たせるほうがましだ。取り上げろ!」と警察にタレ込んでいただきたい。

 おれはいまこれを焼酎お湯割りを二杯ほど飲んでいる状態で書いているから、比較的まともな精神状態であると判断できる。まともなうちにみなさんに頼んでおきたいのである。おれが銃を持ちたいと言い出したら、もはやそのおれはいまのまともなおれではないので、もしそんなことになったらとにかくおれが銃を所持することを阻止してほしい。京都府警が長崎県警ほど怠慢でないことを祈るのみである。



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健康的な酒のつまみ(?)

 最近なんだか、芋焼酎のお湯割りのつまみに、「オールブラン」(ケロッグ)やら「フルーツグラノーラ」(カルビー)やらを食うという妙な習慣がついてしまいつつある。健康的なんだか不健康なんだかよくわからない。なんちゅうか、けっして焼酎とよく合うわけでもないのだが、合わないというわけでもない。オールブランもフルーツグラノーラも、はっきり言ってうまい。

 まあ、おれの食生活は、けっして万人に薦められるようなものではない。朝は納豆と魚肉ソーセージを食いながら、コーヒーと野菜ジュースを飲み、さらに生卵を二個、ロッキーのようにしてただただ飲む。昼はマクドナルドでハンバーガーを一個(空腹なときは、ポテトやチキンナゲットを付けることもある)食う。夜はコンビニ弁当を食う。これの繰り返しである。どうしても繊維質が足らん。だもんだから、せめて酒を飲むときくらい健康的なつまみ(?)を食おうということなのである。オールブランは好き嫌いがあるかもしれんが、フルーツグラノーラはマジでうまいすよ。芋焼酎のつまみとしては、万人にはお薦めしませんけどね。



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2007年12月15日 (土)

絶滅危惧フレーズIA類

 この時節ともなると、夜には拍子木の音と共に火の用心を呼びかける声が聞こえてくる。子供はああいうのが好きで、大人と一緒に大声を張り上げて夜回りをしていたりする。おれも子供のころはよく町内の大人について回って拍子木を打たせてもらったりした。

 今日も夜回りの声が聞こえてきて、「ああ、またやっとるな」と本格的な冬の到来をしみじみと味わっておったのだが、ふと、あることに気づいた。違和感がある。なにかが足りない。なんだかまぬけな感じだ。あれはもはや、おれが子供のころにやった夜回りではない。

 「火のよーじん!」

  (カチ、カチ)

 「火のよぉ~じん!」

  (カチ、カチ)

 「火のよーじん!」

  (カチ、カチ)

 「火の……」


 えんえんとそれだけかい!?

 「マッチ一本火事の元」はどうした? あれが入らんと、メリハリというものがないではないか――。

 そこでおれは愕然とした。

 おれはもう何年もマッチというものを使っていない。煙草を吸うにもかかわらずだ。

 そうか。『ダイヤルMを廻せ!』だ。「マイ・ピュア・レディ」だ。「このテープは自動的に消滅する」だ。つまり、今の子供には「マッチ一本火事の元」と言ったって、そもそもなんのことかわからないのだろう。その可能性は高い。大人にしたって、そのフレーズは知っていても、今の世で“お約束”としてそんなことを大声で言うのがはばかられるのにちがいない。

 うーむ。

 しかし、これは由々しきことである。夜回りのかけ声の存亡にかかわる問題である。だいたい、「火の用心」ばかりをただただ阿呆陀羅経のように「ヴェクサシオン」のように繰り返されたのでは、どうにも気色が悪い。日本の伝統藝能(?)の危機である。二十一世紀に生きるおれたちは、「マッチ一本火事の元」に代わり得る、防火の心構えの本質を端的に剔抉した語呂のよいコピーを産み出さねばならない。

 「ライター一個火事の元」では、むろんサマにならない。そもそも、ライターそのものは、あんまり火事の元になったりしないだろう。現実的なのは、それこそ「煙草一本火事の元」だが、これでは非喫煙者がかえって火の用心をしなさそうで具合が悪い。いずれにせよ、「マッチ」という緊張感のある語感とタメを張るのは、ちょっと難しい。

 どうしたもんでしょうなあ。



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2007年12月13日 (木)

今年の漢字は当たったけれど……

今年の漢字は「偽」 清水寺貫主「悲憤に堪えない」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/1212/OSK200712120062.html

 今年の世相を表す漢字は「偽」――。日本漢字能力検定協会(本部・京都市下京区)が全国から公募した「今年の漢字」が12日、清水寺(同市東山区)で発表された。森清範(せいはん)貫主が、縦1.5メートル、横1.3メートルの巨大な和紙に太い筆で一気に「偽」の字を書いた。

(中略)

 2位以下も「食」「嘘(うそ)」「疑」など、不信が渦巻いた世相を示す言葉が目立った。森貫主は「こういう字が選ばれるのは、誠に恥ずかしく悲憤に堪えない。分を知り、神仏が見ているのだと自分の心を律してほしい」と語った。

福田首相「今年の字はやっぱり『信』だ」 (nikkansports.com)
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071212-294812.html

 「『偽』も人ベンだけどやっぱり『信』だ。来年も信を追求しないといかん」-。福田康夫首相は12日夜、官邸で記者団に今年の世相を表す漢字に「偽」が選ばれた感想をこう語り、自らが11日に選んだ「信」の1文字にこだわった。

 やっぱり、大方の予想どおりになりましたなあ。というか、ほかに思いつかなかったくらいだよ。

 首相たる者、前向きなことを言わなきゃならない立場だということで配慮をしているのかもしれんが、今年の世相を表す一文字を訊いてるんだから、福田首相のこだわる「信」はやっぱりとんちんかんでしょう。誰もあんたの希望を訊いとらん。まあ、一文字と言われて二文字答えてた人よりは、なんぼか頭はしっかりしているようだが……。

 しかし、考えてみれば、私利私欲のために偽りを為して恬として恥じぬ人々に、なにも日本人が今年になっていきなり成り下がった(香山リカ流に言えば「劣化した」)わけではない。当人たちはずっとあたりまえだと思って長年やってきたことが、今年俄然発覚しはじめただけのことである。さまざまな偽装を知っていながら、「みんなでやれば怖くない」とばかりに集団で感覚が鈍麻してしまうあたりは、むしろとても日本人的な行動様式であり、もしかすると、日本人は根っからの偽装体質民族なのかもしれない。今年になって次々と内部告発などで噴出してきたという現象そのものが、構造的には、偽装を生んできたものと通底しているようにすら感じられるくらいだ。

 その“根っからの偽装体質”を持っている日本人を、魔法のように勤勉で品格ある人々にしていた重要な“縛り”が、近年、急速に外れはじめたのだろう。やっぱりそれは「恥」なのかなあ?

 おれは日本人の「恥」という概念に、アンビバレントな想いを持っている。二種類あるような気がするんだな。「世間様に対して恥ずかしい」とかいうのは、おれは好かん。その集団迎合的な匂いが厭だ。「世間様が死ね言うたら死ぬんか」と、子供のように天邪鬼にふるまいたくなる。

 おれが重要だと考えるほうの「恥」は、“おのれに対して恥じる心”である。たとえ全世界がなにかで自分を賞賛しようとも、自分自身がおのれに対して恥じるようなことであれば、それを“恥ずかしい”と感じる美意識だ。noblesse oblige の指すところに近い。この美意識が日本人から失われたとき、「神仏が見ている」といった強固な道徳コードを持たない日本人は、私利私欲のために偽りを為すことも厭わぬ烏合の衆に成り下がりはじめたのではなかろうか。

 では、どのようにしてそうした美意識が醸成され、超自我に叩き込まれるのか――これがおれにはよくわからん。敬虔な無宗教者であるおれとしては、宗教などという必要悪に頼らずに、こうしたメンタリティーを育む方法が知りたい。論理的に考えると、つまるところ、“おのれを愛し、尊ぶ心”が持てれば、自動的に“おのれに対して恥じる心”が生まれるはずだ。

 じゃあ、おのれを愛し、尊びなさいとただただ教えたとしたら、モンスター・ペアレントやらモンスター・ペイシェントやら、図書館の本を切り抜きだらけにして返却するアホやらが、たぶん大量生産されるような気がする。

 美意識を共有するということは、じつに難しい。美意識を滅ぼすのは、とても簡単なのだが……。

 結局のところ、“この世界には、自分と同じように生命や自意識を持った存在が、自分のほかにも存在する”という、じつに単純だが強力で汎用性の高い認識だけを子供に叩き込めればいいのではなかろうか。この重要な“知恵”(“知識”ではない)を欠く人間を次々と“生産”しているような社会は、そのうちどうにかなってしまうだろう。

 来年は、もう少しましな文字を、誰もが当然のように予想するような年になってほしいもんである。



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2007年12月12日 (水)

When video killed the radio star...

あのときに流行った曲を検索できる「Yamelo」 (Japan.internet.com)
http://japan.internet.com/busnews/20071211/7.html

学生の時に聴いたあの曲、あの子とつきあっていたときに聴いた曲、あの仕事がつらいときに聴いた曲…。
そうした思い出の曲を時期から検索していくことができるのが Yamelo だ。検索した曲は YouTube で見ることができる。
何年の何月に流行った曲、といった感じで絞り込んでいくことができる。タグクラウドでその時期にはやったアーティストも一覧することができるので、芋づる式に思い出の曲を探すこともできるだろう。

Yamelo
http://www.yamelo.com/

 うわあ、こりゃいいなあ! しばし、芋づる式に思い出の曲に浸ってしまったよ。いやあ、八十年代はホントに洋楽ばっかり聴いてたもんなあ。

 『ベスト・ヒット・USA』を毎週観てた人、『百万人の英語』小林克也の講座を毎回聴いてた人、MTVの洗練されたPVに当時目を奪われていた人、涙がちょちょ切れること請け合いである。ビデオはラジオスターを殺したけれど、そのビデオがすでにして“懐ビデオ”なんだよねえ。

 ロートル洋楽ファンはもちろん、若い人も豊穣の80’sを楽しんでくれたまえ! いやもう、マッシュアップとはこうあるべきという、お手本のようなサイトだね。


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2007年12月10日 (月)

『MM9』(山本弘/東京創元社)

 いやいや、これは痛快、痛快。すべての怪獣ファン必読の怪獣本格SFである。舞台は、自然災害の一種としてフツーに“怪獣災害”が存在する現代。世界有数の怪獣大国である日本では、怪獣災害に立ち向かうべくスペシャリスト集団が組織されていた。気象庁特異生物対策部――略称「気特対」である(ここで「特捜隊のうた」を頭の中で流すように)。『歩兵型戦闘車両OO(ダブルオー)』(坂本康宏)では、環境庁が作った合体ロボットが怪獣と闘っていたが、本作の場合は、気象庁が怪獣対策を行う。いずれにせよ、“自然災害”の一種ということになると、現行の制度では妥当な設定ではあるよね。

 ただ、「気特対」は、あくまで怪獣の出現予測や正体の特定、その科学力による怪獣対策のアドバイスを自衛隊に与えるだけであって、怪獣を直接攻撃するのは自衛隊なのである。これもまあ、なるほどたしかにそういうことになるにちがいない。気象庁が武力を持つのはおかしいしね。

 五話完結の連作短篇という形式を取っており、各話にそれぞれの工夫があって、飽きさせない。ハードSF的に考えるとあり得ない怪獣というものの存在や属性を、「多重人間原理」なるアクロバティックな力業できちんとSFの文脈に嵌め込んでいるのは、さすが「と学会」会長である。

 実在するわれわれの社会への皮肉やくすぐりがところどころにチクチクと入っていてニヤリとさせられるうえ、なによりかにより、“怪獣”もので育った人々なら爆笑してしまうような小ネタが随所にちりばめられている。それはもう、『ウルトラマン』はもちろん、『ガメラ対大魔獣ジャイガー』から『ウルトラマンガイア』『仮面ライダー響鬼』まで、あなたにはこの小ネタ遊びがいくつわかるか? 挙句の果てには、諸星大二郎テイストまで湛えている。おみごと。

 といっても、小ネタで遊んでばかりいるおやじ世代への懐メロSFというわけではけっしてない。SFとしての屋台骨は、しっかり通っている。SF的にきちんと怪獣を出すというのは、簡単そうで難しいにちがいないのだ。誰にでもできることではない。第三話「脅威! 飛行怪獣襲来」はとくに秀逸。

 巨大幼女萌え(なんじゃそれは?)の人、必読。「べつにウルトラマンなんて出てこなくてもいいのに」と思っていた人、必読。『ウルトラマン』よりも『ウルトラセブン』よりもなによりも『ウルトラQ』が好きな人、必読。桜井浩子ファン、必読。ひし美ゆり子ファン、必読。そして、「ほんとうに怪獣が出現したらいいのに」と思っている人は、なにをおいても読むべきであります。怪獣、バンザイ!



 

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2007年12月 8日 (土)

『music & me』(原田知世/ヒップランドミュージックコーポレーション)

 原田知世のデビュー二十五周年記念アルバム。知世ちゃんがもう四十とは、まったく月日の経つのは早いものである。ちなみに、原田知世と岡田有希子は同い年だ。つまり、岡田有希子も、生きていれば今年四十歳の誕生日を迎えたはずなのである。合掌。

 それはともかく、知世ちゃんである。若い人から見れば、四十五のおっさんが四十のおばはんを捉まえて“知世ちゃん”などと言うておるのは気色悪いことでありましょうが、おれたちの世代にとっては、知世ちゃんは永遠に知世ちゃんなのである。タモリなどの“サユリスト”の気持ちがわかるのはこういうときだ。いつも青春は時をかける。いいじゃないか、原田知世さんは、おれたちにとっては、ずっと“知世ちゃん”なのである。

 いや、それにしても、知世さんはいい歌手になった。声がでんぐり返っていた十代のころが嘘のようだ。どんな歌でも唄えるすごい歌手になったという意味ではない。原田知世の最もおいしい音域、最もおいしさを発揮する楽曲というものがあるのである。そういう楽曲をうまく選曲すると、歌手・原田知世は、他の追随を許さない“心地よさ”を発揮する。肩の力の抜けた天性のヴォーカルを聴かせてくれる。自分が天才でないことは本人がいちばんよく知っているにちがいなく、原田知世はけっして“歌が巧い”ことをめざしているわけではないことは、彼女の声のファンはよくわかっていると思うのだ。知世ちゃんがめざしているのは、“等身大の原田知世”の力まない歌唱であって、それを愛してくれるファンにはわかる“心地よい等身大の歌唱”なのである。

 原田知世の声は天性のものである。ナレーションの仕事で認知されているように、聴く者の肩の力を抜く不思議な魅力がある。原田知世の歌が好きな人は、われを忘れて聴き惚れ、涙が溢れてくるような熱唱を期待しているのではない。土曜の午後、陽だまりにテーブルなど持ち出してお気に入りのコーヒー(ブレンディかどうかはわからんが)を飲みながら、あたりまえの日常があたりまえに過ぎてゆくことのしあわせを味わう、ふつうの人のふつうの人生のBGMとして、無性に聴きたくなるような声なのである。それを本人もめざしているであろうし、彼女の声を愛するアーティストたちもわかっていてプロデュースするのだろう。

 ビートルズのカバー「I Will」「シンシア」「ノスタルジア」「くちなしの丘」は、とくに土曜の午後のコーヒータイムにおすすめ。セルフカバー「時をかける少女」“肩の力の抜け具合”は、往年のファンには涙、涙でありましょう。みんな、あれからいろいろあった。ほんとにいろいろあったよね。

 ♪過去も未来も 星座も越えるから 抱きとめて


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2007年12月 6日 (木)

この、テラ豚野郎!

▼超大盛り「テラ豚丼」映像、吉野家に苦情…悪ふざけ店員処分へ (SANSPO.COM)
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200712/sha2007120501.html

 インターネット動画投稿サイト「ニコニコ動画」に、牛丼チェーン最大手「吉野家」(東京)店内で店員風の男性が超大盛りの豚丼を作っている映像が公開されていたことが4日、分かった。同社は西日本地域の直営店で複数のアルバイト店員が行った“犯行”と特定し事情聴取。「厳正な処分をする」という。
 問題となったのは「【吉野家で】メガ牛丼に対抗して、テラ豚丼をやってみた【フリーダム】」と題した約3分の動画。メガ(100万倍)を超えるテラ(1兆倍)を持ち出し「テラ豚丼」と命名したようで、11月30日に公開されていた。
 店員の制服を着た男性が店で使う丼に盛ったご飯の上に、豚肉を7回にわたり乗せて10センチほど積み上げ、一部がこぼれ落ちる様子などが映されている。

 なんかえらい騒ぎになっているけど、もう少し衛生的な作りかたをしてくれるのであれば、正直おれは、食ってみたいと思ったよ。でも、アレは「テラ」なんてもんじゃないよな、「ペタ」だ「ペタ」。

 あと、まあ、SFファンくらいしかこんな妄想は抱かないと思うんだが、「店員処分」という見出しを目にしたとき、おれの脳裏にはっきりと映像が浮かび上がった。店員が“処分”されて、変わりはてた「エクサ人丼」になっている光景である。なんかこう、「処分」という言葉の字面には、そういうおどろおどろしい妄想を誘発するものがありますな。

 それにしても、やっていい冗談と悪い冗談があるわなあ。こいつら、動画投稿サイトは使えるくせに、ニュースとかは観たり読んだりしないのかな。



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2007年12月 2日 (日)

お買い上げ御礼(2007年11月)

■2007年11月

【最も値段の高いもの】

 いやあ、すごいねえ。ヘッドホンにこんなに金かける人っているんだねえ。たしかにスピーカーに金かけても、住宅事情やら生活サイクル事情やらのため、そのスピーカーの性能を十全に発揮させられない人はたくさんいそうだ。ウチがもろにそうだけど。こんなヘッドホンで聴いたら、さぞやいい音がするんだろうなあ。


【最も値段の安いもの】

 こんな名著が、いまや古本では一円で手に入ってしまうのだから、なんともフクザツな心境ではある。一円でも、買った人はえらい。来月には、三十一年を経て帰ってきた『新・英会話上達法(仮題)』が刊行される予定である。感無量。


【最も多く売れたもの】

 こないだ書いたばっかりだから多くは語らないが、やっぱり手元に置いておきたい人が多いと見える。もはや、国民的歌手ですねえ。


【最もケッタイなもの(主観)】

 ヘンな映画ばっかり撮ってる河崎実監督の特撮コメディなんだそうだが、おれはこれは観たことないなあ。「全長2,000メートルの巨人」ってなんだよそれは。掟破りの大きさってやつか? にしおかすみこは、こんなところ(失礼)でも仕事してたのか。こういうのをDVDで買おうというあたり、さすがはわがアホ日記にやってくる人だけのことはある。朱に交われば赤くなる。類は友を呼ぶ。以て他山の石とすべし(?)。

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かじってなんぼの商売

Oshirikajirimushi_bread そもそも“虫”ってのは“商売”なのかと、あの歌を聴くたびに思っていたのだが、やっぱり商売だったみたいだ。話の種にと食ってみると、な~んの変哲もないバターロールパンである。だいたい、このパン、かじらなくてもすむ。一個ひと口で食ってしまえる。あえてお薦めはいたしまへん。まあ、お子様は喜ぶかもね。





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2007年12月 1日 (土)

今月の言葉

セカンドワイフの作り方

 仮想世界内にもうひとり欲しい人のための本。

 実世界にもおらんおれには、そんなの関係ねぇ!



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