先日の『ロンドンハーツ』の録画を観てたら、青木さやかを驚かせるために二回も“ドミノ倒し”が出てきた。青木が楽屋の扉を開けると、それに連動して凝った仕掛けのドミノ倒しがはじまるのだ。
いや、ロンハーも青木さやかも、この際あんまり関係ないのだ。あのドミノ倒しを観ていて、ああそうかといまさらながらに納得したことがあるのである。ドミノ倒しなんか何回も観ているはずなのに、いまごろ気づいたのかとわれながら呆れる。
ほれ、ドミノ倒しに必ずある仕掛けに、“ドミノが倒れてゆくという現象が階段を昇ってゆく”というのがあるじゃないか。今回のロンハーのドミノ倒しにもあった。ぱっと見にはちょっと不思議な感じがするんだが、倒れるドミノの先端が次のドミノの重心より上の部分を充分な強さでヒットすることができる程度の段差であれば、ドミノは自分より高い位置にあるドミノを倒すことができる。そうした条件を満たす段差を繰り返し設けてやれば、ドミノの“倒れ”に階段を昇らせることが現に可能である。
だが、ドミノ倒しの録画をじっくりコマ送りで観ていると、ドミノの“倒れ”が階段を昇っているときには、“倒れ”が伝播してゆく速度が、平坦な部分を伝播してゆく速度よりも、あきらかに落ちている。単純に考えれば、その速度が落ちるぶんのエネルギーが階段を昇ってゆくぶんに使われているのだろうと思うのだが、なんだかそれもヘンな気もする。“倒れ”が重力に逆らって階段を昇ってゆくといっても、なにか質量のある実体が昇っていっているわけではない。そもそもドミノ倒しとはなんなのか、そのあたりからもう少しじっくり考えてみる必要があろう。
まず、ドミノ倒しというものが成立すること自体、なかなか魅力的だ。最初のドミノを倒したエネルギーは、空気抵抗やらドミノ同士の衝突時に出る音やら静止しているドミノの慣性やらなにやらによって、最終的には熱に化けて失われ、ドミノを倒し続けることなどできないはずだからである。なのにドミノは倒れ続ける。考えてみれば不思議なことではあるまいか?
そこで、無重量状態でのドミノ倒し(?)を考えてみる。ドミノ自身の質量によるもの以外には重力が働かない真空中の場で、ドミノを厳密に等間隔に設置する。最初のドミノ「│」をそのまま厳密にまっすぐ押し出してやり「→」、次のドミノ「│」の側面全体に厳密に同時に衝突するようにしてやる。最初のドミノの運動エネルギーを側面全体で同時に受け止めた次のドミノは、最初のドミノを反作用で跳ね返しながらもその次のドミノに向かって移動し、またもやびた~んとその次のドミノの側面全体にぶつかる。このような、無重量状態での“ドミノ玉突き”を考えてみると、最初のドミノの運動エネルギーは、ドミノ同士がぶつかったときの反作用によってたちまち減衰し、とても次々に伝播してゆくとは考えられない。なのに、地球上のドミノ倒しではそのようなことがふつうに起こっている。これはなぜか?
つまり、ドミノ倒しは、最初のドミノを倒すのに加えた運動エネルギーが伝わっていっているのではないのだ。ひとつひとつのドミノを立てたときにそのドミノにチャージされた、重力場の中での位置エネルギーが順々に解放されていっているだけなのである。ひとつひとつのドミノは、言わば位置エネルギーのパッケージであって、前のドミノは、このパッケージを開封するだけの仕事(つまり、ドミノの安定を崩し、進行方向へ倒れはじめるようにするだけの仕事)をすればよい。開封された位置エネルギーは、たちまち減衰してしまう進行方向への運動エネルギーを、次のドミノを倒せるところまでリカバーする。これが次々と続いてゆくだけだ。要するに、ドミノ倒しなるものは、最初のドミノが次のドミノを倒すところまでで、構造的には完結しているのである。あとは同じことの繰り返しなのだから。
1Gの重力加速度が加わる無限の平面上を一直線にドミノが無限個並んでいるという状況を想定してみると(物理的には不可能だろうが、思考実験としてはアリである)、このドミノが倒れてゆくさまは、一種の永久機関のように見える。だが、もちろんそれは永久機関ではなく、この無限個のドミノを立てたときに、位置エネルギーをチャージし、倒れる方向に秩序(すなわち情報)を与えたやつがどこかに絶対いるのである。そいつは、ちょっと不純な“マクスウェルの悪魔”と呼べるかもしれない。マクスウェルの悪魔は情報を与えるだけで、みずから対象にエネルギーをチャージするようなことはしないから、“ちょっと不純”なのである。
ドミノ倒しが、減衰する進行方向への運動エネルギーを位置エネルギーでリカバーしながら続いてゆくさまは、地球上に落下してくる雨滴に似ている。妙な芸をせずに淡々と平面を倒れてゆくドミノ倒しを見ていると、“倒れ”の伝播速度は一定であることがわかる。つまり、ドミノの“倒れ”の伝播速度は、いわゆる終端速度に達しているのである。減衰する進行方向への運動エネルギーをひとつひとつのドミノにチャージされた位置エネルギーがなんとかリカバーして次に伝えているので、伝播速度を加速するだけの余裕がないのだ。この終端速度は、この場の重力加速度、ドミノの形状や質量や弾性、ドミノ間の距離、空気抵抗などの関数として決定されるだろう。これは、本来であれば重力によって加速されながら落ちてくるはずの雨滴が、空気抵抗によって終端速度に達し、ほぼ等速で落ちてくるさまに似ている。そう考えると、ドミノ倒しというやつは、横に雨が降っているようなものだと見ることもできよう。
さて、そこで、例のドミノの“倒れ”が階段を昇る現象を見てみよう。ドミノAが、自分より高いところにあるドミノBを倒れながら叩くとき、ドミノAとBが同一平面上にあるときと異なるのは、AがBを叩く位置である。BがAより高い位置にあるとき、AはBの重心により近い位置を叩く。ドミノを最も小さいエネルギーで倒すには、重心から最も遠い上端付近を叩かねばならない。しかし、BがAより高い位置にある場合、AはBの上端を叩けず、少し重心に近い位置を叩く。つまり、Bを倒すのに、平坦な場でよりも多くのエネルギーを必要とする。しかし、ひとつひとつのドミノにチャージされている位置エネルギーはほぼ同量なので、進行方向への運動エネルギーがその損失を埋めねばならない。だから、“倒れ”が伝播する速度が落ちるのである。階段の段差が高すぎると、ひとつのドミノにチャージされた位置エネルギーでは進行方向への運動エネルギーの損失がリカバーしきれず、ドミノの“倒れ”は止まってしまうはずだ。
では、ドミノAがドミノBの上端を叩くように、ドミノAだけ少し背を高くしてやったらどうだろう? むろん、そうすると、今度はドミノAの前のドミノは、ドミノAの上端を叩けず、ここで進行方向への運動エネルギーが余分に減衰する。いやあ、自然の収支ってのは、まことにうまくできているものである。エネルギー保存則ってのはじつに強固であるなあ……。
ご存じのように、『ロンドンハーツ』は例の日本PTA全国協議会の「子どもに見せたくない番組」とやらでV4の栄冠を勝ち取っているらしいのだが、どんなものからであれ、観るほう次第でなにかが学べるのである。おれはSFからそういう“ものの見かた”を教えてもらった。これはおれの人生で最大の宝だ。親御さんや先生は、ロンハーを肴に子供にこういう話をして考えさせてやったらどうなのかな?
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