広報の倫理と限界
▼「美しい国」私も言えませんでした 世耕補佐官も苦言 (asahi.com)
http://www2.asahi.com/senkyo2007/news/TKY200708020393.html
「街頭では、とても『美しい国』なんて言えませんでした」。参院和歌山選挙区で当選し、1日から官邸での業務を再開した世耕弘成首相補佐官(広報担当)は、復帰早々に安倍首相に苦言を呈した。世耕氏は「美しい国づくり」国民運動の担当でもあるが、苦しい選挙戦を経て軌道修正を迫ったものだ。
首相は、地方遊説のたびに「美しい国」をアピールし、「地域の活力なくして国の活力なし」と訴えた。だが、自民党は1人区で6勝23敗と惨敗。あまりの逆風に世耕氏は当選確定後に万歳をせず、「安倍内閣への逆風を真っ正面から受けた。有権者の声を首相にじっくり伝えたい」と語り、笑顔も見せなかった。
世耕氏は、首相に「生活に密着した政策を打ち出し、憲法改正などとバランスを取るべきです」と進言。神妙に聴き入ったという首相は、参院選後は「美しい国」という言葉を口にしていない。
ああ、やっぱりね。おれは自民党は好きじゃないが、実効的な戦術を伴った世耕氏の戦略的PR能力には端倪すべからざるものがあり、おれも一サラリーマンとしては、じつに学ぶべきところが多いと思っていた。さすが、民間で鍛えられた人はちがう。ところが、安倍内閣は、まるで広報担当が替わったかのようにPR下手になってしまい、いったいどうなっているんだろうと不思議に思っていたのだ。
つまるところ、広報というのは、手持ちの駒の打ちかたをマネジする活動なのであって、持ち駒の器以上のことはできるわけがない。そこを広報マンとしての倫理を超えて背伸びすると、それはもはや広報ではなく、プロパガンダになってしまう。そんな状況下で、広報マンとしての一線を踏み越えずに“ちゃんと負けた”(ご本人は当選したけど)のだから、おれは世耕氏にはかなり好印象を抱いているのだった。この人はプロとして骨のある人だ。事実と哲学を伴わない浅薄な宣伝であれば、いくらでもできただろうに、実態を伴わない小賢しいことはしなかった。民主党にこういう人がいれば、とっくに政権を取っていることだろう。
でもそうかあ、とうとうご本人も苦言を呈したかあ。まあ、こういう世耕氏の状況というのは、関西人にとってはとても馴染み深いものだ。「ベンチがアホやから選挙がでけん」というわけですわな。いや、まったくお気の毒。いまの自民党の広報担当にだけはなりたくないもんである。
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コメント
ベンチ → フロント では?
投稿: anonymous coward | 2007年8月 5日 (日) 10時09分
>anonymous cowardさん
この場合、安倍内閣は、広報担当者にとってはベンチでもありフロントでもあるということになるでしょうね。そのあたりがまた、広報マンにとって難しいところでもあるのでしょう。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年8月 6日 (月) 02時06分