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2007年8月28日 (火)

まず、日本語がヘンじゃないか、文部科学省?

高校英語:コミュニケーション重視に 文科省 (MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070828k0000m040090000c.html

 今年度内に予定される学習指導要領改定の一環として文部科学省は27日、高校で教える英語の科目構成を「コミュニケーション英語」(仮称)に統合する案を中央教育審議会教育課程部会外国語専門部会に提示した。コミュニケーション能力や発信力の向上が狙いで、新科目はレベルに応じて「基礎」「I」「2」「3」に分ける方針。

 ぎゃー! なんだその名称は! 「コミュニケーション英語」って、あのな~~~! コミュニケーション以外に言葉ってなんに使うんだ!? 馬から落馬してないか? What else is a language for??

 たとえ無人島でたったひとりで沈思黙考していたとしても、人間は言語をインタフェースとして“世界”とコミュニケートしているのだ。無数の切り取りかたができるこの“世界”を、とりあえず、ある切り取りかたで認識することを選び取っているのである。多少なりとも言語というものに向き合った人間の頭から、「コミュニケーション英語」などという奇ッ怪な言葉が出てくるとはとても思えない。「仮称」とはいえ、いったいどんな薄っぺらな見識の役人が、こんな不可解で汚らしい言葉をひねくり出したのだろう?

 仮称でさいわいだ。こんな言葉、本番の教育現場では絶対に使うなよ。それこそ学生の言語感覚がおかしくなるわい。そんなケッタイな教科名で教えるくらいなら、その時間で神林長平を読ませたほうが、言語とコミュニケーションについてずっと深く有意義な認識が得られることだろう。



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コメント

担当者の脳裏にあった対義語は「受験英語」なんだろうなあ。
だとすれば受験英語はコミュニケーションの役に立たないと決め込んでいるわけで、もうどこからつっこんでいいのやら(^^;。

投稿: 野尻抱介 | 2007年8月28日 (火) 05時40分

|コミュニケーション以外に言葉ってなんに使うんだ!?

 グループのメンバーかどうかの識別フラグとか。

Ex.お役所言葉

投稿: 林 譲治 | 2007年8月28日 (火) 16時45分

>「受験英語」
受験というごく限られた世界ではありますが、ちゃんとコミュニケーションに利用されていますね。
この担当者の問題は、「コミュニケーション」の概念をものすごく狭い範囲でしか捉え切れていないところにあるのかも知れません。
たぶん、この人の中では「外国語」といったら英語しかなかったりするんだろうな。

ところで、今の時代「英会話能力」ってほんとうに重要なんでしょうかね?
いまこそ、「読解力」や「英作文能力」が重要な時代なんではないでしょうか。
英語で書かれたWebサイトを閲覧する機会は結構な頻度でやってくるけど、
英語圏の人と話す機会なんてめったにやってこないような気がします。
(私のライフスタイルがそうなだけかも知れませんが……)

蛇足:今日「ロケットガール」新刊買ってきました。今から読みます。

投稿: koga | 2007年8月28日 (火) 21時07分

>野尻抱介さん

 「学校で習う“受験日本語”は役に立たない」などと決めつけている人は見たことないんですけど、なぜか英語にはそういう決めつけがありますねえ。不思議だ。


>林譲治さん

 言われてみれば、天然の言語(?)は多分にFOF識別装置として働いていますね。

 We speak the same language.(「話が合うね」)なんて言いまわしがありますが、これはけっこう本質的なところを言っているのかもしれません。つまり、英語なら英語という言語の語彙や文法を用いて話しているかどうかではなく、論理展開や価値観や文化的なコードを共有しているかどうかを問題にしているわけで、異なる言語を話している者同士が、We speak the same language.っつって意気投合することもあるはずなのですよね。Do we speak the same language?(「根本的なトコで噛み合ってないみたいなんですけど……」)と疑問文にすると、そのあたりのメタな部分がよく浮かび上がります。Do we speak the same language? て、さっきから聴いてたら、あんたらずっと英語で議論してたやん(笑)みたいな(^_^;)。


>kogaさん

 必要かどうかということで考えると、日本語すらあんまり“必要”とはしない日本人はたくさんいると思います。

 鳥飼玖美子さんが指摘しているように( http://ray-fuyuki.air-nifty.com/blog/2006/07/post_dedf.html )、“悪しき文法中心教育”が問題ではないと、私も思います。林さんのおっしゃることとも繋がりますが、それが何語であれ、また、聴くにせよ読むにせよ書くにせよ話すにせよ、“言語を使う”ということに関するマインドセットが、たぶん問題なんじゃないかと思います。

 「基本的に同じことを考えている(はずの)者同士が、仲間であることを確認・追認するために、音声や記号で情報通信を行なう」という日本的な言語の使いかたと、「基本的にちがうことを考えている(敵かもしれない)者同士が、共通している部分を探りあうために、音声や記号で情報通信を行なう」というアメリカ的(“国際的”じゃなくて)な言語の使いかたとでは、最初から次元がズレてるんでしょうね、たぶん。どっちがいい、どっちが悪いという話じゃなく。

 日本語を上記の後者のようにして使う訓練が、いま、日本の教育にいちばん必要なんだろうと思っています。それさえできれば、どの外国語をどういうふうにどの程度学ぶかなんてのは個人の趣味と必要とライフスタイルの問題で、他人にどうこう言われたくはないですよねえ。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年8月30日 (木) 01時48分

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