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2007年7月22日 (日)

アニメ版『時をかける少女』を観る

 去年劇場公開されたばかりだというのに、アニメ版の『時をかける少女』がもう地上波テレビで放映されるというのを金曜日に知り、さっきリアルタイムで観ながら録画した。

 なるほど、評判どおりの名作ですなあ。丁寧な脚本もいいし、素朴なキャラクター造形もいいし、青春映画らしい声優もいいし、なにより緻密で美しく懐かしい“風景”(背景ではない)がいい。大胆に新たなストーリーを作り、デジタルの目覚まし時計やケータイといった、大林宣彦版『時をかける少女』には出てこないような今風の小道具が出てくるわりに“風景”はどこまでも懐かしく、作品から受ける感動は大林版のそれと本質的には同じである。いわゆる“青春”というのは、いつの時代でもおんなじもんだからだろう。いつも青春は時をかけるし、待ってられない未来がある。それを眩しく眺める芳山和子の使いかたもいい。おれたちくらいになると、芳山和子に感情移入しちゃうわけよ、この映画は。でしょ? そこのおじさん、おばさん?

 タイムリープの能力を得たとしたら、“あの日”に戻って、あれをやり直したい、これをやり直したい……と、若いころは思うこともあった。だが、いまこの歳になって振りかえってみると、つらいことも悲しいこともなにもかもひっくるめておれの人生なのであって、いまのおれを作ってきた二度と体験できないことどもなのである。おれはたぶん、未来人の技術で何回かタイムリープできる能力を与えられたとしても、いまのおれ自身を変えるような跳びかたはしないだろう。日曜の深夜に四十八時間前に跳ぶというのを繰り返して長期休暇を取るみたいな、みみちい使いかたしかしないだろうな。おれは、いままでのおれの人生で、“あの日からもう一度やり直したい”などと思うことはない。そんなしんどいことはまっぴらごめんである。おれはいまのおれが好きだし、いまのおれでいいし、おれのいままでの人生はそこそこ面白かった。それはたぶん、一回きりだから面白いのだ。つらくてもしんどくても悲しくても、一回きりだから面白いのである。

 そんなふうに思えるくらいの歳のおっさんが、この『時をかける少女』を観ると、これまたなんとも眩しく甘酸っぱく微笑ましく思えるのだ。『ウルトラマンコスモス』の傑作「雪の扉」(脚本:太田愛)に匹敵する名作ですな。青春映画のよさがほんとうにわかるのは、おっさん・おばはんになってからだというパラドックスも、皮肉といえば皮肉ではあるんだけどね。



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コメント

私も噂には聞いていましたが、軽い気持ちで観たら、涙たれ流しで大変でした。
最後の川原(土手)のシーンなんて、もうVHSの強みを使って、ぐりぐり巻き戻し、何度観たことでしょう。おばはんの証拠ですね♪

>そんなしんどいことはまっぴらごめんである。

前に誰かに質問されて、まさに↑のように答えたら驚かれましたー。まだこの先の人生を生きるのに手一杯で、戻ってやり直してる余裕がないだけかもしれませんが(笑)。

投稿: 湖蝶 | 2007年7月22日 (日) 13時08分

以前、ヴォネガットの件でリンクを貼らせていただきまして。。。丁寧なメッセージも頂戴いたしましたmixiのabyssです。


そうですよね。。私も「魔女おばさん」こと
>それを眩しく眺める芳山和子

に感情移入しまくりで。。そんなレビューも書いていました。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id324826/rid1784/p0/s0/c0/

冬樹蛉さんが、芳山派(?)と知り嬉しい限りです^^


投稿: abyss | 2007年7月23日 (月) 02時08分

>湖蝶さん

 大林版『時かけ』が高校のころだったので、いっそう思い入れがあるということもありまして、もう、この作品は、SF的にどーだこーだという次元を超えた、個人的な感傷に触れてくる反則(笑)作品だとゆーことで(;^_^)/。原田知世は永遠です。


>abyssさん

 でしょー、でしょー。そりゃ、芳山和子派ですってば。アニメの真琴は、内田有紀の芳山和子にイメージ的には近いかなと。安倍なつみ版も嫌いじゃないですけどね。でもやっぱり、原田知世は永遠です。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年7月23日 (月) 02時59分

作品は納得だったのですが、タイムパラドックスの扱いには不満が... 特に最後の「あと一回残っている」と真琴が気付くシーン。
もし、他人のタイムリープは、その人以外の全ての時間を完全に戻すのであれば、真琴は最後の一回を使ったことを知らないはず。
もし、真琴は一度最後の一回を使ったことを知っているのであれば、タイムリープの回数が1に戻ること自体に矛盾あり(意識はそのままなのに、カウントだけ戻るなんて)。

皆さん、どう思われます?

投稿: 齋藤 | 2007年8月 1日 (水) 01時15分

>齋藤さん

 ええ、ええ、時間ものハードSFとして考えれば、突っ込みどころだらけだと思いますよ。どのみち、オリジナルの「時をかける少女」にしてからが、ハードSFとしては疑問点がありますよね。「時をかける少女」は、原作も映像化作品も、ハードSF的なところは、最初からあまり意に介していないと思います。もっとも、大林版やテレビ版では踏襲していた“思い出が消えてしまう”といういままでの“時かけ”の核になるせつなさを、今回のアニメ版では思い切って改変していた点は、賛否両論あるかと思いますね。

 いずれにせよ、『マイナス・ゼロ』や「時の門」クラスの時間ハードSFはそうそうないので、タイムリープもののハードSF的厳密性には、私はあんまりこだわらないほうです。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年8月 6日 (月) 02時00分

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