ビミョーな口癖
どうもこの、最近、「ビミョー」というのが口癖になっていていけない。とくに職場で連発してしまう。たとえば、なにかの問題が生じたときなど、ああいうこともある、こういうことも考えられる、そういえばこんな例外もある……などといったことどもが一気に頭の中に浮かんできて、それらをいちいち説明しているのが面倒くさいし、説明したって相手がわかるかどうかはなはだ疑問であるといった場合に、「ビミョーですねえ」という言いまわしに逃げ込んでしまうのだ。なんたって、これがいちばん手っ取り早い。
だが、よく考えると、よく考えなくてもそうだが、この世の中に「ビミョー」でないことなんて滅多にあるものではない。「ビミョーですねえ」などという表現は、実質的にはなにも言っていないに等しいのだ。そうわかっていながら、やっぱり面倒くさいのが先に立って「ビミョーですねえ」を連発してしまう。
「運動している物体の現在の位置と速度が決定できれば、任意の時間後の位置と速度も予測できますよね?」
「それはビミョーでしょう」
「二点間の最短距離は直線ですよね?」
「いや、そのあたりもビミョーですねえ」
「三角形の内角の和は180度でしょ?」
「いや、それもまたビミョーと言えばビミョーなのでして」
「無矛盾な公理系において、すべての命題の真偽は決定できるでしょう?」
「いやいや、そのへんがまたビミョーなんですよねー」
いやなに、職場でこんな話をしているわけではないが、定性的には似たような話をしているような気がしないでもない。なんでもかんでもビミョーでやりすごしている。とにかく説明するのが面倒くさいのだ。こりゃ、脳が老化してきているのだろうな。いい大人が雁首を揃えて、「ビミョーですねえ」「ほんにビミョーですねえ」などと言い合っているさまは、どう見ても生産的とは言いがたい。
意を決して「ビミョー」をぐっと呑み込み、徒労感と戦いながら丁寧な説明に挑もうとすると、
「要するに、どうなの?」
などと、はなはだ意気阻喪する決め台詞を吐かれてしまう。こうなると、もはや気の短いおれには、必殺の「ビミョーですねえ」しか残されていない。
智に働けばビミョー、情に棹差せばビミョー、意地を通せばビミョーである。ああ、この世はビミョーだなあ……。
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