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2007年6月25日 (月)

『何も起こりはしなかった――劇の言葉、政治の言葉』(ハロルド・ピンター/喜志哲雄・編訳/集英社新書)

 イギリスが生んだ偉大な劇作家、ハロルド・ピンターの政治的発言と、劇作に関するインタビューをまとめたもの。ピンターにはノーベル文学賞とかいうあまりにも遅すぎる賞がほんの二年前に授与されているが、まあ、ノーベル賞をもらわなかったら、日本でこんな本が出ることもなかったろうから(ピンターにノーベル文学賞が出たとき、日本では嘆かわしいことに『ハロルド・ピンター全集』絶版だったのだ)、それはそれでめでたいことである。

 

 アメリカ合衆国はもはや低水準紛争などに煩わされたりしません。控え目であることはもちろん、遠まわしなやり方をすることにさえ、アメリカは意義を認めないのです。アメリカは何ら悪びれることなく、手の内を明かしています。アメリカは要するに国連も国際法も、また反対意見も(それは無力で無関係なものだと見なされています)、問題にしてはいないのです。アメリカの後ろには、首に縄をかけられ、弱々しい鳴き声をあげながらついていく子羊がいます。哀れで無力なイギリスです。


――ノーベル文学賞受賞記念講演「藝術・真実・政治」 

 二〇〇二年という年の最も吐き気のする映像のひとつは、何の罪もない何千ものイラク人の殺害を準備する作業に手を貸していたわが国の首相が、同時に、クリスマスの日に教会で跪き、地上の平和と全人類に対する善意のために祈っていたというものです。

――「下院での演説」 

 自由、民主主義、解放。これらの言葉は、ブッシュやブレアによって使われる時には、実質的には死、破壊、無秩序を意味しています。

――「イラク論争」 

 ピンターは、アメリカ合衆国という傲慢きわまりない国家のやり口を、明解な言葉で真正面から批判し、非難する。イギリスと同じく、アメリカの“ポチ”である国の国民としては(まあ、イギリスのほうは“スピッツ”だという人もいるが)、透徹した知性の歯に衣着せぬアメリカ批判、イギリス批判には、真摯に耳を傾ける価値がある。イギリスに生まれ育ち、しかもユダヤ系であるピンターが、自国とアメリカに対してこれほどまでに厳しい言葉を叩きつけるのは、功成り名遂げた文化人としての地位があろうとも、さぞや勇気の要ることだろう。まあ、どこぞのお坊ちゃま首相が書いた美しい妄想を読んでる暇があったら、こっちを読んだほうが、リアリティーというものについて、ずっとましな考察ができるにちがいない。

 本書に収められた講演やエッセイには、内容の重複がかなりあるけれども、重複しているがゆえに、ピンターの主張にぶれがないことがかえってよくわかる。最も痛快だったのは、「アーサー・ミラーの靴下」と題する小文だ。一九八五年、国際ペンクラブ代表として、軍事独裁政権下のトルコでの文学者に対する投獄・拷問を含む迫害の実態を調査しに訪れたアーサー・ミラーとピンターが、現地のアメリカ大使館の晩餐会に招かれた。主賓のアーサー・ミラーは、「アメリカは民主主義国であるのに、我々が訪問しているこの国を含む世界中のあらゆる国々の軍事独裁政権を支持しているのは、いったいなぜなのか」と問いかけるスピーチを堂々と行なった。食後、アメリカの大使と補佐官たちは、なぜかアーサー・ミラーにではなく、ピンターに歩み寄ってイチャモンをつけはじめた……という話なのである。結局、アーサー・ミラーとピンターは大使館を追い出されてしまうのだが、ピンターのサゲ(?)がかっこいい――「アンカラのアメリカ大使館から、望んで追放されたアーサー・ミラーと一緒に放り出されたのは、私の生涯の最も誇らしい瞬間のひとつだった」

 ちなみに、本書にも訳出されている、ピンターのノーベル文学賞受賞記念講演“Art, Truth & Politics”は、ノーベル賞の公式サイトで全文が読めるし、講演の動画も観られるYouTube にも上がっているけれども、画質・音質は、ノーベル賞サイトの RealPlayer 用ファイルのほうがずっといい。Windows Media Player 用ファイルがないあたりが、よくも悪くもヨーロッパだよねえ。

 思うに、現代において最も厄介な事実は、アメリカ合衆国というきわめて特殊な国が最も強大であるということなのかもしれない。

pinter nobel lecture


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