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2007年6月の23件の記事

2007年6月30日 (土)

中江真司死去

声優の中江真司さん死去 「トリビアの泉」ナレーション (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0629/TKY200706290412.html

 中江 真司さん(なかえ・しんじ=声優、本名佐藤良孝=さとう・よしたか)が28日、肝細胞がんで死去、72歳。通夜は7月1日午後6時、葬儀は2日午前11時から東京都国分寺市西恋ケ窪1の39の5の東福寺むさしの斎場で。喪主は妻夕希子(ゆきこ)さん。
 「仮面ライダー」シリーズをはじめ、「特捜最前線」「トリビアの泉」など多くのテレビ番組でナレーションを担当した。

 ついこのあいだまで、あの声を聴いていたもんだから、とても急なことに思えてしまう。生涯現役だったんだなあ。

 やっぱり、おれたちの世代にとっては、いつまでも『仮面ライダー』のナレーションの人ですわなあ――「仮面ライダー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは、世界征服を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと闘うのだ」

 すごいことに、「世界征服(制覇)を企む悪の秘密結社」というのは、日本語の“常套句”になってしまっている。まあ、似たような言いまわしはむかしからあったのだろうが、この言いまわしがこれほどまでに人口に膾炙し、常套句として安定し得たのは、ひとえに中江真司の功績と言ってよいだろう。そこのお父さん、子供のころ、よく真似したでしょう? いまでもおれは、ふと夜中に独りでやってしまうことがあるが……。あのナレーションの昂揚感がなかったら、きっと『仮面ライダー』は人気が出ず、V3までに終わっちゃったんじゃないかとすら思っている。

 あれは何年前だったか、仮面ライダー好きで有名なDA PUMPISSA『タモリのジャングルテレビ』に出演したときが、ISSAのために仮面ライダーの関係者を一堂に会した企画だった。ISSAは顔出しで出演した中江真司に、「仮面ライダー辺土名一茶は改造人間である。彼を改造したショッカーは……」と目の前でやってもらって狂喜していたものだ。アレ、自分の名前でやってほしかった人は、日本中にたくさんいるだろう。ISSAはラッキーな男だ。もう、どんなにラッキーな人でも、二度とアレをやってもらえることはないのだ。

 立花のおやっさんも逝った。死神博士も逝った。寂しいなあ。昭和がどんどん遠くなる。ああ、中江真司のナレーションなくしては、カルビーはどのタイミングでCMを出せばいいのか困るではないか。

 中江真司さん、ありがとう。お疲れさまでした。今日はひさしぶりにあなたのアレを聴いて、世界征服されることにします。



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2007年6月28日 (木)

『死刑廃止大作戦』 第24話「幼稚人間」

「ドラえもんが何とかしてくれる」母子殺害公判で元少年 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0627/OSK200706270110.html

 山口県光市で99年4月に会社員本村洋さん(31)の妻弥生さん(当時23)と長女夕夏ちゃん(同11カ月)を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死、窃盗の罪に問われている当時18歳の元少年(26)の差し戻し控訴審の第3回公判が27日、広島高裁であった。前日に続き弁護側の被告人質問があり、元少年はひもで夕夏ちゃんの首を絞めた認識について「ありません」と答え、夕夏ちゃんへの殺意も否認した。
 元少年は前日の公判で弥生さんへの殺意や強姦目的を否認。この日は弥生さんが死亡した後の行動について質問された。
 元少年は、夕夏ちゃんが泣きやまないので、「お母さんをあやめた自責の行為」として、ズボンのポケットにあった「剣道の小手のひも」を使って自らの左手を締めたと語り、夕夏ちゃんの首を絞めた認識はなかったとした。亡くなった夕夏ちゃんを押し入れの天袋に入れた理由は「4次元ポケットでドラえもんが何とかしてくれると思った」と話した。
 元少年は一・二審で2人への殺意を認めていた。検察側が反対尋問で、供述が変化している点について聞くと「記憶を精査した」と述べた。
 被告人質問はこの日で終了し、午後には、弁護側の依頼で元少年の犯罪心理鑑定をした加藤幸雄・日本福祉大教授(臨床心理学)の証人尋問が始まった。加藤教授は、元少年と実母は父親から暴力を受け、それぞれを必要とする「共依存の関係」にあったと指摘。元少年は中学1年の時に母を自殺で亡くし、親子、友人関係のバランスをとりながら自立する機会を失い、「内面の成熟が遅れた」と分析した。

 「ドラえもんが何とかしてくれる」ときたか。いや、こりゃすごいね。まるで「内面の成熟が遅れた」というオチに持ってゆくために、どこかの創造力のない大人どもが無理やりひねり出したかのような陳腐な臭いがする名台詞である。いや、べつに他意はない。おれにはそう聞こえてしかたがないという、個人的な印象だ。

 社会保険庁ミートホープの社長も、これはぜひ参考にすべきだ。「なぜこんなことをしたのか?」と詰問されたら、とりあえず、「ドラえもんが何とかしてくれると思った」と言っておけば、みんな「ああ、内面の成熟が遅れているのか」と好意的に解釈してくれるにちがいないぞ。べつにドラえもんを引き合いに出さなくとも、そんなことは誰もが知ってはいるけれども、ダメ押しだ、ダメ押し。言っておくに越したことはないぞ。減るもんじゃなし。

 いや、まったくこれはよいことを聞いた。明日さっそくそこいらを歩いている若い女を捕まえては「ハグしちゃお」と宣言しつつ次々と押し倒して、「ドラえもんが何とかしてくれる、ドラえもんが何とかしてくれる。アン、アン、アン、アン、アンっ、アンっ、アぁんっ、アぁんっ――とっても大好きドラえもぉぉぉんっ!!」と強姦しまくり殺しまくり、キャーキャー電車の中で騒ぐので前からうるさいと思っていたガキどもを片っ端から捕まえて、「ドラえもんが何とかしてくれるっ、ドラえもんが何とかしてくれるっ! ドラえもんがっ! 何とかっ! してくれるっ!」と壁やら床やらに叩きつけて殺してまわることにしよう。いやあ、なにしろおれときたら、書いたものを読めばわかるように、内面の成熟が遅れているもんでな。

 強姦と子供殺しに飽きたら、仕上げに適当な旅客機をハイジャックして、「ドラえもんが何とかしてくれるーーーっ! 」と叫びながら、国会議事堂か首相官邸か皇居にでも突っ込むことにするか。ドラえもん、バンザイ!

 あ、そうか。殺人事件の裁判を、これさいわいと手前の主義主張の政治的宣伝活動に利用し恬として恥じない弁護士などいうものがもし万が一どこかにおるのだとしたら、なにもまわりくどくてしらじらしい破廉恥な策を弄さずとも、ドラえもんに頼めば、死刑でもなんでもすぐ廃止してくれると思うぞ。♪チャッチャカチャッチャッ、チャーチャーチャーっ――「死刑廃止スプレ~!」



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2007年6月26日 (火)

肉屋のポリシー

 ♪どんなミンチのときも 絶対牛入れない
  そうよ それが 破廉恥肉屋のポリシー
  たまに ちょびっと入れる 大事な牛の代わり
  豚を入れて 二度挽いてゆくの
  プンと臭う 口の中で
  脂滴るわ
  怖いものなんかないよね
  なぜだか量が増えるね
  羊もたまにあるよね
  だから もっとみみちく
  もっとたいへんなもの 絶対放り込んでる
  きっと それは BSEのチャンス
  みんな 廃棄のときは とっても惜しくなるから
  自信持って 不二家してゆくの
  今は黙る 従業員も
  いつか口割るわ
  売りたい肉にするよね
  表示は常に牛よね
  自分じゃ食べられないよね
  だけど あとは野となれ
  怖いものなんかないよね
  なぜだか量が増えるね
  羊もたまにあるよね
  だから もっとみみちく


 ……いや、ちょっと唄ってみたかっただけ。



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2007年6月25日 (月)

もっと痩せる上級者コース?

 よーし、この七日間、よくついてきた。おれは君を誇りに思うぞ。

 君は、このブートキャンプで、引き締まった肉体以上のものを手に入れたんだ。それはけっして諦めないガッツだ。己の中から湧き上がる誇りだ。Stand tall! You made it! You can do it! You can do it! Yes, you can do anything if you really want to!

 さあ、これからの七日間では、人を素手で殺す方法を身につけるぞ。これをこなせば、君はなにも武器を使わずに十四通りの方法で人が殺せるようになる。言っておくが、かなりハードだ。だが、君ならできる。君ならできる。おれについてこい! You can do it! You can do it! Good job! Good job! Circle, circle, circle, circle! Count it, count it, count it, count it!! ワン、トゥー、スリー、フォー……。



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『何も起こりはしなかった――劇の言葉、政治の言葉』(ハロルド・ピンター/喜志哲雄・編訳/集英社新書)

 イギリスが生んだ偉大な劇作家、ハロルド・ピンターの政治的発言と、劇作に関するインタビューをまとめたもの。ピンターにはノーベル文学賞とかいうあまりにも遅すぎる賞がほんの二年前に授与されているが、まあ、ノーベル賞をもらわなかったら、日本でこんな本が出ることもなかったろうから(ピンターにノーベル文学賞が出たとき、日本では嘆かわしいことに『ハロルド・ピンター全集』絶版だったのだ)、それはそれでめでたいことである。

 

 アメリカ合衆国はもはや低水準紛争などに煩わされたりしません。控え目であることはもちろん、遠まわしなやり方をすることにさえ、アメリカは意義を認めないのです。アメリカは何ら悪びれることなく、手の内を明かしています。アメリカは要するに国連も国際法も、また反対意見も(それは無力で無関係なものだと見なされています)、問題にしてはいないのです。アメリカの後ろには、首に縄をかけられ、弱々しい鳴き声をあげながらついていく子羊がいます。哀れで無力なイギリスです。


――ノーベル文学賞受賞記念講演「藝術・真実・政治」 

 二〇〇二年という年の最も吐き気のする映像のひとつは、何の罪もない何千ものイラク人の殺害を準備する作業に手を貸していたわが国の首相が、同時に、クリスマスの日に教会で跪き、地上の平和と全人類に対する善意のために祈っていたというものです。

――「下院での演説」 

 自由、民主主義、解放。これらの言葉は、ブッシュやブレアによって使われる時には、実質的には死、破壊、無秩序を意味しています。

――「イラク論争」 

 ピンターは、アメリカ合衆国という傲慢きわまりない国家のやり口を、明解な言葉で真正面から批判し、非難する。イギリスと同じく、アメリカの“ポチ”である国の国民としては(まあ、イギリスのほうは“スピッツ”だという人もいるが)、透徹した知性の歯に衣着せぬアメリカ批判、イギリス批判には、真摯に耳を傾ける価値がある。イギリスに生まれ育ち、しかもユダヤ系であるピンターが、自国とアメリカに対してこれほどまでに厳しい言葉を叩きつけるのは、功成り名遂げた文化人としての地位があろうとも、さぞや勇気の要ることだろう。まあ、どこぞのお坊ちゃま首相が書いた美しい妄想を読んでる暇があったら、こっちを読んだほうが、リアリティーというものについて、ずっとましな考察ができるにちがいない。

 本書に収められた講演やエッセイには、内容の重複がかなりあるけれども、重複しているがゆえに、ピンターの主張にぶれがないことがかえってよくわかる。最も痛快だったのは、「アーサー・ミラーの靴下」と題する小文だ。一九八五年、国際ペンクラブ代表として、軍事独裁政権下のトルコでの文学者に対する投獄・拷問を含む迫害の実態を調査しに訪れたアーサー・ミラーとピンターが、現地のアメリカ大使館の晩餐会に招かれた。主賓のアーサー・ミラーは、「アメリカは民主主義国であるのに、我々が訪問しているこの国を含む世界中のあらゆる国々の軍事独裁政権を支持しているのは、いったいなぜなのか」と問いかけるスピーチを堂々と行なった。食後、アメリカの大使と補佐官たちは、なぜかアーサー・ミラーにではなく、ピンターに歩み寄ってイチャモンをつけはじめた……という話なのである。結局、アーサー・ミラーとピンターは大使館を追い出されてしまうのだが、ピンターのサゲ(?)がかっこいい――「アンカラのアメリカ大使館から、望んで追放されたアーサー・ミラーと一緒に放り出されたのは、私の生涯の最も誇らしい瞬間のひとつだった」

 ちなみに、本書にも訳出されている、ピンターのノーベル文学賞受賞記念講演“Art, Truth & Politics”は、ノーベル賞の公式サイトで全文が読めるし、講演の動画も観られるYouTube にも上がっているけれども、画質・音質は、ノーベル賞サイトの RealPlayer 用ファイルのほうがずっといい。Windows Media Player 用ファイルがないあたりが、よくも悪くもヨーロッパだよねえ。

 思うに、現代において最も厄介な事実は、アメリカ合衆国というきわめて特殊な国が最も強大であるということなのかもしれない。

pinter nobel lecture


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2007年6月24日 (日)

声の力

 いまソルマックのCMをテレビで観て思ったんだけどさ、ひろしピョン吉町田先生も、むかしと同じ声優さんなんだよなあ。声優ってのは、顔を出す俳優に比べると、けっして労働条件や報酬がよいとは言えない商売だそうだが、いったん地位を確立すると、かなり年を食ってもお座敷がかかる商売ではあるらしい。もっとも、それで食ってゆくとなるとたいへんだろうけど。野沢雅子千々松幸子永井一郎なんかには、マジで紫綬褒章くらいあげるべきではないかと思う。



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2007年6月22日 (金)

ビミョーな口癖

 どうもこの、最近、「ビミョー」というのが口癖になっていていけない。とくに職場で連発してしまう。たとえば、なにかの問題が生じたときなど、ああいうこともある、こういうことも考えられる、そういえばこんな例外もある……などといったことどもが一気に頭の中に浮かんできて、それらをいちいち説明しているのが面倒くさいし、説明したって相手がわかるかどうかはなはだ疑問であるといった場合に、「ビミョーですねえ」という言いまわしに逃げ込んでしまうのだ。なんたって、これがいちばん手っ取り早い。

 だが、よく考えると、よく考えなくてもそうだが、この世の中に「ビミョー」でないことなんて滅多にあるものではない。「ビミョーですねえ」などという表現は、実質的にはなにも言っていないに等しいのだ。そうわかっていながら、やっぱり面倒くさいのが先に立って「ビミョーですねえ」を連発してしまう。

  「運動している物体の現在の位置と速度が決定できれば、任意の時間後の位置と速度も予測できますよね?」
  「それはビミョーでしょう」
  「二点間の最短距離は直線ですよね?」
  「いや、そのあたりもビミョーですねえ」
  「三角形の内角の和は180度でしょ?」
  「いや、それもまたビミョーと言えばビミョーなのでして」
  「無矛盾な公理系において、すべての命題の真偽は決定できるでしょう?」
  「いやいや、そのへんがまたビミョーなんですよねー」

 いやなに、職場でこんな話をしているわけではないが、定性的には似たような話をしているような気がしないでもない。なんでもかんでもビミョーでやりすごしている。とにかく説明するのが面倒くさいのだ。こりゃ、脳が老化してきているのだろうな。いい大人が雁首を揃えて、「ビミョーですねえ」「ほんにビミョーですねえ」などと言い合っているさまは、どう見ても生産的とは言いがたい。

 意を決して「ビミョー」をぐっと呑み込み、徒労感と戦いながら丁寧な説明に挑もうとすると、

  「要するに、どうなの?」

 などと、はなはだ意気阻喪する決め台詞を吐かれてしまう。こうなると、もはや気の短いおれには、必殺の「ビミョーですねえ」しか残されていない。

 智に働けばビミョー、情に棹差せばビミョー、意地を通せばビミョーである。ああ、この世はビミョーだなあ……。



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2007年6月20日 (水)

心理的ダイエットの秘策?

カロリーからジュールへ? (asahi.com)
http://www.asahi.com/edu/student/kyoukashow/TKY200706140209.html

 暮らしの中でエネルギーの単位といえばカロリー。中学や高校の理科の分野でも幅をきかせていたが、現在はジュールに置き換わっている。
 カロリーは、1気圧のもとで1グラムの水の温度を1度上げるのに必要な熱量で、ラテン語で「熱」を意味する。ジュールは、1ワットの電力を1秒間使った時に発生する熱量。仕事量の単位でもあり、19世紀の英物理学者ジュールに由来し、1カロリーは約4.2ジュールとなる。

 「エネルギーの単位」っちゅうよりは、熱量の単位だけどな。まあ、この日記では、以前にもキログラム重とニュートンとか、ガウスとテスラとかをネタにしたことがあるから、同系列のネタですなあ。しかし、記事にもあるように、ジュールのほうが感覚的によくわかるといった世代が育ってくるとは考えにくいよなあ。

 もっとも、マクドナルドで発作的にメガてりやきが食いたくなったら、「これは三千七百九十二・六キロジュールなのだ」と考えてみることは、肥満予防にはよいかもしれない。



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2007年6月19日 (火)

ケツの穴の小さい記事

ボンズ748号、記録にあと7本 「*」Tシャツ観客も (asahi.com)
http://www.asahi.com/sports/update/0618/TKY200706180038.html

 ジャイアンツのボンズが17日、レッドソックス戦で今季14号本塁打を放った。5試合ぶりの通算748号で、ハンク・アーロンの持つ755本の大リーグ最多記録にあと7本に迫った。

(中略)

 薬物使用疑惑の渦中にいて、記録を巡っても論争が続いている。この3連戦も「注釈つき」を意味する「*(アスタリスク)」のTシャツを着た観客がいた。大ブーイングやステロイド・コールを浴びたボンズは、それでも「敵地ではブーイングされるものだ」と淡々としていた。

 ちゅ、「注釈つき」? なんのこっちゃ、そりゃ?

 あ、あのー、「*」ってどう考えても asshole って意味だと思うんですけど……。朝日新聞の記者は、育ちがよすぎて、ヴォネガットとか読まないのかな? センセーに読んじゃいけないとか言われました? それとも、わかっていながら、なにか縛りがあって、わざとわけのわからない表現にしてます? あるいは、まさか、自分のでも他人のでも、あそこいらへんを見たことがないとか――!?



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2007年6月18日 (月)

バッタたちの人生

 そういえば、先週、関西空港の2期空港島にバッタが大量発生したというニュースがメディアを賑わせていた。そのバッタの数たるや、報道媒体によってちがうのだが、百万匹とも数百万匹とも一千万匹とも言われている。おれもあの映像を見たが、まあ、雲霞のごとし(バッタだけど)というのは、ああいうのを言うのだろう。

 そこで、おれははたと気づいた。あのバッタ、まあ、中を取って、約五百万匹くらいとしようや。とすると、な~るほど、五千万件というのはものすごい数なのだと、感覚的によくわかったよ。あの空港島にいた全バッタの十倍ほどの人間が、手に手に鎌やら鍬やら鋤やらを持って、社会保険庁を打ち壊しに霞が関に集結した画が、妙にリアルに脳裡に浮かんだことであった。



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出たな妖怪、『水からの伝言』

★き たーーーーーーーーー (前野[いろもの物理学者]昌弘のページ:日記兼更新記録 ■2007.6.17)
http://homepage3.nifty.com/iromono/diary/200706B.html#17

 今日は息子の小学校の授業参観でした。道徳の授業をやっているのをぼんやり見ていると、隣の教室の声が聞こえてくる。なにやら音楽をかけているようだ。

この音楽を聴かせると、こんな結晶ができます
おおおお(子供のどよめき)」

ちょっと待てこらなんだ今のは。
 思わず自分の子供そっちのけで隣の教室へ行くと、今度は

『ありがとう』と書いた紙を貼ったら、結晶はこうです
へええええ(子供のどよめき)」
『ばかやろう』だとこうです
ひゃあああ(子供のどよめき)」

 あああ、決定だ。

水伝きたーーーーーーーーーーーーーー!!


 というわけで、菊池誠さんと並ぶSF界のトンデモハンター、いろもの物理学者こと前野昌弘さんのお子さんの小学校にも、ついにあの『水からの伝言』汚染がやってきたそうなのである(じつは二度めだとか)。それにしても、よりによって、物理学者の前野さんが父兄として授業参観にやってきているときに、隣のクラスでこんな授業を行うとは、天網恢々疎にして漏らさずとはよく言ったものである(意味のわからん人は、水に訊かないで辞書を引こう)。

 それにしても、まだこんな授業をやっている小学校があるとは、まったくもってけしからん。卑しくも教諭の資格を持っている方々は、『「水からの伝言」を信じないでください』(学習院大学理学部物理学科・田崎晴明教授)と『「水からの伝言」を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけ』(大阪大学サイバーメディアセンター・菊池誠教授)を熟読するように。

 おれが思うに、『水からの伝言』を“道徳教育”に用いることは、理科教育に用いること以上に罪作りなことだと思う。罪作りというよりも、情けないことだと思う。

 科学的には「アホか」で終わりなのである。問題は、道徳的には「結論はそれほど悪いことを言っていないのだから、科学的事実などは二の次として、方便として教育に使ってもいいではないか」という奇妙な主張がまかり通っている点なのだ。これはすなわち、「細木数子や江原啓之の言っていることは、結論としてはそれほど社会常識に反しているわけではないから、彼らの主張の根拠がなんであれ、公共の電波で流す価値がある」という考えかたと同じである。ふざけるな。

 これはもう、教育者の堕落以外のなにものでもない。“水伝”やら『オーラの泉』やらを奉じている教育者どもは、もはや自然科学のふりをしたインチキ権威やら、超常現象のふりをしたインチキ権威やらを口実にしなくては、まともな社会道徳すら教えられなくなってしまっているのだと、みずからの無価値さ加減に恥じ入るがいい。そんな輩を教育者であるとは、おれは認めない。

 あなたのお子さんには、危険が迫っている。小学校でこんなバカなことを教えているのだぞ。事実に反することでも、それが耳に心地よければオーケーなのだという教育が、実際になされているのだ。これは憂国の事態である。資源もなーんにもない国が、“知”という最強の資源を失ったら、どうなると思う? こんなバカなことを教えている教師は、教師として不適格である。ほかにいくらでも仕事はあるのだから、頼むから教師だけは辞めろ。

 お子さんが学校でこういうバカなことを習って(?)きたら、心ある親御さんは、ぜひ学校にねじ込んでいただきたい。その前に、もし給食費を払ってなかったら、ちゃんと払ってからにしてほしいが……。



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石田純一は反則だろう

Mr.クールビズは、石田純一さんと小泉前首相 (asah.com)
http://www.asahi.com/life/update/0617/TKY200706170142.html

 クールビズが似合うのは安倍首相より、小泉前首相――。カジュアル衣料のユニクロがクールビズが似合う有名人を、ビジネスマン、主婦、OLの3層に挙げてもらったところ、俳優の石田純一さんと小泉純一郎前首相が1、2位を独占。安倍首相は、主婦層の7位で顔を出すのがやっとだった。

 小泉前首相はともかくとして、石田純一の場合は“クールビズが似合う”っていう次元の話じゃないような気がするけどなあ。ふつうのサラリーマンは素足に革靴履くわけにはいかんでしょ、やっぱり。石田純一がアリなんだったら、江頭2:50こそがクールビズの王者だと思うぞ。



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2007年6月15日 (金)

全国朝日放送化進行中?

 最近、赤江珠緒山本モナをあまりにもしばしばテレビで目にするため、おれには、まるで民放各局が全部朝日放送になってしまったかのように感じられる。関西の人は、みんなそんなふうに感じているのではあるまいか。いや、正直な話、元朝日放送アナウンサーがフリーになってあちこちに出ているというよりも、どのチャンネルであろうが、あの二人のいずれかが出てくると、それはすなわち朝日放送であるかのように感じてしまうのであった。

 考えてみれば、二人とも“不倫”が引鉄でいまのようになっているわけなのである。赤江のタマちゃんは、他人の不倫がきっかけでテレビ朝日に引っぱり出され、あれよあれよという間に、いまのポジションを確立した。一方、山本モナは、フリーになったあと、自身の不倫路チュー写真で叩かれて、あれよあれよという間に意外とバラエティー向きのキャラを発掘され、いまのポジションを確立した。山本モナを観るたびに、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという言葉が脳裡をよぎり、むかしの人はうまいこと言うなあと改めて感心したりする。

 まあ、人間、どこでどうなるかわからんものだよなあ。だからこそ、人生面白い。



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2007年6月14日 (木)

これがホントのスーパーノヴァ

NOVA、虚偽説明・誇大広告も 違法18種類 (asahi.com)
http://www.asahi.com/special/070614/TKY200706130425.html

 経済産業省は13日、英会話学校最大手「NOVA」(統括本部・大阪市)に複数の特定商取引法違反(不実告知など)にあたる行為があったと認定し、業務の一部を6カ月間停止するよう命令した。違法行為は、勧誘時にうその説明をする「不実告知」のほか、「書類の記載不備」「誇大広告」など6項目の条文にわたり、18種類の行為に及んだ。業務停止は、1年または70時間を超える長期の新規契約が対象で、同社は14日から勧誘、受け付け、締結ができなくなる。

 2003年5月に「今月の言葉」にした「一回聴けて、一回しゃべれる」ってのは、どうやらかなり当たっていたみたいだなあ。

 まあ、このままNOVAは雲散霧消しちゃうのかもね。



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2007年6月12日 (火)

カエルのものはカエルに、カビのものはカビに返しなさい

ツボカビ症、国内野生種も ウシガエルから確認 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0611/TKY200706110095.html

 カエルなど両生類に感染し、絶滅などの危機を引き起こす恐れのあるカエル・ツボカビ症が、国内で野生のウシガエルなどにも感染していることがわかった。国内にいる野生のカエルで感染が確認されたのは初めて。仮にツボカビ症でカエルが減れば、カエルを捕食するヘビや鳥類の減少で生態系のバランスの崩壊につながる恐れもある。環境省は今夏から全国調査を始めるという。

 あああ、ついに恐れていたことが……。「わしの若いころにはなあ、日本にもカエルというのがおったんじゃあ」などと、姪たちのまだ生まれぬガキどもに語らねばならん日が来るのだろうか。

 がんばれ、日本のカエルたちよ! その巨大なゲノムの中には、このような種の危機に直面したときに活性化する、とっておきのコードが秘められているのやもしれん。そうであってほしい。ツボカビがなんだ! 日本のカエルの底力を見せてやれ!



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2007年6月11日 (月)

グラビアアイドルと国会議員との奇妙な関係

 奇妙な“クン付け”の習慣があるわけだ。

 青年誌のグラビアに出てくるアイドルは、少なくとも、おれが若いころはみんなキャプションでは“クン付け”だったと記憶している。「斉藤慶子クン」とか「小森愛クン」とか「小川菜摘クン」(爆)とか、そういうやつ(ふる~)。いまでもやってるんだろうか? アレはいったいなんなんだろうね? よくよく考えてみると、天才的なコピーライティングセンスだと思うのだよな。その後のフォーマットを決定したくらいに天才的だ。つまり、グラビアアイドルを「○○ちゃん」などと呼ぶとすると、彼女は“女のコの側”にいる誰かさんなのであって、その水着姿だの裸身だのを一人じっくり鑑賞するのには、なーんとなく罪悪感のようなものが出てくる。ところが、「○○クン」であれば、彼女は若い男のコたちにとって“こちら側に新たに登場した誰かさん”になってしまうのだ。つまり、彼女と読者とのあいだに、ある種の共犯者関係のようなものが暗示される。これ考えたやつはすごいと思うね。たぶん〈週刊プレイボーイ〉あたりの記者だろうと推測するのだが、確かなことはわからない。

 もうひとつ、奇妙な“クン付け”がある。国会だ。「麻生太郎クン」とか言ってますわな。おれは国会のアレを聞くと、閣僚やら国会議員やらが、まるでグラビアアイドルであるかのような妖しい想像を反射的にしてしまうのである。

 サァ、今週は秋葉原で活躍中の麻生太郎クンが、本誌だけのために、そのセクシーバディーを惜しげもなくさらしてくれた。
 ポップな毒舌とニヒルにゆがんだ口元がボクらのハートをワシヅカミだ!

 ……みたいなキャプションを、アレを聞くと考えちゃうんだよな。おれだけかもしれないけどさ。



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2007年6月 7日 (木)

やっぱり、ROTRING はいい!

Rotring02 まずマルチペンが登場する。彼は気がくるっていた。

 ……じゃなくて。

 いや、先日、ひさびさにまともなペンを買ったんだが、これがもう、太さといい長さといい重量バランスといい、ぴたりと指に吸いついてきて絶妙な書き心地。握ってるだけで快感なので、なにも書く用事がなくても知らずしらず弄んでしまうほどだ。「ROTRING エクステンションインプット」――お値段相当の優れものである。やっぱり、こういうメカニカルなペンは ROTRING にかぎるねえ。STAEDTLER も好きだけど、おれにはちょっとお洒落すぎるんだな。質実剛健、道具としてのレゾン・デートルを徹底追及した合理性と信頼性が醸し出す無骨な美に、おれはむしろエレガンスを感じる。まあ、G-SHOCK とかが好きな人は、たいてい ROTRING も好きなんではあるまいか。おれの偏見も多少あるかもしれんが、ドイツの文房具って、なんでこんなにいいんでしょうね。

 それはともかく、この「ROTRING エクステンションインプット」、黒ボールペン、蛍光オレンジボールペン、0.5mm シャープペンシル、PDAスタイラスが一本になってるんだが、おれが最もよく使うのは、スタイラスとしてなのである。PDAを使うから、近年、この手のマルチペンばっかり使っているんだけども、こいつのスタイラスとしての使い心地は群を抜いている(まあ、スタイラスとして考えると、お値段も群を抜いているが……)。もう、ほかのスタイラスは使えん。こいつとは長いつきあいになりそうだ。

Rotring01 長いつきあいといえば、中学生のときに買った「ROTRING メカニカルシャープペンシル600」ときたら、いまだに現役で快適に使える。これも無骨な六角柱の軸と重量感がいいのだよなあ。ほとんどモデルチェンジしてないのがすごい(おれの持ってるのはグリップも金属でヤスリ状になっていて、どんなに汗をかいても滑らないのだ)。あのですね、かれこれ三十年ですぜ。いろいろ浮気もしてきたが、ときどきこいつが無性に使いたくなる。むかし、「結局、ここに還ってくる」ってウィスキーのCMコピー(ホワイトホースだよな)があったけど、まさにそんな感じ。基本的には製図用のシャープペンシルだから、日本語の文字を大量に書くのには向かないのだが、絶対確実に安定的に動作すると絶大な信頼を寄せているので、試験とかを受けなくちゃならないときには、お守りのようにして持ってゆくことにしている(まず、本番では使わないのだが……)。

 かようにドイツ文具を愛する者として、ひとつ日本の文房具界の慣例表記に文句を言いたい。「ロットリング」「ステッドラー」などという表記が定着してしまっているのだが、そんなもん、英語読みしちゃったんでは、トホホな語感になってしまう。「アインスタイン」なんて物理学者がいたら、なんか頭悪そうじゃないか。いまからでも、「ロートリンク」か「ロートリング」、「シュテットラー」か「シュテートラー」くらいにならんもんかな。おれは口で言うときには、頑なに「ロートリンク」「シュテットラー」にしてるんだけどな。




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2007年6月 6日 (水)

ほろ酔い加減で一作

「はにかみ王子とハニカム格子くらいちがう」

 ま、誰でも思いつきそうなネタではありますが……。じゃあ、

「はにかみ王子とウメ星デンカくらいちがう」

 ってのはどうだ? なに、若い人にはわからない? すまん。



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2007年6月 5日 (火)

十五年前の冷めたピザ?

ニール・スティーブンソン、セカンドライフをクールと言う (On Off and Beyond)
http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/06/post.html

ま、Neal Stephenson的には、もうメタバースなんて飽き飽きしちゃってたのかもしれませんね。

 だろうなあ。ヴァーチャルワールドの話となると、たんびたんび引き合いに出されるのが、正直もう、うざいんでしょうな。以前、"Google Earth general manager John Hanke has said that Google Earth was partly inspired by Snow Crash's metaverse." なんてことが書いてあった記事もあったし。作家的には、とっくのむかしに自分の頭の中にあるものに、たまたま“外の現実”が似てきたからといって、「それがなにか?」みたいな感じなのかもね。考えてみれば、『スノウ・クラッシュ』から十五年だよ、十五年。殺人事件だって時効になるくらい経ってるわけだ。

 「おめでとうございます、白川先生。導電性ポリマーの発見と開発の業績に対して、ノーベル賞が授与されるそうです」
 「は? いつの話だっけ?」

 ……みたいな感じかも。

 まあ、作家のキャラにもよるだろう。たとえば、近い将来、軌道エレベータを初めて造った人がアーサー・C・クラークにパーティーで出会って(チャールズ・シェフィールドはもう故人だが、クラークならそのころまで生きていたとて不思議ではない)、「ボボボボクは子供のころにあなたの小説を読んで……」と興奮して話しはじめたとしたら、クラークなら子供のように一緒に興奮して相手を質問攻めにし、自分の小説を照れも衒いもなく自慢するような気がする。しませんか?



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目覚めた人

「オタク」の3人に1人程度は中学生で「覚醒」~ワンズ・コミュニケーションズが調査 (japan.internet.com)
http://japan.internet.com/wmnews/20070530/4.html


あなたがオタクに目覚めたのはいつですかとの質問では、「小学生に入る前」が6.8%、「小学生(低学年)」が10.8%、「小学生(高学年)」が23.1%、「中学生」が32.6%、「高校生」が14.8%、「大学・大学院・専門学校」が8.7%、「社会人」が1.8%、「その他」が1.3%と答えている。

自分が「オタク」であると自覚する回答者の3人に1人程度が「中学生」でオタクに目覚めているとの結果だ。

 う、うーむ……。“覚醒”という言葉が妥当かどうかについては、意見の分かれるところであろうな。仏陀じゃあるまいし。

 おれはアレは“発症”するもんだという気がする。多くは慢性化し、稀に寛解する症例もあるが、完治はしない(きっぱり)。



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2007年6月 4日 (月)

『ツキアカリ』(Rie fu/パームビーチ)

 おれがいま毎回観ているアニメの中でいちばん気に入っているのが『DARKER THAN BLACK 黒の契約者』なんだけれども(“いちばん優れていると思う”となると、『電脳コイル』に軍配を上げるけど、おれはなにかにつけて判官贔屓なのだ)、アニメの内容は横に置いておくとしてだ、初回を観たときガツンとやられましたな、このエンディング曲「ツキアカリ」に。「CDが出たら買っちゃうだろうな」とは思っていたが、やっぱり買っちゃいましたわ。

 この Rie fu って人、二〇〇四年にデビューしてけっこうファンもついているらしいので、単におれが知らなかっただけなんだが、いや、いいねえ。おれはまあ、なんちゅうか、音楽ファンというよりは一介の“声フェチ”なもんで、基本的に音楽情報に疎いわけなのだが、今回ばかりは声フェチとしての不明を恥じましたな。こんな人を知らなかったとは、疎いにもほどがある。

 この「ツキアカリ」を聴いて最初に感じたのは、“七〇年代の歌謡曲みたいな懐かしさ”である。声からすると、そんなに年食った歌手だとは思えないので、『DARKER THAN BLACK 黒の契約者』の擬似レトロなモチーフに合わせて年配の作曲家が作ったのかなあとも思ったんだが、Rie fu の公式サイトのプロフィールを見て、その若さに驚くと同時に合点がいった。そうですか、子供のころアメリカにいて、七〇年代ポップスにどっぷり浸かって過ごしましたか(そのときはもう、九〇年代なのに)。カーペンターズの影響をもろに受けているとなれば、そりゃおれのアンテナが反応するはずだよ。もっとも、おれが「ツキアカリ」に感じた懐かしさは、アメリカンポップスというより、日本の七〇年代歌謡的な匂いだったんだけどね。Rie fu という日本人のフィルターを通って出てきた七〇年代アメリカンポップスの薫りが、ちょうどおれくらいの年齢の人間には、日本の七○年代歌謡みたいに感じられるということなのかな?

 ということは、Rie fu は、ある意味、しょこたんに似ているのかな。つまり、親の世代が好きだったものに子供のころに影響を受けて、実年齢に合わない好みを醸成してしまったがゆえに、おれたちの世代に不思議な懐かしさを伴った新鮮さを感じさせるのだろう。とすると、オンデマンドなメディアが発達してくるにしたがって、Rie fu やしょこたんみたいな“遅く生まれすぎた子供たち”が、さほど特別な家庭からでなくとも、これからどんどん出てくるということだな。

 てなわけで、ここ三、四日、「ツキアカリ」をやたら聴いているのだった。ちょっと鼻にかかった独特な声が、おれの耳には妙に心地よく癖になる。ちなみに、六月十五日まで、Yahoo!動画で「ツキアカリ」のビデオクリップがまるまる観られるので、ぜひお試しあれ。四十代以上の人なら、おれが「懐かしい」と言っている感じがおわかりいただけるかと思う。



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2007年6月 1日 (金)

購買力のあるターゲットを逃しているぞ

キャラクターになりきって写真や動画 子ども向け写真館 (asahi.com)
http://www.asahi.com/komimi/TKY200705240102.html

 バンダイは6月16日、横浜市都筑区に、テレビでおなじみのヒーロー、ヒロインになりきって撮影できる、こども写真館「キッズフォト バンダイスタジオ」をオープンする。写真だけでなく、キャラクターになりきった子どもの様子をDVDに記録する、動画撮影サービスもある。(アサヒ・コム編集部)

 わかってねーなー! なに言ってんだよ、大人向けのこういうものこそを市場は求めているのだ! われわれ〈イエスタデイ・ワンス・モア〉は、バンダイの高度経済成長的ガンバリを期待する。以上だ。

 ……って、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観てないとわからないネタですまん。でもまあ、ここ読みに来るような人は、五人に三人くらいは観てるよね?



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今月の言葉

狂いは五千万の胸騒ぎ

 「♪五千万、五千万」と合いの手を入れて唄っていただきたい。いやまあ、胸騒ぎですめばいいんだが……。

 あ、いま続きもでけた――

  ♪狂いは 五千万の 胸騒ぎ
   (五千万、五千万)
   はがゆいくらいに
   Expedient Japaaaaan!!



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