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2007年5月15日 (火)

『沈黙のフライバイ』(野尻抱介/ハヤカワ文庫JA)

 もう九年ほども前のことだ。おれも連載を持っていたウェブ雑誌の〈SFオンライン〉で表題作「沈黙のフライバイ」のダウンロード販売がはじまったとき、おれは「おお、時代が変わってゆくのをおれはいま目の当たりにしている」と興奮したものである。当時はまだ“SF冬の時代”といった感覚的な表現が既成事実であるかのようにまかり通っていたころであって(じつのところおれは、あの時代は、表現形質に顕れてこない“SFの中立進化”が深く静かに進行していたのだろうと思っている)、そこへ直球ど真ん中の地味なファースト・コンタクトSFがウェブマガジンのダウンロード販売といった場から飛び出してきたのだから、快哉を叫んだ人も少なくなかった。

 ま、年寄りの回想はほどほどにしよう。いや、もっとむかしを回想しようか。アポロ11号が月に着陸したころ、もう宇宙旅行(“旅行”と呼ぶには、まだあまりにも過酷だが)は現実のものなのだから、SF作家は飯の食い上げだなどという議論が一部にあったと聞く。アポロ11号はおれたちの世代にとっては人生がひっくり返るようなリアルタイムの衝撃的な体験なのだが、さすがにそのころはSFをめぐる議論のことなんて、晩稲のおれは知らない。

 実際には、アポロの月着陸くらいで宇宙SFは滅びなかった。あたりまえだ。むしろ、みなが日常的にGPSを使い、スペースシャトルが飛んでも驚きもせず、日本人宇宙飛行士が珍しくもなく、誰もがふと Google Earth で自分の家を探してみたりするような時代になったからこそ、野尻抱介のストレートな宇宙SFは、われわれの夢をかき立てる。

 なぜか野尻抱介の宇宙SFを読むと、子供のころに段ボール紙やら竹ひごやらなにやらで作ったロケットの延長線上に、気負いも衒いもなく、素直に宇宙が広がっているような気になる。ひょいと手を伸ばせば届きそうなところに宇宙があるような気にさせられてしまうのだ。いや、実際そうなんだよ。それはそうなんだが、まあ、たいていの人は、ひょいと背伸びをすれば宇宙に手が届くとはふだん思っていない。

 まあ、騙されたと思って本書を読んでごらんなさい。表題作「沈黙のフライバイ」はもちろん、「轍の先にあるもの」「片道切符」「ゆりかごから墓場まで」「大風呂敷と蜘蛛の糸」と、どの収録短篇を読んでも、明日にでも自分が宇宙に行けそうな気分にさせられてしまう。これは野尻抱介が実際の宇宙開発技術によく通じていて、どこまでがいますぐにでも(リソースさえあれば)実現できて、どこからが想像の翼の力を借りねばならない領域なのかを知悉しているからこそできる藝当なのだ。つまり、野尻抱介は、「ほら、こんなふうにすれば、もうあなたは宇宙にいて、そこではこんなことが……」と、活字を使っておもしろ実験をしてくれる宇宙のでんじろう先生なのである。

 日曜大工が好きなお父さん、凝った料理が好きなお母さん、そしてもちろん、すべての子供たち、若者たちにお薦め。宇宙はすぐそこにある。いや、〈いま・ここ〉は、最初から宇宙の一部なのだ。



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コメント

先月東京出張に行くとき、新大阪駅で買って、行きで一回、帰りでもう一回読みました。面白いですね。本当に。

> 明日にでも自分が宇宙に行けそうな気分にさせられてしまう。
という、まさにその通りの感想でした。
特に「轍の先にあるもの」を読んだあとでは、なぜ2007年の現在にモルジブにテザーが架橋されていないか、不思議な気持になってきます。

投稿: いかなご太郎 | 2007年5月15日 (火) 23時25分

>いかなご太郎さん

 私は「大風呂敷と蜘蛛の糸」みたいなのがけっこう好きです。なんちゅうか、地上か宇宙かという二択じゃなくて、じわじわ高空へ昇ってゆくところがいいですね。それにしても、こういった路線の『ふわふわの泉』が入手困難なのは、まったくもって日本の損失です。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年5月16日 (水) 02時58分

私もダウンロード販売で買ったクチです。
そして、プリントアウトして紙で読みました……。

それはそうと、「沈黙…」「轍…」「大風呂敷…」は特にいいですね。
A・C・クラーク作品を読んでいた頃のわくわく感を思い出します。

投稿: koga | 2007年5月17日 (木) 21時22分

私の本棚にはなぜか『ふわふわの泉』が二冊ささっております。
それほどもうろくしたつもりはないのですが。
読みやすくて、いろいろと面白い知識が得られて、しかも、読んでいる間ずっとわくわくさせてくれる名作ですね。>『ふわふわの泉』

ところで「凝った料理が好きなお母さん」はマナをどう料理するのでしょうか?

投稿: いかなご太郎 | 2007年5月19日 (土) 02時00分

>kogaさん
>私もダウンロード販売で買ったクチです。

 もう、あれから十年近くも経つんですよねえ。

 「轍……」は、、現実から離陸してゆくあたりの感覚がいいですね。まあ、なんちゅうか、心理的には全部現実なんですが。

>いかなご太郎さん

 『ふわふわの泉』は文部科学省が復刊して、全国の理科クラブ・科学クラブに一冊ずつ国庫から寄付すべきです。

>「凝った料理が好きなお母さん」はマナをどう料理するのでしょうか?

 そりゃあ、カナと一緒に料理するに決まってるじゃあありませんか。


投稿: 冬樹蛉 | 2007年5月22日 (火) 00時38分

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