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2007年5月の25件の記事

2007年5月31日 (木)

“井の中の蛙”は絶滅危惧種か?

 さっき、『しょこたん☆かばー』を聴いていたら、いつものようにバカなフレーズをなんの気なしに口ずさんでしまった。

   ♪セマンティックあげるよ~ セマンティックあげるよ~

 シンタクスに縛られて息苦しい思いをしている人を励ます歌であるにちがいない。

 だが、待てよ。これはイカにもタコにも、この世界のどこかですでに唄われていそうなフレーズである。さっそく検索してみると、やっぱり唄っているやつが複数いた。

 これはいかん(なにがいかんのだかはよくわからないのだが)。もうちょっとヒネらなくてはいかん。

 そこでおれは、パソコンが危険に晒されて不安を抱いている人を励ます歌をすぐに思いついた。

   ♪シマンテックあげるよ~ シマンテックあげるよ~

 人によっては、即座に「要らん」というかもしれないが、おれは自宅ではシマンテックのセキュリティーソフトを使っている。まあ、とびきりいいとも思えないが、とびきり悪いとも思えない。どのみち、なにかを入れなくては、怖くてネットになど繋げたものではない。

 それはともかく、こっちの歌は、すでにどこかで唄われているような気がもっとして、検索してみたら、やっぱり唄っているやつがいた。世の中には、よくよく脳を無駄遣いしているやつがいるものだ。

 先日世間の広さを知ったばかりだというのに、またも世間の広さを思い知った。ダジャラーには厳しい時代である。というか、そもそも、なぜこんなバカなことをいちいち検索してみているのか、自分でもよくわからん。べつに、自分が独立に思いついたことをすでに誰かが思いついていたとて法に触れるわけでもないんだが、そこに手段が存在してしまっているからには、強迫的に検索せずにはいられないのである。せっかくのバカな思いつきを誰かがすでに書いていると、親近感を覚えると同時に、なんだかくやしい。

 つまるところ、おれたちは、“井の中の蛙”にはなりたくてもなれない時代に生きているのだろう。ウェブで情報を発信する個人がこれだけ増えてくると、ウェブは“井の中の蛙”を早期に圧殺する作用をますます強めてゆくのではあるまいか。それはとてもいいことのようにも思えるのだが、人間、若いころは、多かれ少なかれ井の中の蛙であることが必要な時期もあるのではないかとも、また思えないこともないのだよなあ。

 いやなに、駄洒落がカブるとかそういうレベルの話じゃなくて、もっと革新的な(と本人は思っている)アイディアとか高邁な(と本人は思っている)思想とかについても、ウェブの“井の中の蛙圧殺効果”は同じように働いてしまうだろう。そんなふうに、あまりにも手軽に「それはすでにあるよ」という答えが得られてしまうのは、絶対的にいいことなのだろうか? 車輪を再発明する無駄を(そのときはそうだと知らずに)幾度か体験するプロセスは、人間の成長に、あたかも微量養素のようなカタチで不可欠であるという気がしてならないのだわ。

 そう考えると、いわゆる“高速道路論”(梅田望夫 < 羽生善治)に指摘されている現象についても、高速道路が敷かれてしまったせいで取りこぼしてしまいがちな大切ななにかがあるように思える。たぶん、その“なにか”こそが、家庭や学校で教えなくてはならないことなのかもしれない。



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2007年5月30日 (水)

「超暴君ハバネロ」の快感に震える

Habanero01 Habanero02 「超暴君ハバネロ」ってのがコンビニに並んでいたので、さっそく買ってみる。買ったからには、寝る前にこんなものを食うのはいかがなものかと思いつつも、やっぱり味見がしてみたくて、とりあえず数個食ってみた。ハバネロペーストを従来の「暴君ハバネロ」の一・五倍に増やしたということなのだが、どうも一・五倍という中途半端な数字が気に食わない。どうせなら、少なくとも五倍くらいにしてもらわんと。

 いやしかし、な、なるほど、一・五倍でもかなり効きますな。食った瞬間には、「なんだ、この程度か」という感じだったのだが、食って二、三分もすると、ずし~んと効いてくる。辛いものが好きな人というのは、基本的にマゾなのだと思う。でも、そもそもこのお菓子って、辛いだけではなく、ほんとにうまいからやめられないのよなあ。痛みに近い辛さが快感に変わるのがなんとも言えない。

 でも、やっぱり一・五倍というのは中途半端である。すぐ慣れてしまうではないか。ここはひとつ、通常版の十倍くらいの「超弩級暴君ハバネロ」を期待したい。「お子様やお年寄りには食べさせないでください」くらいの注意書きのひとつも欲しいところだ。ああ、もっと、もっと~! いじめて、粘膜をいじめて~!




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2007年5月29日 (火)

泉水と還元水

ZARD坂井泉水さん、闘病中の病院で転落死 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200705280107.html

 「ZARD」のボーカルで作詞家の坂井泉水(いずみ)さん(40)=本名・蒲池(かまち)幸子(さちこ)=が27日午後、脳挫傷のため、東京都新宿区の慶応大学病院で亡くなったことが28日わかった。
 坂井さんは昨年6月、子宮頸(けい)がんを患い、入退院を繰り返していた。所属事務所などによると、26日早朝、日課の散歩後に病室に戻る途中、病院の非常用スロープの踊り場から転落したという。

 闘病していたことすら知らなかったのでびっくりしたよ。自分より若い人がこういうふうに逝っちゃうと、複雑な心境だねえ。おれは特段ZARDのファンというわけではないのだが、坂井泉水の声と聡明そうな顔立ちは好きだったね。

 今夜は持ってるかぎりのZARDの曲(あんまり持ってないんだよな)をループで流すことにしよう。坂井泉水さん、おつかれさまでした。すてきな声をありがとう。同時代を生きた多くの日本人は、あなたのことを忘れないだろう。


松岡農水相が自殺 議員宿舎で首つる (asahi.com)
http://www.asahi.com/special/070528/TKY200705280175.html

 28日正午ごろ、東京都港区赤坂2丁目の衆議院赤坂議員宿舎1102号室で、松岡利勝・農林水産相(62)が首をつっているのを秘書らが発見、119番通報した。警視庁によると、松岡氏は自殺を図ったとみられる。松岡氏は新宿区の慶応義塾大学病院で治療を受けていたが、午後2時、死亡が確認された。

 あ、そう。逃げやがったな。どうも日本人というのは、死なれてしまうと当然すべき追及すらぱったりやめてしまう傾向が強いが、おれはこういう卑怯者は、死のうがなにしようが、いくらでも鞭打つことにしている。無責任にもほどがある。石原都知事「死をもって何というのかな つぐなったという意味では やっぱり彼も侍だったなという気がします」などとコメントしていたが、なにがサムライなものか。卑怯者だ。松岡氏に貴重な一票を投じた有権者こそ、いい面の皮ではないか。舛添要一参院政審会長が言ってるように、うしろめたいところがなければ死ぬ必要などまったくないのである。そりゃ、やっぱり黒だったんでしょうよ。野党におかれては、この程度のことでひるまず、がんがん突っ込んで暴くべきことを暴いていっていただきたい。“死ねばチャラになる”といったこの国の陋習はなんとかならんか。マスコミも手を弛めるな。

 そのうち、こんな大臣がいたことすら多くの日本人は忘れてしまうだろうから、今日の日記はおれ自身の備忘録として書いておこう。いまごろ、どこかで誰かが胸を撫で下ろして呵々大笑しておるのだろうな。そう思うと、胸が悪くなる。十年後、二十年後にもZARDの歌は唄われているだろうが、この人はそのころには、「えっと、ほら、“ナントカ還元水の大臣”」になっちゃってるだろう。



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2007年5月28日 (月)

ある行政機関での会話

全日空にシステム障害 130便欠航、7万人に影響 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0527/TKY200705270039.html

 27日未明、全日空(ANA)の国内線予約・発券システムに障害が発生し、同日午後9時半現在で羽田、大阪(伊丹)空港の発着便を中心に130便が欠航し、306便に1時間以上の遅れが出た。欠航・遅延便は、全日空のこの日の国内便(818便)全体の半数以上で、計約6万9300人に影響が出た。同社によると、同日未明からシステムが不調だったため、点検・修復作業を行っていた。同社で原因を調べている。

 「コンピュータの不調だってよ」
 「よくあることだな」
 「七万人に影響が出たそうだ」
 「な、七万人ぽっちでこんなに大騒ぎしているのか!?」
 「そうらしいな」
 「民間は神経質だなあ」
 「ほんとになあ。ウチなんか、アテにならんコンピュータのデータが五千万件やそこらあっても、誰の首が跳ぶというわけでもないのになあ」
 「まあ、九千万件くらいあるというのなら、さすがに少しは気にかけんといかんかもしれんが」
 「まったく民間のやつらはケツの穴が小さいな」
 「そんなにケツの穴が小さくては、美しい国への道は遠いなあ」
 「あんなもの、気の長い宝くじくらいに思っていてくれないと、困るよなあ。人間がやってるんだから、まちがいもあるわさ」
 「そうだよなあ」
 「常識だよなあ」
 「おれはちゃんともらえるけどな」
 「おれもちゃんともらえるけどな」
 「どわはははははははは」
 「どわはははははははは」



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2007年5月27日 (日)

うまいから身体によいのか、身体によいからうまいのか?

 おれはオリーブ油が好きだ。なんならそのまま飲んでもいいくらいである(さすがに、そんなに贅沢なことはしないが)。パスタなんかを食うときには、これでもかというくらいにかける。最後に皿の中に残ったオリーブ油をずずずと啜れるほどにかける。以前、「うまい汁を吸う」というエントリーでも書いたのだが、トマトにもどぼどぼオリーブ油をかけて食う。昨晩そうやって食った。

 オリーブ油とトマトを一緒に食うとリコピンの吸収が高まるということが数年前から支配的な認識になっているけれども、おれはそれ以前からそうやって食っている。うまいからだ。イタリア人やらギリシア人やらも、むかーしから日常的にトマトとオリーブ油を一緒に食っている。彼らがそうやってトマトとオリーブ油を食ってきたのは、なにもリコピンがどーたらということを考えてのことでは絶対にあるまい。単にうまいからにちがいない。

 いや、待てよ。“うまい”というのはどういうことだろう? 逆に考えてみたら、どうなるだろう? つまり、地中海あたりに住んでいた連中のうち、オリーブ油とトマトを一緒に食うと“うまい”と感じるような嗜好を偶然遺伝的に持っていた人々が、ほんのわずかでも健康になり、子孫を残す確率がほんのわずかでも高くなって、トマトをオリーブ油で料理するという文化が強化されていったという考えかたはできないか? そのようなダーウィン進化が有意に働くには人類の歴史は短すぎるような気もするんだが、まったく働かないというわけでもなさそうに思える。人類にはファームウェアとしての遺伝子だけではなく、個体の外部で進化するソフトウェアとしての文化があるから、ダーウィン進化が加速されるってこともあるだろう。このあたりの与太な思いつきを突き詰めてゆくと、マーヴィン・ハリスの“文化唯物論”に似たものになってゆきそうだなあ。

 まあ、食文化というのは健康や寿命(すなわち、ハードウェアの耐久性)に大きな影響を及ぼすものであろうから、“文化唯物論”は極端だとしても、純粋にミームとしてだけ切り離して考えるわけにもいかないはずだ。“食性とダーウィン進化”だったら科学的にアプローチできそうだけど、“食文化とダーウィン進化”となると、これは一筋縄ではいかないだろう。でも、まったく無関係だとも思えないんだよなあ。

 トマトにオリーブ油をかけて食うたび、おれはこういう与太に思いを馳せてしまう。人類が培ってきた食文化というものには、まだまだサイエンスが取りこぼしてきている不思議が隠されていそうな気がするんだよね。もっとも、トマトとオリーブ油のような健康によい食べ合わせが偶然か必然か文化として受け継がれてきている不思議があるのとまったく同じように、世界のあちこちには、健康に悪い食べもの、健康に悪い食べかたが文化として定着してしまったせいで、あたら寿命を縮めている人々だっているはずだ。「家を出るとき犬が騒いで、飛行機に乗り遅れる人もいる。その飛行機が墜落した場合、主人を救った不思議な犬ともてはやされることにはなるわけだが、世の中には、主人を引き止めて墜落する飛行機に乗せてしまった馬鹿犬もやはり同じ確率でいるはずだ」ってのと同じである。あ、そんな難しいこと考えなくたって、酒飲みで煙草吸いの手前が好例ではないか。

 ま、好きな食いものを我慢して長生きするのと、好きなもの食って多少寿命が縮むのとどちらがいいかとなると、こりゃ、個々人の哲学の問題だからねえ。「酒も煙草も女もやめて 百まで生きた莫迦がいる」って都々逸の苦笑と自嘲と共感は、たぶん、世界中の人に通じるんじゃなかろうか。



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2007年5月24日 (木)

ADSLルータの足元に注意

 どうも連休前ごろから、インターネットへの接続がときどき切れてしまうようになり、日を追ってひどくなってくるものだから、おっかしいなあといろいろとパソコン側の設定をし直したり、ADSLルータをリセットして設定し直したりと、けっこうな時間をトラブルシューティングに費やしていたのだが、どう考えてもパソコン側ではない。ADSLルータだけを立ち上げてじっと観察していると、PPPoE接続が確立されたと思ったら、しばらくすると切れてしまい、また接続にトライし、また繋がり、また切れ……といったことをえんえんとADSLルータが勝手に繰り返している。

 昨日、原因がほぼ特定できた。ADSLルータを冷ましてやると、接続が長持ちする傾向がある。要するに、ルータが熱暴走していたのか。そろそろ寿命なのかなあ……と、いったんはルータをあきらめかけたんだが、もしかすると、ルータを置いている“台”が問題なのではなかろうかと気づいたのだった。ホームセンターで買ってきた腰ほどの高さの樹脂製収納箱の上にADSLルータを置いているのだが、よく考えると、この収納箱を買ってから初めて、気温が上昇してゆく季節を迎えているのである。昨年の夏は、いまとは材質の異なる台の上にルータを置いていたのだ。おそらく、トラブルの原因はこいつだ。樹脂製収納箱の上面とADSLルータのあいだに熱がこもるのだな。

 というわけで、応急処置として、ADSLルータ(ウチのは横型の平たいやつだ)の下面に適当な“足”になるものを挟んで、本体を空中に浮かせてやると、ほぼ正常に動作するようになった。えらいもんだな。急に春らしくなったころにトラブルが発生しはじめたことに最初から気づいていれば、無駄な時間を費やさずに、連休中にももっと快適にネットが使えたものを。

 それにしても、手で触れて「これはいくらなんでも熱い」と思えるほどに熱くなっているわけでもないのに、ADSLルータってのは存外にデリケートなもんなんだなあ。ウェブを漁ってみると、ルータが熱暴走したという報告はずいぶんある。そのうち、放熱のよい適当な台を調達することにしよう。



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2007年5月23日 (水)

一億分の……

 たとえば、所ジョージがいつもの軽いノリで日本地図に向けてダーツを投げたとするわな。通常の『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』じゃなくて、たまたま特番の企画かなにかで、生放送だったとするわな。今日は所さんの手元がちょっと狂って、あんまり面白くなさそうな都会のど真ん中にダーツが飛んでいったとしよう。

 で、ダーツが深々と突き立ったところを地図で正確に調べてみると「東京都千代田区千代田一番」だったりしたら、めちゃめちゃウケると思うのだがどうか。日本テレビの社長の首がどうなるか知らんけどな。まあ、プロデューサーの首は確実に飛ぶだろう。

 なにせ今回は生放送だ。ぐさ~っともののみごとに突き刺さったダーツをみなが呆然と見つめ、スタジオの空気がたちまち凍りつく。

 あんまりバツが悪いものだから、みな知らんふりをする。知らんふりをして、そのままなにごともなかったかのように、いつもと同じように取材に行ったら、これは面白いぞ。高視聴率まちがいなしだ。

「第一宮人発見!」

 なにが知らんふりだ。



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2007年5月19日 (土)

十年はかかる

円周率を延々と表示し続けるだけのサイト (GIGAZINE)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070515_pi_3_jp/

 ほんとにこんなのができるとはね。いやなに、そういえば、十年ほど前におれはこんなことをほざいていたものだった。

たくさんの方が見てくださったのがめでたいのはたしかだが、大勢が見たほうがいいページなのかというと、その辺がおれにはいまだに判然としないのである。たとえば、円周率が小数点以下1万桁くらい書いてあるだけのページが一枚ぽつんとあったとする。そんなもの誰も毎日見たりはしないのだが、「どうしても、すぐに2,593桁めを知る必要があるのだ」と慌てている人がWWWを検索してそんなページが見つかれば、「インターネットというのはまことにありがたい」ということになるだろう
一般論で語ったときに取りこぼしてしまう部分にこそ、WWWの最大の力が隠れている。“Cさんが田舎の老親に孫の運動会の写真を見せてやるためだけに作ったページ”は、おれにとってはクズ以外のなにものでもないが、Cさんのご両親にとってはたいへん価値あるすばらしいページなのである。「せっかく世界に向けて情報を発信できる媒体を、なにもそんなことに使わなくたっていいじゃないか」などと肩に力の入った人は言うかもしれないが、「べつにそんなことに使ったっていいじゃないか」とも、まったく等価に言える。97年10月8日の日記でもほのめかしたように、たいへん逆説的ながら、ほんの一部の人にしか役に立たない情報、ほんの一部の人しか面白いと思わない情報が流せるのが、WWWの重要な媒体特性のひとつである。そういうものは、逆立ちしたって商業的な媒体には乗らないからだ。WWWでは“価値ある”情報を公開すべきだなどと主張している人は、手前が一般的な価値の有無を判断できると思い込んでいるわけで、それは言うまでもなく度し難い傲慢である。いかにもマスコミ的な一般論に踊らされているにすぎない。WWW上では「吸入麻酔薬感受性の異なる2系統マウスにおけるベンゾジアゼピン感受性について」という情報も「『スケバン刑事3 少女忍法帖伝奇』の第八話は[炎の修業!これが究極のヨーヨー技じゃ]で、放映日は一九八六年十二月十八日」という情報も厳密に等価である。それらは、一般的にはホワイト・ノイズである点に於いて等価なのだ。ホワイト・ノイズの中から意味を汲み出す個別の利用者を想定したとき、はじめて個別に価値が生じるのである。よって、あなたが発信する、発信できる情報に価値がないなどということはあり得ない。ただし、そこには多数決原理は働くし、ネット外の世界でのさまざまな自由や制限も同様に働く。だが、ほんの二、三人しか見てくれなくとも、あなたの目的が達成できれば、それはあなたやあなたのページの利用者にとっては“価値あるページ”だ

 最近、まんざらおれはとんちんかんなことを言っていたわけでもないなあと実感する。ネット猿がうすぼんやりと感じていたことが、多くの人の共通認識になるまでには、やっぱり十年くらいはかかるものなのだな。サイバースペースという言葉が誕生してから、そこいらへんの平均的サラリーマンに言っても通じるようになるまでに、やっぱり十年くらいかかっていたと記憶している。たしか日本経済新聞が連載記事だったかで使いはじめてから、カタギのビジネス界でも急に通じるようになりはじめたように思うな。

 というわけで、いまなにか新しいことをはじめてやろうとしている若い人たち。それがなんであれ、とりあえず十年くらいは腰据えてやってみないと、いまの自分がそこそこ正しかったのかどうかの答えすら出ないんじゃないかな……とまあ、十年以上ウェブ日記を書いてきたおっちゃんは思うわけですよ。



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暗黒物質(ダーク・マター)

 この宇宙のロングテールのこと。局所的に見るとその存在はたいへん希薄で影響力もほとんどないのだが、巨視的に考えるとむしろこちらのほうが圧倒的に質量が多く、宇宙を現在の姿たらしめている主役と言える。暗黒物質の質量による重力場の影響が宇宙の構造をも決定しているさまを、膨大な量の暗黒物質をかき集めて考えることで間接的に観測しようというパラダイムを、近年“宇宙 2.0”と呼びならわすようになっている(ウソやで~)。



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2007年5月18日 (金)

冷やし中華はじめました

Hiyashi_chuka01Hiyashi_chuka02Hiyashi_chuka03 晩飯はコンビニの冷やし中華。もう夏だよなあ。
 おや、なんか、まるで日記みたいだぞ。









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2007年5月16日 (水)

ラヴ・ストーリーに向かない思考回路

 そういえば、ずいぶん前に地上波テレビで放映されたのを録画しておいた『私の頭の中の消しゴム』(監督・脚本:イ・ジェハン)って映画を先日ようやく観た。おれは朝鮮語がわからんのだが、原題もこんな気の抜けたようなタイトルなのか? どうもおれの悪い癖で、「それはどんな消しゴムなのだろう?」とついつい要らんことを考えてしまい、「“キン消し”だったら面白いのに」と想像してしまったのが悪かったのか、「このソン・イェジンという女優さんはなかなか可愛いな。さ、屁ぇこいて寝よ」程度の感想しか持てなかった。

 だいたいだなー、こういうネタでSFファンを感動させようと思ったら(なにもSFファンをターゲットにしてないだろうけど)、『アルジャーノンに花束を』という大傑作があるんだから、アレとタメを張るくらいじゃなきゃダメだよ。足元にも及びませんな。

 ま、ソン・イェジンの頭の中にキン消しがぎっしり詰まっているという危険なヴィジョンにはなかなか心躍るものがあり、そういうものが得られただけでも、観て損はなかったかな。こういうのが詰まっているという想像も吉だ。SFは絵だねぇ(ってなにが)。



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2007年5月15日 (火)

『沈黙のフライバイ』(野尻抱介/ハヤカワ文庫JA)

 もう九年ほども前のことだ。おれも連載を持っていたウェブ雑誌の〈SFオンライン〉で表題作「沈黙のフライバイ」のダウンロード販売がはじまったとき、おれは「おお、時代が変わってゆくのをおれはいま目の当たりにしている」と興奮したものである。当時はまだ“SF冬の時代”といった感覚的な表現が既成事実であるかのようにまかり通っていたころであって(じつのところおれは、あの時代は、表現形質に顕れてこない“SFの中立進化”が深く静かに進行していたのだろうと思っている)、そこへ直球ど真ん中の地味なファースト・コンタクトSFがウェブマガジンのダウンロード販売といった場から飛び出してきたのだから、快哉を叫んだ人も少なくなかった。

 ま、年寄りの回想はほどほどにしよう。いや、もっとむかしを回想しようか。アポロ11号が月に着陸したころ、もう宇宙旅行(“旅行”と呼ぶには、まだあまりにも過酷だが)は現実のものなのだから、SF作家は飯の食い上げだなどという議論が一部にあったと聞く。アポロ11号はおれたちの世代にとっては人生がひっくり返るようなリアルタイムの衝撃的な体験なのだが、さすがにそのころはSFをめぐる議論のことなんて、晩稲のおれは知らない。

 実際には、アポロの月着陸くらいで宇宙SFは滅びなかった。あたりまえだ。むしろ、みなが日常的にGPSを使い、スペースシャトルが飛んでも驚きもせず、日本人宇宙飛行士が珍しくもなく、誰もがふと Google Earth で自分の家を探してみたりするような時代になったからこそ、野尻抱介のストレートな宇宙SFは、われわれの夢をかき立てる。

 なぜか野尻抱介の宇宙SFを読むと、子供のころに段ボール紙やら竹ひごやらなにやらで作ったロケットの延長線上に、気負いも衒いもなく、素直に宇宙が広がっているような気になる。ひょいと手を伸ばせば届きそうなところに宇宙があるような気にさせられてしまうのだ。いや、実際そうなんだよ。それはそうなんだが、まあ、たいていの人は、ひょいと背伸びをすれば宇宙に手が届くとはふだん思っていない。

 まあ、騙されたと思って本書を読んでごらんなさい。表題作「沈黙のフライバイ」はもちろん、「轍の先にあるもの」「片道切符」「ゆりかごから墓場まで」「大風呂敷と蜘蛛の糸」と、どの収録短篇を読んでも、明日にでも自分が宇宙に行けそうな気分にさせられてしまう。これは野尻抱介が実際の宇宙開発技術によく通じていて、どこまでがいますぐにでも(リソースさえあれば)実現できて、どこからが想像の翼の力を借りねばならない領域なのかを知悉しているからこそできる藝当なのだ。つまり、野尻抱介は、「ほら、こんなふうにすれば、もうあなたは宇宙にいて、そこではこんなことが……」と、活字を使っておもしろ実験をしてくれる宇宙のでんじろう先生なのである。

 日曜大工が好きなお父さん、凝った料理が好きなお母さん、そしてもちろん、すべての子供たち、若者たちにお薦め。宇宙はすぐそこにある。いや、〈いま・ここ〉は、最初から宇宙の一部なのだ。



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陽だまりでふと見たおれの影

めぐる糸&仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 (洞口依子 の独り言『がんって何様的日記』)
http://blogs.yahoo.co.jp/yoriko3182006/32298326.html

いよいよ。
『子宮会議』洞口依子著 小学館より発売 5月31日!
もうひとふんばり!
小学館担当編集の稲垣氏と共に登るぞ!行くぞ~~!!
大きな気分でいってみよう!
いざとなったら玉を出せ!
力の溢れる不思議な玉を~!
イエィ!

 ひえぇ、ど、同世代じゃのー(;_;)。おれもおれなりにがんばらにゃ。

 おれ、坂本九のドーナツ盤持ってるよ。プレーヤーがなくて聴けないんだけどね。

 わ~れ~こそは~、たぁまずさがぁあ~、おぉ~~んりょおぉぉぉ~、憎さも憎し里見義実ぇ~、孫子の代まで、ァ、祟ってやるぅ~、呪ってやるぅうう~!

 ♪夕焼けの~空を~ 君は見てるか~
 


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2007年5月14日 (月)

冬樹蛉とは

はてなダイアリー > キーワード > 冬樹蛉
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%df%bc%f9%e9%d9

 ををを、なんと。おれもとうとう、「はてなダイアリー」の「キーワード」になったか。なんのキーなんだか。

 それはともかく、いつの日かはてなダイアリーのキーワードになってやろうと九十九里の夕陽に誓ったあの日から三十余年、強ければそれでいいんだ力さえあればいいんだとひねくれて星を睨んだことも、盗んだバイクで走り出し自由になれた気がした日もあったが、いやあ、いつのまにかはてなダイアリーのキーワードになっていたとは、お釈迦様でも気がつくめえ。そうか、はてなダイアリーのキーワードになったのか。いやですよ、おじいさん、はてなダイアリーのキーワードになったんですよ。ほえーっ、ばあさんや、わしゃまたてっきり、はてはダイアリーのキーワードになったのかと思ったよ。おじいさん、それは言わない約束よ。そ、そうじゃったな、げほげほげほ。



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2007年5月12日 (土)

『しょこたん☆かばー ~アニソンに恋をして。~』(中川翔子/ソニーミュージックエンタテインメント)

 先日注文したのが届いたお(^ω^) ギザ、ウレシス(←だからおっさん、お前、いくつだよ?)。

 それはともかく、じっくり聴いてみると、これはそのときかぎりの“企画モノ”の域を超えていて、はなはだ感心した。長きにわたって愛聴するに足る出来栄えである。本人が好きでやってるほど強いことはない。考えてもみたまえ(急にエラそう)。「ロマンティックあげるよ」(『ドラゴンボール』)、「乙女のポリシー」(『美少女戦士セーラームーンR』)、「BIN・KANルージュ」(『魔法の天使クリィミーマミ』)、「残酷な天使のテーゼ」(『新世紀エヴァンゲリオン』)、「青春」(『タッチ』)といったラインナップを、中川翔子はそれこそ子供のころから何百回、何千回と聴き込み唄い込んでいるにちがいなく、自分の持ち歌よりもはるかに時間をかけて磨き上げてきているはずなのである。カバーとしての完成度が高いのは当然のことだ。

 中川翔子の歌声は、一、二秒聴けば誰だかわかるといった個性的なものではない。が、彼女のアニソンは、けっして没個性的ではない。強いて言えば、“脱個性”的なのだった。器用に声色を使い分けて原曲のイメージを損なわないようにしているのだが、単なる“ものまね芸”などではない。「どうだ、似てるだろう」とばかりに、似せることに意識を置いているのではなく、原曲への愛ゆえに巧まずして似てしまっているという感じが伝わってきて好もしい。その“愛しかた”にこそ、ほかの誰でもない中川翔子の個性が紛れもなく立ち上がっているのだ。企画モノから駒が出たとでも言おうか、愛のある企画モノの大成功例ですな。

 そのむかし、近所にいる“ふつうのコ”をふつうでない状況に巻き込んでアイドル化していた時代があった。いまは、“ふつうじゃないコ”がごくふつうに好きなものを愛でているさまがアイドル化されるのだろう。そんな中川翔子は、いわば“アルファ・プロシューマー・タレント”とでも言うべき存在として、いよいよ相転移にさしかかった現代の消費社会を体現している。まさに、こういう企画で輝くために生まれてきたような才能だ。この、遅れてきた八○年代アイドルは、遅れてきたからこそ、時代に足を取られることなくその風に乗り、強かな無垢を武器に、ごくふつうに羽ばたいている。不思議なコだ。少女よ、神話になれ!

 アニソンがとてもアニソンらしかった時代の宝石を、古いオルゴールから取り出してケータイストラップにしてしまう、ふつうじゃないコのふつうさが眩しい一枚。「ロマンティックあげるよ」のPVメイキングを収めたDVD付き。

 そうそう、しょこたん、第二弾をやるんなら、おじさんは「わぴこ元気予報!」(『きんぎょ注意報!』)希望!



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2007年5月10日 (木)

難民以上、難民未満

Japanese find sleep, shelter in cyber cafes (CNN.com)
http://www.cnn.com/2007/TECH/internet/05/08/japan.cyberhome.reut/index.html

"They are different from the real homeless because they belong to the working poor, so they do have some money, whereas the ones on the street have no money at all," he added.
There is no official data on the cyber cafe homeless. Japan's Welfare Ministry plans a wider study on the phenomenon, according to a newspaper report, but in the meantime, it is hard to gauge the scope of the problem or its social impact.
Anecdotal evidence suggests that many are freeters in their mid-to-late-twenties, who stay in a net cafe for a couple of months before settling for a more permanent housing solution.

 CNNが、いわゆる「ネットカフェ難民」について取り上げている。面白いのは、と言うといささか語弊があるけれども、refugee なんて言葉は使っていない点だ。こりゃ当然で、refugee には「祖国を追われている」、つまり、「いまは(望まずして)外国にいる」という状況が前提としてコアにある。cyber cafe homeless というのは、適切な訳だと思う。要するに、ホームレスの一種にすぎないとそっけなく表現しているところに、教えられるものがある。「難民」なんて上等な(?)ものではないとも言えるし、自分の国の中でこういう目にあっているのは難民以上に悲惨だとも言える。

 「援助交際」なども、英語圏のメディアにかかれば prostituting の一種にすぎないということになる。ミもフタもない。逆に言うと、事実ミもフタもないことなのに、一見穿ったような口あたりのよい表現でその本質を覆い隠してしまうという“ごまかし”が、流行語には多かれ少なかれある。外国からの視点ってのは、そういう“悪い慣れ”に気づかせてくれることがあって有益だよな。

 もし、CNNがおれの生活を報道するとしたら、「多少広いネットカフェのような空間に寝泊りしている」などと表現されてしまうかもしれない。いや、それを言っちゃ、ミもフタもないけど、んむむ、反論はできんな……。おれは快適だけどね。



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2007年5月 9日 (水)

好きこそものの上手なれ、親の因果が子に報い……

中川翔子が「ロマンティックあげるよ」 - Yahoo!動画でムービー配信開始 (マイコミジャーナル)
http://journal.mycom.co.jp/news/2007/05/08/011/index.html

ヤフーは、Yahoo!動画にて"しょこたん"こと中川翔子がアニメ『ドラゴンボール』のエンディングテーマ「ロマンティックあげるよ」を歌う動画の配信を開始した。ビデオクリップ撮影時のオフショットも視聴することができるという。配信期間は6月1日まで。
Yahoo!動画では、後世に残したい楽曲を中川翔子がカバーする新企画「しょこたん☆かばー」を開始。今回は「アニメ編」として「ロマンティックあげるよ」のフル配信を決定した。

 いやあ、しょこたん、カワユスなー。カワユスよー。

 ……すまん、おれ、中川勝彦と同じ年の生まれだけどな。

 こんな娘がホシスなー。ホシスよー。もっとも、こんなギザカワイイ娘がおったら、絶対、門限は七時だ。七時だと言ったら七時だ。親子で徹夜アニソンカラオケをしてボックスを五時に追い出されても、充分門限には間に合うだろう。

 で、思わず注文しちゃったよ。うわあ、いい歳をしてなんだおまえはとおのれを罵りながらも、ポチっとやっちゃいましたなー。『しょこたん☆かばー ~アニソンに恋をして。~』。アマゾンにはなぜか全曲書いてないんだが、「ロマンティックあげるよ」「乙女のポリシー」「BIN・KANルージュ」「残酷な天使のテーゼ」「青春」の五曲入りミニアルバム。「残酷な天使のテーゼ」は常識として、「乙女のポリシー」を入れるところが、いい選曲だなあ。あれは名曲だよね。

 なんか、このミニアルバム自体、おおかた『溜池Now』のアニソン企画で水を得た魚のように活きいきとアニソンを唄う中川翔子を見たスタッフが、「いーじゃんいーじゃんすげーじゃん」みたいなノリで企画したんじゃなかろうかと想像するのだがどうか。もしそうだとすると、USENとしては、トンビに油揚げをさらわれたような感じじゃないのかなあ?

 そうなのよ、存外に素直で伸びのびとした歌唱で、当然のことながら、プライベートで相当アニソンを唄い込んでいるんだろう、充分な水準なのだ。

 CD+DVDが届くのが楽しみだなあ。ああ、今年の秋には、おれは四捨五入して五○になっちゃうんだけどな。ま、三つ子の魂ということでよろしく。ええもんはええわい。なあ、そこのおっちゃん、おばちゃん?



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2007年5月 8日 (火)

『忘却の船に流れは光』、待望の文庫化

 「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」でSFファンを呆然とさせた空前の問題作『忘却の船に流れは光』田中啓文)がハヤカワ文庫になって登場。明日発売。アマゾンでは予約受け付けがはじまっている。

 まあ、なんちゅうか、知ってる人は知ってるだろうが、ものすごい作品である。文庫解説は、あろうことか、おれ。というか、これは解説なのだろうか? 作品が作品、作家が作家であるからして、いままで文庫解説ではやったことのないようなノリでやってみたのだ。怒らないでね。さらに、著者による「文庫版のためのあとがき」が新たに加わっているという(おれもまだ読んでないのだ)。えらいことになっているかもしれない。楽しみなような、怖ろしいような……。

 い、言っとくが、いつもこんなふうに書いてるわけじゃないからね!


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2007年5月 7日 (月)

タフソーラーの G-SHOCK に餌をやっていなかった

 なんとね。連休中は吸血鬼のような生活をしていたものだから、腕時計のバッテリーが上がってしまった。おれが愛用しているのは G-SHOCK で、太陽電池搭載の電波時計だから、基本的にな~んにもしなくても、常に秒までぴったり合っている。ところがどっこい、あんまり光に当てないと、待機モードに入ってしまい、表示が消える。それでも内部ではちゃんと時を刻んでいて、光で充電してやると、すぐに表示が甦る。

 だがなんと、今度ばかりは、待機モードで使うエネルギーもすっかり使い切ってしまった。ふつうの人間がふつうに着けてふつうに生活していれば、こんなことはまずない。この連休は、よっ        ぽど光に当てなかったのだなあ。キカイダー01だって、ここまでのピンチに陥ったことはないだろう。ふだんパソコンの上か横に置いて置時計代わりに見ているのだから、蛍光灯にはひとりでに当たっているはずだが、部屋が暗すぎたか……。

 あわてて至近距離で読書灯に当てておいたところ、しばらくすると表示が甦った。が、時刻はでたらめである。工場出荷状態に戻ってしまったのだろう。時刻を合わせるには、電波時計の機能が使えるところまでエネルギーを充填してやらねばならない。直射日光に当ててやればかなり速く充電できるのだけれど、あいにく今日は天気が悪かった。だもんで、蛍光灯にずっと当てているんだが、まだ電波の受信機能が甦らない。なんてことだ。

 太陽電池式の時計の最大の弱点は、いったん電池が切れると、光に当てる以外に充電する方法がないということなのだった。「ああ、だからソーラーはダメなんだ」などと思わないでくださいよ。これほど光に当てないおれが異常なのであって、まあ、ふつうに暮らしているふつうの人であれば、エネルギーを切らしてしまうようなことはまずない。こんなに便利な腕時計はないのだ。最近は、ソーラー電波時計もずいぶん安くなって、選り好みをしなければ、腕時計で一万円を切るものがあるし、置時計なら二千円くらいからある――と、アマゾンに時計ショップができたのをいいことに、ちょっとあざとく商売をしてみたり。

 あ、吸血鬼みたいな生活が好きな人は、ゴールデンウィークと年末年始には気をつけたほうがいいすよ。



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2007年5月 6日 (日)

ジェットコースターの失敗学

コースター脱輪、女性死亡19人けが 大阪・万博公園 (asahi.com)
http://www.asahi.com/special/070505/OSK200705050005.html

 5日午後0時50分ごろ、大阪府吹田市千里万博公園の遊園地「エキスポランド」で、ジェットコースター「風神雷神(ふうじんらいじん)2」(6両編成)が脱線し、2両目にいた女性客が車両とレール左側の手すりに挟まれて死亡、他の乗客19人が重軽傷を負った。大阪府警は、車軸の一部が折れて車輪が脱落し、車両が左側に傾いたとみて、業務上過失致死傷の疑いで吹田署に捜査本部を設置し、6日にもエキスポランド社(山田三郎社長)など数カ所を家宅捜索する方針。

 ひええ、おっとろしー。オーソドックスな「ダイダラザウルス」のほうは、子供のころから何度か乗ったことがあるけど、あの新型の立ち乗りジェットコースターが事故を起こしたとは、想像するだに背筋が寒くなる。

 こういう事故に共通した原因は、ふたつに大別されるだろう。ひとつには、国や自治体が定めた基準そのものが甘く、実態に合っていない。もうひとつは、基準が適切でも、それが形骸化しており、きちんとチェックしているかをチェックするシステムがない。おれはジェットコースターのプロじゃないから、今回の事故(あるいは、事件)の原因がなんなのかはよくわからない。それを調べるのは警察の仕事だろう。

 ただ、この手の事故を激減させるための、きわめて効果的な安全管理上の方策は知っている。じつに簡単なことなのである。不二家の工場で働いていたパートのおばさんたちの証言がヒントだ。自分たちが作ったお菓子を「自分たちは絶対買わない」と言ってたよね、あのおばさんたちは。

 そう、保守担当作業者やその責任者を、自分が保守しているジェットコースターに毎日乗せることである。できれば、遊園地の経営者にも月に一回くらいは乗ってもらいたいものだ。経営者が老齢でジェットコースターなんかには乗れないというのなら、その子や孫に自主的に乗らせる。

 ホント、ただそれだけのことで、こんな事故は簡単に防げただろうと思うんだが、どうだろう? 国や自治体が決めた基準なんぞは、顧客視点からはレベルが低すぎると考えて相手にせず、自分たちが作った、より厳しい基準やルールに則って経営する遊園地というものがあったとすれば、おれはその会社の株を買いたいと思うね。もっとも、生活するのに精一杯で、株買う金なんてないけどね。そんな遊園地があったら、投資家のみなさんは、株買ってやっておくれよ。



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2007年5月 4日 (金)

情熱のツナマヨごはん

Tuna_mayo ちょっと残った米にシーチキンとマヨネーズをぶっかけ、ぐちゃぐちゃと混ぜる。なんだかんだ言っても、こんなにうまいものはそうそうない。あんまりうまそうだったので、記念に写真を撮ってみたのである。どう見てもネコの餌だが(というか、最近の飼いネコはもっと見栄えのいいものを食っているだろう)、うまいものはうまいのだ。文句あるか。ないよね。たいていの日本人は、ひそかに、あるいは、大っぴらにやってるでしょう? まあ、よそのお宅でごちそうになっているときには、やらないほうがいいと思うけどね。いや、書いておかないと、最近の子供はやりそうだしな。




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2007年5月 3日 (木)

♪人生、悪ありゃ、蜘蛛あるさ~

 尻から糸を出すスパイダーマンというのがあってもいいはずだ。

 そもそもね、手首から出すなんて、あまりにもご都合主義だと思うんだよ。やはり、ハードSF的には尻から出すべきだ。だとすると、あのコスチュームは、尻のところを丸く切り取っておかねばならない。クレヨンしんちゃんじゃあるまいし、糸を出すたびにズボンを下ろして尻を剥き出しにするわけにもいかないだろう。

 “尻から出す”といっても、リアリズムを追求するなら、肛門から出すわけではない。ほんもののクモは、三対の出糸突起(糸疣)なる器官から出すのだそうだ。ということは、ピーター・パーカーには疣痔になってもらわねばなるまい。

 遺伝子操作を施されたスーパーグモに噛まれたピーターは、高熱を発して気を失う。目を覚ますと、全身が毛深くなっている。腕や脚は以前にも増してひょろひょろになっており、腹だけが餓鬼のように膨らんでいる。尻が痛いので鏡に映して見てみると、肛門の周辺に大きな疣が六つもできている。驚いたピーターが思わず腹に力を入れると、尻の疣から「ぶちゅっ」とねばねばした糸が飛び出すのだった……みたいな描写を、現代の映像技術の粋を凝らして実現してほしいものだ。

 タイトルは、そうだな、『真スパイダーマン』がいいだろう。糸を飛ばす練習をするシーンなんか、とくに凝った見せ場にしてほしいなあ。力の入れ具合がうまく掴めず、うっかり屁が出たり身が出たりしてしまい、挫けそうになるピーター。そんなことで挫けていてはいけない。大いなる力には大いなる責任が伴うのである。尻を剥き出しにしたスパイダーマンが高層ビルの谷間を颯爽と渡ってゆき、星条旗のポールにぴたりと留まってポーズを決める――なんてカットも欲しいな。



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2007年5月 2日 (水)

『サイボーグ009 超銀河伝説』を観る

 この日記だけ読んでると、今回の連休にかぎらず、大型連休となるとおれはいつもGyaOの映画ばっかり観てるみたいに見えるかもしれないが、事実、GyaOの映画ばっかり観ているのだからしようがない。まあ、たまにはShowTimeで金払って観るけどね。けっこうなヘヴィーユーザである。宇野社長が菓子折り提げて玄関先に現れたとしても、おれは驚かない。もっとも、クリックグランプリでは、累計八千円分のamazonギフト券をもらっているから、菓子折りで還元してくれるよりもありがたいけどね。

 それにしても、テレビさんよ、とくに地上波さんよ、世間一般ではどうだか知らんが、おれに関するかぎり、あんたがたは確実に客を取られているぞ。一日は二十四時間しかないのだからね。おれは相当なテレビっ子として育ったし、いまも相当なテレビおやじではあるけれども、そのおれにしてからがこのありさまだ。スポンサーにとって衝撃的かもしれない(が、もはやあたりまえかもしれない)ことを言うと、最近おれはテレビでよりもネットでのほうが、ずっとCMを多く観ている。なぜかというと、半年前にハードディスクレコーダにしてからというもの、テレビのCMは自動的にであれ手動でであれ、ほとんど跳ばしてしまうからである。リアルタイム性ではまだまだテレビに軍配が上がるが、逆に言うと、いつ観てもよいものであれば、ハードディスクレコーダでCMを跳ばして観るか、ネットで観るようになってしまいつつあるわけだ。占い師やら自称霊能者やらに貴重な電波資源を明け渡してる場合か? というか、ああいう番組だってCM跳ばして観てる人がぐんぐん増えてきているにちがいない。スポンサーさんたち、どこに広告宣伝費を使うべきか、よーく考えてみよう。

 それはともかく、さっきGyaOで観た『サイボーグ009 超銀河伝説』(監督:明比正行/脚本:中西隆三/一九八〇)はひどかった。二十七年前の作品という点を大目に見ても、あまりといえばあんまりである。サイボーグ009が出てくるというだけでおれにはなんとか最後まで観られたのであって、それ以外は『かにゴールキーパー』とたいして変わらん。いや、『かにゴールキーパー』のほうが、わざとやってるだけずっとましである。

 冒頭三分でツッコミどころ満載、ぐっとこらえて観続ける。SF考証皆無、SF考証を百歩譲っても、ふつうの話として矛盾と破綻だらけ、とってつけたような宿命感、とってつけたようなラヴシーン、00ナンバーサイボーグたちの能力の使いかたも下手、時代が時代だけに『宇宙戦艦ヤマト』と『スター・ウォーズ』の柳の下の泥鰌がうようよ泳いでいて、音楽はまるで《必殺》シリーズかと思うような場ちがい感が満喫でき、やたら広げた風呂敷はデウス・エクス・マキナで畳む。なにか大人の事情で突貫工事をしましたーというやる気のなさが子供にも伝わってくるにちがいない、子供もだませない子供だましである。八〇年代って、こんなにレベル低かったかなあ? いや、そんなことはないだろう。どんなむかしの映画であろうが、むかしであることで許せる部分と許せない部分がある。おれ自身は『サイボーグ009』にとくに熱い思い入れがあるわけではないのだが、熱狂的ファンの人は、当時これをどう思ったのかなあ? 怒り狂ったんじゃないかなあ?

 まあ、こういう怪作が観られるところも、GyaOのいいところ(?)かもしれん(宇野社長、菓子折り、菓子折り)。それにしても、これを二十七年前に劇場で金払って観た人がいるかと思うと、義憤を禁じえない。おれに関するかぎりは、SF関係の作品であれば、どんな駄作であっても“後学のためになった”とか“話のタネになった”とか“酒の肴になった”とか、いろいろ無理やりメリット(?)をこじつけて自分を納得させることもできるけれども、まともな映画を観たがっているだけの人であれば、怒るよな、これは。

 ま、動く003が観られただけでよしとするか。


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2007年5月 1日 (火)

今月の言葉

まさか、利が付いた金太郎

 押入れとか納屋とかに眠っているむかしの五月人形、ひょっとすると、ものすごい値打ちがついているかもしれませんよ?



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『コアラ課長』を観る

 この際、毒喰らわば皿までだとばかりに、せっかくGyaOでタダでやってるので、またもバカ映画『コアラ課長』(監督・原作:河崎実)を覚悟を決めて観る。どういう覚悟かというと、「ああ、時間を無駄にした」などとあとで怨み言は口にすまいという覚悟である。連休くらいは、ぽかーんと口開けて、なーんにも考えずに時間を過ごしたい。要するに、確固たる決意で時間を無駄にするために観るのだから、「ああ、時間を無駄にした」というのは言いっこなしだ。

 いやあ、みごとに時間が無駄になりましたなあ。課長がコアラで社長がウサギでコンビニの店長がカエルであるという些細なことを度外視すれば、粗製濫造の二時間ドラマなんかによくある話である。というか、“粗製濫造二時間ドラマ的なるもの”をわざとぎゅうぎゅうに詰め込むとこういうものができるという“いちびり”映画なんでしょうな。

 とくに万人にはお薦めしません。というか、たいていの人にはお薦めしません。たぶん、これを観てしまうと、二度と二時間ドラマをまともには観られなくなってしまう。まあ、たまーにすごくよくできた二時間ドラマもあるけど、たいていは『コアラ課長』と似たりよったりで、唯一、人間ばかりが出てくるというだけのことで、ごまかされているのかもよ。結局、『かにゴールキーパー』と感想は同じかよ。



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