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2007年4月15日 (日)

完全なる飼養

 おれは団地住まいであるから、「犬や猫を飼育している家庭は……」といった貼り紙をよくそこいらへんのあちこち(なんちゅう大ざっぱな表現)で見かけるのである。昨日も近所のスーパーに買いものに行ったら目に入った。

 しかし待てよ。「飼育」って言葉がなんとなくひっかかる。「飼う」ほうはいいのだが、「育てる」あるいは「育む」のほうがひっかかる。たとえば、仔犬を拾ってきて成犬になるまでのあいだは「飼育」だろうが、そこから先ははたして「育て」ていることになるのだろうか? 歳を取らせているのも育てているうちに入るとすればそうだろうが、なんか気色悪いなあ。「カブトムシの飼育」なんて具合に、ふつうにあちこちで使われている言葉だが、改めて考えると、非常にすわりが悪い。

 じゃあ、「飼育」でなかったらどう言うべきなのか。「扶養」かなあ? いや、「養う」ほうはいいのだが、犬を「扶け」るというのが気色悪い。なんだか、犬が生きることに自覚的に生きているかのような印象を受ける。「扶養」はさすがに対象が人間でないと使えんだろう。「飼育」のほうは、少々特殊な状況を想定すれば、対象が人間でも使えるな。アレは「育て」ているわけではないような気もするが、まあ、ある種の価値観に照らせば、対象が「育っ」てゆくと考えることに違和感はなく、むしろ快感がある。をい。

 それはさておき、はて、どう言うのが本来は適切なのかとおれはしばらく悩んだ末、そういえば「飼養」という言葉があったと思い当たった。「愛玩動物飼養管理士」という資格があったな。山口もえが二級を持っているとかいう民間資格である。どうやら「飼養」というのは、家畜やらなにやらにお役所などがよく使う言葉のようだ。非論理と不合理と不条理の塊のくせに、こういうところでは妙に論理的なのは、さすがお役所である。うむ、これだな、この言葉が論理的にいちばんしっくりくる。

 よし、これからは、文字で書くときには、「カブトムシの飼養」などと表現することにしよう。日常生活で「しよう」なんて口で言っても、たいていは怪訝な顔をされたり、女性には張り倒されたりすることだろうから、やっぱり口頭では「飼育」を使い続けるだろうけどねえ。



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コメント

戦前の本には動物園で動物を「飼養する」と書いてありました。いつから「飼育する」になったのでしょう。やっぱ語感の問題ですかね?

投稿: 村上 | 2007年4月15日 (日) 10時18分

飼育は戦後使われるようになった言葉のような
近所の獣医さんの待合室に錦鯉の古書がコレクションしてあって
それを紐解くとわかるかも

投稿: かおる | 2007年4月15日 (日) 15時40分

動物などを餌を与えて育てることを「飼養」といい、「飼育」はその内で家畜に対して使うことばではなかったかと思うのですが……。
使い分けとしては、「愛玩動物」は「飼養」で「食用の動物」が「飼育」ってところでしょうか?
間違っていたらごめんなさい(>_<)

投稿: miwako | 2007年4月16日 (月) 21時36分

>村上さん、かおるさん

 「食餌療法」とかが「食事療法」になったのと似たような事情があるのかもしれません。“似たような”というよりも、むしろ鏡像関係ですが。なんか、愛玩動物や家畜には、過度に“人権”(?)を認めなくちゃならないといった戦後の事情でもあるのかなあ?


>miwakoさん

 うーん、愛玩動物のほうがむしろ「飼育」にふさわしいような気もするんですが……。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年4月17日 (火) 01時28分

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