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2007年4月18日 (水)

『月夜の雨』(柴田淳/ビクターエンタテインメント)

 ここ半年ばかり、気がつくと柴田淳を流しているという日々が続いている。iTunes Store でたまたま「紅蓮の月」を買ってみたら、これがやたらいい。以来、じわじわと柴田淳の曲がおれのパソコンの中に増えていった。

 だが、おれはたぶん女性ファンとはかなりちがった柴田淳の聴きかたをしているのだと思う。ウェブで女性ファンの評などを見ていると、女性は“しばじゅん”の詞の世界に魅せられることが多いらしいのだが、おれはといえば、データが擦り切れるほど(?)聴いているのに、ほとんど歌詞が覚えられない。ただひたすら、その声に浸ってしまうのだった。おれにとっては、ただただ心地よい声なのだ。歌詞を追ってその世界を読み解こうという脳の回路が、柴田淳の声が流れはじめるや否や、その働きを止めてしまう。といって、“聴き惚れる”という感じでもないのだな、これが。“聴き惚れる”のにはけっこうエネルギーが要る。知らずしらずのうちに、集中してこちらから耳を傾けてしまう構えになるからだ。柴田淳の声は、ただただここにあるがままのおれの中にするすると流れ込んできて、ひたすら心地よい。押しつけがましくなく、疲れない。

 よく「透明感のある声」などという常套句が使われているのを見かけるが、それはちょっとちがうんじゃないかと思う。柴田淳の声は、いわゆる“美しい声”というのとはちがう。むしろ、雑音の多いざらついた声である。そのざらつき加減が絶妙に心地よいのである。ぴかぴかの表面が冷たく体温を跳ね返してくるガラスのような感じではなく、その繊細なざらつきこそが掌に心地よく吸いついてくるシンプルな素焼きの器のようだ。

 ずっと iTunes Store で買っていて、物体としての盤(いた)を買ったのは今回が初めてである。「紅蓮の月」や「花吹雪」「HIROMI」のようなシングルで出ているメジャーな曲もさることながら、こうしてアルバムで聴いてみると、「青の時間」「涙ごはん」「つまおうじ☆彡 (拝啓王子様☆第三章)」といった、必ずしもマジョリティーには支持されないかもしれない世界を展開した曲のほうが、おれには印象に残る。おれが思っていたよりも、ずっと幅の広いアーティストなのだなあと感嘆した。狂気の薫りすら漂う病的な感性や奇妙なユーモア感覚に、おれは意外な既視感を覚えた。声質も曲想もまるでちがうのだが、なぜか柴田淳には、おれに谷山浩子を思い起こさせるものがある。おれもこのアルバムを聴くまではそんなふうに思ったことはなかったもんだから、相当意外だったんだけれども、聴けば聴くほど、この二人の“感性の匂い”みたいなものに、共通した波長を感じるんだよなあ。おれだけかなあ?

 ともあれ、ほんとに、疲れない、心地よい歌声ですなあ。声フェチのおれとしては、柴田淳には下手に“お歌がお上手”にはなってほしくないのだ。いまの柴田淳の声でなら、おれは電話帳の朗読だってずっと聴いていたいと思う。なんなんだろうね、この心地よさは?


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