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2007年4月の28件の記事

2007年4月30日 (月)

『かにゴールキーパー』を観る

GyaOの「映画」コーナーで、昨年のバカ映画『かにゴールキーパー』(監督・原作:河崎実)を早くもやってたので、観てみる。いやあ、好きだね、こういうアホな映画。ぽかーんと口開けて、なーんにも考えずに観るのには持ってこいの作品である。『少林サッカー』を観てない人には、いまひとつ面白さ(?)がわからないかもしれないが、まあ、そもそも『かにゴールキーパー』などというタイトルの映画を観る気になる人であれば、どのみち充分楽しめるであろう。

 いやしかし、“かに味噌”ってのは、カニの脳味噌だったとは初めて知った。河崎実ってのは、ホントにヘンな監督ですなあ。もっとも、ただ“主人公がカニでない”というだけで、まったく同じ構造の映画にわれわれは感動したりするわけで、だとしたら、主人公がカニであったとしても、なんの支障があろうか?

 藤岡弘、がやたら真面目なのが妙におかしい。本人も自分の熱血キャラがメタな笑いになっていることをよく自覚して演技しているんだろうね、最近は。橋幸夫がぼんちおさむの“ものまね”をしていたような感じで。そういう意味で、藤岡弘、というのは、非常に知的な俳優なのであろう。



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2007年4月28日 (土)

ある名馬の物語

 “トーカイタテガミ”という伝説の競走馬をご存じであろうか? 彼女こそは、おれの騎手人生において、最高の名馬だった。おれに“人馬一体”という言葉をほんとうに実感させてくれた不世出のサラブレッドだった。

 あの日は馬場の状態もよくなかった。トーカイタテガミは、パドックでもいつもとちがうそわそわした様子を見せていた。といっても、それはたぶん、長年彼女と共に過ごしたおれにだけ感じられるような、微かなかすかな違和感だったろう。

 第四コーナーをまわったところで、おれはわれとわが目を疑った。どこから迷い込んできたのか、三、四歳の子供がちょこちょことコースに歩み出てきたのだ。おれたちの目の前に! おれがあわてて手綱を絞るより早く、トーカイタテガミは信じられない勢いで馬身を捻ると、みずからの速力を覚悟を決めて受け止めるかのように、横倒しに地面に激突した。投げ出されたおれは、脳震盪を起こしてしばし意識を失っていたようだ。

 両前足骨折。ベッドの上で飛び起きたばかりのおれに、獣医はそう告げた。おれは彼に懇願した。おれにやらせてくれ、と。

 おれがゆっくりと注射器のシリンジを押すと、トーカイタテガミは、ほっとしたように首を垂れ、潤んだ眼でおれを見つめて、すべてを許すように頷いた。頷いていたようにおれには見えた。おれは注射器をテーブルの上に置くと、彼女の最期を見届けようとした。しばらくすると、トーカイタテガミは、眠くてたまらないといったようすで大きな目を閉じ、どさりと横になった。おれはたまらず外に飛び出し、嗚咽を漏らしながら地面に突っ伏して、いつまでもいつまでも身を震わせていた。かすかに藁の匂いがした。トーカイタテガミ――おれはおまえを忘れない。おれを風にしてくれたトーカイタテガミ。おまえの走りを忘れない……。

 その後、堺正章という歌手が、おれたちのことを唄ってくれた。若さゆえのまっすぐで不器用な恋の終わりを唄った曲だとあなたは思っていることだろう。この歌に隠された一頭の名馬と騎手の物語は、誰も知らない……。


   ♪さよなら トーカイタテガミ
    テーブルの上に置いたよ
    あなたの眠る顔みて
    黙って外へ飛び出した


 えー、本日は田中啓文風でお送りしました。



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2007年4月26日 (木)

『ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)』(渡辺千賀/朝日新書)

 「ヒューマン2.0」なんて、なにやらミュータントもののSFにそのまま使えそうなタイトルだが、そういう本じゃなくて、シリコンバレー在住のキャリアウーマンが、シリコンバレーなる天国のようでもあり地獄のようでもある奇跡的な異界に棲息する人々の生態を、赤裸々に面白おかしく真面目に紹介している好著。ほとんど軽いブログのようなノリで書かれているから、息抜き、暇潰しにつるつる読める。

 “シリコンバレー”と聞くと、おれなどは、石を投げるとまずスーパーエンジニアに当たり、そこで跳ねた石がノーベル賞を受賞した科学者に当たり、そこで跳ねた石が海千山千のスーパービジネスマンに当たって落ちるかと思うと投資家の口の中に飛び込んで金になって戻ってくる――みたいなイメージを漠然と抱くわけだが、本書を読むと、その軽いノリの中から、アメリカが生んだこの特殊な空間の“息吹”が生々しく伝わってくる。意外とセコくてショボくてあくせくしているが、スゴいところはとてつもなくスゴいという、等身大の“シリコンバレー人間交差点”である。こういう切り口でシリコンバレーを語り、ひいてはワークスタイル変革の最先端に迫るというアプローチは、ありそうでなかったんじゃなかろうか。テクノロジーにまったく関心がない人でも読めるし、また、読んで面白いと思う。『渡る世間はギークばかり』とかなんとかいうタイトルにして、本書をベースにテレビドラマでも作ったら、けっこうウケるにちがいない。

 それにしても、“不自由なくらいに自由”ということもあるのだなあと妙に考えさせられた。若い人たちがこういうのを読んで、「おおお、ここにはおれが求めているものがある。よし、おれもいっちょ、シリコンバレーで一旗挙げてやるか!」と燃えるのは大いにけっこうなことだと思うのだけれども、はっきり言って、おれみたいにあんまり社交的でないおじさんは、読むと疲れます。こんなに宙ぶらりんで慌しい思いをしなければならないくらいなら、地位も名誉もお金も要りません、ウチ帰ってSF読んで屁ぇこいて寝ます。

 とはいえ、ウチ帰って屁ぇこいて寝る人ばかりでは技術もビジネスも進歩しないので、若い人にはやっぱりこういう環境に憧れてほしいと思うぞ。仮におれが天才級の技術者であったとしても、こんなに振幅の大きな生きかたは、話を聞くだけで疲れるけどな。しんどい。基本的に、おれはなにをするにも、エネルギーというかガッツというか、そういうなにかしらが決定的に欠けている。先天的疾患じゃないかと思うくらい、野心というやつがない。もう二十年若かったとしても、シリコンバレーにはまるで向いていなさそうだ。やっぱり、「肉食ってるやつらにはかなわんわ」というのが率直な感想なのでありました。納豆ばかり食っているおれなどとは、ベースのところのエネルギー準位がまるでちがう。

 というわけで、「自分は技術の天才だ」と思う方、または「家族を砦にアウトドアライフを楽しんで、庭でトマトを育てながら技術に関わる仕事をしたい」という方は、是非一度シリコンバレーで働いてみてください。

 ……というのが著者からのお勧めである。お、おれはけっこうです。ウチで本読んで屁ぇこいて寝たいです。

 若い人は信じないかもしれないが、そのむかし、おれたちの二、三年上の世代からおれたちの数年あとくらいまでの世代を、当時の世間は“新人類”と呼んだものだけど、なんのなんの、このシリコンバレーの“ヒューマン2.0”に比べれば、おれたちなんぞ、ほとんど旧人類の亜種、せいぜい“ヒューマン2.0β”か、よくても“ヒューマン2.0 RC”くらいだろう。

 こういう愉快な本は、十代、二十代の人が読んで、ぜひ現実的オプションとして憧れてほしいもんだ。おれには、こういう生きかたは眩しすぎる。晩飯のコンビニ弁当買うときに、四百九十円のにするか五百二十円のにするか悩んだ末、思い切って五百八十円のゴージャスなのを買ってしまった日には、なにやら分不相応なことをした罪悪感のようなものを覚えて落ち着かない……といった生きかたが、おれには身の丈に合ってます、ハイ。



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2007年4月25日 (水)

グラッチェ、グラッチェ

 MSN video でやってる ZDNet Whiteboards ってコーナーがけっこうお気に入り。旬なテクノロジーのキーワードを、それなりの講師が一口知識的にホワイトボードを使って一般視聴者向けに解説するという番組。ネタそのものには深く突っ込むわけでもなく、平易な用語解説に留まるのだが、ホワイトボードにキーワードを書き殴りながらやたら表情豊かに解説するガイジンさんたちが、おれにはみんなケーシー高峰に見えてしまって、微妙に面白い。まあ、そういう邪な楽しみかたをしている人はあんまりいないだろうが、それにしてもアメリカ人ってのは、こういうカタチのプレゼンがおしなべてうまいよねえ。やっぱり、子供のころからの訓練がちがうのだろうな。

 Carbon Nanotubes のお題では、ちゃんと軌道エレベータのことまで触れているのはえらい。ただ、「geosynchronous orbit が高度六万二千マイル」とか言ってるが、いくらなんでもそりゃ高すぎる。二万六千マイルのまちがいだろう。まあ、こういうツッコミができる隙があるところも、生身の人間がプレゼンしている感じがひしひしとあってご愛嬌である。

 基本テクノロジカルタームの「三分間クッキング」、英語の勉強とプレゼンの勉強がついでにできるので、文科系の学生さんにはとくにお薦め。こんなのがいくらでもタダで観られるんだから、ホント、いまの学生さんはいいよなあ。



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2007年4月24日 (火)

特打ヒロイン

'Supercalifragilisticexpialidocious' wins $25,000 (CNN.com)
http://www.cnn.com/2007/TECH/ptech/04/22/top.texter.ap/index.html

NEW YORK (AP) -- OMG!
Thirteen-year-old Morgan Pozgar, of Claysburg, Pennsylvania, was crowned LG National Texting champion on Saturday after she typed "Supercalifragilisticexpialidocious" from "Mary Poppins" in 15 seconds.
"I'm going to go shopping and buy lots of clothes," the teen said after winning her $25,000 prize from the electronics company LG.

 "OMG!"ってのは、"Object Management Group!"と叫んでいるわけではなくて、英語圏のメール猿どもが使う"Oh My God!"ですな。

 いやしかし、このお嬢ちゃん、こんな小ぶりのスマートフォンのキーボードで Supercalifragilisticexpialidocious を十五秒で打てるのか。あのな、口で言うだけでも四、五秒かかるぞ。ジュリー・アンドリュースディック・ヴァン・ダイクもびっくりだ。えーと、Supercalifragilisticexpialidocious は三十四文字あるから、一ストロークあたり○・四四秒! アラン・ラッド高橋名人もびっくりだ(おじさんはいろいろ古いことを言うので、わからない若人は飛ばして読んでください)。

 LGのこのスマートフォン、このチャンピオン少女が使っている写真を見るかぎりでは、あきらかに HP200LX(おじさんはいろいろ古いことを言うので、わからない若人は飛ばして読んでください)よりも W-ZERO3 よりも小さいよなあ。W-ZERO3[es] よりも、たぶん小さいぞ。横型だから、Blackberry のキーボードよりは打ちやすそうだが……。こういう競技は、手の小さい十三歳の少女にはむしろ有利だろう。有利だけども、人間離れしたスピードであることはたしかだ。

 なんの、さすがにケータイの入力は遅いがな、年寄りを侮ってはいかんぞ。おじさんだって、ふつうのキーボードならまだまだ若いもんには負けん。「dir/w [enter]」なら、いまでも○・五秒を切れると思うぞ。それが年寄りなんだけどな。



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2007年4月23日 (月)

さすがはロシア、日本はまだまだかなわんな

ロシア国民の3割、天動説信じる 「恐竜時代に人類」も (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/update/0422/JJT200704220005.html

 「太陽は地球の周りを回っている」―。ロシアで国民の約3割がこう信じていることが明らかになり、関係者の間に衝撃が広がっている。有力紙イズベスチヤがこのほど、全ロシア世論調査研究所から入手した調査結果として伝えた。

 調査はロシアの153都市で、1600人を対象に基本的な科学知識を試す形で行われた。

 この結果、天動説を信じている人は28%に上った。ほかに「放射能に汚染された牛乳は煮沸すれば飲んでも安全」との回答が14%、「人類は恐竜時代に既に出現していた」との回答が30%に上った。

 また、科学的な知識だけを信じる人は20%しかおらず、あとは魔法を含む何らかの超自然的な力の存在を信じていることも明らかになった。(時事)

 なあに、ロシア人よ、気に病むことはない。目くそ鼻くそじゃ。日本で同じ調査をやったら、たぶん同じくらいの成績になるか、日本がロシアを下まわると思うぞ。

 二〇〇二年には、『国民の科学技術に対する理解度や関心度は米英など先進各国の中で最低レベルであることが24日、文部科学省科学技術政策研究所がまとめた「科学技術に関する意識調査」で分かった』という報道があったし、二〇〇四年には、日本の『小学生の4割は「太陽が地球の周囲を回っている」と思っている』という報道があった。この記事を読んで、「やっぱり、ロシアは遅れているなあ」などと思っている日本人がおったとしたら、怖ろしいほど現状認識の甘い人だと言わざるを得ない。

 それにしても、さすがはスプートニクやボストークで人類の宇宙開発をリードした国だけのことはある。「放射能に汚染された牛乳は煮沸すれば飲んでも安全」と回答した人がたったの14パーセント「人類は恐竜時代に既に出現していた」と回答した人がわずか30パーセントだというのだから、驚異的に科学民度の高い国である。この二問なら、任意抽出した日本人は、まず確実にロシアに負けるとおれは思う。

 ぜひ試してみてほしいね。どうだい、テレビ朝日、そういう企画、特番でやってみないか? 文部科学大臣もゲストに呼んで、世界に向けて英語でコメントしてもらおうぜ。


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2007年4月22日 (日)

アクセス解析結果の簡易表示をはじめてみた

 先日、ココログの新機能として、アクセス解析の結果がブログパーツで公開できるようになった。面白いので、左ペインの下のほうにつけてみた。このブログの「人気記事ランキング」「検索フレーズランキング」「リンク元ランキング」「アクセス地域ランキング」を知ることができる。いずれも、表示はベスト10まで、集計期間は過去三十日間に設定してある。完全にリアルタイムではなくて、一日一回更新されるのだそうな。

 おれはこのブログの管理者なのだから、もっと詳しいアクセス解析をしょっちゅう見ているわけだが、こうしてアクセスの状況が自動的に切り出されて表示されるのは、管理者にとってもけっこう便利だな。



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2007年4月21日 (土)

理性と科学の徒よ、『オーラの泉』の侵略を阻止せよ!

 さっき台所に酒を注ぎに行ったら、案の定、母が『オーラの泉』テレビ朝日系)を観ておった。やれやれ。こんなものをプライムタイムに持ってくるテレビ朝日という企業は、いったいなにを考えておるのか。CSRという言葉を知っておるか、テレビ朝日? 老い先短い年寄りがなにを信じようがもはやどうでもいいが、“子供の教育に悪い”というのは、まさにこういう番組のことを言うのだ。

 子供が“自称霊能者”とやらの世迷い言を真に受けて育つかと思うとぞっとする。だいたい、ニセ科学やら霊やらの“言いわけ”に寄りかからなければまともな道徳教育もできない大人が情けないわい。子供たちよ、若者よ、みずからの頭で考えず、みずからの言葉と責任で子供にものを教えることもできないようなこんな大人どもの吐く世迷い言などには、耳を貸す必要はまったくないぞ。こいつらに「おまえのオールをまかせるな」

 日本PTA全国協議会よ、おれは以前あんたたちを“敵”とみなすと宣言したが、この際、敵にも呼びかけよう。この番組を消し去るためなら、敵だの味方だのと言うてはおれん。いまこそ、あんたがたの出番だ。手前らで定めた「日本民間放送連盟 放送基準」をあからさまにないがしろにしているテレビ朝日の『オーラの泉』に、例の「子供に見せたくない番組」の名誉あるレッテルを貼りつけてやってもらいたい。人助けだと思って、ぜひやってくれ。深夜番組ならまだしも、今回のテレビ朝日の暴挙は、あんたがた日本PTA全国協議会の基本方針に照らしても、看過できるものではないはずだ。文部科学省に対して「要請活動」とやらを積極的に展開してほしい。

 さあ、よい子のみんな、土曜七時は家族といっしょに『脳内エステ IQサプリ』(フジテレビ系)を観て、みんなで脳を鍛えよう。一家団欒に『IQサプリ』だ。ほんとは『サイエンスZERO』がよかったんだが、放送時間が変わっちゃったしな。ともかく、『オーラの泉』なんか観てたら、アホになるぞ。いいことなんか、ひとつもないぞ。



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彼女も今年四十五歳か……

 若者による銃の乱射事件が起こるたび、ほとんど反射的におれの脳裏をよぎるのは、「ああ、ブレンダ・スペンサーはおれと同い年だったな」ということである。ちゅうことは、彼女も、もうええおばはんなわけだ。

 ブレンダ・スペンサーのことを思い出すと、いつもおれは胸を撫で下ろす。もしおれが、手軽に銃が手に入るような環境下に生まれていたとしたら(なにしろ、ブレンダはあのライフルを、クリスマスに父親からプレゼントされたのだ)、おれも彼女のようになっていた可能性はあるだろうと思うからである。理由は、むかし『迷子から二番目の真実[27] ~ 銃 ~』というエッセイに書いたとおりだ。

 ひさびさに自分の書いたものを読み返してみて、「美と道徳とはまったくの別物である」「そして、美というものの恐ろしさに耐性がない人間が、いつのまにか銃に引鉄を引かされてしまうのだ」というくだりに、昨今の日本の状況が重なって、ちょっと背筋が寒くなった。そうだったのか。おれが安倍晋三という人物に感じる気色悪さの正体が、ちょっと垣間見えたような気がする。

 美しい国と道徳的な国というのは、たぶんまったくの別物なのだ。



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2007年4月19日 (木)

空にそびえる白金の城

プラチナで「ガンダム」 参考価格3千万円 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0418/TKY200704180341.html

 スイスで開催中の時計・宝飾品の国際見本市に、プラチナでつくった「ガンダム」が出展された。全長12.5センチ、重さ1.4キロ。
 玩具会社のバンダイが型を制作、田中貴金属ジュエリーが鋳造と磨き上げを担当。89のパーツを職人15人で仕上げた。販売予定はないが、参考価格で約3000万円。
 欧州でアニメ人気が高まる中、「世界にガンダムを売り込みたい」「プラチナの魅力をPRしたい」と両社の思惑が一致。白銀に輝く「機動戦士」の評価やいかに。

 ひいい。これってもしかして、このごろ流行りの金属泥棒を挑発してマスカ? ビームサーベルの分だけでも、そのへんにポロっと落ちてないかしら。

 これって、上の記事には書いてないけど、「これがホントのガンプラ」って言いたかっただけなんじゃないの? 絶対、そういうノリで企画したと見た。まともな企業にも案外いるんだ、そういう田中啓文みたいな人が……。

 ガンダム直撃世代よりちょっと上のおれとしては、プラチナで作るんなら、マジンガーZにしてほしかったけどな。ま、「これがホントの超白金Z」って言いたいだけなんだが。ホバーパイルダーの分だけでも、そのへんにポロっと落ちてないかしら。どうしてジェットパイルダーじゃないのかって? そりゃ、ホバーパイルダーのほうが体積が大きいからだよ。

 「社長、展示会のために特注していたプラチナ製マジンガーZが届きました」
 「おお、届いたか。どれどれ、早く見せろ……おや、ジェットスクランダーはどうした?」
 「えっ? いやだなあ、社長、発注したのは本体だけですよお」
 「そうだったっけか?」
 「そうですってば、展示会の来訪者がうっかり触って指でも落としたらたいへんだってことになったじゃないですかあ」
 「そうだったっけか……? うん、そう……だったような気もするな。わはははは、私としたことが、ははははははは」
 「あはは、あははははは」
 「わははははははは」
 「あははははははは、あは、あはは」



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2007年4月18日 (水)

肌寒いので軽く一作

「ハロゲンヒーターとハロルド・ピンターくらいちがう」

 さすがにノーベル賞を取ってからは日本でもかなりピンターの知名度が上がったようには思うのだが、やっぱり日常生活で使うには難しいネタかなあ。



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『月夜の雨』(柴田淳/ビクターエンタテインメント)

 ここ半年ばかり、気がつくと柴田淳を流しているという日々が続いている。iTunes Store でたまたま「紅蓮の月」を買ってみたら、これがやたらいい。以来、じわじわと柴田淳の曲がおれのパソコンの中に増えていった。

 だが、おれはたぶん女性ファンとはかなりちがった柴田淳の聴きかたをしているのだと思う。ウェブで女性ファンの評などを見ていると、女性は“しばじゅん”の詞の世界に魅せられることが多いらしいのだが、おれはといえば、データが擦り切れるほど(?)聴いているのに、ほとんど歌詞が覚えられない。ただひたすら、その声に浸ってしまうのだった。おれにとっては、ただただ心地よい声なのだ。歌詞を追ってその世界を読み解こうという脳の回路が、柴田淳の声が流れはじめるや否や、その働きを止めてしまう。といって、“聴き惚れる”という感じでもないのだな、これが。“聴き惚れる”のにはけっこうエネルギーが要る。知らずしらずのうちに、集中してこちらから耳を傾けてしまう構えになるからだ。柴田淳の声は、ただただここにあるがままのおれの中にするすると流れ込んできて、ひたすら心地よい。押しつけがましくなく、疲れない。

 よく「透明感のある声」などという常套句が使われているのを見かけるが、それはちょっとちがうんじゃないかと思う。柴田淳の声は、いわゆる“美しい声”というのとはちがう。むしろ、雑音の多いざらついた声である。そのざらつき加減が絶妙に心地よいのである。ぴかぴかの表面が冷たく体温を跳ね返してくるガラスのような感じではなく、その繊細なざらつきこそが掌に心地よく吸いついてくるシンプルな素焼きの器のようだ。

 ずっと iTunes Store で買っていて、物体としての盤(いた)を買ったのは今回が初めてである。「紅蓮の月」や「花吹雪」「HIROMI」のようなシングルで出ているメジャーな曲もさることながら、こうしてアルバムで聴いてみると、「青の時間」「涙ごはん」「つまおうじ☆彡 (拝啓王子様☆第三章)」といった、必ずしもマジョリティーには支持されないかもしれない世界を展開した曲のほうが、おれには印象に残る。おれが思っていたよりも、ずっと幅の広いアーティストなのだなあと感嘆した。狂気の薫りすら漂う病的な感性や奇妙なユーモア感覚に、おれは意外な既視感を覚えた。声質も曲想もまるでちがうのだが、なぜか柴田淳には、おれに谷山浩子を思い起こさせるものがある。おれもこのアルバムを聴くまではそんなふうに思ったことはなかったもんだから、相当意外だったんだけれども、聴けば聴くほど、この二人の“感性の匂い”みたいなものに、共通した波長を感じるんだよなあ。おれだけかなあ?

 ともあれ、ほんとに、疲れない、心地よい歌声ですなあ。声フェチのおれとしては、柴田淳には下手に“お歌がお上手”にはなってほしくないのだ。いまの柴田淳の声でなら、おれは電話帳の朗読だってずっと聴いていたいと思う。なんなんだろうね、この心地よさは?


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2007年4月15日 (日)

目玉商品

目玉おやじゼリー人気 サンシャイン60に鬼太郎カフェ (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0413/TKY200704130039.html

 「ゲゲゲの鬼太郎」の父、目玉おやじは子どもの大好物? 東京・池袋のサンシャイン60に、アニメ化を記念して「鬼太郎カフェ」が来月13日まで開設中だ。
 人気メニューが「目玉おやじゼリー」。一見、湯飲みで入浴中の目玉おやじだが、実は、青りんごゼリーとブルーベリー味のキャンデーの組み合わせ。
 なめると、次第に白目部分が消えて充血したようになる。週末は40食売れるなど好評で、「妖怪に親しんで」と担当者。だが、リアルさに泣き出す子も。

 あ、真中瞳だ。

 いや、それはともかく。

 「妖怪に親しんで」というのもものすごい説得だが、どっちかというとこれは、『ブレードランナー』ごっこに持ってこいだなあ。東京にお住まいのSFファンは、サンシャイン60にお越しの際にはぜひやっていただきたい。

Now--where... would we find this.... J. F. Sebastian?

 ゆ~っくりと、ねちねちねちねち言うのがポイントである。



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完全なる飼養

 おれは団地住まいであるから、「犬や猫を飼育している家庭は……」といった貼り紙をよくそこいらへんのあちこち(なんちゅう大ざっぱな表現)で見かけるのである。昨日も近所のスーパーに買いものに行ったら目に入った。

 しかし待てよ。「飼育」って言葉がなんとなくひっかかる。「飼う」ほうはいいのだが、「育てる」あるいは「育む」のほうがひっかかる。たとえば、仔犬を拾ってきて成犬になるまでのあいだは「飼育」だろうが、そこから先ははたして「育て」ていることになるのだろうか? 歳を取らせているのも育てているうちに入るとすればそうだろうが、なんか気色悪いなあ。「カブトムシの飼育」なんて具合に、ふつうにあちこちで使われている言葉だが、改めて考えると、非常にすわりが悪い。

 じゃあ、「飼育」でなかったらどう言うべきなのか。「扶養」かなあ? いや、「養う」ほうはいいのだが、犬を「扶け」るというのが気色悪い。なんだか、犬が生きることに自覚的に生きているかのような印象を受ける。「扶養」はさすがに対象が人間でないと使えんだろう。「飼育」のほうは、少々特殊な状況を想定すれば、対象が人間でも使えるな。アレは「育て」ているわけではないような気もするが、まあ、ある種の価値観に照らせば、対象が「育っ」てゆくと考えることに違和感はなく、むしろ快感がある。をい。

 それはさておき、はて、どう言うのが本来は適切なのかとおれはしばらく悩んだ末、そういえば「飼養」という言葉があったと思い当たった。「愛玩動物飼養管理士」という資格があったな。山口もえが二級を持っているとかいう民間資格である。どうやら「飼養」というのは、家畜やらなにやらにお役所などがよく使う言葉のようだ。非論理と不合理と不条理の塊のくせに、こういうところでは妙に論理的なのは、さすがお役所である。うむ、これだな、この言葉が論理的にいちばんしっくりくる。

 よし、これからは、文字で書くときには、「カブトムシの飼養」などと表現することにしよう。日常生活で「しよう」なんて口で言っても、たいていは怪訝な顔をされたり、女性には張り倒されたりすることだろうから、やっぱり口頭では「飼育」を使い続けるだろうけどねえ。



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2007年4月14日 (土)

活用シーンがきわめて限定される新作ひとつ

 ひと眠りする前に朦朧とした頭がいきなり叩き出した「○○と××くらいちがう」の新作なんだが、これは、日常会話で活用するには相手を選びすぎるよなあ……。

 なにしろ、両方を知っている人というのは、かなり年配であるにも関わらず最近のアニメにも関心があるといった特殊な人種(このブログの読者層では、珍しくなんともない人たち)に限られてしまう。構造は美しい、ハイレベルの作品なんだけどなあ。

 『藍より青し』でない点にこだわりたい(笑)。そっちなら、若い人でも知ってるよな。



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2007年4月13日 (金)

カート・ヴォネガット死去

Kurt Vonnegut, Jr. (1922 - 2007) (Fantasy and Science Fiction News - SFWA News Site)
http://www.sfwa.org/news/2007/kvonnegut.htm

Writer and artist, Kurt Vonnegut, Jr. died Wednesday, March 11, 2007, following brain injury received in a fall at his Manhattan home a few weeks earlier.

Author Kurt Vonnegut dies at 84 (CNN.com)
http://www.cnn.com/2007/SHOWBIZ/books/04/12/obit.vonnegut/index.html

NEW YORK (CNN) -- Kurt Vonnegut, whose absurdist visions and cynical outlook infused such books as "Slaughterhouse-Five" and "Cat's Cradle," has died. He was 84.
Vonnegut died at New York's Mount Sinai Hospital at 9:45 p.m. ET Wednesday, said his wife, photographer Jill Krementz.
Vonnegut had been hospitalized for several weeks after suffering brain injuries following a fall at his East Side Manhattan home.

 とうとう、このジョークを言わなければならない日がやってきてしまった。では、故人の希望どおりに言わせてもらうことにする――「カートはいま天国におります」

 ありがとう、ヴォネガット。あなたは、おれがこのとんでもない世界で生きていられる理由をくれた偉大な作家のひとりだ。おつかれさまでした、“戦友”よ。

 Do be do be do.

 So it goes.



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2007年4月12日 (木)

“特定”できることを“推定”しなければ崩壊する制度なのか、それは?

離婚後300日以内に生まれた子救済へ 法務省 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0406/TKY200704050418.html

 「離婚後300日以内に生まれた子は前の夫の子」と推定する民法772条の規定の見直しを巡り、法務省は、前夫との離婚後に懐胎したとする医師の証明書があれば、離婚後300日以内に生まれた子でも現夫の籍に入れられるようにする民事局長通達を4月末までに出す方針を固めた。

反発呼ぶ、法相の「貞操義務」発言 民法規定見直し巡り (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY200704090284.html

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する民法の見直しで特例新法を目指す与党プロジェクトチーム(PT)の動きをめぐり、長勢法相が6日の会見で述べた「貞操義務なり、性道徳なりという問題は考えなければならない」との言葉が、市民団体や議員の間で反発を呼んでいる。
 家族法の研究者らは9日、通達での対応を表明している法務省に対し、救済範囲が広い特例新法の制定を求める要望書を提出。会見した早大院の棚村政行教授は「(特例法が)貞操義務や性道徳を乱すとの議論がしかるべき立場の人から出ている。『子どもの救済』という議論の本質が違う方向にいき危機感を覚える」と批判した。

「300日問題」今国会の提出見送りか 立法不要論強く (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0411/TKY200704100389.html

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」とする民法772条の規定を見直す与党プロジェクトチーム(PT)の議員立法について、自民党の政調幹部が10日、「時間をかけて議論せざるを得ない」と今国会での法案提出の見送りを示唆した。法務省の通達があれば立法は不要との意見が党内で強まった事態を受けたものだ。だが、与党PT案が救済対象とする「離婚前の懐胎」は、通達案では対象外。このケースで子供の出生届が受理されない夫婦は複雑な思いで見守っている。
 同日の自民党法務部会でも、与党PT案について「婚姻制度が崩れる」などの反対論が続出した。一方、公明党はなお、議員立法での救済をめざす構えを崩していない。

 なんなんだ、この不可解な迷走は? おれには民法772条を見直そうという話になんの問題があるのか、さっぱりわからないよ。

 だいたい、仮に“一妻多夫”の状態で暮らしていて子供ができたとしても、どの夫の子かを充分な信頼度で特定できる技術基盤がすでにあるというのに、「嫡出の推定」などという規定がいまだに生きていること自体が不可解である。間接証拠を直接証拠より重視する刑法なんてものがあったら奇ッ怪なことおびただしいが、民法だとまだこんな時代遅れな“推定”が力を持っているんだなあ。「嫡出の推定」なんて、もはやする必要などない。知りたきゃ、DNA鑑定すればいいだけの話。

 貞操義務がどうのいった意見も、これまたさっぱりわからない。そもそも、あんなもん“義務”なのか? 法律のどこに書いてある? 離婚訴訟だのなんだのになったときに、夫婦は相互に貞操義務を負うという前提がきわめて支配的な法解釈になっているだけじゃないか。おれに言わせれば、あれは義務でも権利でもなく、自主規制である。その“貞操自主規制”を、夫婦のどちらか、あるいは、両方がないがしろにする心理状態になっているということは、すなわち婚姻関係の実質的破綻を意味するはずだ。離婚訴訟において有責配偶者からの離婚請求でも認められる事案が増え、法曹界が実質婚を重視してゆく趨勢にあるのであれば、夫婦相互の貞操をいつまでも“義務”と解釈していたのでは、矛盾が生じてこないか? “望むらくは遵守されるべき自主規制である”と捉えたほうが、ずっと自然だとおれは考える。

 長勢法務大臣がなにを言いたいのかおれにはいまひとつよくわからないのだが、もしかしたら、「民法772条の縛りを外したが最後、世の女どもは、わしの女房も含めて、男をとっかえひっかえスッポンスッポンやりたい放題、手当たり次第にバコバコ子供を産みおるにちがいないから、法律で縛っておかねばならん」とでも言いたいのだろうか? もし、民法772条の縛りが取れたとたんに、あんたとこの奥さんが若いツバメを何人も抱え込んでやりたい放題やりまくりはじめたら、それは法律がどうこうという以前に、あんたとこの婚姻関係が実質的にはとうに破綻しておったということを示すにすぎない。そういう個人的な懸念(?)を、世間の女性一般に敷衍してもらっては困るな。

 「婚姻制度が崩れる」などの反対論? なんだ、それ? 意味がわからん。法律の縛りが外れたら崩れるような婚姻関係、婚姻制度であれば、そんなものは崩れさせればよろしい。破綻している会社は、粉飾決算をして存続させるより、正しく潰れたほうがずっと社会のためだというのと同じだ。おれはほとんど確信しているのだが、民法772条なんてものがまるごとなくなったとしても、多くの破綻していない夫婦は、相互の信頼関係に基いた“貞操自主規制”を“そこそこ”尊重してゆくだろう。まあ、少々自主規制が緩んだとしても、社会が男に対して容認してきている程度の不貞を女も享受できるようになったというだけのことで、釣り合いが取れていいんじゃないの? そのほうが緊張感があっていいと思うね、おれは。実質婚を安定的に維持するほうが、形式婚を惰性で続けるよりもずっと意識的努力を強いられるにちがいない。そうなりゃ、それこそ、ほんとうに望まれる形でのホワイトカラー・エグゼンプション導入の議論に本格的に火が点くかもよ。なにしろ、伊達や酔狂じゃなく家庭に目を向けにゃならなくなるから、効率的に付加価値の高い仕事をして家族との時間を増やしたいなんてことを本気で考える人が増えてくるかもね。



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2007年4月11日 (水)

地位は一流、倫理は二流、ギャラは……?

「今日のハイライトです」と設問教える 獣医師試験漏出 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0410/TKY200704100336.html

 獣医師資格国家試験漏出問題で、設問が漏らされた麻布大の昨年10月の講義で、鈴木嘉彦教授が「いよいよ今日のハイライトです」などと学生に設問を教えていたことが農林水産省の調査でわかった。講義には今年3月の試験を受験した鈴木教授の娘も出席していたという。同省は10日、獣医事審議会に、設問作成の担当だった西田利穂教授と鈴木教授の獣医師免許の取り消しや停止を含む行政処分を諮問した。

 それを言うなら、「今週のハイライト」だろう――とツッコんでいるおじさん・おばさんが全国に大勢いるにちがいない。ちょっとツッコミどころがちがうと思うが、それでもツッコんでしまう哀しさよ。そもそも、「今日のハイライト」って切り出しかた自体が、この教授も古いよなあ(おれに言われたくはないだろうが……)。せめて、「今週のスポッ     トライト」くらいにせんか? なに、それでも十二分に古い? じゃあ、最近はなんてぇんだよ?



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2007年4月10日 (火)

細長いケータイ

 先日、ツーカーのサービス停止に伴って、母に持たせているケータイを au に乗り換えた。まったくのタダである。けっこうなことだ。

 おれはいつも会社の帰りにコンビニで晩飯を買うのだが、ほかになにか雑貨などの買いものがないか、一応、母に電話をして確認することにしている。今日も今日とて確認の電話を入れると、とくに買うものはないということだったので、おれは自分のコンビニ弁当だけ買って帰宅した。

 帰宅すると、「あのあと、あんたに電話しようと思うたけど、ケータイのボタンの数字が擦り切れて消えてて、どれ押したらええかわからんかったんや」と母が言う。はて? 母のケータイはまだ新品のはずだが?

 ほれ、と母が持ってきたのは、テレビのリモコンだった。

 おれはかなり愕然とした。とうとうキたのか?

 おれは、母の部屋の小テーブルに並んでいるテレビのリモコンケータイクーラーのリモコンを指差して、「どれがケータイや?」と尋ねた。

 数秒の沈黙があり、母は自信なさげにケータイを手に取った。そう、それでいい。

 「あたし、なにしてんにゃろ?」と、本人も驚き呆れて笑っていたが、いやあ、ヒヤッとしたぜ。

 問題は、だ。

 こと“機械もの”に関するかぎり、母は若いころから、この程度のとんちんかんであれば、しばしば発動するのである。だもんだから、いよいよボケてきたのか、いつものおっちょこちょいなのか、あんまりよくわからないのだ。不幸中の幸いと言うべきなのであろうか?



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2007年4月 9日 (月)

まなべからめぐみになった『サイエンスZERO』

 昨夜録画したのをようやく観た『サイエンスZERO』(NHK教育)、装いも新たに(常套句だなあ……)、今回から女性ナビゲーターは安めぐみ。いやまあ、おれとしては、眞鍋かをりが降板するのも惜しい、安めぐみにも期待したいという、フクザツな心境である。眞鍋かをりといい安めぐみといい、よくもまあ、おれの好きな女性タレントをピンポイントで狙ってくるね。なんで知ってるんだ? こういう番組の視聴者層が好むタイプの女性タレントってのを、統計的にリサーチして割り出しているんだろうか? あるいは、この番組の主たる視聴者層ってのは、要するに、もろにおれのようなオヤジであって、単にオヤジウケのいい女性タレントを起用しているだけだったりして。

 利発で元気いっぱい風の眞鍋かをり(ブログやポッドキャストによれば、仕事以外ではかなり室内派だが)とは対照的な、ぽわわぁ~んとした癒し系の安めぐみがどういう味を出してゆくか、なかなか楽しみなところである。「ゼロからまなべ!」コーナーは、「めぐみの一歩」コーナーにタイトル替え。ちょ、ちょっと苦しいが、「まなべ」以上にこの番組に都合のいい名前はそうそうないだろうから許そう。

 考えてみれば、『サイエンスZERO』は、今回から深夜枠、つまり、はじめのころに戻ったわけである。地獄婆あスピリチュアル・デブがテレビで大きな顔をしている昨今、こういう番組はできれば子供の観る時間帯に本放送をぶつけてほしいもんだが、まあ、再放送はプライムタイムだからいいか。

 ニセ科学が蔓延する世の中だからこそ、ちゃんとした科学番組を子供や若者には観てほしいんだよな。いや、おれは親が無理やり観せるのもこれまたよくないと思うわけよ。子供が観やすい時間帯に、さりげなくやっていてほしいわけ。おれはガキのころ、いつのまにかやっていた『四つの目』を発見して毎回観るようになり、続けて『レンズはさぐる』を観ていたもんだ。それはお勉強でもなんでもなく、完全におのれの興味の赴くままにたどり着いた“娯楽”以外のなにものでもなかったのよさ(なんでピノコ語?)。たぶんおれのことだから、親が観ろなどと言おうものなら、そんな番組はひょっとすると嫌いになっちゃってたかもしれない。自分が大人になったいま、自分の子はおらんが、世間の親御さんたちにとってはそのあたりが難しいところだろうと思うねえ。

 そういう意味では、地獄婆あやスピリチュアル・デブが出ている番組を好んで観ている老母を横目で見るにつけ、心中、妙な感謝のしかたをしてしまうのだよなあ。ああ、親が科学になんの興味もなくてよかった、みたいなね。



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2007年4月 8日 (日)

投票しないやつは政治に文句垂れるなよ

 統一地方選挙の投票に行ってきた。いま帰ってきたばかりだ。京都の場合は、府議会議員と市議会議員の選挙である。

 今日投票する権利を行使できるところに住んでいる人で、まだ投票に行っていない人、いまからでもまったく遅くはない、ぜひ投票しよう。この日記では何度も言うのだが、「そもそも民主主義が機能していない現段階では、むちゃくちゃな投票をしてでも票の絶対数を増やし、地位の安定にぬくぬくとしている粗悪な政治家を追い落とすことが先決だ」

 おれの日記でこうして呼びかけた効果が覿面に顕われ、全国津々浦々で投票率が軒並み九十五パーセントを超えるなどということになってみろ、投票率が低いことによって存在できているような政治家どもはビビる。おれもビビる。

 まあ、そんなに影響力があるわきゃねーけど、これを読んで一人でも二人でも投票所に足を運ぶ気になってくれたら、アホ日記を書いている甲斐もあるというものである。



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世間の広さを知る

 mihimaru GT大江千里のピアノでカバーしている「部屋とYシャツと私」『mihimagic』所収)がなかなかよく、懐かしさも手伝って最近よく聴いている。hiroko の声質とちょっと舌足らずな唄いかたがとてもこの曲に合っていて、平松愛理のオリジナルに勝るとも劣らぬすばらしい出来である。ほかに、この曲に合いそうなのは、シュガーミキ(笠松美樹)かなあ。どっかで唄ってるのかもしれないが、一度聴いてみたいもんだ。フェアチャイルド時代のYOUでも面白いかもな。

 それはともかく、今日も今日とて mihimaru GT で「部屋とYシャツと私」を聴いていると、「ヘアと猥褻と私」というネタがいきなり降ってきた。もう少しましな天啓が降ってきてほしいもんであるが、まあ、神様も人を見ているのだろう。いったいこのネタをどこで使えというのだ? まあ、いまこうして使っているわけだが……。

 だけどなあ、こりゃ、いかにもアダルトビデオのタイトルかなにかにありそうなネタだぞ。きっとあちこちで天啓を受けている人がいるにちがいない。どれ、ググってみるか――うわぁ、やっぱり! なんというありきたりな発想であろう。検索して出てくるようなことを思いついているようでは、まだまだ修行が足りぬ。

 中には、二年も前におれと同じように検索してくやしがっている人がいたりして、つくづく世間は広いものだと思う今日このごろなのだった。



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2007年4月 7日 (土)

いま、そこにある厄介

 京都市では昨年秋にゴミの分別がはじまったのだが、約半年経った今日このごろ、近所のどのゴミ置き場を見ても、示し合わせたかのように、貼り紙や立て看板にはこんなふうに書いてあるのだ――「……京都市指定の黄色いゴミ袋でないと持っていってくれないので、それ以外の袋は使わないでください」

 ここいらは団地だから、これを書いている人はゴミ置き場によって異なるのである。なのに、どれもたいていこういう内容になっている。おれは近所のスーパーに買いものにゆくたび、さまざまな筆跡で同じことが書かれた貼り紙や立て看板をいくつも見て、ほとんど感動に近い感慨を覚える。つまりだ、人が京都市指定の黄色いゴミ袋(45リットルのが一枚45円もする)を使う理由は、地球環境がどうの決めごとがどうのといったきれいごとより、なによりかにより、“持っていってくれない”からなのである。“生活者”という言葉を使うのは気色悪いのだけれども、これこそ生活者の視点、生活者の本音というものであろう。「もしどんなゴミ袋でも持っていってさえくれるのであれば、誰が高い指定ゴミ袋など使うか、どアホ」とでも言いたげなこれらの注意書きは、微笑ましくもあり嘆かわしくもあり逞しくもある。

 これはまさに、地球温暖化のような、目に見えずわかりにくい脅威は「ちゃんと怪獣の形にしてあげればいい」というおれの提言(?)を補強する観測事実と言えよう。たいていの人は、地球の環境が破壊されることを憂えてゴミの分別などという面倒くさいことをしているわけではないと思う。とにかく、ゴミを持っていってくれないと困るという、直近の、目先の、いま、そこにある厄介を回避するために行動しているのである。いやまあ、たしかにアタマでは大所高所に立って地球のことを考えている人は少なくなかろうが、ココロではゴミを持っていってくれないことのほうが、異常気象やらなにやらよりも正直ずっと困るのである。

 安倍晋三という人の言動を見ていると、どうもここいらへんの嘆かわしくも逞しい“生活者感覚”とでも言うべきものが欠落しているのではないかと思われてならない。安倍首相にはぜひ、先ごろ亡くなった聖人のお言葉を、朝に夕に三回ずつ唱えるくらいのことをしてもらいたいと思う――「ア、わかっちゃいるけど、やめられねぇ」



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2007年4月 4日 (水)

事実は小説よりも……?

イージス艦の情報持ち出し、県警と海自が共同捜査へ (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0404/TKY200704040123.html

 海上自衛隊第1護衛隊群(神奈川県横須賀市)の護衛艦「しらね」乗組員の2等海曹(33)がイージス艦などの情報を自宅に持ち帰っていた問題で、神奈川県警は4日、海上自衛隊の警務隊と異例の共同捜査に踏み切ることを決めた。持ち出された情報が2曹だけでなく広範囲に流出していた恐れもあり、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法での立件も視野に海自の協力が必要と判断した。
 調べでは、県警が2曹の自宅から押収したハードディスクの中にイージス艦に関する情報があり、2曹は同僚の隊員を経由して入手したと供述したという。

 むかし、自衛隊員による防衛機密の意図的漏洩事件があったときには、「売国自衛隊」なんてフレーズをあちこちで見かけたものだけれど、今度は、あちこちで「亡国のイージス」ってネタが躍るのだろうなあ。



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2007年4月 3日 (火)

驚異のAI変換

 パソコンで「すてがのぐらふぃー」と打ち込んで変換したら、こんなのが出た――

「捨て画の具らフィー」

 なんじゃこりゃ、と、一瞬思ったが、ちょっと待て。「捨て画の具らフィー」というのは、なーんとなく、「ステガノグラフィー」の意味するところをビミョーに的確に表現してないか? 「画」というのがメッセージを埋め込むための画像で、「具」というのはきっと秘匿したいメッセージなのである。画像のほうの表現内容はどうでもいいのだから、「捨て画」なのだ。

 いやあ、最近の日本語入力システムはすごいなあ。



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2007年4月 1日 (日)

今月の言葉

この機、なんの機、ボンバル機

 たしかに気にはなるわなあ。



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一瞬、アフィリエイトになろうかと思ったり

 四月バカといえば、今年は、いまのところいちばん笑ったのはこれ。

外山恒一、ブロガー向けアフィリエイトプログラムを発表 (Life is beautiful)
http://satoshi.blogs.com/life/2007/03/post_21.html

 えーと、もしかしてご存じない方のために注意しておきますと、この候補者や政見放送自体は四月バカでもなんでもない。いったいどこまでが本気でどこまでがウケを狙ったギャグなのかよくわからないのだが、一応ホンモノである。また、四月一日でもないのに、「北朝鮮のミサイルをUターンさせる」とか言っているおなじみの候補者もいることはいる。

 四月一日のインパクトがなくなってきている世の中というのは、楽しいような気もするし、怖いような気もするよなあ。



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結婚しました

 ……というタイトルを見て「どうせ四月バカだろう」と鼻で笑ったあなた、あなたはおれをよーく理解してくださっている、このアホ日記のよき読者にちがいない。一瞬でも「えっ?」と思ったあなた、え、そんな人はいませんかそうですか。

 いや、もちろん、四月バカだよ。



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