『バビロニア・ウェーブ』(堀晃/創元SF文庫)
太陽系から三光日ほどのところにそれはあるのである。直径千二百万キロメートル、全長五千三百八○光年の巨大なレーザーの光束。両端にはおそらく重力場によるなんらかの反射機構が存在しているらしく、そのレーザー光束は、完全に位相の揃った定在波としてそこにただただ存在している。真空中のレーザーだから、当然、そこにそんなものがあることは横から見たってわからない。ビームの中に入り込みでもしないかぎり、わからないのだ。が、不用意に入り込んだが最後、毎秒5・3×1011エルグ、太陽常数の七○万倍に相当するエネルギー照射を浴びて黒焦げになってしまう。
ようやく片道進んだ光ですら、古代バビロニア以前にもう一方の終端を発したことになる長大なレーザー光束――この謎の天体、人呼んで“バビロニア・ウェーブ”は、反射板を差し入れるだけで無尽蔵とも言えるエネルギーを人類に提供し、その歩みをどこへともなく歪めてゆく。地球とバビロニア・ウェーブ間をレーザー推進連絡船で往還する単調な任務に就いていた宇宙飛行士マキタは、バビロニア・ウェーブへと向かう途中、目的地から地球へのレーザー照射が停止するという事態に巻き込まれる。地球へのビームが途絶えたのでは、レーザー推進船は減速できず、目的地で停止できない。マキタは、急遽バビロニア・ウェーブに向かった、かの天体の発見者・ランドール教授と合流、連絡船を捨てて、核融合推進の救命艇で教授と共にバビロニア・ウェーブ近傍の基地に赴くこととなる。その最果てのマルドゥク基地では、バビロニア・ウェーブに関して極秘裏にある計画が進行していた……。
と、まるでアオリ文みたいなことを書いたところで、ピンと来ない人にはさっぱりピンと来ないだろうと思う。それはもう、しようがない。ところが、なまなかなことでは人智を寄せつけない、なんだかものすごいものがただただそこに存在しているというだけで、「おおおお……」とばかりにページを繰るのももどかしくなるタイプの人が世の中には少なからずいるのである。あなたがそういう人であれば、これを読まずに死んではいけませんぜ。長らく入手困難であった日本ハードSFの金字塔、待望の復刊である。これを喜ばずして、なにを喜ぼう。
おれは、圧倒的に巨大な未知がただそこにあるというだけで読者を魅了してしまう類のSFを、アーサー・C・クラークの『宇宙のランデヴー』を踏まえて“茶筒SF”と勝手に呼んでいるのだが、日本人SF作家で堂々たる茶筒SFをものした人は、存外に少ないのである。茶筒SFは非常に読者を選ぶから、かなり度胸のある編集者の理解がないとゴーが出ないということもあるのかもしれないな。「なんじゃこりゃあー!? こいつはなんなんだ、なにしにやってきたんだ、なんのためにそこにあるんだー!?」という“未知への畏怖”そのものを楽しめる読者は大喜びなのだが、そうでない人は「喧嘩売っとんのか!?」と怒り出しかねないのが茶筒SFというものなのである。実際、『宇宙のランデヴー』読んで怒り狂った人は、欧米にもけっこういると思うんだよなあ。かわいそうに。そういう人は生まれた星のめぐり合わせが悪かったのだろう。
『バビロニア・ウェーブ』は、紛れもなく、日本の茶筒SFの最高傑作と呼んでよいと思う。SFにしか描けないストレートの剛速球を受け止めて、ミットの焦げる匂いをかぎながら掌と魂の痺れに愉悦を味わいたい人には、余計な御託は不要だ。とにかく、お薦めである。まさに、「スットライーック!!」なのである。
今回の復刊を機に何度めかの再読をして改めて思ったのだが、優れたハードSF作家の資質は、おそらく想像力などではない。観察力だ。“そこにないものに対する観察力”なのである。おれにはそうとしか表現しようがない。これは単なるルースな想像力とは似て非なるものだ。“もののことわり”を考え抜く想像力は、観察力と区別がつかない。え? なにを言っているのかさっぱりわからない? わからん人は、とにかく本書を読め。
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コメント
圧倒的な存在がただそこにある系では、「虚無回廊」も素敵でしたね。私にとっても、このジャンルはまさにストライクゾーンど真ん中。是非読んでみたいと思います。
投稿: くらげ | 2007年3月29日 (木) 12時50分
>くらげさん
日本の茶筒SFの多くは小松左京によるものですね。「物体O」なんて、短篇の茶筒SFですし(オチはあるにせよ)。『虚無回廊』も代表的茶筒SFです。惜しむらくは未完なので、日本茶筒の“最高傑作”には挙げにくいというところはあるんですが、未完だからなおのこと茶筒だという考えかたもできます(^_^;)。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年4月 1日 (日) 15時29分
カバー裏の「あらすじ」に重大な間違いがありました。
あまりに巨大なスケール感に、創元の担当者も惑わされたんでしょうか。
×「1200キロ」
○「1200万キロ」
投稿: suwataku | 2007年4月 1日 (日) 17時03分
>suwatakuさん
ああ、これは私も、バビロニア・ウェーブのスペックを改めて調べるときに気づいてました(^_^;)。
まあ、直径千二百キロだったら、ますます反射機構が難しくなりそうで、それはそれで悩み甲斐がありそうな気もしますが……。
それにしても、両端からの光圧の合力を制御してビームの中を横断したり光軸方向に進んだりする艇やら装置やらなんてのは、このバビロニア・ウェーブという設定を得なければ、ほかではちょっと考えられないガジェットですよねえ。これらの装置と同じ推進原理の装置が動作しそうな環境ってのをいろいろ考えてみたのですが、私の貧困な発想力ではちょっと思いつきません。レーザーの定在波などという特殊な条件なくしては想像もされなかったであろうモノが登場するあたり、ハードSFの醍醐味ですねえ、ゾクゾク来ますねえ、「SFは絵」ですねえ。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年4月 2日 (月) 01時35分
冬樹様が気づいていない筈は無いと思っていました。無粋なマネをしてしまい申し訳ないです。
『これらの装置と同じ推進原理の装置が動作しそうな環境』、確かに思いつきません。
ですので、しょうもないモノを考えてみました。
「直径千二百万キロメートル、全長五千三百八○光年の巨大なヒツジの腸。
両端はおそらくひねってあり、その内部には完全に粒の揃った挽肉が高圧力で充填されて
いる。この謎の天体、人呼んで“バビロニア・ソーセージ”は、ナイフを差し入れるだけ
で無尽蔵とも言える蛋白質・脂質を人類に提供し、その歩みをどこへともなく歪めてゆ
く…」
内部を移動する際には「肉圧」の合力を制御して進んだりします。
大変失礼致しました…。
投稿: suwataku | 2007年4月 2日 (月) 08時57分
>suwatakuさん
うーん、でもソーセージの肉圧だったら、中に入っちゃうと、どの方向からも同じ圧がかかって進まないんじゃないかと思いますよ。そのソーセージに疎密波が走るというような条件なら、筋肉の中に刺さった尖った異物が移動してゆくような感じで動いてゆくかもしれませんが。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年4月 3日 (火) 01時05分