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2007年3月11日 (日)

匕首を逆手に構え、敵の攻撃を逆手に取った

 “逆手”と書いて「ぎゃくて」とも「さかて」とも読むわけだが、これらをおれはいままで「そういうもんだからそういうもんだ」と、とくに理由も考えずに使い分けていた。が、さきほど「“逆恨み”というのは、考えてみれば妙な言葉だな」と思った瞬間、「ぎゃくて」と「さかて」の使い分けがたちどころに腑に落ちたような気がした。

 “逆恨み”をなぜ妙だと思ったかというと、「恨みをベクトル量だと考えた場合、方向が百八十度ちがうのであれば、すべての“逆恨み”なるものは、自分を恨んでいるということにほかならないのではないか?」という考えが襲ってきたからだ。しかし、“逆恨み”というのは、ご存じのように、自分を恨むという意味ではない。

 待てよ。考えてみれば、“さかむけ”やら“さかまつげ”だって、百八十度向きがちがうという意味ではない。むしろこれらは、どちらかというと順方向へと向かっているのではあるまいか。指の根元側が開いている“さかむけ”などという不気味なものを見たことがない。それではまるで鱗だ。眼球面に対して垂直に伸びてくる“さかまつげ”などというものも、少なくともおれは体験したことがない。ヘアピンカーブを描いて睫毛が伸びなくては、そんな怖ろしい事態にはならない。

 ははあ。すると、“さか”という言葉は、なにかに対して積極的に百八十度異なる向きを取っているというのではなく、“本来の方向から外れている”という意味をコアに持っているにちがいない。おそらく、“さく(避く)”と根っこのところで繋がっているのだろう――と、おれは考えた。とすると、「ぎゃく」とあえて外国語として音読みしている場合には、“百八十度ちがう”という意味になるのだろう。

 こう考えると、「敵の攻撃を逆手に取る作戦だ」といった場合には「ぎゃくて」と読まなくてはならないし、「お竜は匕首を逆手に構えた」という場合には「さかて」と読まなくてはならないのだろうと、すっきり腑に落ちる。

 どこぞの語学講座に倣って、母国語の“コア・イメージ”をじっくり考えると、「ぎゃく-」の場合には“相対する”というイメージがコアにあり、「さか-」の場合は“本来の筋・道理を外れる”というイメージがコアにあるということではなかろうか。“本来の筋・道理を外れる”ことで、結果的に“相対する”ことと等価になってしまうこともあるので、「ぎゃく」でも「さか」でもよさそうに思えるグレーゾーンが生じ、慣用的に併用されたり容認されたりするというややこしいことになっているのだろうと思う。英語でも、clockwise (時計回り)の反意語は、本来 counterclockwise (反時計回り)だが、unclockwise という語も誤りではないとして使われている。つまり、時計の場合、回るといえば二とおりの方向しかないから、実質的に counter- も un- も同じ意味、少なくとも、誤解の生じない意味領域に留まるから、併用されているのだろう。

 あ、でも、“逆鱗”の「げき」は、おれ流の論理でいけば、どう解釈すべきなのかな?

 まあ、これはおれがなにも調べず、おのれの語感で勝手に納得していることであって、語学の専門的見地からは、いろいろ異なる見かたがあるにちがいない。学生の方は試験に書いたりしないように。というか、こういうことを勝手に言っているやつがいるので検証してやろうというくらいの好奇心を発揮していただきたい。



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コメント

びっくりしました。いま、よびました?
よばれた。たしかによばれた。だってさ、あたしゃ今「レイキ」についてまじめに書いてた。で、資料として三つほど貼り付けようとしたら、ぱっとこの頁にきりかわったわけですじゃ。なしね?うーーむ。現代科学では計り知れない怒りのレイキがあるんだろうな。レーキと匕首じゃ、まけるかもしれない。蛉さん、またね。また怒らせに参上いたしまする。おたのしみに。

投稿: ひめのちゃん。 | 2007年3月11日 (日) 10時09分

>ひめのちゃん。さん

 えーと、話が全然見えないんですが……。べつに私には機械を使わずに遠くにいる人を呼ぶ能力もありませんし。

 私に話が見えないくらいですから、不特定多数の読者にはなおさら見えないと思います。このエントリを話題にした、あるいは、このエントリと関連のあることをご自分のブログに書かれたのでしたら、URLを示していただくか( http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_cc60.html )、トラックバックを使っていただければ、お互いの不特定多数の読者に親切だろうと思います。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年3月11日 (日) 17時27分

とらっくばっく、ありがとうございました。トラックバックをしたことがなくて、いまだにやりかたがよくわからないのです。すみません。

投稿: ひめのちゃん。 | 2007年3月11日 (日) 23時05分

>英語でも、clockwise (時計回り)の反意語は、本来 counterclockwise (反時計回り)だが、unclockwise という語も誤りではないとして使われている。
Anti-clockwiseという語もあるようです。
英語のun-、anti-、counter-の使い分けはどうなってるんでしょうね。

投稿: ROCKY | 2007年3月12日 (月) 13時29分

相対死と書いてあいたいじに。妙ないいかたです。心中のことですが。またこの心中というのも、考えたら妙な言い方です。英語ではなんというのかな。ぺあですです?
離る・・
ぬかご飯妻子を離(か)るゝ箸ほそく 秀野
天離(さか)る鄙にはあれど石走る  人麻呂   

投稿: ひめのちゃん。 | 2007年3月12日 (月) 21時00分

>ROCKYさん

 anticlockwise は私は聞いたことないんですが、イギリスではふつうに使うみたいですね。ああ、やっぱりわたしゃアメリカに毒されているのか……。いま調べて、contraclockwise なんてのもあるのを初めて知りました。結局、clockwise にはどういうふうに逆らおうが、残りは一方向にしか回りようがない(笑)。

>ひめのちゃん。さん

 ここいらへんの人は「相対死」という字を見ると、たいてい「絶対死」の反意語だろうと思うにちがいない(というか、私にはそのようにしか見えない)。

 ところで、苦言ばっかり呈してますが、ついでにもひとつ言いますと、ハンドル(ネット上などでの名前)をころころ変えないほうがいいです。私は一応「姫野恭子」も「himeno」も「ひめの」も「ひめのちゃん。」も、おそらく同一人物であろうと推測して反応していますが、ネットでハンドルをころころ変えると、不特定多数の読者からは、悪意のある人かイタイ人かアブナい人に見られがちです。実際、ハンドルをころころ変える人には、そういう人が多いのも事実です。

 つまり、公の場で発言するということは、自分にその気がなくても問答無用で社会性を帯びてしまう行為なので、ころころ名前が変わるような人の書き込みは、誰もまともな人が書いているとは見てくれませんし、そのうち無視されるようになってしまいます。まだネットに慣れてらっしゃらないのだろうと思いますが、自分で書き込むばかりではなく、いろんなところのいろんな人の書き込みをご覧になって、どういう書き込みが他人にはどういうふうに見えるかを学習なさることをお勧めします。

 どんなにおちゃらけて見えるハンドルを使っている人でも、同じハンドルである程度発言を繰り返すと、その名はおのずと社会性を帯び、他者がその言説主体を認識するための、本名に準じるもの(あるいは、本名以上のもの)になります。おちゃらけて見えるハンドルを使っている人でも、ちゃんとした人はそのハンドルに責任を持って発言していますよ。あちこちご覧になると、おのずとおわかりになるかと思います。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年3月13日 (火) 00時16分

 こんにちは冬樹さん。
 「敵の攻撃を逆手に取る」なんですが、個人的にはちょっと馴染まない表現のような気がしました。これをおっしゃるとおり「ぎゃくて」と読んで、180度ベクトルを変えるという意味を持たせると、敵が攻撃しているのにこちらが攻撃をしているという「大本営発表」みたいな状況になってしまいます(笑)。といいますか、「逆手に取ってどうするのか」が語られないとあまり意味のない表現だと思うのです。
 「敵に攻撃をさせておきながら、実はこちらが攻めているんだ」という作戦はあると思うのですが、もしそういう意味で使われるとすれば、本来は「敵の攻撃“意図”や、思惑を逆手に取る」という言い方がされるべきで、それならばこの一文で「敵の作戦を本来の方向とは違うところに誘導する」という意味を持ちますから、むしろ冬樹さんの理屈で行けば「さかて」の読みこそがふさわしいということになるのではないかと思います。

 「大辞泉」によると「ぎゃくて」も「さかて」もあまり意味は変らないみたいですけど、「さかて」の方はまず最初に「手の使い方」であるようです。しかし辞書的な考えをいちど措いといて、こういう考察をしてみるのは面白いですね。 

投稿: ゆうきまさみ | 2007年3月13日 (火) 10時04分

>ゆうきまさみさん
>「逆手に取ってどうするのか」が語られないとあまり意味のない表現だと思うのです

 まさにおっしゃるとおりです。まあ、例文ということで端折ったんですが、本来なら、逆手に取ってなんかしなくちゃいけないですね。「敵の巨体を逆手に取って、小柄な自分が乗っても大丈夫な落とし穴の上に誘い込んだ」みたいな。

>それならばこの一文で「敵の作戦を本来の方向とは違うところに誘導する」という意味を持ちますから、むしろ冬樹さんの理屈で行けば「さかて」の読みこそがふさわしいということになるのではないかと思います

 うーん、このへんは微妙ですよね。すると、敵の属性やふるまいがそのまま相手に不利になるような状況を作り出すというのなら「ぎゃくて」で、敵の意図や思惑が相手の不利に転じるように持ってゆくというのなら「さかて」が優勢になってくるのかなあ?判定が難しいですねえ。

>「さかて」の方はまず最初に「手の使い方」であるようです

 北野武『座頭市』の「こんな狭いところで、刀そんなふうに掴んじゃダメだよ」( http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/diary/dr0412_2.htm#041211 )ってのを思い出してしまいました。

>しかし辞書的な考えをいちど措いといて、こういう考察をしてみるのは面白いですね

 辞書ってのはあくまで後付けの分類学みたいなものなので、イルカとサメとイクチオサウルスを同じように扱う“野生の思考”的な遊びも大切だと思うんですよね。そういう野放図なダイナミズムの中から得るものもあるんじゃないかと、こういうよしなしごとをよく頭の中で弄んでいます。

 そういう意味で、NHKの『新感覚★キーワードで英会話』( http://www.nhk.or.jp/shinkankaku/flash.html )みたいなアプローチは、母国語に適用しても遊べると思います。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年3月14日 (水) 02時20分

そうでしたか。
どれも主体はおなじなのにな。どれも私ですから。あぶない人だし、悪気はないけど、いたい人です。まあ、読者がうけるイメージ全体ひっくるめて、私は存在するのでしょう。そうおっしゃるあなたさまも。
ところで、私はさかごです。逆子。

投稿: ひめのちゃん。 | 2007年3月14日 (水) 22時50分

 こんにちは冬樹さん。

>敵の属性やふるまいがそのまま相手に不利になるような状況を作り出す
 ああ、この状況は想定しないで前のコメントを書いてしまいました。そうですね、この場合は「ぎゃくて」で良いような気がします。
 またまた思いつきですが「起きている現象」に対しては「ぎゃくて」、「それをもたらした意思、意図」に対しては「さかて」みたいな使い分けも出来るかもしれません。あと喧嘩のときは「ぎゃくて」、戦争なら「さかて」とか、あるいは議論相手に守秘義務があることを利用して攻撃を加えたりするのが「ぎゃくて」、「守秘義務があるからこれ以上は言えないのだ」という状況を作り出すのが「さかて」とか。なんかドツボにはまってきました(汗)。もうひとつ、「ぎゃくて」は「さかて」に包含されるという解釈とか。

 まあ実のところはどちらでも好きな方を使えば良いんでしょうけど、こういう細かいところにこだわるのがけっこう好きなので、つい書き込んでしまいました。個人的には「さかて」の方が響きが好きですが。
 ご紹介のサイトは面白そうですね。海外旅行に行ったときに、自分の英語の出来なさに絶望的になることがあるので、ヒマなときにじっくり見てみたいと思います。

投稿: ゆうきまさみ | 2007年3月23日 (金) 05時04分

おっはよっす!
ゆうきまさみさん。冬樹れいさん。へりくつこねてないであそぼうよ。この口がーといって母親にくちをひんまげられませんでした。

投稿: ひめのちゃん。 | 2007年3月23日 (金) 08時12分

>ゆうきまさみさん
>もうひとつ、「ぎゃくて」は「さかて」に包含されるという解釈とか

 それはまさにそうなんだろうと思います。やっぱり、大和言葉のほうが、細胞に滲み込んでいる意味領域の広さがちがうと言いますか。私も響きは「さかて」のほうが好きで、口に出して言うときは、つい「さかて」を多用しちゃうんですが、なんか、世間的には一応使い分けがあるみたいなんで、気には留めちゃいますね。ここは「ぎゃくて」かなあ、とか。

 当然といえば当然なのでしょうけれど、どうしても外国語のほうが対象から距離を置いた感じ、対象からディタッチして客観的になっている感じがありますね、すっかり日本語になっているとはいえ。「こいびと」と「あいじん」ってのを、日本人はよくもうまく使い分けたもんだと感心することがあるのです。「つみびと」と「ざいにん」とかも。「つみびと」と呼ばれたら、たしかに悪いことをしたのだけれども、ちょっと理解してもらえてるような気がしますが、「ざいにん」と言われたら、いまにも首を撥ねられそうです。

 「ぎゃくて」と「さかて」が同じ意味で混用(誤用という人もいるでしょうけれど)されているのには、現代のわれわれの社会をわれわれの気づかない形で映しているような、存外に深い理由が隠されているのかもしれないなどと想像したりするのです。そう考えると、“誤用社会学”とでもいった視点で言葉を研究している人だって、いかにもいそうな気がしてくるんですよ。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年3月24日 (土) 04時07分

おお。いてほしいぞ。誤植の研究人。え。もういるのけ。誤読の研究にんもけ。
時間がなく締め切りにおいつめられてでもとにかく書くわけよしゃにむに。するとどしても爪が甘くなると言うか、引用するさい、記憶にのこってたものを張本人いや張本書に確認せず引き出したってことはありませんか。それしょっちゅうです。これが堂々たる二流の証明。
おや。張本人という語はじつにへんなかんじがしませんか。はりもとの顔が一寸うかび、はりたおされたよな痛みがほおによみがえります。

投稿: ひめのちゃん。 | 2007年3月31日 (土) 07時44分

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