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2007年3月12日 (月)

『ひとりっ子』(グレッグ・イーガン/山岸真編・訳/ハヤカワ文庫SF)

 なんかもう、「イーガンはいいねえ」というのは「郵便ポストは赤いねえ」というのにも等しいほどになってしまっているから、いちいち褒めるのも野暮なんだけれども、やっぱり、いいもんはいい! 「現役SF作家の最高峰という評価は日本でも完全に定着したようだ」と、本書の「編・訳者あとがき」にあるとおりである。おれがここで言わんでも、ほかの人がいっぱい言うておるであろうが、あえておれも一応言っておく。たしかに、グレッグ・イーガンは、総合的に見て、現役SF作家の最高峰である。おれが好きか嫌いかということならば、テッド・チャンの次に好きな現役海外SF作家だけどね。ま、おれは判官贔屓だから。テッド・チャンは、いまのところ、どこまで行っても、偉大なるマイナー・ポエットなのよ。堂々たる最高峰となると、やっぱりイーガンだろう。

 以前の日記で書いた「イーガンやチャンは、ほんとうなら、いわゆる純文学読者が嬉々として跳びつくような作家ではあるまいかとマジで思っているんだよ、おれは」という評価はまったく変わっていないのだが、この『ひとりっ子』に関しては、これも「編・訳者あとがき」にも注意があるように、SFを読み慣れていない読者には、ちとキツいかもしれないと思う。つまり、描かれていることや、そこに横たわる問題意識は、まさに現代の純文学が扱うべきことなのだが、その“薯を噛む境に入る”には、最低限、ポピュラーサイエンス・レベルの科学知識を必要とする。理科系の人が言うと排他的に聞こえるかもしれないが、ずぶずぶの文科系であるおれが率直にそう言うぶんにはかまうまい。現代では、文学の最先端に触れるには、科学の教養が必須なのである。そういう時代なのである。そもそも、文科系だの理科系だのという古臭い二項対立を意識しているようでは、ほんとうに面白いところにはついてこられないのである。あんまり言いたくないのだが、ついに言ってしまうと、イーガンには、ついてこられるやつだけついてこい! ああ、言っちゃった。ま、『ひとりっ子』がキツかったら、これもまた親切な「編・訳者あとがき」にあるように、SF慣れしていない読者向けに意図的に編んである『祈りの海』『しあわせの理由』で助走をつけるのが吉。

 と、またSFの読者を減らしてしまったところで、あとはおれの好みのみでファンレターを書くとすると、何度めかに再読した「ルミナス」が、やっぱり本書所収の作品ではいちばん好きだねえ。なんでこんなに好きなのかと考えてみると、SFファンになるようなやつは、イーガンほど厳密にではなくとも、子供のころから、その時々の知識レベルなりに、一度はこれに似たようなことを考えてみたことがあるからじゃないだろうか? 2たす2は宇宙のどこに行っても4なのか、みたいなことをね。

 いままた「ルミナス」をじっくり読み返してみると、この作品の語りそのものがメタ小説として成立していることに気づいた。つまり、この作品の物語は、語られている作中世界で“あるぶっ飛んだ仮説”が検証されてゆくことで展開するのだが、この作品の語りそのものも、その“ぶっ飛んだ仮説”が真であるように巧妙に信じさせてゆくところでSFとして成立している。最初に読んだときには、なにやら気色の悪い、騙されたような感じが残っただけで、そこまで考えが及ばなかったのだが、よーく読むと、“語りのレベル”と“語られている内容のレベル”とで、同じ詐術が同時進行していることがわかるのだ。それは、仮に物語の中での“あの闘い”の勝敗が逆転していたとしたら、「ルミナス」というテキストはどんなふうに終わらざるを得なかっただろうか、いや終われただろうかと考えてご覧になると、おれの言わんとしていることがなんとなくおわかりいただけると思う。ネタばらししたくないので、ずいぶん口幅ったい言いかたをしているが、この段落は、すでにお読みになった方向けということで、ご勘弁を。



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