テレビっ子
▼大阪府立大院生が論文データを捏造 理想的な数値1千個 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/news/OSK200702270094.html
大阪府立大は27日、大学院工学研究科の男子大学院生(修士2年)が、応用物理学会英文誌に発表した半導体に関する論文のデータを捏造(ねつぞう)したと発表した。同学会に謝罪するとともに、論文の取り下げと、学会の奨励賞の返上を申請した。学内に調査委員会を設置し、担当教授らの指導など研究体制のあり方などについても調べる。
論文は、同学会の06年12月15日付の英文誌に掲載された薄膜トランジスタについての研究。論文の中核をなす実験は、同院生が単独で実施し、所属研究室の藤村紀文教授らと共著論文として投稿していた。また、院生は05年9月の同学会で前段となる論文を発表し、奨励賞を受賞していた。
問題となった論文は、チタン酸鉛などを使い、大電流にも耐えられるトランジスタの開発をめざしたもの。
今月21日に府立大で開かれた修士論文発表会で院生が同じ発表をしたところ、トランジスタの特性を示す二つのグラフのデータのとり方の不自然さに助手らが気づいた。院生がパソコンやノートなどに残したデータを調べると、実験をした証拠がないことがわかった。
院生に問いただすと、「実験はせず、グラフは自分でつくった」と捏造を認めた。
藤村教授によると、院生は、理想的な特性を表す数値を約1000個捏造し、入力していた。「実験は彼に任せていた。きれいなデータで全く疑わなかった。管理者としての私の責任」と語った。
奥野武俊・工学研究科長は「あってはならないことが起き、申し訳ない。調査委員会を設置し、処分や体制づくりを検討する」と話している。
どうせやるなら、「朝晩二回、チタン酸鉛を食うと痩せる」くらいの大胆な結論を導き出して、学会の度肝を抜いてほしかったもんだ。
それにしても不思議でしようがないのは、この論文が誰にもヘンだと見破られずに、まんまとそのまま既成事実として通ってしまったとしたら、いったいこの院生は、そのあとどうするつもりだったんだろうという点である。この論文の成果(?)を基にさらなる研究を積み上げようとする人やら、実際にその「大電流にも耐えられるトランジスタ」とやらの開発に取り組んだりする人やらの膨大な労力と時間を奪うことになるかもしれないという想像力がないんだろうか、この院生には?
大方、こういう輩は、自分だけの力で大学院にまで行って先端の研究をしているくらいに思っているのだろうが、先人たちが血と汗と涙でコツコツと積み上げた業績という大きな大きな下駄を履いて、その下駄をほんの少しだけ高くする仕事を人類全体に託されているのだという、いい意味でのエリート意識はキミにはないのか? たまたま生まれた場所が悪かったために食うのに精一杯で学校にも行けないようなキミよりずっと頭のいい子供の代わりに、キミはラッキーにもそこに立っているのだと想像したことはないか?
ま、ないんだろうけどさ。あの納豆ダイエット番組の人たちに、電波帯という有限の資源を国のお墨付きをもらって使っている特権的な立場のエリートなのだという意識がなかったのと同じようにさ。
おれは“エリート”って言葉があんまり好きじゃないけどさ、エリート意識がなさすぎるのもいかがなものか。キミが頭がよく生まれたのは単にラッキーだったからであって、努力できたのは努力できる環境にラッキーにも生まれたからである。そうした幸運を与えられた人間としての、noblesse oblige というか、サムライ精神というか、感謝の心というか、そういうものを含んだ、いい意味でのエリート意識は、真のエリートなら持ってもらったほうがいいとおれは思うのよな。妙な言いかただが、真のエリート意識もないようなやつがエリートとして通るような世の中はまちがっていると思うわけよ。ま、おれが言っても、あんまり説得力ないけどね。
| 固定リンク
コメント
大学院重点化という名の下に、定員を増やしているから、院生はまったくエリートなどではないですよ。その証拠にオレが院生をやっている。
投稿: 杉並太郎 | 2007年2月28日 (水) 07時30分
なるほどそうか。
蛉さん。れぎおんを読んで、文章の省略に怒るのなら、あっぱれだと思わなきゃいけないんだろうな。いまどき、おれの書いたのを一言一句けずっちゃならねえなんてタンカ吐くやつは、いないから。
投稿: ひめの | 2007年2月28日 (水) 18時01分
学生時代、ある人に「エリートにはエリートの、凡人には凡人の責任がある」と言われた記憶が、鮮明に思い出されました。
投稿: 湖蝶 | 2007年2月28日 (水) 18時24分
蛉さん。おそくなりましたが、引用をいたしました。コピーでちょっとへんですが、折をみつけて自分で打ち直しますのでごめんなさいね。しかしながら、どうかお察しくださいますように。不可抗力というものがこの世にはあるから。
投稿: ひめの | 2007年2月28日 (水) 19時00分
>杉並太郎さん
えーと、私の意味するところは、絶対数の話ではないのです。まあ、大学院どころか、大学出てれば充分エリートだと思いますよ。というか、絶対数が増えると、そういう自覚がなくなってしまうところが情けねえということを言いたいのです。私の感覚では、九谷焼の職人とかハンダ付けの名人とかもエリートなわけで、いまの時代、中卒であることを選び取る真のエリートもいるかもしれない。さらに言うと、すべての人が、それぞれに真のエリートであることを自覚している社会というのは、じつにすごい強靭な社会かもしれません。
以前のエントリ「選ばれし者」( http://ray-fuyuki.air-nifty.com/blog/2006/03/post_4952.html )にも通じるのですが、選ばれっぱなしで“選び返し”の精神的プロセスがないのはいかがなものかと思うわけなのです。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年3月 4日 (日) 02時18分
>湖蝶さん
>エリートにはエリートの、凡人には凡人の責任がある
凡人であることをほんとうに自覚できたら、それは真のエリートへの道に通じているかもしれませんよ。なんか、そんな気がしますね。
>ひめのさん
「タイムマシンと俳句」( http://ray-fuyuki.air-nifty.com/blog/2006/08/post_ee59.html )でのコメントをご参照ください。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年3月 4日 (日) 02時22分