あなたにもできる人助け
▼[メディア]内容が嘘であっても関係ない無責任な娯楽番組の中の人たち~「地獄に落ちない」ために、細木数子氏と江原啓之氏はしっかりリテラシーしようの巻 (木走日記)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20070204/1170538096
これらはビジネスなのであり、彼女達に何か崇高な目的を求めること自体が間違いだからです。
細木数子氏の「占い」も江原啓之氏の「霊視」も「TVショー」の中のショーアップが施された「娯楽」と考えたほうがよいのでしょう。
マジシャンであるミスターマリック氏が自身の手品を「超魔術」と称していますが、誰も彼の手品が本当に超自然現象である「魔術」であるなどとは信じてはいけないのと同類の話です。
いや、このエントリーはすばらしい。全面的に支持したい。
要するに、ここにも、「しつけも道徳も、人間が自分の頭で考えなくてはならないことであって、自然科学に教わるものではないはずです」((C)菊池誠)という構造が存在するのだ。もっとも、この場合、「自然科学」の代わりに、皮肉にも「占いや霊視」が来るわけだが……。つまるところ、「人間が自分の頭で考えなくてはならないこと」を、“なにか別のもの”で安易に置き換えようとするところに諸悪の根源があるのだろう。この構造の前には、「自然科学」と「占いや霊視」が等価にすらなってしまう。結局、「自然科学」のところには、なにを代入したっていいのだ。それが、自分の頭を使わなくてよい安易なものでさえあれば。
たしかに、これらの「TVショー」を作らなくては飯が食えない人々もいるわけであって、その点に関しては、おれも一サラリーマンとして多少は同情しないでもない。ビジネスっちゃあ、ビジネスだからね。まことに気の毒に思う。もっとも、そんなビジネスを自分の意思で選び取って、視聴率さえ取れれば恬として恥じないというところまですれっからしになってしまっているメディア人は、魂のレベルが低い(笑)し、そのうち地獄に落ちる(笑)としかおれには思えないけれども。
メディアリテラシーというのは、「情報がどういう意図で発信されているかは、受信者が自分の頭で考えなくてはならないことであって、その情報内容に教わるものではないはずです」ということを忘れない能力のことなのだろう。むろん、この駄ブログも含めてだ。
考えようによっては、おれたち一人ひとりがしっかりしたメディアリテラシーを持つことで、こうした「TVショー」を飯のために不本意ながらに作ることで魂のレベルを下げ、地獄に落ちそうになっているかわいそうな人々を救ってあげられるのかもしれない。要するに、観なければいいのだ。みなさんも、テレビに細木数子やら江原啓之やらが出てきたら、「こんな番組を作らないと飯が食えないかわいそうな人々の魂のレベルを上げて地獄から救い出す」のだと思って、即座にチャンネルを換えるという善行を積むようにしていただきたい。そうすれば彼ら・彼女らは、一時的には嘆くかもしれないが、内心、地獄から解放されたことにほっとするだろう。
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コメント
きむらといいます。
歯がゆいことに、大多数の、視聴率調査の対象外の視聴者がいくらチャンネルを合わせなくっても、全く意思表示にならないんですよね。
これが国政選挙ならまだ、一票は数字として現れるんですけど。
デジタル放送が一般化したら、この辺の事情は改善されるのかしら。
投稿: きむら | 2007年2月19日 (月) 22時59分
>きむらさん
いや、たぶん、べつに双方向のメディアでなくとも、それなりの市場原理が働くと思います。
ビデオリサーチの機械が置いてある家庭が、世間一般の感覚から度外れて細木数子や江原啓之支持に傾くと、視聴率の高い番組なのに思ったほど広告効果が出ないという現象が見られるようになってくるはずです。それはつまり、広告効果に比して不当に高くその時間帯のCM枠を売っていることになるので、スポンサーが減ります。また、そのような不自然な状態を長期にわたって放置すると、ビデオリサーチ自体の信用にもかかわってきますから、早晩、モニタ家庭が調整されることになるでしょう。
ですから、やっぱり、みなでボイコットするのは、長期的には効果があるだろうと思います。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年2月20日 (火) 02時18分
メディアリテラシーといっても難しいんじゃないでしょうか。
前にしようもない駄本を読んだことがあります。その本に関しては主観的な好みの問題だけでなく、内容的に明らかに欠陥があると感じました。根本的に論議のもととなっている知識のレベルが低かったのですね。また私の見るところ、その本にはまちがいもあるし、意図的な情報の偏りもありました。
しかし、その後、ネット上で同じ本に対して絶賛に近い評価をいくつも見かけています。
読者の多くはその本で論じられている問題についてまったく知識が欠如しているので、その本から得られた知識を無批判に受け入れているようでした。
結局、正しい情報かどうかは、事前にその分野について正しい知識をもっている人間にしかわからないのではないかと暗い気持ちになってます。
投稿: 東部戦線 | 2007年2月21日 (水) 22時13分
>東部戦線さん
そのあたりはなかなか難しいところだろうとは私も思います。極端な話、世界に一人しかその情報を正しく評価できる人間がいないとしても、母集団が充分に大きければ、それほどひどいことにはならないんじゃないかという望みも抱いているんですよ。あくまで望みですけれども。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年3月 2日 (金) 02時03分