発覚!あるある大事典
▼「あるある大事典」の納豆ダイエットで捏造 関西テレビ (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0120/013.html
フジテレビ系の生活情報番組「発掘!あるある大事典2」で、納豆のダイエット効果を紹介した7日放送分にデータ捏造(ねつぞう)などの問題が判明し、制作した関西テレビ(大阪市)が20日、発表した。番組では、納豆を食べた被験者の中性脂肪値が正常値になったとコメントし、字幕で数字をつけて紹介。だが実際には測定しておらず、他の実験でも測定や検査をしないまま、架空の数字を番組で流していた。会見した千草宗一郎社長は「放送局としての信頼を著しく損ない、視聴者の信頼を裏切ることになり、誠に申し訳ない」と謝罪した。
いやあ、このところ納豆が品薄で迷惑してたのだ。おれのような筋金入りの納豆食いにとっては、こんなにわかブームなど迷惑以外のなにものでもない。
この番組がいかにいい加減であるかはふつうに観ていてもわかるし、“まず結論ありき”の非科学的な制作姿勢が以前からあちこちで指摘されていたりして、遅かれ早かれ一線を越えるだろうとは思っていたから、今回の捏造発覚には、なーんの驚きもない。遅すぎたのではないかとすら思う。まあ、打ち切りでしょう。けっこうなことだ。
もちろん制作側がいちばん悪いのだが、ひょいひょい乗せられるほうも乗せられるほうだとおれは思うね。
いやね、先日いつもの店に納豆を買いにいった母が(関節リウマチで手が不自由なのだが、軽いものなら自分で買ってこられるのだ)、予想どおりいつもの納豆がなかったと、売れ残っていた黒豆納豆を買ってきたのだった。母は大粒の黒豆納豆を食わないが、おれはべつに平気で食える。たまに食うとうまい。まあ、黒豆納豆は割高だが、この狂騒的納豆ブームのほとぼりが冷めるまではいたしかたない。
しかし、ちょっと待て。以前、『発掘!あるある大事典』に、“黒豆食うと痩せる”とかいう内容の回がなかったか? あったよなあ。おれははっきり憶えているぞ。この番組の熱心な信者たちが納豆の品薄状況を招いているのだとしたら、なぜ黒豆納豆から売り切れてしまわないのだ? 少々割高でも、なにしろ“黒豆”で“納豆”なのだから、あるある信者の目には、より魅力的な食材に映って然るべきではないかと思うのだがどうか? まあ、つまり、今回のアレでにわかに納豆を一日二パック食いはじめた消費者の記憶力というのは、その程度だということなのであろう。結局、この番組は、熱心に観られているというよりは、それ自身が消費されているにすぎないのだろう。番組を作るほうにもそれがわかっているにちがいないから、モチベーションも使命感も低いだろう。科学的に誠実な制作姿勢など望むべくもない。
この番組は、制作姿勢も含めて、それそのものが“ニセ科学”として機能していたと言えるだろう。『「ニセ科学」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、本当の科学には決して期待できないものです』と、昨年末から話題になっている『視点・論点』(NHK)の「まん延するニセ科学」で菊池誠さんがまさにおっしゃっていたとおりである。
ただ、留意すべきは、この番組に援用(あるいは誤用)された科学者の研究そのものまで“ニセ科学”と決めつけてはならないという点である(中には、科学的に問題のある研究などもあるかもしれないが……)。この番組は、「小気味よく、物事に白黒を付け」ようとするあまり(それが多分に“テレビ的”であるということだ)、科学的な研究成果の解釈や提示方法に於いて、越えてはならない一線をいつしか越えてしまっていたということだ。おそらく、うっかり出演してしまった科学者や、研究成果を使われた科学者は、いま、大いに迷惑していると思う。
“ゆとり教育”とやらを見直すことになったらしいが、こんな時代であるからして、ぜひ最低限のメディアリテラシーが身につくようなカリキュラムを義務教育に取り入れてほしいね。もっとも、メディアリテラシーの教育って、すごく難しいと思うんだよ。なにしろ、学校もメディアだからさ。どうしても自己言及性から逃れられないよね。先生の言うことや、学習指導要領や、この国の教育システムそのものを“正しく疑う”ことのできる能力を、そのシステム上で身につけさせねばならないというややこしいことになる。いまもむかしも、心ある教師は、その能力をこそ生徒に伝えたくてたまらないと思っているんだろうけど、現実は厳しそうだ。
まあ、不完全性定理があるからといって数学が無価値になるわけではないのと同じで、体系の制約の中でその体系を相対化するメタレベルの視点を持ち得る知性が、人間にはたしかにある。そう悲観したものでもないという気もするんだよな。そういう知のありかたってのは、SFが次代に伝えてゆくべき最強の武器だと思う――って、結局、そこへ持ってゆくんかい!
| 固定リンク
コメント
おはよう。
ゴジラと同級のものです。
冬樹さん、やっぱりそこへもっていきましたか。
相対化。考えてる一句がある。読めそうで読めん。見えそうで見えん。読んでくれ。
「遺伝子を針路にすべし神の旅」
季語は神の旅。そこんところはしらべな。遺伝子を針路にするち、どげんこっちゃろ。自分が神として、縁結びをするとき何を針路とするかということかな?神にとっての遺伝子の役割ってなんじゃろ。わからんばってん、これよんで、あらためて日本の神って複数形なんだなっちおもうた。
投稿: ひめの | 2007年1月22日 (月) 06時02分
>ひめのさん
なんかSFっぽい匂いのする句ですね。これから冬に向かってゆくにあたって、繁殖やら冬眠やら、みずからの遺伝子に刻まれたパワーに身をゆだねてゆくべー、動物もそうしとるじゃないか――みたいな感じじゃないでしょうかね? どうもわたしゃ、風流とは縁がないもんで、よくわからんですたい。
投稿: 冬樹蛉 | 2007年1月22日 (月) 23時10分
日曜日のゴールデンタイム、家族団欒でくつろげる時間の情報番組が嘘で塗り固められていたとは!驚きとともに、しかとして実は身近に似たような経験をしたのであった。昔所属していた非営利団体の運営者に作文を頼まれた。テレビの世界ではディレクターに当たるだろうか。書き上げた自分の感想の部分をその運営者が勝手に書き直してしまったのである。それで広報に発表。この事件とともに悪魔的である。捏造という形で面白おかしくするために、運営者が前に出てくることの不気味さを肌で感じ、再認識した。これによって侵害された個人の尊厳はなかなか返ってこない。視聴者も馬鹿にされたものである。しかし、そういう場合の捏造する側は、案外涼しい顔なのだから困りものである。何が悪魔にさせないのだろうか?
投稿: ・・なじゅんこ | 2009年2月 2日 (月) 03時45分