« そのまんまじゃない東 | トップページ | 主観的には説得力のある反証 »

2007年1月23日 (火)

『ウェブ人間論』(梅田望夫・平野啓一郎/新潮新書)

 『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』梅田望夫が、芥川賞作家・平野啓一郎と、ウェブの進化が社会を、人間をどう変えてゆくのかについて語り合う対談。柳の下の泥鰌っぽいタイトルはあざといが、これがなかなかどうして面白い。論として図式的に整理した『ウェブ進化論』とちがい、なにしろ対談だから、あちこちにルースエンドが毛羽立っていて、ウェブをめぐってものを考えるのに格好の肴になる。

 いやもう、やっぱりSFファンとしては、爆笑したのはここですね――

梅田 でも今のインターネットを支えてる若者たちは、結構みんな『スター・ウォーズ』好きだと思いますよ。会話の中で、よく「ダークサイドに堕ちる」「堕ちちゃいけない」なんていう言葉を使っていますしね。会社でもライトセーバーを振り回していたり(笑)。
平野 さっきも言いましたけど、同じSFと言っても、『ブレードランナー』とかよりも、確かに圧倒的に壮大な話ですしね、宇宙の果てまでの話だから。『マトリックス』も壮大なようで、意外と小さな世界ですし。
梅田 この間も「はてな」の取締役会で、「梅田さんは最近ブログの更新がない」って吊るし上げに遭ったんです。「本が売れたからじゃないか」と詰問されて、それで僕は、「正直言ってブログを更新する何かいいアイデアが出た時に、更新しようかなって一瞬思うけど、次の本まで取っとこうかなって思ったりするんだよ、だってブログだけで届くものより、リアルの世界ってやっぱりすごいよ」って、あまり深く考えずに口にした瞬間に、「ダークサイドに堕ちてますよ!!」と一斉に言われちゃったんです。そして、「梅田さんはロングテールの頭へ行っちゃったんですね」と。彼らにとってはロングテールの頭っていうのはダークサイドなわけです。そして、ロングテールのテールのほうが正しい。それはもう全部言葉の遊びなんだけど、どこかでそう信じているところもあるんじゃないかと思うんです。

 うんうん、言う言う。「ダークサイドに堕ちる」ね。SFファンは、かなりむかしからふつうに言ってるんじゃなかろうか。もっとも、SFファンになっている時点ですでにダークサイドに堕ちているような気もしないではないのだがいやまあそれはともかく。

 Google の人々もはてなの人々も、とにかく『スター・ウォーズ』が大好きで、梅田氏ははてなの取締役になるにあたって“通過儀礼”として『スター・ウォーズ』のDVDを全部観ることを求められたそうなんだが、うーむ、そういう人たちなわけね。『スター・ウォーズ』経営?

 おれは『スター・ウォーズ』は嫌いじゃないにしても、SFとしてはそんなに好きじゃない。というか、あれはSFっちゅうよりは、筒井康隆をはじめ、いろんな人がもはや常識として指摘しているように、ユング的原型に満ち溢れた神話ですわな。いわゆる正統派SFみたいに前頭葉に訴えるものじゃなくて、誰もが深いところに持っている、抗い難い根源的なものに訴えるものだ。そういうところにおれは反射的に警戒してしまう。要するに、ポルノみたいなもんではないか。うわ、『スター・ウォーズ』ファンが刺しに来そうだな。でもまあ、『スター・ウォーズ』ファンというのは、そういうところもわかったうえで愛でているのであろうから、心配せんでもいいかもしれん。いや、おれは『スター・ウォーズ』もポルノも嫌いじゃないですよ。あの音楽が鳴り出すだけで、無条件に心が“勃つ”よね。

 なんの話だかわからなくなってきたが、そういう無邪気な連中が世界を動かしていることに、すれっからしの中年おやじとしてはいささかの危うさも覚えないではないが、やっぱり痛快さのほうが先に立つね。イケイケドンドンって感じだ。梅田氏もたぶんそんなふうに感じながら、才能ある若い人たちを眩しく見ているんだろう。

 『ウェブ進化論』にいまいちピンと来なかった人には、むしろこちらのほうがお薦め。対談形式だからつるつる読めるし、あっちこっちに話が転がってゆくぶん、いろいろな刺激に溢れている。こういうのを読んでいると、おれはおれがおれの生まれたころに生まれたことがとてもラッキーに思えてくる。ものすごく面白い時代に生まれ合わせたもんだよ。明日どうなるかわからんってのは、このうえなく贅沢で面白いことだと思うんだがどうか? それとも、三百年も同じような社会が続いていたころに生まれたかったかい?



|

« そのまんまじゃない東 | トップページ | 主観的には説得力のある反証 »

コメント

くものすしんかろんかー。
ところでさ。おっさんよい。←この場合のヨイは間投語。
けさ、杉田げんぱくを引用してたら、九幸という概念が出てきた。あんたなら、九つの幸せってなん。きかせてくれ。花のどくしん四十男のしあわせってなんだ。

投稿: ひめの | 2007年1月29日 (月) 07時55分

>ひめのさん

 九つもないですねえ。そりゃもう、“生きてるだけで丸もうけ”((C)明石家さんま)ということに尽きます。小説が読める、音楽が聴ける、映画が観られる、そしてなによりも、これだけ生きても、世界は驚異に満ちている。

 ♪どこかで誰かが きっと待っていてくれる
  血は流れ 皮は裂ける
  痛みは生きている印だ
  いくつ峠を越えた
  どこにも 故郷はない
  泣く奴は誰だ
  この上 何が欲しい

       ―― だれかが風の中で (作詞:和田夏十)

投稿: 冬樹蛉 | 2007年1月30日 (火) 02時05分

ごめん。
はらかかえてわらった。

投稿: ひめの | 2007年1月30日 (火) 21時38分

>ひめのさん

 いやいや、“生きてるだけで丸もうけ”というのは、けだし名言だと思いますですよ。ほんとにそうだなあと感嘆しました。

投稿: 冬樹蛉 | 2007年1月31日 (水) 02時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『ウェブ人間論』(梅田望夫・平野啓一郎/新潮新書):

« そのまんまじゃない東 | トップページ | 主観的には説得力のある反証 »