NHKの“タメ口喫茶”
『新感覚★キーワードで英会話』(NHK)の安良城紅ちゃんが最近ちょっと気に入っている。本来おれは、こういうバタ臭いコは苦手なのだが、英語ネイティヴのせいか日本語のリズムがちょっと不自然で、視聴者に対して男言葉でタメ口を叩くところに、まあ、なんちゅうか、萌える。『三つ目がとおる』の和登サンみたいに、“ボク”とか言ってほしいよね。えーと、おれ、四十四歳ですがなにか?
ま、安良城紅ちゃんはともかく、この番組のアプローチはなかなかいいね。デジタルな訳語に頼らず、アナログなイメージを核に展開してゆくところがよい。言葉ってのは、やっぱりこういうふうに“感じる”ものだわね。むかし、McGraw-Hill が出してた同じようなアプローチの熟語動詞の解説書があって、たいへんしっくりきた憶えがある。『セサミストリート』とかも、つまるところ、こういうごくごく基本的な語の持つ“イメージ”を叩き込むアプローチを、英語ネイティヴの幼児に対して取っているわけだ。おれは、『セサミストリート』が途中から“部分二か国語放送”になったのは、日本の放送会に於ける大きな堕落のひとつだと思う。あの番組は、とても基本的な語のイメージを、ひたすら英語だけで叩き込む(あたりまえだ、英語国の幼児番組なのだから)ところがよかったのだ。
結局のところ、外国語を身につけるのには、最も遠まわりで効率が悪いと思われている方法が、いちばん近道なのだろうとおれは思っている。つまりそれは、幼児が言語で世界を切り分けてゆく過程を、できるかぎり忠実に追体験するという方法だ。外国語の単語をいちいち母国語と対応させて数多く覚えるなどというのは、ちっとも外国語を学んでいることにならない、労多くして益のない方法である。無駄な努力とさえ言えよう。結局それは、母国語をなぞっているにすぎないからだ。
母国語とは異なるやりかたで世界を切り取るという、考えてみればあたりまえのことを体得しなければ、外国語を学ぶ意味などまったくないではないか。それにはまず、最初に出会ったひとつの言語、母国語で世界を切り取る能力が不可欠だ。むかし、さだまさしが唄っていたように、地図にない町を見つけるには、最初に地図が必要なはずである。複数の言語をまったく同じように身につけなければならないような環境で育った人を、「食うに困らんだろうな」と羨ましく思うと同時に、ちょっと気の毒にも思う。だって、彼ら・彼女らにとって、それらの言語は、まったく“外国語”ではないのだろうから。
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