『グーグル・アマゾン化する社会』(森健/光文社新書)
“グーグル”だとか“アマゾン”だとかでIT関連本だと思って手に取ってもみない人がいたとしたら、ちょっともったいない。第1章のタイトル「多様化が引き起こす一極集中現象」というのが、この本の趣旨を端的に表わしている。“多様化”が“一極集中”を引き起こすとはそもそも矛盾した表現なのではないのか、それはどういう意味なのか……と、この章題を見てピンと来ない人は、この本を読む価値があると思う。ウェブを支える技術にではなく、ウェブ上での言説のやり取りや世論(に見えるもの)の形成プロセスなどに充分関心があり、そうしたことどもに関わる“事件”をウォッチしてきている人には、この章題が言わんとしていることがなんとなく直覚できるはずで、そういう読者にとっては、「こういう見かたもアリかな」くらいの本だろう。ひとつのパースペクティブから整理してくれているのはたしかだから、「とくにウェブが生活の一部になっているわけではない一般の人に説明するとしたら、こういうことになるのかもしれないが、なんかちがう」という違和感を抱えながらも、無駄な読書にはならないはずだ。梅田望夫の言う“あちら側”を“こちら側”のコンテキストで説明するときには、どうしてもある種の違和感がつきまとうものだなあ。
おれが思うに、本書で指摘されているような、ウェブというインフラがもたらした多様化(の表出)が逆説的に一極集中を招いている現象は、たしかに観察される。現時点に於いては、充分念頭に置いておくに足る優れた指摘であると思う。だが、現在は、まだまだ過渡期なのだろう。“Web 2.0 的”なインフラに根ざす現象というのは、“あちら側”で生活している人々のスコープにはたしかな実体のあるものとして入っている日常にすぎないが、世間一般的には、まだことさら話題にしなくてはならないくらいに新奇な話である。本書は、ウェブが社会インフラとなっている社会への一種の“警告”と誤解されかねない側面があり、また事実そのようにも読めるのだけれど、おれに言わせれば、まだまだウェブと社会学をリンクして論じるには、ウェブの充分な利用者の母集団が小さすぎる。たとえば、RSSの利用者ですら、まだ多く見積もって二割程度にしかなっていないのだ。
おれは、母集団が充分に大きくなれば、この本が懸念しているような“多様化による一極集中”は、ずっと緩和されるのではないかと思っている。いまはまだ、充分に多様ではないのではなかろうか? “言語による情報収集や意見交換”というものに関する国民性というのも、おそらく無視できない要素としてあるだろう。どうもおれには、本書で指摘されているような“一極集中”の現象は、ウェブの利用者の母集団が充分に大きくないことと、異質な他者との言語によるコミュニケーションが未熟な日本社会の現状とがあいまって、一時的に観察されているにすぎない現象のような気がしてならないのだ。けっして、定性的にどうこうと、“いま”断じられるような状況ではない。ボーダーレスなウェブを論じている割には、どうも視点が日本というローカルな部分に留まっているところがあり、そのあたりがこの本の読みやすさでもあり欠点でもある。
とはいえ、現時点での一面の説得力ある説明ではあるから、ジャーナリストの仕事として充分に優れていると思う。少なくとも、政治家やマーケターは必読でしょう。
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