お犬様
みんな思っていることだろうから、いまさらおれが言ったとて面白くもなんともないのだが、言わずにいられない。
最近のマスコミ、とくにテレビはいったいなにごとだ!? やれ、犬が高いところに登って降りられないと大騒ぎをし、やれ、猫が木に登って降りられないと大騒ぎをする。そりゃあ、保護してやれと言われたらせざるを得ない法律があるという事情はわかるが、おれが同情するのは消防隊やらなにやらの人たちにである。たかが犬猫のことで、テレビまで一緒になって大騒ぎをすることがあるか。放送に使える電波は有限な資源なのだ。優先順位というもんがあろうが。毎日のように親が子を殺したり、子が親を殺したり、老々介護家庭で介護者が被介護者を殺したり、先生がしつけの悪い子供と一緒になって子供をいじめ殺したり、隣の国が核爆弾やらミサイルやらを突きつけて脅してきたりしている状況下で、「犬猫が高いところから降りられません」といった程度のことに資源を割きすぎである。報道するなとは言わん。人間には娯楽が必要だ。だが、いくらなんでも程度問題だ。
むかし、景山民夫は、皇居の堀に“引っ越す”カルガモ親子に関する過剰報道を茶化して「食わせろ!!」っつったもんだけど、彼が生きていたら、やっぱり「食わせろ!!」と言ったかもなあと思いつつ、子供や年寄りを見殺しにして犬猫を懸命に助ける奇妙な社会の報道(?)を見ている。ま、あの犬も猫も、食ったらまずそうですけどね。
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コメント
目先の事にしか気持ちが働かないだけで、基本的に人は優しいのだと思います。
っていうか、せめてそうあって欲しいですね。
投稿: おおじじ | 2006年12月10日 (日) 10時53分
>おおじじさん
そうあってほしいのですけれど。
私は、優しさと冷酷さは、それほど遠くないものだと思ってます。紙一重というか。非常に狭い対象への優しさは、その対象以外への冷酷さに容易に繋がるものです。どんな悪党でも、家族には優しかったりするもので。
とはいえ、どこまでも優しさの対象を広げるわけにもいかないことは大人になると学ぶもんですが、できるだけ広く取りたいものではありますね。それが非常に難しいとしても。
投稿: 冬樹蛉 | 2006年12月11日 (月) 02時58分