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2006年12月の21件の記事

2006年12月31日 (日)

2006年がゆく

 年越し蕎麦を台所から部屋に運んでくると、ちょうどテレビにジャイアント・シルバが登場した。蕎麦を食い終わるより早く、曙が負けた。とくに変わったことも起こらない大晦日である。

 いやあ、今年も終わりですなあ。この歳になると、なんとかかんとか生きて年が越せることが、とてもありがたく思える。年が変わったからといって、べつになにがどうなるというわけでもないのだが、とりあえずはひと区切り。大晦日ってのはアレですな、持久走の電柱みたいなもんですな。ああ、もうだめだ、でも、次の電柱までは行こう、次の電柱までは行こうと思いながら、みんな走り続けているのでありましょう。

 では、みなさま、今年一年、益体もない日記のご愛読をありがとうございました。よいお年を!



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2006年12月27日 (水)

Life finds a way.

聖母?オオトカゲ、交尾せず産卵 英の動物園 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/news/TKY200612240168.html

 英国の動物園に飼われている世界最大のトカゲ、コモドオオトカゲの2匹の雌が、雄と交尾することなく産卵する「単為(たんい)生殖」をしていたことがわかった。聖霊によってマリアがキリストを身ごもったという聖書の記述にちなむクリスマスの話題として、英科学誌ネイチャーの最新号が論文を掲載した。

(中略)

 多くの生物では、受精によって卵子の細胞分裂(卵割)が始まり、卵子が育っていく(有性生殖)。ところが、受精以外の原因で卵割が始まる場合があり、単為生殖と呼ばれる。昆虫などでみられるが、脊椎(せきつい)動物では珍しく、ヘビなど約70種で報告されているだけ。哺乳(ほにゅう)類では自然には起きないと考えられている。

 カエルでも、未受精卵を針で突っつくだけで稀に発生をはじめることがあるという話はどこかで読んだことがあるな。この「約70種」には、カエルも入っているのだろう。なにを以て“高等な動物”と呼ぶのかは難しいと思うが、一般的にはカエルよりはずっと高等な生物と考えられているだろうコモドオオトカゲのような生物にでも、こういうことがあるのか。まったく生きものというのは面白い。

 となると、女性に縁のないおれが、ある日突然妊娠するということも、絶対にないとは言えないのではないか(ないだろうけどな)。

 むかし、辻邦生『もうひとつの夜へ』という小説があって、これが男が妊娠する話なのである。妊娠するといっても、語り手の男が人間の形をした赤ん坊を産み落とすわけではなく、なんというか、たしか『ムーミン』に出てくるニョロニョロみたいなわけのわからないちっぽけな存在を産むのだが、それは男の体内にいるときから「そいつ」と呼称(?)され、その「そいつ」という活字が、話が進むにつれ、ほんとうにじわじわ大きくなってくるのだった。最後のほうになると、そいつ がどうした、そいつ がこうしたと、にぎにぎしいことおびただしい。ラスト近くになると、そいつはこいつくらいに成長してしまい、語り手の男は……といったタイポグラフィカルな効果が面白い作品である。

 むろん、字面が面白いだけの薄っぺらな話じゃなくて、なかなかにせつない、ちゃんとした内容があってはじめてタイポグラフィーが活きている名作だ。忘れ難い個性的な小品として、おれは個人的に偏愛している。読み手が「そいつ」になにを投影するかで、さまざまな深みが出てくるだろう。「そいつ」はいわゆる“男のロマン”の権化のようでもあるのだが、そう言ってしまうとちょっとちがう気がする。おれは“男の業”とでもいうべきものの具象化だと捉えるのだが、ほかにもいろんな読みかたがあるだろう。古書でしか手に入らないと思うが、見つけたらいっぺん手に取ってみてください。



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2006年12月25日 (月)

忘れられたクリスマス・バラードの名曲 “It's Christmas All Over the World”

 二十年以上むかしの曲なのだが、おれと同じように惜しんでいる人も少なくなかろうと思うので、若い人たちに知って欲しくて書く。なぜこんな名曲がクリスマスソングの定番になり損ねたのか、もったいなくてしようがないのだ。

 シーナ・イーストンが唄う“It's Christmas All Over the World”という曲なのだ。子供にも大人にも響く素朴な歌詞、美しいメロディーライン、ドラマチックなアレンジ、全盛期(というと失礼かもしれないが)のシーナ・イーストンの奇跡的なばかりに艶と力を兼ね備えた歌唱、どれをとってもすばらしい(シンセドラムの使いかたが八十年代を髣髴とさせるのはご愛嬌)。『サンタクロース』という、あんまり当たらなかった映画のテーマソングである。シーナ・イーストンのサイトの記述によれば、たしかに映画のサントラをシングルカットしたものとしては、日本でも発売されていたようである。シーナ・イーストンという歌手のナンバーとしては、レコード会社の所属の問題などがありシングルカットされていないようで、どうやら映画の不人気に引っぱられて、そのままメジャーとはなり得なかったと思われる。不幸な名曲と言えよう。

 いま、この曲を合法的に入手しようとすると、すでに廃盤になっているシーナ・イーストンのベスト盤『BEST NOW』を中古で買うか(アマゾンではなんと七千八百円の値がついている)、東芝EMI(撤退しちゃうんだってね)が一九九八年に出したクリスマス・コンピレーション『ハート・オブ・クリスマス』を、やっぱり中古で入手するしかないのだ(おれは先日、中古市場に出まわっていたこいつを、二千五百円そこそこで“救出買い”した)。

 もともとは、アメリカのR&Bグループ New Edition が出した曲らしく(おれはこっちのバージョンは聴いたことない)、ほぼ同時期に製作・公開された『サンタクロース』用に、シーナ・イーストンが唄うバラードとしてアレンジされたようだ。シーナ・イーストン以降にもカバーする歌手が現れそうなものだが、あんまり耳にしない。おれが知っているのは、iTunes Store で見つけたフィリピンの歌姫 Vina Morales が唄っているカバー(The Brightest Stars of Christmas に収録)だけである。ちょっとなまってるけど、しっとりとしたスローバラードにしていて、これはこれでなかなかいい。

 こんな名曲がクリスマスソングのスタンダードになり損ねたのはまことに残念だ。美しいメロディーラインは、さまざまなアレンジに耐えるだろうに。いまからでも遅くはない。ミュージシャンの方々は(って、ここ読んでるミュージシャンがどれだけいるか知らないが)、ぜひカバーして、この名曲を救出していただきたい。

 メリー・クリスマス!

♪When Santa's flying in his magic sleigh,
  Goes all around the world in just a day,
  From the North Pole to the southern tip,
  He makes his trip with love to give away.
  Hear him say......

  It's Christmas all over the world tonight,
  It's Christmas all over the world.


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2006年12月23日 (土)

五万円するニセ科学

 ……ってネタをふと思いついたんだが、似たようなことをあちこちで言ってそうだな。

 いや、それにしても、二十日にネタにしたテレビ番組、『視点・論点』(NHK)の「まん延するニセ科学」(大阪大学教授・菊池誠)が、主に「よくぞ言ってくれた」「よくぞ放映した」といった大反響を呼んでいる。ニセ科学を忌々しく思っている人はけっこういるんだなあ。日本は、世界からの評価とは不釣り合いなくらいに“科学民度”とでも言うべきものが異様に低いと思っていたんだが、なんかちょっと安心したよ、おれ。「NHKえらい」という感想も少なからずあるが、おいおい、『ゲーム脳の恐怖』NHK出版から出ているんだし、あの悪名高い「奇跡の詩人」NHKスペシャルで放映されたんだぜ。これくらいの罪ほろぼしをしたってバチは当たらない。今後ももっともっと罪ほろぼしを続けてほしいものである。

 でも、あちこちのウェブの感想を読んでちょっと心配になったのは、“NHK”“物理学が専門”“大阪大学教授”が言っていたということを主な理由に「えっ、アレってウソだったんだー」と蒙を啓かれている(?)かに読める感想がけっこうあった点である。そういう人は、その人にとってもっと偉そうに見える人がテレビに出てきて「水は言葉がわかります」と言ったら、またすぐ信じてしまいそうな気がしてならんのだよなあ。



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2006年12月21日 (木)

『トムとジェリー』と『意地悪ばあさん』と『ムーミン』と

米アニメ映画作家のジョゼフ・バーベラさん死去 (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/1219/001.html

青島幸男さん死去 元東京都知事・意地悪ばあさん (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/news_entertainment/TKY200612200258.html

岸田今日子さんが死去 劇団円創設、映画「砂の女」主演 (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/1220/001.html

 ハンナ・バーベラの片割れと意地悪ばあさんムーミンが立て続けに逝った。いや、お三方とも、個人的にとくに強い思い入れがあったというわけではないのだ。小学生くらいのころ、まるで空気のようにそこにいた人たちなのである。それだけに、予想外に大きな喪失感があり、そんなふうに感じている自分にちょっと驚いている。なるほど、考えてみればあたりまえのことではあるのだけれど、四十代も半ばになるというのは、実感としてはこういうことなのだな。



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2006年12月20日 (水)

菊池誠教授、テレビでニセ科学を語る

 昨夜、SF者の物理学者・菊池誠さん(大阪大学教授)がNHKの『視点・論点』に出演してニセ科学について話をなさったというのを知り、早朝の再放送を録画しておいて、さっき観た。ゲーム脳マイナスイオン「ありがとう」と言葉をかける(見せる)と美しい結晶になる水といった、世に蔓延するニセ科学のなにが問題なのか、科学者の立場から明解に論じていらして、じつに気持ちがいい。要するに、道徳のものは道徳に、科学のものは科学に返しなさいということだ。しつけや道徳の根拠を自然科学に求めるのは、とんだお門ちがいであり、思考停止以外のなにものでもないのだ。

 いわゆる“トンデモ科学”をそれと知って笑い、娯楽として愛でる趣味もあるが(おれも大好きだ)、菊池さんは(トンデモ科学をお楽しみにもなるが)、ニセ科学に踊らされる世の風潮が、笑いごとではないものを孕んでいる点を、科学者として真摯に問題提起している。お子さんのいらっしゃる方は、菊池さんのサイトにあるニセ科学関連文書をぜひお読みいただきたい。あなたのお子さんは、科学の名を借りたとんでもない世迷い言を、学校の先生に吹き込まれているのかもしれないのだ。

 それはともかく、菊池さんの微妙なファッションがよかった。世間の多くの人が大学教授というものに対して抱いているイメージを裏切るほどにラフな服装だと過剰に胡散臭さを抱かれてしまいかねないし、かといって、いかにもきちんとしていればいたで、「あれはちがう世界の人の難しいお話だ」とばかりに“括弧に入れられて”聞き流されてしまいかねない。菊池さんの服装は適度にラフで適度にきちんとしていて、広いスペクトルの視聴者に“アピールしないことでアピールしていた”と思う。

 まあ、少なくとも、おれが会ったことのある学者という人たちは、たいてい一般のステロタイプなイメージをいささか逸脱したいでたちをしているもので、年に、一、二度お会いする菊池さんのあんなちゃんとした格好を見たのは、おれは初めてであった。たぶん、昨夜の菊池さんをテレビで観た多くの人は、「ちょっとカジュアルな格好の学者さんだな」と思い、一部の人は、「えらい正装してはるなあ」と思ったのだろう。パブリックイメージとしてのニセ科学が、ともするとほんものの科学よりも科学っぽいのと同じように、パブリックイメージとしての学者は、ほんものの学者よりも学者っぽいものなのかもしれない。



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2006年12月19日 (火)

符号の逆転

胸元や指にカエル、クモ…「嫌われ系」がかわいい (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/fashion/TKY200612180195.html

 女性たちの胸元や指にチョウやクモ、トカゲが。といってもどれもアクセサリー。従来はハートや花、十字架などが一般的だったが、最近は昆虫や爬虫類(はちゅうるい)をリアルに再現したものをよく見かける。女性たちが嫌いなはずのモチーフが、なぜか今「かわいい」と人気を集めている。

 “嫌われ系”もなにも、ふつうに可愛いものにふつうに人気があるというだけのことではないか? 時代がおれに追いついてきたのだな、ぬははは。

 おれはファッションにはとんと興味がないが、こういうアクセサリーなら身につけてみたい。カエル指輪なんて、じつにセンスがいい。トンボも欲しいな。トンボというのは古来日本人が親しんできた昆虫の最たるもののひとつで、“勝ち虫”とも呼ぶくらいの縁起ものなのだ。戦国武将だってアクセサリに使っていたんだから、現代女性がトンボのアクセ(などと最近の若い人は呼ぶようである。めんどくさがりめ)を身につけるのも、なかなか粋ではないか。

 昆虫や爬虫類の次は、“臓物系”とか“排泄物系”とかがクるかもな。小腸の形をしたチョーカーとか、腎臓のペンダントとか、とぐろを巻いたウンコの指輪とかを身につけた女性たちが六本木ヒルズを闊歩する日も、そう遠くはあるまい。



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2006年12月18日 (月)

お星様になった科学者

 一昨日録画していた『サイエンスZERO』を、昨夜、晩飯食ったあとに観ていたのだ。「見えてきた“宇宙の謎” 日本の最新天体観測」というお題で、ゲストの小杉健郎(JAXA宇宙科学研究本部研究総主幹)という先生が、星をいちいち「お星様」とおっしゃるのが、じつに微笑ましかった。ものものしい肩書きをお持ちのわりに、「ああ、ええおっちゃんやなあ」という感じである。失礼ながらもはや相当薄くなった髪も目立つおっちゃんなんであるが、子供がそのまま初老の男になったかのような雰囲気があり、おれは番組を観ているあいだじゅう、この方に好印象を抱いていた。夢を追いかけて、このお歳になって、現実にこういう仕事をしていらっしゃる姿を、ちょっと羨ましいとも感じた。さだまさし「天文学者になればよかった」が、少し頭の中で流れた。

 もしおれに子供がおったら、「すざく」やら「あかり」やら「はるか」やら「ひので」やらと名前を付けてやろうかなとバカな想像をしていると、番組が終わった。と、なにやら、いつもは出ない画面が出た――「小杉健郎さんは11月26日/お亡くなりになりました/謹んで哀悼の意を表します」

 …………。

 この先生がプロジェクトを率いて9月に打ち上げた太陽観測衛星「ひので」のプロジェクトメンバーたちが静かに成功を喜ぶ映像に、嬉しさを抑えきれないといったようすで解説を加えていらした映像を、ついさっき観たばかりなのだ。言葉もない。テレビってのは、ときどき筋書きのないドラマを作るね。眞鍋かをりも驚いただろう。

 おれはハードディスクレコーダを“巻き戻す”と、『サイエンスZERO』のエンディングで、いつも出演者たちが手を振って視聴者に別れを告げる映像を、もう一度観た。会ったこともない、ひとりの科学者の人生に感動しながら。



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2006年12月14日 (木)

いつでも酒を

左党サユリスト狙い、吉永小百合さんラベルの焼酎発売 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/1213/010.html

 俳優吉永小百合さんの笑顔をラベルに刷り込んだ芋焼酎「さゆりの微笑(ほほえみ)」が鹿児島県霧島市の日當山(ひなたやま)醸造でつくられ、12月に発売された。左党のサユリストにたまらない一品は、歳暮や一風変わったおとそ用などに人気だとか。

 へえ。いや、近年、おれはデフォルトで芋焼酎ばかり飲んでいる(たまに蕎麦焼酎や日本酒やバーボンに浮気する)ので、ちょっと興味がある。おれはとくにサユリストだというわけではないが、まあ、目の保養にもなりそうだ。おれの母と八歳しかちがわないのかと考えると、まるで別種の生物のようである。調べてみると、「さゆりの微笑」公式サイトはここ。やっぱり、おれがふだん飲んでいる酒に比べると(おれは「黒よかいち」のファンである)、ちょっと割高だね。

 それにしても、父方の故郷が鹿児島という縁だとはいえ、どうも吉永小百合は“芋焼酎”というイメージじゃないと思うんだけどなあ。芋焼酎だったらやっぱり……桃井かおりとか、そういう感じじゃありませんか? 意外性が面白いと言えば言えるけどね。あるいは、芋焼酎というものに抱く世間のイメージは、ここ二十年ばかりの焼酎のポップ化(?)で、おれが思っているよりもずっと上品なものになっているのかもしれない。



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2006年12月12日 (火)

検索している場合じゃない

 さて、ひさびさの「ヘンな検索語」の時間でございます。今回のヘンな検索語は――

「パソコン 異音 ジュー」

 なんか、この人のパソコン、すごいことになってるみたいです。CPUファンが急に止まってしまったので、あわてて水でもかけたのでしょうか? そのパソコンを使って検索しているのでしょうか? 謎は深まるばかりです。

 しかし、「パソコン 異音 ジュー」と Google で検索すると、このブログが一番にヒットするのは、現時点では事実であります。

 たぶん、検索した人のお力にはなれなかっただろうと思いますが……。



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2006年12月11日 (月)

『グーグル・アマゾン化する社会』(森健/光文社新書)

 “グーグル”だとか“アマゾン”だとかでIT関連本だと思って手に取ってもみない人がいたとしたら、ちょっともったいない。第1章のタイトル「多様化が引き起こす一極集中現象」というのが、この本の趣旨を端的に表わしている。“多様化”が“一極集中”を引き起こすとはそもそも矛盾した表現なのではないのか、それはどういう意味なのか……と、この章題を見てピンと来ない人は、この本を読む価値があると思う。ウェブを支える技術にではなく、ウェブ上での言説のやり取りや世論(に見えるもの)の形成プロセスなどに充分関心があり、そうしたことどもに関わる“事件”をウォッチしてきている人には、この章題が言わんとしていることがなんとなく直覚できるはずで、そういう読者にとっては、「こういう見かたもアリかな」くらいの本だろう。ひとつのパースペクティブから整理してくれているのはたしかだから、「とくにウェブが生活の一部になっているわけではない一般の人に説明するとしたら、こういうことになるのかもしれないが、なんかちがう」という違和感を抱えながらも、無駄な読書にはならないはずだ。梅田望夫の言う“あちら側”“こちら側”のコンテキストで説明するときには、どうしてもある種の違和感がつきまとうものだなあ。

 おれが思うに、本書で指摘されているような、ウェブというインフラがもたらした多様化(の表出)が逆説的に一極集中を招いている現象は、たしかに観察される。現時点に於いては、充分念頭に置いておくに足る優れた指摘であると思う。だが、現在は、まだまだ過渡期なのだろう。“Web 2.0 的”なインフラに根ざす現象というのは、“あちら側”で生活している人々のスコープにはたしかな実体のあるものとして入っている日常にすぎないが、世間一般的には、まだことさら話題にしなくてはならないくらいに新奇な話である。本書は、ウェブが社会インフラとなっている社会への一種の“警告”と誤解されかねない側面があり、また事実そのようにも読めるのだけれど、おれに言わせれば、まだまだウェブと社会学をリンクして論じるには、ウェブの充分な利用者の母集団が小さすぎる。たとえば、RSSの利用者ですら、まだ多く見積もって二割程度にしかなっていないのだ。

 おれは、母集団が充分に大きくなれば、この本が懸念しているような“多様化による一極集中”は、ずっと緩和されるのではないかと思っている。いまはまだ、充分に多様ではないのではなかろうか? “言語による情報収集や意見交換”というものに関する国民性というのも、おそらく無視できない要素としてあるだろう。どうもおれには、本書で指摘されているような“一極集中”の現象は、ウェブの利用者の母集団が充分に大きくないことと、異質な他者との言語によるコミュニケーションが未熟な日本社会の現状とがあいまって、一時的に観察されているにすぎない現象のような気がしてならないのだ。けっして、定性的にどうこうと、“いま”断じられるような状況ではない。ボーダーレスなウェブを論じている割には、どうも視点が日本というローカルな部分に留まっているところがあり、そのあたりがこの本の読みやすさでもあり欠点でもある。

 とはいえ、現時点での一面の説得力ある説明ではあるから、ジャーナリストの仕事として充分に優れていると思う。少なくとも、政治家やマーケターは必読でしょう。



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2006年12月 9日 (土)

お犬様

 みんな思っていることだろうから、いまさらおれが言ったとて面白くもなんともないのだが、言わずにいられない。

 最近のマスコミ、とくにテレビはいったいなにごとだ!? やれ、犬が高いところに登って降りられないと大騒ぎをし、やれ、猫が木に登って降りられないと大騒ぎをする。そりゃあ、保護してやれと言われたらせざるを得ない法律があるという事情はわかるが、おれが同情するのは消防隊やらなにやらの人たちにである。たかが犬猫のことで、テレビまで一緒になって大騒ぎをすることがあるか。放送に使える電波は有限な資源なのだ。優先順位というもんがあろうが。毎日のように親が子を殺したり、子が親を殺したり、老々介護家庭で介護者が被介護者を殺したり、先生がしつけの悪い子供と一緒になって子供をいじめ殺したり、隣の国が核爆弾やらミサイルやらを突きつけて脅してきたりしている状況下で、「犬猫が高いところから降りられません」といった程度のことに資源を割きすぎである。報道するなとは言わん。人間には娯楽が必要だ。だが、いくらなんでも程度問題だ。

 むかし、景山民夫は、皇居の堀に“引っ越す”カルガモ親子に関する過剰報道を茶化して「食わせろ!!」っつったもんだけど、彼が生きていたら、やっぱり「食わせろ!!」と言ったかもなあと思いつつ、子供や年寄りを見殺しにして犬猫を懸命に助ける奇妙な社会の報道(?)を見ている。ま、あの犬も猫も、食ったらまずそうですけどね。



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こんな辺境でも大人気

 うーん、こりゃ驚いた。おれのこのブログに検索エンジンからやってきた人が使った検索語で、過去三十日間に最も多かったものはなんだと思う?

「星ちゃん」……95

 なのである。「放送作家」48「星」18「眞鍋かをり」――ということは、やっぱりみな、“あの星ちゃん”を検索しまくっているとしか思えない。

 いや、そりゃまあ、たしかに「星ちゃんはいい」って書きましたけどね、これほど人気があるとは……。平均して一日に三人強は「星ちゃん」を検索して、うちごときにやってきてくれたりしているわけなのだ。ほんとに星ちゃんは、いまキテるねー。そりゃ、失恋の憂さ晴らしにマンションを衝動買いするような人を、ちょっと調べてみたいと思う気持ちはわかる。



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2006年12月 5日 (火)

「Amazon.co.jp から撲殺」

 ――というタイトルのメールが、先日ケータイの受信フォルダに並んでいたので、なにごとかと思って開いてみると、「Amazon.co.jp から撲殺天使ドクロちゃん〈2〉などのおすすめ商品のご紹介」だった。いくら文字数の節約のためとはいえ、作品名に『 』くらいつけろよ。でも、なんでいまさら〈2〉? おれが〈1〉しか持ってないからか。許せ、ラノベまではなかなか手がまわらんのよ。



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2006年12月 4日 (月)

小沢一郎民主党党首に提案

 ああー、チャンスなのになー! 小沢一郎ともあろうものがどうして思いつかないのだろう? いまこそ、小沢一郎は、自民党に申し出るべきなのだ――

「いままでのことは反省する。誓約書も出すから、復党させてくれ

 自民党はどう反応するだろなー?

 いやまあ、昨今の造反議員復党問題、自民党が「戻ってくれ」と言うのは、まあいいと思うよ。総裁が変わったんだし、方針が変わっても不思議ではない。どうせ自民党は節操もへったくれもない党だ。いまさら呆れるほどのことでもない。だが、「はい、そうですか、ありがとう」と戻れる議員の神経がおれにはわからない。有権者をナメている。思想・信条のない政治家なんて、コーヒーを入れないコーヒーみたいなもんだとは思いませんかね?

 結局、小泉純一郎という人は、“なにかのまちがいでほんのいっとき力を持った狂人”で、あれは“なかったこと”ということになってるんだろうかね、自民党の中では。まあ、アレか、ウルトラマンシリーズの『ウルトラマンネクサス』みたいなもんか。おれはネクサス好きなんだけどさ。



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『FROGS! 2007 CALENDAR』(山と溪谷社)

 いや、いただきものなんだけどね、“山渓”といえばもう、誰もが知っている(知ってるかな?)カエル本の老舗。なんちゅうか、このカエルなテイストはもはや説明不要。カエルは和むねえ。この表紙のチャコガエルなんてのは、作りもののように愛らしい。宇海さん、ありがとう。

 チャコガエル、アカメマダガスカルアオガエル、ムシクイオオクサガエル、クロミミアデガエル、パジェットガエル、ソロモンコノハガエル、ベルツノガエル、キオビヤドクガエル、シュレーゲルアオガエル、ガラガラアマガエル、サビトマトガエル、アイゾメヤドクガエル、アオアシアデガエル、チャコアマガエル、メキシコフトアマガエル、シャムトビガエル、マダガスカルクサガエル、ユンナンフトコノハガエル、キマダラマントガエル、ソバージュネコメガエル、ステルツナークロヒキガエル、パグガエル、マダラスキアシヒメガエル、ヌマガエル、フチドリアマガエルを一年分(?)収録。全部ちゃんと読んだ方、ご苦労さまです。

 カエラーには文句なしでお薦め。畳んだ状態で、ほぼ文庫本×新書くらいのミニサイズなので、場所も取らない。カレンダーに使われているキュートなカエル写真を縮小したシール(二十枚)付き。



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牛丼を飲む

 晩飯にレトルトの牛丼を食ったのだが、蛋白質を摂らねばいかんなと、生卵を二個ぶっかけたら、牛丼の汁と卵の海に、紅生姜と米がぷかぷか浮いているといったありさまの汁物のようになってしまった。ふだん、あんまり炭水化物を摂らないようにしているので、米を少なめによそったのである。まあ、これはこれで牛丼とは言いにくいものなれど、新種の雑炊のようでうまかった。デブ系のタレントには、カレーは飲みものだと豪語して憚らない人たちがいるくらいだから、牛丼も飲みものであってもいいじゃないか。



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2006年12月 3日 (日)

手首を鍛える大人のトレーニング

Wii発売狂騒曲 転売目当てに行列 ブローカーの姿も (asahi.com)
http://www.asahi.com/business/update/1202/031.html

 2日朝、任天堂の新型ゲーム機「Wii(ウィー)」を求め、全国各地に行列ができた。もっとも、並んだのはゲームファンだけではなく、転売目的と見られる集団も目立った。人気ゲーム機発売のたびに目にする行列の中身は、ちょっと変わってきたようだ。

 転売目的のブローカーの頭を、あのコントローラーでどついてまわるゲームを発売したら売れると思うのだがどうか。

 それにしても、「Wii」ってのはヘンテコな名前だ。英語圏のメディアの報道を見ると、以前から口を揃えて“ヘンテコな名前”だと言っている。そう言わせるところが狙いなのかもしれないけど、たしかに英語的には、まずあり得ない綴りだよなあ。まあ、英語に合わせてやる必要などないのだが。なにも知らない人が見たら、十中八九、ローマ数字だと思うだろう。

 おれはゲームにはあんまり興味がないが、あのコントローラーは見かけ以上にハイテクらしく、そこいらへんには興味がある。あれでもって耳糞をほじくるゲームとかできそうだよな。でかいのが取れたら高得点。尻を拭くゲームもいいかもしれん。できるだけトイレットペーパーを使わずに、きれいに尻が拭けたら高得点。あのコントローラーを激しく叩きつけるように振ったり、液体を注ぐようにゆっくりと傾けたり、緩急をつけて往復させたりする、どう考えても十八禁のアダルトなゲームの構想もおれにはあるのだが、どういうゲームかはご想像にお任せする。どっかがほんとに開発しそうな気もするんだが……。



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2006年12月 2日 (土)

歴史の断絶

 怖ろしい話を聞いた。母が世にも怖ろしい体験をしたのだ。その事件は、母がむかしから大事に持っていて、いまはもう動かない古い腕時計を、ふと思い立って近所の百貨店にある時計屋に持っていったときに起こった。母がその時計屋にゆくのは初めてで、二人いた店員はいずれも意外と若かったという……。

 「この時計、調子悪いんやけど、見てもらえますか?」
 「はい、ちょっとお待ちください」

 若い店員は腕時計を預って、店の奥へと下がった。が、どうも様子がおかしい。ずいぶんと時間がかかる。もうひとりの店員となにやら相談をしているらしい。ちょっと時計の調子を見るだけのことになにをもたもたしているのかと母がいらいらしていると、ようやく店員が出てきた。

 「……あの、これ、どうやって動かすんですか?」
 「どうやって、て??」
 「電池はどうやって入れるんですか?」
 「…………」

 伊達に七十年近くも生きているわけではない母は、それは“ゼンマイを手で巻いて動かす方式”の腕時計であり、時計の横に突き出ているツマミ(母は“竜頭”という言葉を知らない)をくるくると指で回すことで弾性素材に動作用のエネルギーを蓄える(という言いかたを母がしたわけではない)のだと、時計屋に教えてやったという。「最近、あんなにびっくりしたことないわ」と、母(69)は述懐する。

 おれもびっくりした。「月をなめるな」に匹敵するものがある。いくら若いか知らないが、少なくともこの連中は、プロの時計屋でございと看板を掲げて商売をしているのである。むかしの時計はゼンマイで動いていたということを知らないのであろうか? 知らなかったとしても、時計屋になる研修やらなにやらで習わないのであろうか? 「もうよろしいわ言うて帰ってきたわ。あんなんに時計つぶされんでよかったわ」と、母(69)は述懐する。そりゃあそうだろう。おれは、たぶん、若い医者にだってこうした類のやつがいるにちがいないと思い、心底ぞっとした。

 いやまあ、たしかに、一応ソフトウェアの開発をしているはずのおれが勤めている会社ででも、若いやつがチャールズ・バベッジフォン・ノイマンの名前も知らないのに驚いたことがあるが(おまえら、いくらソフト屋だからって、ハードウェアの歴史に興味がないにもほどがある。SF読め、SFを)、時計屋の世界でも、もはやこのような状態になっているらしい。

 冷静に時計屋の経営者になったつもりで考えてみると、なるほど、もはやあまり持ち込まれることもないゼンマイ式の時計などというものに関する研修をしても、費用の無駄だとも考えられる。おれの勤めている会社でもMS-DOSの研修なんてしてないし、バベッジもライプニッツも教えてないよな(そもそもそういうレベルの歴史は、大学卒業までに自分で勉強してこい)。それにしてもなあ……。おれが歳を食ったということなのだろうか、世の中の教育というものがおかしくなっているのだろうか、どっちだろう?

 多少は前者だとも思うが、大部分は後者であるような気がするなあ。だって、ソーラーパネルやキャパシタやリチウムイオン電池や水銀電池が発明される以前から、人類は腕時計というものを使っていたという知識はいくらなんでも若い時計屋にもあるだろうから(なかったりして)、ゼンマイ式の腕時計の存在を誰に教わらなくたって、それ以前の腕時計はどうやって動いていたのだろうという好奇心が湧き起こって当然だ。

 結局、そこが問題なのだろう。おれは、教育というものは、“好奇心を持つ能力”“自分で自分を教育する能力”のたったふたつだけを身につけさせれば大成功だと思っている。あとはおまけだ。いまの教育というやつは、一生使える、最も大切なそのふたつ“だけ”をあろうことか軽視して、あとのどうでもいいことばかり教えている(というか、それはなにかを教えていることになるのか?)のではないかと心配になってくる。「美しい国」だか「愛国心」だかなんだかは、べつにどうでもいい(そんなこと、そもそも学校で教えなきゃならんことか?)。「これはなんだろう?」「自分で調べてみよう」と思える能力のふたつさえ身につけられれば、それらは一生の宝である。義務教育のあいだにそれさえ身につけさせられれば、あとはほっといてもいいじゃないか。人生は長いのだ。



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2006年12月 1日 (金)

実相寺昭雄、死す

「ウルトラマン」「帝都物語」の実相寺昭雄さん死去 (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/1130/003.html

 テレビの「ウルトラマン」シリーズの演出や映画「帝都物語」などで知られた映画監督の実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが29日深夜、死去した。69歳だった。通夜・葬儀の日取りは未定。
 東京生まれ。59年、ラジオ東京(現TBS)に入社し、66年の「ウルトラマン」をはじめ、「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」など特撮番組に数多く参加。奇抜な構図や照明を駆使する独自のスタイルで、不可解で不条理なムードあふれる映像を作り上げた。

 もしも“あの世”というものがあったなら、手ぐすねひいて待っていた岸田森佐々木守が、実相寺監督を捕まえているころだろう。もちろん、あちらのスタッフを集めて、「京都買います」をリメイクするためだ。

 ちょうど去年のいまごろ、『ウルトラマンマックス』の「狙われない街」に感嘆したばかりだったのに。怪獣とともに育ったおれたちの世代の人々にとっては、特別な存在だったろう。陳腐な台詞だが、「夢をありがとう」と言っておきたい。お疲れさまでした、実相寺監督。



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今月の言葉

富江 february

 殺しても殺しても、眼鏡をかけて甦るコワい女。



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