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2006年11月27日 (月)

“単衆”の叡智?

 SFファンというのは極端なことを考えるのが好きである。今日も今日とて、ぼけーっと極端なことを考えていた。“究極の検索エンジン”とはどういうものか、弱い頭を絞って想像していたのだ。

 なにしろ究極の検索エンジンであるからして、人類がこの宇宙で観測できる情報は、ほぼすべてが時々刻々とほぼリアルタイムで(相対論的効果はともかくとして)格納され、インデキシングされるとする。

 なにしろ究極の検索エンジンが実現しているほどの世界であるからして、現在の検索エンジンのように、いちいち検索語をキーボード入力したりする必要はなくなっている。脳-コンピュータ・インタフェースはとっくに実現しており、頭の中で「こんなことが調べたいな」と考えた瞬間にその検索要望は究極の検索エンジンにフィードされ、たちまち頭の中へと検索結果が返ってくる。障害となるのは光速の壁だけだ。その過程はあまりにスムーズなので、究極の検索エンジンを使う人々は、検索結果をあたかも自分が最初から知っていた(ローカルの脳に最初から格納されていた)ものであるかのように感じるようになるだろう。自分の知識と、検索して得た知識との区別がつけられなくなってしまうのだ。他人の脳の中にある情報が検索結果として自分の脳に送り込まれてきて、それを最初から自分の脳の中にあったもののように感じるようになるだろう。

 つまり、検索エンジンというものが行くとこまで行くと、人類は“自分の考え”だとか“他人の考え”だとかいった狭量な(?)区別から解放され、人類全体があたかもひとつの脳であるかのようにして、ものを考えるようになるだろう。

 もっとも、究極の検索エンジンといえども、設備投資が必要なインフラであるからして、収益を得なくてはならない。だものだから、この究極の検索エンジンにも、当然 Adwords や AdSence のような機能がついているわけなのである。ということは、なにか知らないことを調べようと思うや否や、なぜかその事象に関連する商品やサービスを詳しく“思い出して”欲しくなってしまい、しかもそれが広告であるとは気づかないということになるだろう。広告と自分の考えとを区別できないのだからあたりまえだ。

 これはユートピアなのか、ディストピアなのか、どっちでしょうね?



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コメント

 本当に賢い検索エンジンなら、本当は何を検索したいかわかっていない人間に対して、「あんたが知りたい情報はこれのはずや!」と言って、「その情報が知りたいと思っていたと人間に認識させる」ことで、ヒット率を向上させるようなシステムじゃないでしょうか。
 主観的にはユートピアでしょう。客観的にはしらん。

投稿: 林 譲治 | 2006年11月27日 (月) 10時54分

>林譲治さん

 “何を検索したいかわかっていな”くて結果を得た場合、はたしてそれを“検索”と呼ぶべきかどうかはよくわかりませんが、“あとでしみじみ思えば、これこそ私が欲しいと思っていたもののはずだ”とわかるというのは、まさに人生そのものではありますまいか(あ、なんか深いぞ)。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年11月29日 (水) 00時53分

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