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2006年11月の27件の記事

2006年11月30日 (木)

駅内留学

 仕事が遅くなって終電になってしまい、おれは早足で駅のホームを歩いていた。ふと顔を上げると、おれの歩いてゆく先に、金髪をポニーテールにした青い目の若い女性がいて、ケータイにむかってなにやら熱心に主張している。ラフな服装が妙にキマっていて、アメリカの学園ドラマから脱け出てきたような娘だ。

 どこの国のコだろうな、何語で話しているのだろうなと、おれはそのコの横を通り過ぎざまに耳をそばだてた。最近の若い娘が話す、活きのいい英語表現のひとつでも拾えたら儲けものだ。そのコの声が聞こえるところまで近づいたとき、たしかに、はっきりと、おれの耳は活きのいい会話表現を捕えた――

「……○×@■$$&□……なんでやねん!φΣ××△……」

 紛らわしい外見をするなー! あんたは、イーデス・ハンソンか(知らない人は、お父さんかお母さんに訊いてね)。そ、そういえば、むかーし、中学だったか高校だったかのころに、イーデス・ハンソンの英会話本を買ったことあるぞ。

 英会話本だけじゃなく、この人には『花の木登り協会』(講談社/講談社文庫)という、日本語で書いた風刺小説もあって、筒井康隆が絶賛してたり、『ブラック・ジャック』でピノコが話題にしていたりしたもんで、おれもむかーし読んだ(“むかーし”ばっかりだ)。むろん、まだ持っている。いまとなっては、日本語のできる外国人タレントは珍しくもなんともないが、あれだけのちゃんとした小説を日本語で書ける外国人はそうそういないと思う。もし古本屋で見かけたら、迷わず手に入れておきましょう!



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2006年11月29日 (水)

悪魔のホットエントリー?

 このあいだから“究極の検索エンジン”という考えを弄んでいるうち、つまるところ、検索エンジンというのは、マクスウェルの悪魔にほかならないのではないかと思えてきた。

 究極の検索エンジンが完成し、この宇宙のすべてが瞬時に検索できるようになれば、それは要するに万人が各自の能力の上限まで自在にものを知ることができ、しかも“知る”という行為を行為とすら意識しない存在となるということである。そうなると、そもそも“なにかを知りたい”という意思が消失してしまうはずで(“知りたい”と意識するかしないかのうちに、それをすでに知っている状態になるのだから)、“検索”という行為が意味を失う。誰もがこの世のすべてを知っているとも言えるし、誰にとってもこの世は一様なホワイトノイズになってしまうとも言える。情報の熱死だ。検索エンジンというものは、“まだ検索では知りようがないこと”が残っているあいだにかぎり、あたかも情報を作り出している(エントロピーを減少させている)ように局所的には見えるにすぎない装置なのかもしれない。“究極の検索エンジン”なるものは語義矛盾で、究極の検索エンジンが完成した瞬間、それはみずからのレゾンデートルを否定してしまうのだ。

 となると、そんなものが完成した世界は、やっぱりユートピアのようでもありディストピアのようでもあるなあ。というか、そもそも、ユートピアとディストピアというのは客観的には同じ表裏一体のもので、メビウスの輪を部分的に見て表裏を云々しているような言葉にすぎない。

 Google が宇宙を情報的熱死に至らしめるのは、いつのことになるだろうかなあ……。



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2006年11月28日 (火)

三代目・おけいはんに期待

 いまちょうど京阪電車では、二代目と三代目の「おけいはん」が並存している。二代目・京橋けい子江本理恵)も今月で引退、すでにテレビCMは三代目・森小路けい子神農幸)に切り替わっている。

 初代・淀屋けい子水野麗奈)のベタなインパクトが強かったものだから、ちょっと行儀のよい感じの二代目(いやべつに、初代が行儀が悪かったわけではないが)が最初はかなりもの足りなかったけれど、やはり三年も毎日のように目にしていると、引退はちょっと寂しいね。

 しかし、三代目は森小路とは、えらくマイナーな駅(失礼)にしたもんだなあ。おれは一度も降りたことないよ。三代目を襲名した神農幸という人、なんと、映画の『水霊 ミズチ』にも出てるじゃないか(まだ観てないけど)。世間は狭い(ってなにが?)。田中啓文氏におかれては、これからは“三代目おけいはんも出ている『水霊 ミズチ』”という宣伝のしかたもアリではなかろうか。

 田中さんは三代目おけいはんに会ったのかなあ? たぶん、会ってないだろうなあ。いや、おれの知っているある邪悪な作家などは、自分の小説が映像化される際には万難を排して撮影現場に押しかけてゆき、主演女優とツーショット写真を撮ってきては知人に見せびらかしたり、あろうことか、SFコンベンションでスクリーンに投影までして大勢の人にやっぱり見せびらかしたりするのを趣味にしているのだが、これがもしその作家だったら、絶対いまからでも三代目おけいはんに会いにゆくにちがいない。

 それはともかく、三代目おけいはんのCMには、“モーツァルト北浜”なる人物がどどーんと登場したのにはのけぞった。そりゃもう、浪花のモーツァルトといえば、あの人しかいない。キャラが強烈すぎて、おけいはんを食っちゃわないか心配だよ。まあ、神農幸は京都の人だそうだから、山口県出身の二代目よりは、こういう毒気には免疫があるだろう。初代に負けないベタベタ関西パワーでキダ・タロー大先生と渡り合っていただきたいものである。



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2006年11月27日 (月)

“単衆”の叡智?

 SFファンというのは極端なことを考えるのが好きである。今日も今日とて、ぼけーっと極端なことを考えていた。“究極の検索エンジン”とはどういうものか、弱い頭を絞って想像していたのだ。

 なにしろ究極の検索エンジンであるからして、人類がこの宇宙で観測できる情報は、ほぼすべてが時々刻々とほぼリアルタイムで(相対論的効果はともかくとして)格納され、インデキシングされるとする。

 なにしろ究極の検索エンジンが実現しているほどの世界であるからして、現在の検索エンジンのように、いちいち検索語をキーボード入力したりする必要はなくなっている。脳-コンピュータ・インタフェースはとっくに実現しており、頭の中で「こんなことが調べたいな」と考えた瞬間にその検索要望は究極の検索エンジンにフィードされ、たちまち頭の中へと検索結果が返ってくる。障害となるのは光速の壁だけだ。その過程はあまりにスムーズなので、究極の検索エンジンを使う人々は、検索結果をあたかも自分が最初から知っていた(ローカルの脳に最初から格納されていた)ものであるかのように感じるようになるだろう。自分の知識と、検索して得た知識との区別がつけられなくなってしまうのだ。他人の脳の中にある情報が検索結果として自分の脳に送り込まれてきて、それを最初から自分の脳の中にあったもののように感じるようになるだろう。

 つまり、検索エンジンというものが行くとこまで行くと、人類は“自分の考え”だとか“他人の考え”だとかいった狭量な(?)区別から解放され、人類全体があたかもひとつの脳であるかのようにして、ものを考えるようになるだろう。

 もっとも、究極の検索エンジンといえども、設備投資が必要なインフラであるからして、収益を得なくてはならない。だものだから、この究極の検索エンジンにも、当然 Adwords や AdSence のような機能がついているわけなのである。ということは、なにか知らないことを調べようと思うや否や、なぜかその事象に関連する商品やサービスを詳しく“思い出して”欲しくなってしまい、しかもそれが広告であるとは気づかないということになるだろう。広告と自分の考えとを区別できないのだからあたりまえだ。

 これはユートピアなのか、ディストピアなのか、どっちでしょうね?



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2006年11月26日 (日)

『BLOOD+ COMPLETE BEST』(アニプレックス)

 『BLOOD+』というアニメをとりあえず横に置いておくとしてもだ、盛んにテレビCMでやってるとおり、高橋瞳元ちとせHYDE中島美嘉UVERworldアンジェラ・アキジンK(ケイ) という錚々たる才能のコンピレーションがこの値段だと考えれば、たいへんお値打ち感のある買いものである。『BLOOD+』なんて知らない人でも買いでしょ。ハードウェアのほうではいろいろナニなアレで斜陽感が拭えないソニーだが、なあに、いまの世の中、コンテンツを握ってるやつはどう転んでも強いのである。もう、ANIPLEX の思うツボ、こうやって喜んで乗せられて買ってしまうやつがここにいる。事実、これだけ豪華なものをこの価格で出せる企業グループはそうそうないだろう。オープニングやエンディングの曲が次々変わってゆくものだから、最近の傾向からすると、アニメの放映が終わったあとにこういうコンピレーションが出るだろうなと、ぼんやり予測してはいたけどね。これはこれで、もはや現代のマーケティングとしては確立されたやりかたであって、あざといとも思わなくなったよ、おれは。

 で、『BLOOD+』なんだが、個人的にはたいへん好きである。やっぱり吸血鬼はいい。最初のころは、あまりにもとろとろと進む話に首を傾げたが、完結してみると、結局おれはこの作品が大好きだったのだということがよくわかった。おれが吸血鬼を好むのは、たぶん、日陰者が背負う悲哀みたいなものに美を見い出すからではないかと思うのだが、『BLOOD+』では、日陰者の吸血鬼ですらない人工の吸血鬼「シフ」という連中が出てきて、こいつらがじつに哀しくていいのだよなあ。日陰者のパチもんとして生まれてきて、運命と闘い、運命を受け容れるいいやつらなんて、じつにカッコいいじゃあありませんか。いやまあ、御託を並べてはいるが、結局のところは、日本刀振りまわす少女が好きだということに尽きて、オリジナルのコンセプトにずっとハマっているだけなのかもしれないのだけれどね。

 さすが“土6”アニメだけあって、オープニングやエンディングにやたら気合いが入っているなあとは思っていたんだが、テーマソングのコンピレーションCDに、クレジット抜きの映像と音楽が全部こうしておまけDVDで付いてくるとはね。これは安い。高いけど安い。オープニングとエンディングは、それぞれ四つずつあり、二番めと三番めのオープニングは、単独の映像作品としても十二分に見応えがあって、アニメをまったく知らない人でも楽しめると思う。おれは、ちょっとアール・ヌーヴォーっぽいテイストの二番めのオープニングがとくに好きだ。

 なんだかんだ言って、振り返ってみると、この作品はひとえに元ちとせに救われていると思いますなあ。ああいう終わらせかたをしたのもとてもよくわかるし、最後の最後は、やっぱり元ちとせの「語り継ぐこと」で締めたのも、無理のないところでしょう。これからほぼ永遠の時を“断続的”に生きてゆくであろう音無小夜にとっては、この『BLOOD+』の時代も、その生のほんの断片にすぎないわけだけれども、ほんの断片だからこそ、それはまたとてもいとおしく、せつないのであるのよなあ。

 このあと、やがて目覚める小夜をめぐる近未来SFとして(?)、『BLOOD++』だか『BLOOD#』だかが語られることになるかどうかはわからないが、おれはまたどこかで小夜が日本刀振りまわすとこを観たいね。



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2006年11月25日 (土)

学力なるものを向上して、いまの時代、なんの得がある?

一億総学力低下時代 (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2006/11/22_1104.php

 おれの考えと通底する部分があるのだが、さすがは現場の方だけあって、醒めた明晰な論理を展開していらっしゃる。まったくそのとおりだと思う。

 これが最大多数の最大幸福だというのなら、おれは嬉々として不幸になりたいね。



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2006年11月24日 (金)

ほのぼのと死語が似合うキャラ

漫画家蛭子能収さんが19歳年下と再婚 (nikkansports.com)
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20061123-120508.html

 タレントとしても活躍する漫画家、蛭子能収さん(えびす・よしかず=59)が年明けに19歳年下の家事手伝いの女性(40)と再婚することが22日、分かった。前妻が亡くなった後の03年4月、女性週刊誌「女性自身」の誌上お見合い企画で知り合った。芸能界一の競艇ファンだけに初デートは多摩川競艇場。その後も旅行するなど交際を深めた。この日、香川・丸亀競艇場のイベントに参加した蛭子さんは「年は若いし、かわいいし、ボインだしいうことなし。背は低いかな。彼女は神社、仏閣が好きなので、これを含めて競艇場通いしようと思ってます」。年明けに婚姻届を提出する予定。

 ぼ、ボインって、ひさしぶりに聞いたな、この言葉。四十代のおれでも、カラオケで「キューティーハニー」を唄うとき以外は、まず使わん。カラオケで月亭可朝を唄うことはまずないしな。

 先日、アニメの『あたしンち』を観てたら(朝日放送では日曜の早朝というとんでもない時間にやってるので、もちろん録画だ)、あの“母”が、「チョッキ」やら「とっくりセーター」やら、やたら“死語”を連発するエピソードがあって、大笑いした。いや、おれもときどき言うけどね。なにしろ、原作者のけらえいこはおれと同い年だ。生まれ月まで同じだ。「チョッキ」や「とっくりセーター」には、じつはなんの違和感もない。子供のころは、みんなそう言っていたんだから。「えもんかけ」もときどき言っちゃいますなあ。

 それにしても蛭子さん、「彼女は神社、仏閣が好きなので」ときたら、ふつう「これを機に神社、仏閣もまわってみようと思います」とでも言うのが自然な流れではあるまいか。「これを含めて競艇場通いしようと思ってます」って、やっぱり競艇場通いがメインなのかよ! 勝負事にご利益があると言われているところばっかり行くんじゃないか?



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2006年11月23日 (木)

What's in a name?

Ika 行きつけのコンビニに、「いかジャーキー」なる面妖なものが並んでいた。“新発売”などとわざわざ札まで出ている。むろん、「スルメを四角く切っただけではないか」と頭の中でツッコミを入れたが、ネーミングになかなか感心したので、酒の肴に思わず買ってしまった。

 で、いま、その「いかジャーキー」を食いながら焼酎のお湯割りを飲んでいるのだが、驚いたことに、ほんとうにスルメを四角く切っただけのものであった。こうなるぞこうなるぞと思いながらわくわくしているとほんとうにそうなる、ヒッチコック映画のような商品だ。これが「いかジャーキー」なら、「都こんぶ」は立派な「こんぶジャーキー」である。

 ただのスルメを「いかジャーキー」と名づけて売ろうという、小林製薬も括目するであろう企画を上げたやつも上げたやつなら、通したやつも通したやつである。彼ら・彼女らに敬意を表したい。ここまでやるなら、当然、「えびジャーキー」「かにジャーキー」も欲しいところだ。



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2006年11月22日 (水)

有機物最高の声・山田英津子

 このところ、ソプラノ歌手の山田英津子にハマって聴きまくっている。こないだまで美空ひばりを集中的に聴いていたというのにだ。

 いやあ、すばらしい! こんな人をいままで知らなかったなんて、おれはちょっと人生を損していた気分である。iTunes Store をうろついていてたまたま見つけ、ちょっと試聴をしてみて息を呑んだ。おれの声フェチ・インジケータが振り切れ、針が弾けとんだ。なんという声! おれはクラシックの声楽家の声というのは、声というより楽器みたいでそれほど好きじゃないのだが、“天使の歌声”などという陳腐な表現は糞食らえである。たぶん天使は、もっと冷たい、非人間的な完全すぎる声をしていると思う。そりゃ、あいつらは人間じゃないからな。山田英津子の声は、ホモ・サピエンスとしての、人間らしい最高の声である。炭素と水素と酸素と窒素のぐちゃぐちゃの塊から、このような至高の音波が出てくること自体、ひとつの奇跡としか言いようがない。オリバー・カーン“霊長類最強のゴールキーパー”と呼んだニュース番組があったが、おれは山田英津子を“有機物最高のソプラノ”と呼びたい。

 そっち方面では有名な人らしいので、いまごろ知ったのかと呆れてらっしゃる方もあろうが、知らない人はいっぺん聴いたんしゃい! iTunes Store ではここ「シューベルトのアヴェマリア」なんて、息をするのを忘れますぜ。「ふるさと」なんて、日本人なら涙なしには聴けませんぜ。いや、iTunes Store で売ってるのは全部買ってしまったのだ。ええい、ビンボーだけど、いまならボーナス払いだ。

 いったいこの人は何者なのだとネットを泳ぎまわってみたら、なんと、クラシックに疎いおれですら知っている指揮者、山田一雄の娘さんだという。すごいご家庭ですなあ。



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2006年11月21日 (火)

利用者限定の一般公開情報

関節リウマチに飲み薬・三菱ウェルファーマなど候補物質確認 (NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061120AT2G1300N20112006.html

 三菱ウェルファーマ、東京医科歯科大学はそれぞれ、関節リウマチによく効く「生物製剤」と同等の効き目が期待できる飲み薬の候補物質を開発、動物実験で効果を確認した。3年前に登場した生物製剤は症状がなくなるまで回復する患者がいる半面、点滴や注射で投与するため通院や入院が必要。今回の成果が実用化すれば患者の生活の質(QOL)を大幅に改善できる。
 三菱ウェルファーマが開発した治療薬の候補物質は「Y―320」。これまでに合成した200種類以上の化合物から効果があるものを選び出した。関節の炎症の原因となるたんぱく質ができないようにする。

 おお、こりゃ朗報だ。母が関節リウマチなもので、まことに切実である。いやべつにおれが特段の孝行息子だというわけではなくて、母の症状が緩和できるとしたら、なによりおれ自身がずいぶん助かるからだ。早く実用化されるといいのだがな。もっとも、あんまり高くつくようではこれまた困る。

 一応、なにか情報があるだろうかと三菱ウェルファーマのサイトに行ってみたのだが、まだなんにも出てなかった。まあ、そのうち出るだろう。

 ついでにいろいろと三菱ウェルファーマのサイトをうろついていて不思議に思ったのが、「医療関係者向け情報」というやつである。「あなたは医療関係者(医師、薬剤師など)ですか?」と訊いてくるので、正直に「いいえ」と答えると、「ご利用上の注意」というやつが出てきて、いろいろと注意書きが並べてあり、そこから先(?)へは行けない。「専門的な情報であり一般の方々にご理解いただけるように配慮したものではありませんので、ご利用は医療関係者の方々に限定させていただくことをご了承下さいますようお願い申し上げます」などと言われる。要するに、“ここに書いてあることは素人にはわからんだろうから、ここに書いてあることを素人が勝手に解釈して行動に反映させてはならない”と釘を刺しているわけだ。まあ、その意図はわからんでもない。でも、見るくらいいいじゃないかケチと思い、おれは医療関係者だと強く思い込むことにして「はい」を選択すると、なんのことはない、べつになんのチェックもなく、すんなりと「医療関係者向け情報」が見られてしまうのであった。

 「病院・薬局で使う外国語会話集」なんて、医療関係者以外にも有益であろうコンテンツもあって、なぜこういうものをもったいぶって“医療関係者限定”という名目で公開しているのかよくわからない。現にこうして直リンクを張れてしまうではないか。どうも、“素人は専門知識に触れてはならん”と言っているみたいで、あまり印象はよくない。しかも、「医療関係者向け情報」からリンクしてあるサイトは、べつに“素人はなるべく見るな”といった制限など設けていないところだったりするのだ。わけがわからん。

 まあ、アレか、「あなたは十八歳以上ですか?」などと訊いてくるページで、十六歳の健全な来訪者が「いいえ」をクリックする可能性は低いけれども、サイト運営側が「一応、訊くことは訊いたから、こっちの責任は果たしたぞ」と言える形式を踏んでいるのと同じようなもんか。



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我乞責任者的出来!

吉本興業、中国に本格進出 喜劇制作、タレント発掘も (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/1120/020.html

 吉本の「お笑い」が中国に本格進出――。吉本興業は20日、中国の大手イベント企画会社と資本・業務提携したと発表した。人口が約13億人の中国市場を狙って共同で映画や音楽を制作、喜劇などを公演するほか、タレントの発掘も手がける。吉本は「東アジアは(芸能面でも)統一市場として発展しつつある。アジア最強のエンターテインメント企業を目指す」(吉野伊佐男社長)と鼻息が荒い。

 おお。ちゅうことは、こういうふうになるわけか?

 「可吸血? 我痒! 年齢度外視、他者依存的。茶々万歩、茶々万歩」
 「大阪名物弾弾拳撃! 大阪名物凹凹頭!」
 「我積修行於飛騨山中幾星霜、完成必殺技蟹鋏! 脱出不可能的秘技、挑脱出! 本日許容此程度!」
 「在君達、在我。謝罪臭、此再臭。行何処?」
 「謝罪遅刻謝罪夜叉!」
 「不在其的人~? 我往生~! 恥、知己、恥~」

 全部、ウソですから、信用せんように。



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2006年11月20日 (月)

『安めぐみ 2007年 カレンダー』(ハゴロモ/壁掛け版)

 二年連続で安めぐみにしてしまった。いやなに、なにしろ部屋が殺風景なものだから、毎年必ずひとつは女性アイドルカレンダーを買うことにしているのだ。

 まあ、なんちゅうか、非常によろしい。目のやり場に困らない穏当な写真である。いい歳をして、二十歳も下の娘に癒される。癒されている場合ではないかとも思うが、家でくらい癒されたい。劣情を催さない。まさに娘のようである。そうじゃ、娘のカレンダーを買ってなにが悪い!

 二○○七年のは、カレンダーの最後に、エクストラトラック、じゃねーや、なんちゅうか、おまけが一枚付いている。いいんじゃないすか。さあ、来年も一年、安めぐみに見下ろされながらがんばろう。



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2006年11月19日 (日)

“星ちゃん”はいい!

 眞鍋かをりのポッドキャスト「Tokyo Local」を初回からずっと聴いているのだが、これに出演している放送作家の“星ちゃん”なる人にすっかりハマってしまっている。いやまあ、眞鍋かをりももちろん好きだが、最近は星ちゃん目当てで聴いていると言っても過言ではない。おれのストライクゾーンに入る声としゃべりかた、のほほんとした特異なぶっとびキャラ、放送作家だけにしておくのはもったいない隠れた逸材である。本来あまり表に出ない裏方の仕事なわけだから、本名も顔もおれは知らない。ググってみると、けっこうあちこちにファンがいるみたいなので、そのうちブレーク(なにがどうブレーク?)しても不思議ではない。

 星ちゃんがピンでポッドキャストはじめたら、おれは絶対聴くよ! いいじゃん、放送作家のポッドキャスト。やってくれ、やってくれ。



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2006年11月17日 (金)

『逆境戦隊バツ「×」〈1〉』(坂本康宏/ハヤカワ文庫JA)

 「ぎゃっきょうせんたい ばついち」ではない。「ぎゃっきょうせんたい[ばつ]」の一巻めということである。

 はっきり言って、おれはこういうの、大好きである。日本SF新人賞佳作『歩兵型戦闘車両OO(ダブルオー)』の完成されていないハチャメチャさと、えも言われぬもの哀しさが妙に気に入っていたおれとしては、坂本康宏がこの路線で攻めてきてくれるのは嬉しい。二作めの『シン・マシン』も嫌いじゃないんだが、シリアス路線とギャグ路線とのあいだで迷っているようなところがありありと出ていて、いまひとつノリきれなかった。その点、この『逆境戦隊バツ「×」』は、吹っ切れていてなかなかいい。

 一応、世間からは優良企業と認識されている「来見(くるみ)食品」に名目だけの研究職として勤めてはいるものの、出世とは無縁で、いままでの人生でもろくなことがなかった虐げられたモテないオタクが、コンプレックスをエネルギーに(?)赤いヒーローに変身し、どうやらその会社のヒット製品研究の影の産物であるらしい怪人と闘うのである。“戦隊”というからには仲間がいるわけなのだが、その“ピンク”のヒーロー(ヒロイン)も、やはり同じ会社の人事課のお局様で、昼は会社員、夜はSMクラブの女王様というややこしい女である。ネーミングセンスの悪い社長直々の命令で、なぜか戦隊ヒーロー「クルミレンジャー」に変身する能力を備えた彼らは、社運を賭けて怪人と闘うのだっ。

 なにやらどえらいことが起こっているというのに、渦中にいる人間たちはひたすら飄々として、強靭なまでの日常性からけっして軸足を離すことがないという点では、ある意味、北野勇作作品にも通じるところがあるのだが、坂本康宏の場合、そこに、もの哀しくもいとおしい情けなさを伴った強烈なコンプレックスが入ってくる。“自虐的感情移入”が非常にしやすい(しにくいという幸福な人もいるかもしれないが……)。粗さの否めなかった文章も、この作品では、自分流のレトリックのリズムを掴んだためか、さほど気にならず、むしろ味になってきている。坂本康宏には、ぜひこの路線で行ってほしいなあ。

 一巻めではまだ謎を残したままだが、かなりSF的にしっかりした仕掛けを用意していそうな気配あり。二巻めが大いに期待できる。



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唄えてしまう

♪長~い旅路の 航海終え~て 船が港に 泊~ま~る夜~
  右~のポッケにゃ 夢~がある 左のポッケにゃ チューインガム
  あ~あ~ 港町 十三番地~



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2006年11月16日 (木)

ビミョー戦隊

 画期的な戦隊ものを思いついた。その名も、「ビミョー戦隊ドレガドレンジャー」! ゆけ、ドレガドレンジャー! みんなの自由のために戦うのだっ!

ドレガスノウ! (シンボルカラー:FFFAFA ■)
ドレガアイボリー! (シンボルカラー:FFFFF0 ■)
ドレガコーンシルク! (シンボルカラー:FFF8DC ■)
ドレガミントクリーム! (シンボルカラー:F5FFFA ■)
ドレガシーシェル! (シンボルカラー:FFF5EE ■)

※よいこのみんなへ、ドレガドレンジャーからのおねがい
  テレビはあかるいところで、がめんからはなれて見てね。それから、ヒーローせんたいは、なるべくセーフカラーで作ろう。



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2006年11月15日 (水)

『オリジナルベスト50~悲しき口笛,川の流れのように』(美空ひばり/コロムビアミュージックエンタテインメント)

 母が美空ひばりのファンなので、ボケ防止にDVD/CDデッキの使いかたを覚えさせるには、これくらいの強い動機がなくてはならないだろうと買ってやったのだが、じつのところ、半分くらいはおれ自身が欲しくて買ったのである。うちにはシェイクスピア全集やら夏目漱石全集やら坂口安吾全集やら筒井康隆全集やらがあるわけだから、なにはともあれ、歌謡曲好きとしては、一応、美空ひばりの代表作くらいは所有しておかねばなるまいと、にわかに一念発起して投資したのだ。天才の仕事はとりあえず手元に置いておき、いつでも触れられるようにしておきたい。メジャーなものはしっかり入っているから、美空ひばり決定版として持っておくにはお手ごろなベスト50だ。すぐに全曲 iTunes に取り込み、このところ美空ひばりを集中的に勉強(?)しているのであった。

 あまりの灰汁の強さに辟易する部分もないでもないし、おれは美空ひばりというキャラクターがそれほど好きではないのだけれども、歌手としては文句なしにすごいのだからしようがない。おれが美空ひばりという歌手を知ったのは、ちょっと変則的だが、「真っ赤な太陽」であって、子供のころは箒のマイクを持ってしょっちゅう歌っていたものである。箒を持つとおれは美空ひばりになり、算盤を持つとトニー谷になっていたのだ。

 おれはどうも演歌というやつが大嫌いであって、「悲しい酒」なんかはほとんど評価しない人なのである。だがやはり、ひばりが歌うと“演歌ですら”なかなかよいものに思えてくるから癪に障る。基本的におれは、美空ひばりという人は、ジャズ歌手・ポップス歌手として認識している。“演歌も唄う人”といった感じだ。三つ子の魂百までなのだ。

 おれ的に順不同でベスト10を選ぶとすれば、「東京キッド」「私は街の子」「リンゴ追分」「お祭りマンボ」「港町十三番地」「車屋さん」「柔」「真っ赤な太陽」「愛燦燦」「川の流れのように」といったところかなあ。比較的初期のが好きみたいだ。「東京キッド」や「港町十三番地」みたいなのは、いまの時代には絶対出てこないノリの世界だよなあ。それだけに貴重な、昭和の一ページを飾る名作だと思う。「車屋さん」なんて、和風ガーシュイン(言ってることが自分でもよくわからん)かと思うよな。

 もう少し長生きしてくれて、“TAK MATSUMOTO featuring Hibari Misora”とかを聴かせてほしかったものだ。この歳になっていまさらながらに新鮮な思いで聴いているのだが、いやホント、いいすよ、美空ひばり。



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2006年11月10日 (金)

消えた“ちりめんタコ”

 おれにとっての小さなしあわせとは、「ちりめんじゃこの中に小さなタコが入っているのを見つける」ような喜びだと幾度も書いてきた。事実、おれはもうすぐ四十四歳になるが、それだけの人生経験を経たいま、しみじみと思うのは、やはり人生とは、ちりめんじゃこの中に小さなタコが入っているのを見つけるための日々以外のなにものでもないのだということである。

 しかし、だ。おれは最近、どえらいことに気づいた。近ごろのちりめんじゃこには、めったにタコが入っていないではないか! むかしのちりめんじゃこは、紙袋に入れて売ってくれたもので、まあ、そこそこの確率で小さなタコが入っていた。おれの親は、身体によいからと、子供のおやつにしばしばちりめんじゃこを食わせていたものだから、ちりめんじゃこは“お菓子”の一種だというイメージが、おれからはいまだに脱けない。そのちりめんじゃこのおやつの四、五回に一回くらいは、かわいいタコが入っており(おれはそれを「ちりめんタコ」といまでも呼んでいる)、おれはそれが楽しみでしかたがなかった。“あたり”のような感じがしたのだ。だものだから、おれにとっての“小さなしあわせ”という抽象的なものの表象は、この歳になっても、いまだに“小さなタコ”なのである。まあ、人間なんてそんなもんだ。

 ところが、最近のちりめんじゃこときたら、透明フィルムで作ったような袋にきれいにパックされて売られていて、これまた、じつにきれいに質が揃っている。タコやらエビやらといった異分子は、めったなことでは入っていない。寂しい。じつに寂しい。いつのころからか、店で売られている食いものは、野菜だろうが魚だろうが、気味が悪いほどにきれいきれいで、形も整っているようになってしまった。曲がっていないキュウリなんて、どこか悪いのではないかとすらおれには思えるのだが、どうも現代では、キュウリにはまっすぐであることが求められているらしい。ちりめんじゃこからタコが排除されているのも、おおかた近年のそうした世間一般の嗜好が反映されているからなのだろう。自然が恵んでくれるものに、まるで工業製品のような均質性を過剰に求める歪な嗜好を現代日本人は育んでしまったのだ。

 ああ、タコよ、タコよ、小さなタコよ、おまえはいったいどこに行ってしまったのだ? なに? そんなに小さなタコが食いたいのなら、消費者の声に敏感なわが社が、小さなタコばかりをきれいにパックした「ちりめんタコ」を企画するから、発売されたら思う存分食えって? いや、おれの言っているのは、そういうことじゃなくってですね……。



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2006年11月 9日 (木)

ブッシュ大統領に捧げる歌

 ♪あひるんるん、あひるんるん きみたーちは
  もうじき終わりさ あひるんるん るんるん
  クェックェックェッ、クワックワックワッ
  あひるのブッシュ



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竜巻はじめました

ニュース特集 > 竜巻・強風被害 (asahi.com)
http://www.asahi.com/special/061107/

 マスコミは北海道佐呂間町で七日に発生した竜巻に関するニュースで持ちきりだ。いやしかし、おれも驚いたね。日本でこんなことが起こるとは、まったくもって自然というやつは怖ろしい。家やら車やら人やらが吹き飛ぶような竜巻なんてものは、おれにとっては常に外国で起こるものであって、遠いイメージしかない。連想するものが、『オズの魔法使い』くらいしかない(『赤胴鈴之助』ってのはちょっとちがうよな)。きわめてイメージが貧困である。たいていの日本人はそうだろう。日本でときどきニュースになるのは、せいぜいが“大きいつむじ風”だったのである。

 これからは、日本人も竜巻を“リアルな脅威”として考えてゆかねばならないのだろう。地球全体の気候の変化がめぐりめぐって影響しているのだとすれば、日本の思わぬところで、思わぬ規模の竜巻が、今後も突如発生したりするのかもしれない。日本は、よくもまあこれだけ揃えたなと思うほどの、自然災害の総合商社みたいな国ではあるが、竜巻だけは真剣に考えなくてもよかったんだけどなあ。これからはそうも行くまい。

 しかし、備えようったって、個人では備えようもないわなあ。万が一、大阪のオフィス街を歩いているときなどに竜巻が発生した場合、どこへ逃げるのが安全だろう? やっぱり、地下かな?

 おれたち日本人は、建物を見ると、まず地震に強そうかどうかを考えるものである。正確かどうかは別にして、「なんか地震に弱そうだなあ」くらいの見積りは、常に無意識にでもしている。だが、建物を見て、それがどのくらいの竜巻に耐えられるかなんて感覚は、まったくない。「ああ、あれくらいの竜巻なら、このビルは大丈夫だよ」なんて感覚がない(まあ、多くのアメリカ人だってないと思うが……)。とりあえず、地下にでも逃げるしかないではないか。

 ありそうにもないことでも一応考えてしまうのがSFファンの性というものだが、たとえば都会のオフィス街を竜巻が襲った場合、最も怖ろしいのはなんだろうと考えてみると、おれはやはり、地震と同じでガラスではないかと思う。竜巻でビルが倒壊するようなことはそうそうないだろうが、ガラスが破れるくらいのことにはなるだろう。とすると、都会の竜巻は、大量のガラスの破片の旋風となって襲ってくるわけで、アメリカの田舎で起こるようなものとは、まったく異なる性質の脅威になるのではなかろうか。

 台風が正規軍だとすると、竜巻はゲリラみたいなもので、そういう災害に対しては日本は弱そうだしなあ。今後、あんまり増えないことを祈るよ。



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2006年11月 7日 (火)

うしろから前から

 電車に乗るといまだに悩むのだが、はたして、補助イスに座るときには、進行方向を向いて座るのと、進行方向に背中を向けて座るのとでは、どちらが安全なのだろう?

 まず、考察を進めるにあたって、用語を定義しよう。いちいち口幅ったい表現をするのが面倒くさいからである。ここでは、進行方向を向いて座るのを“正常位”、進行方向に背中を向けて座るのを“後背位”と便宜的に呼ぶことにする。

 おれは深く考えることもなく、なんとなく安心な気がして、たいてい後背位を取る。というのは、万一、電車が急ブレーキをかけても、多少頭を打つことはあろうが、まずイスから転げ落ちたりはしないだろうからである。正常位で居眠りでもしていた日には、急に減速したら、額から床に激突しかねない。しかねないどころではない。おれはまさにその光景を目の当たりにしたことがある。あれは痛そうだった。一方、電車が突然発車したり、走行中に急激に加速したりすることはまずないから、後背位なら居眠りしていても比較的安全ではなかろうか。

 しかし、走行中の電車に迫る脅威というものは、それがなんであれ、多くは前方からやってくるにちがいない。後背位に潜在するリスクにも、無視できないものがあるだろう。とはいうものの、さまざまな脅威と事象の発生確率を総合的に評価するとした場合、やはり後背位のほうに分があるように思われてならない。

 この問題はまあアレだ、おれにとっては、“カレーライスの対称性の破れ”と同じくらい気にかかる難問なのだった。



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2006年11月 5日 (日)

ウンコ宣言

 おれは母親と二人暮しであるが、わが家では、おれが大便をしにトイレに入る前には、「ウンコするで~!」と宣言してから入ることになっている。いまからウンコをするということを言挙げする、declare するわけである。

 なぜかというと、年寄りは尿意でも便意でも、とにかく突然催す。さっきまでしたくなかったのに、したくなったとなったら、とにかく我慢できないらしい。おれが大便をしている最中に母がにわかに小便がしたくなり、おれは尻を拭くのもそこそこに、尻に紙を挟んでズボンを上げ、急遽交替したということが何度かあった。

 年寄りの尿意や便意というのは妙なもので、それまでは忘れていたくせに、そこに意識が向くと俄然したくなるものらしい。たっぷり餌を与えたニワトリを腹を空かせたニワトリの群れに放ち餌を与えると、そいつは腹一杯のくせに、なにごともなかったかのようにほかのニワトリと一緒に餌を食いはじめるのだそうだが、まあ、それに似た現象が年寄りの尿意や便意にはある。

 おれとしても大便を中断されるのは非常に気持ちが悪いので、ニワトリの実験を参考にして(母には言わずに)、自分が大便をしようとする前には、母に「ウンコするで~!」と宣言することにしたわけである。

 「ウンコするで~!」
 「ええで」
 「ほんまに大丈夫やな?」
 「うん」
 「ほんまやな?」
 「……ちょ、ちょっと待って、やっぱりおしっこしとくわ」

 といったやりとりが、わが家では日常茶飯に交わされている。おれんちにはめったに客が来ることはないが、もし客がおってこうしたやりとりを聞いておったら仰天すると思う。今年四十四歳になろうかという息子がトイレのほうから突如大声で呼ばわるのだ――「ウンコするで~!」

 合理性を追求すると、なりふりなどかまっていられないということはあるものなのである。



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波動砲で撃て!

核保有論議:中川氏に発言自粛を要請へ 自民・町村派 (MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20061103k0000m010135000c.html

 自民党の中川昭一政調会長が核保有論議に関する発言を繰り返していることに対し、町村派は2日の総会で、中川氏に発言を自粛するよう要請する方針を決めた。連休明けに同派事務総長の中山成彬政調副会長を通して意向を伝える。総会では、森喜朗元首相が「核保有論議はいけない。そういうことを言うべきではないと(中川氏に)言うべきだ」と指摘した。

核論議容認発言:共産、社民も麻生外相の罷免要求 (MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20061105k0000m010045000c.html

 共産党の志位和夫委員長は4日、東京都内で開かれている「赤旗まつり」で講演し、核保有論議の容認発言をした麻生太郎外相について「内外から厳しい批判があっても発言を繰り返している。どうにも止まらないならやめてもらうしかない」と他の野党と連携して罷免を要求する考えを示した。

 おれは日本は絶対に核兵器を作るべきではないと思っているが、論議すらしてはならんという論理は、おれにはさっぱりわからないよ。あんたらは宗教家か? なにか絶対的なタブーがあって、それに触れないように事を進めてゆくから、必修科目の“履修させ漏らし”みたいな問題が起きるのではないか。

 ここで麻生氏や中川氏に、僭越ながらアドバイスしたい。「核」と言うから話がややこしくなるのであって、ここはひとつ「日本は波動砲を開発すべきか?」という問題提起にしておいてはどうだろう? あれなら、いわば“時空兵器”であるからして、核とは関係ない。まあ、核エネルギーを使わない兵器であれば、重力波レーザーだろうがかめはめ波だろうが、なんだってかまわないのだが、広く人口に膾炙しており、イメージが掴みやすい波動砲がよかろう。

 そうすれば、「核」という言葉にまとわりつくいろいろなしがらみが払拭され、「日本は、圧倒的な破壊力を保有するという国防戦略を採るべきか否か」と、議論のエッセンスがわかりやすく浮かび上がるかもしれない。

 明日、麻生氏や中川氏が、「波動砲保有論議を容認する発言」を本気ではじめたとしたら、“核はとにかくタブー”という理由を掲げて言論の自由を圧殺しようとしている人々はどう出るだろうね?



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2006年11月 4日 (土)

Web 2.0 的ビジネスモデルの祖先

 いわゆる“サラミ法”を合法的にやれば、それは現代では“Web 2.0 的ビジネス”と呼ばれるのである。

 そう考えると、散在している細切れの価値を集積・可視化して金にするというビジネスモデルの遠い祖先は、一九六○年代にすでに出現していたと言って言えないこともないだろう。ちょっと強引だけど。



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2006年11月 1日 (水)

銭の花は清らかに細かい

 最近世間を騒がせている“バラバラ紙幣”事件なんだが、どうも、やることが中途半端で面白くない。

どうせなら、粉末にして撒けばいいのに。

 それだと世間は騒ぎませんかそうですか。



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像を踏んでも壊れない

ゾウ「鏡に映った姿、自分と認識」 米研究チーム確認 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/news/JJT200610310003.html

 米エモリー大学の研究チームは、ゾウも鏡に映った姿を自分であると認識する能力を持っていることを確認したと発表した。30日付の米科学アカデミー紀要(電子版)に研究論文が掲載された。鏡映認知と呼ばれるこの能力は、人間以外ではサルやイルカで確認されており、動物の知能を測る手掛かりにされている。ゾウもこの能力を持っているのではないかとみられていたが、確認されたのは初めて。(時事)

 こういうのを鏡象と言うのにちがいない。

 いやまあ、それはともかく、ゾウが鏡に映ったゾウをゾウ認識しているかなんて、ゾウやって調べたのだろう? サルやイルカだって、そう見えるようにふるまっているだけかもしれず、ほんとうに鏡像を自分であると認識しているのかどうかわかったもんではない。というか、おれが鏡像のおれをおれと認識していることをおれは知っているが、ほかの人はどうなんだか、おれには“確認”のしようがない。どういう実験をしたのか、興味をそそるなあ。

 ほかの人のことは知らんが、おれに関して厳密に言えば、おれは鏡の中のおれをおれだと思っているわけではなく、おれの像だと思っている。これらの賢い動物の場合、もしかしたら、鏡像を“自分の延長”だと思っている可能性もあるわけだ。動物が鏡像を“自分とは別のものだが、自分と同じにふるまうもの”と思っているのか、“自分の身体のようなもの”だと思っているのかを、どうやって区別したのだろう? 鏡像に危害を加えようとしたときにどうふるまうかとかを調べたのかなあ?

 人間でも、いや、人間だからこそ、そっくりの双子などは、案外、心の深いところでは、お互いを“鏡像”だと思っている部分があったりするんじゃなかろうか? あ、そういえば、マナカナって、自分たちは二卵性だとさんざん言ってきたのだが、テレビ番組の企画でDNA鑑定したら、ほぼまちがいなく一卵性だったんだってね。本人たちも驚いていた。二卵性にしちゃ似すぎてるとずっと思ってたんだよ。

 鏡ってのはほんとに面白い。そもそも“意識”というもの自体が、鏡映認知的な情報処理の産物みたいな感じもしないではないよな。



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今月の言葉

子供にウケる核手品

 『親子で楽しむ核実験』もおすすめ。必ずおとなの人といっしょにやってね。



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