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2006年9月25日 (月)

生活者にあらざる者

 “生活者”という不思議な言葉がある。いや、海外生活者とか給与生活者とか、頭になにかがつくのであればなんの違和感もないのだよ。おれが子供のころから奇妙だなあと思っているのは、“生活者”が単独で使われる場合なのだ。「われわれは生活者の立場で、この弱者切り捨て政治を……」とか言う場合のことである。

 そもそも、生活していない者が、いまここでこうして話に加わっているはずもなく、文字を読んでいるはずもない。おれはいまだかつて、生活者の立場にない人とコミュニケートしたことはない。

 “生活者”の対義語はなんになるのだろう? “死者”か? いや、そうじゃないよな。“死者”の対義語は“生者”だろう。“死滅者”かな? でもないよな。“活”の反対は“滅”じゃないだろう。“滅”の逆は“盛”だと思うな。

 となるとやはり、“生活者”の対義語は“死活者”が妥当だと思われる。「わたしたちわぁ~、生活者の立場でぇ~」と駅前で演説しているどこぞの政党の人の陸橋を挟んだ向かいがわで、「われわれわぁ~、死活者の立場から~、生者と死者の格差社会を~、断じて許すことができないのでありまーす!」と生活者に負けじと力んで声を張り上げている人の腐りかけた右の眼球が土で汚れた包帯のあいだからぼとっと落ちてころころとおれの足元へ転がってきたら厭だな。



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