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2006年9月 5日 (火)

『冬至草』(石黒達昌/ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 2003年8月2日の日記で、こんなことを書いた――

 おれが渡辺淳一が少々特殊だと思うのは、医者としてのものの見かた、人生観、女性観等々を、純文学とさほど変わらぬトーンでエンタテインメントに持ち込んでいる点である。むかしは、科学者が小説を書くといえば、SF以外では、科学的ディテールを小説に持ち込むという印象があったと思う。医者であれば、医学的ディテールや医療現場の実情などが出てくると「さすがは医者」と喜ばれただろう。なぜか、科学者には、小説の中核ではなく、ディテールに専門知識を発揮することが暗黙裡に期待されていたような気がするのである。つまり、科学者としてのものの見かたは、小説の中核とも人間の描写ともあまり関係がなく、細部の説得力を増すためにのみ発揮されるはずであるという、不可思議な了解があったように感じられるのだ。科学や技術の描写そのものが、人間の営為の描写として通用する書きかたもあるはずなのにである。渡辺淳一は、医者である作家が専門知識をディテールにこちょこちょと使ってみせるというのではなく、作家である医者が、医者としてのものの見かたそのものを小説の中核に据えて、純文学としてもエンタテインメントとしても表出し得ることを意識的に示した作家であろうと思う。

 石黒達昌はまさに、「科学や技術の描写そのものが、人間の営為の描写として通用する書きかた」をする作家である。本書のアオリには“理系小説”という表現が用いられているが、おれはあんまりこの言葉が好きではない。なぜかというと、これも上述の日記に書いたとおりだ――

 なぜ科学者の中で医者だけが、文学などに手を染めても違和感のない存在として古くから認知されていたのか? おそらく、むかしは、そこいらへんのふつうの人々にとって、ふつうの人生に関わる科学者、ふつうの生活に関わる科学者は、医者だけだと思えたからであろう。ところが、衣食住はもとより、日常生活のあらゆる側面に科学技術が有機的に組み込まれた社会になってくると(一九八○年代以降、この現象は急激に加速され進行した)、もはや科学技術を描くことなしに“いま・ここ”の人間を描くことが不可能になってくる。いや、可能ではあるが、科学技術をわざわざ回避して現代の人間を描いたとしたら、むかしとは逆に、まるで異世界ファンタジーのような薫りがついてしまうことだろう。ファンタジーを書くつもりで効果を狙ってそうしているのなら問題ないが、狙わない効果が出てしまったら、それは喜劇的ですらある。

 つまり、石黒達昌の“理系小説”は、現代の小説としてごく自然なものだとしか思われないのである。むかしの小説が“文系”偏重であったにすぎない。グレッグ・イーガンテッド・チャンの作風が如実に示しているように、科学や技術の先端的な領域は、文学こそが取り上げるべき領域とすっかり重なってしまっている。

 こうした“文理一如”であるが“あえてSFのフォーミュラで書かない”領域に、“文系”側から飛び込んだのが日野啓三池澤夏樹であったとすれば、“理系”側から飛び込んだのが、増田みず子別唐晶司、そして石黒達昌なのだろうとおれは思っている。そのちょうど境目に真上からいきなり落ちてきたのが川端裕人なのかもしれない(?)。石黒達昌の淡々と乾いた文体は、おれにはとくに増田みず子に似ているように感じられる。増田みず子にハードSFを振りかけてフリーズドライにすると石黒達昌ができあがるといった感じだ(好き勝手言うとるな)。

 それはともかく、上述の日記で川端裕人について書いたように、おれには「SF作家になってほしくはなく、SFのためにはぜひそばにいてほしい作家」が何人かいて、石黒達昌はまちがいなくそのひとりなのである。じつは、本書が《ハヤカワSFシリーズ Jコレクション》から出たことに、おれはちょっと複雑な思いを抱いている。好きな作家がJコレから出たということは掛け値なしに嬉しいのだが、二十年、三十年前ならいざしらず、いまなら石黒達昌の作品は、あえてSFのフィールドに引っぱり込まなくても、十二分に通常小説として通るはずだ。というか、こういうものが現代のふつうの小説として通らないようでは困る。小説とは、それくらい自由なものであってほしい。もはや、“スリップストリーム”という言葉すら使いたくない。じゃあ、なんと呼びたいかというと、おれひとりが以前から勝手に言っているように“一般主流文学”と呼びたいのである。

 旅館の屋根に転がったハチの死骸ひとつにあーだこーだと御託を並べるようなもの“だけ”が小説だと思っている人は、ウランを含む土壌に生え、人間の血を養分として妖しく光る植物に魅せられた男の話に、小説の大いなる自由を味わってほしい。



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コメント

で、どげなおはなし。冬至草。

投稿: himeno | 2006年9月 6日 (水) 05時34分

 六編入った作品集なんですが、表題作が「冬至草」。これが「ウランを含む土壌に生え、人間の血を養分として妖しく光る植物に魅せられた男の話」です。もちろん架空の植物なんですが。架空といっても、“たまたま現実に存在しないだけ”という意味の架空であって、ドキュメンタリーだと騙して読ませれば、信じちゃう人がけっこういるかもしれません。

 こういう架空の動植物、架空の病気などをめぐって、人間のことを中心に書かずに人間を直接書くより人間を書いてしまうというのが、この作家の得意とするところです。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年9月10日 (日) 01時47分

かくうっていうことは、かこのこともかくうですし、そういう意味ではみらいものもれきしものもおなじですね。とうじそう、とよみますか。久留米図書館にはなかったなあ。

投稿: himeno | 2006年9月10日 (日) 14時29分

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