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2006年8月の35件の記事

2006年8月31日 (木)

英語教育のハコモノ行政

小学校の1割に外国人配し、英語教育充実 文科省方針 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0829/003.html

 小学校での英語教育を充実させるため、文部科学省が、来年度から、全国の国公私立小学校の約1割にあたる約2400校をカバーする外国人指導助手(ALT)を配置するなどの取り組みを進める。同時に、指導方法や教材などを盛り込んだ総合サイトを同省が開設し、教員に情報提供する方針だ。

 文部科学省は、どうしても無茶をしたいらしく、中央教育審議会など存在しないかのように、とにかく既成事実を作るための画策に躍起になっているとしか思えない。文部科学省の役人だか、その尻を叩いている政治家だかには、英語のできない人がよっぽど多くて、コンプレックスの塊になっているのではないかと勘繰りたくもなるほどである。この件に関してはおれもさんざん茶化してきたが、鳥飼玖美子氏が『危うし! 小学校英語』(文春新書)で展開している意見にほぼ全面的に同意するものである。

 だいたい、どうして「全国の国公私立小学校の約1割」などというハンパなはじめかたをするのさ? 公教育の機会平等の建前はどこへ行った? 単に英語を話す国に生まれただけの教育の素人や、単に英語ができるだけの教育の素人をかき集めて、とにもかくにも一部の小学生だけにあてがう気か? 要は、“外国人という名のハコモノ”をとにかく数だけ揃えて放り込もうという、おなじみのお役所的発想以外のなにものでもない。しかも、ALTはあくまで“日本の英語教育”の補助者にすぎない外国人だ。英語教育に於いて主たる役割を担う日本人のちゃんとした教員を一朝一夕に調達できるのか? 「アイ・アム・アップル!」を、あっちこっちでやらせるつもりなのだろうか? おお、そうだ、じつはあれからおれは、"I am Apple."という文章が正しく成立するケースを一例だけ思いついた。そう、スティーブ・ジョブズが言っている場合だ。残念なことに、たいていの小学生はスティーブ・ジョブズではない。

 こうまでして、おかしなALT(まあ、まともな“教師”としての能力・資格を持った人もいるにはいるだろうが)に英語を教えさせるくらいであれば、小学生にはただただ『セサミストリート』を観せておくほうがよっぽどためになると思うのはおれだけだろうか? 妙な吹き替えの入ったやつではない。二か国語放送なんかなかったむかしのように、ひたすら英語だけで流していた『セサミストリート』を観せておけばよい。ヘンなALTにやらせるよりよっぽどいい。

 こんな無茶なことがどんどん進行してゆくとすると、そのうち「わが子が日本の公立校での愚にもつかない英語ごっこにつきあわされるのが厭だから、インターナショナルスクールに入れたい」などという親が激増するのではあるまいか。



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2006年8月29日 (火)

葉月里緒奈なら、化けて出てきてもいい

葉月里緒奈が海外映画祭初参加 (nikkansports.com)
http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20060828-81858.html

 17歳の時から1日1本見るほどの映画好きという女優葉月里緒奈(31)が、待望の海外映画祭に初参加することが27日、分かった。3年ぶりの映画出演作「叫(さけび)」(黒沢清監督、来年公開)がベネチア映画祭に特別招待され「一観客として楽しんできたい」と喜んでいる。同作は殺人事件をめぐり、現在と過去、死者と生者が交錯するミステリー。葉月は幽霊役で、役所広司演じる刑事を惑わせ、物語のかぎを握る。

 ををををををを! いいねいいね、待ってました、葉月里緒奈だ。しかも幽霊役とは、まるでおれの好みにあつらえたかのようである。洞口依子といい葉月里緒奈といい、黒沢清監督とはどうも女優の趣味(女性の趣味ではない、と思う)が似ているようだ。

 とっとと日本でも公開してほしいな。というか、なかなか映画館に行けないから、ネットでやってくれ。タダでとは言わん。金なら払う。三百円とは言わん。千円くらいでもいい。なにしろ、葉月里緒奈を最後に観たのは、今年二月の『時効警察』だったから、かれこれ半年ほど観てない。新作が観たいねー。

 ところで、チャン・ツィイーの日本でのエージェントは葉月里緒奈の所属事務所だって知ってました? なんか、この事務所とも女優の趣味が合いそうだ。



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2006年8月28日 (月)

タイムマシンと俳句

 以前のエントリ「再帰的な出会い」(2006年4月13日)で、ウェブに文章を公開し続けていることで得られる、出会わざる出会いについての感慨を書いたが、最近また、おれのむかしの日記に目を留めた方が、面白い使いかたをしてくださった。

 姫野恭子さんとおっしゃる俳人の方が、おれに俳句をメールしてくださった。はて? たしかにおれには、ある種の方面では廃人にかなり近いと思われる知り合いはいないでもないが、俳句方面にはまったく縁はない。まさか、おれの名句「生きたまま 脳に届いて 殖えて効く」が、ついにまともな俳壇に評価されたのだろうか? そんなことは、むこう五百年くらいありそうにない。

 落ち着いてメールを読むと、姫野さんは俳句に「よぢおりる」という表現を使ったのだが、日本語として使えるものかどうか疑問を抱いたので「よじおりる」をウェブで検索してみたところ、おれの日記(1998年10月9日)がヒットしたということなのだった。で、「一番ほねのあるあなた様の文章を参照につけさせていただ」いたということなのである。

 いや、こんなアホ日記をずいぶんと格調高い文学的なブログに引いてくださって、なにやらこそばゆいのだが、ありがたいことである。八年前に書いた戯言を見ず知らずの方が楽しんでくださるのだから、まったくウェブというのは面白い媒体だ。長年、時系列に書き続けてきた日記でも、読む側からすれば常にフラットな“現在”のウェブ上にあるドキュメントなのだから、ちょっとしたタイムマシンのようである。どんな些細なことを書いても、いつか、どこかで、誰かが、なにかのきっかけで探し当て、読んでくれる可能性が常に開かれているのだ。

 まあ、紙媒体だって本質的にはそうなんだけども、中身を検索する便はまだまだよくないよね。近い将来、紙媒体で出る本だって、ことごとく中身を電子的に検索できるようになるのはまちがいないだろう。それで紙の本が用済みになるとは思えないのだ。むしろ、消費者は自分の興味をそそる内容を持つ書物にずっと容易に出会えるようになり、紙の本がいまよりよく売れるようになるのではないかとさえ思っている。Google や Amazon がやっていることは、おれたちがふだん想像する以上に大きく世界を変えていっているのだろうな。



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2006年8月27日 (日)

インスタントストア開店

 手軽にウェブショップが作れる「インスタントストア」ってのをアマゾンがはじめたので、さっそく作ってみた。簡単にできるけど、ちょっと無愛想ですな。細かくカスタマイズはできるんだけど、面倒だから定食メニュー的機能しか使ってない。一応、本拠地の「A Ray of Hope」の出店という扱いにするので、店名は「[ショップ]財力が衰えるとき」とした。さしあたりは、本以外の、自分が持ってるものだけをおすすめすることにする。「おまかせリンク」みたいに自動的に出てくるものは別として、ショップという形にすると、自分が実際に評価したもの以外を宣伝するのは、なんか良心的でない気がするんだよ。まあ、そんなこと言ってるようでは儲からないだろうけど、人それぞれだしね。ま、いまのところ、ADSLのプロバイダ接続料プラスαくらいは稼げているので、たいへん助かっております。毎度ありぃ。



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切れの悪いマジック

 おれは月曜から金曜まで晩飯にはコンビニ弁当を食っているが、とても苛立つことがある。

 コンビニ弁当には、よく小袋で醤油やらソースやらの調味料が付いてますわなあ。あの小袋、“マジックカット”って書いてあるやつは、そちら側の端からなら、どこでも切れるはずなのだ。ところが、切れないときがある。濡れた手で切ろうとしてしまったときに、切れなくなることが多い。たいへんいらいらする。

 なんでもマジックカットというのは、その部分に微細な穴がたくさん開いていて、破くように力を加えると次々と穴が破れてゆき、すんなり切れるようになっているのだそうだ。理屈はわかるよ。でも、濡れているとうまく切れないというのが、いまひとつよくわからない。ちょっと不思議だ。

 想像するに、濡れていると、指と袋とが滑りあいながら袋に応力が加わるため、剪断力のかかる範囲が設計上の想定よりも広くなってしまい、微細な穴を繋いでいる部分が切れずに延びてしまうのではなかろうか。つまり、なまくらな鋏で切っているのと同じような状態になるのではないか。で、一度延びてしまうと、せっかくのマジックカットも、少なくともその部分では二度と役に立たなくなってしまうのだろう。

 ま、これはあくまでおれの推測なので、ほかにもっとエレガントな回答をお持ちの方、ご提案・ご教示ください。



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じゃんがじゃんが走る

 ええっ、今年の24時間テレビの百キロマラソンは、アンガールズが走っていたのか。全然知らなんだ。たしかに空気抵抗が小さいだろうから有利かもしれないが、あの体格で百キロも走ったら、溶けてなくなってしまうのではあるまいか。体内に蓄えられている脂肪があまりにも少なそうだ。ブドウ糖の点滴でもしながら走らないと、おっつかないんじゃないかなあ。少なくとも、見かけは丸山弁護士のほうが数段強靭そうだよなあ。もっともマラソンというのは、意外とひょろひょろした人が強かったりするんで、予想外の走りを見せてくれるやもしれんぞ。



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2006年8月26日 (土)

地球の裏方

 二十五日、夜十時ころ。愛で地球を救おうと工事中の人たち。大阪ビジネスパーク、ツイン21にて。

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 手塚アニメやってたころは、毎年わくわくと録画して観てたんだけどなあ。若い人は知らないよなあ。『海底超特急マリン・エクスプレス』という、手塚ファンは涙がちょちょぎれるオールスター顔見世興行的名作は、この24時間テレビ用に生まれたのだ。ひいぃ、もう二十七年も経つのかよ。

 ♪Marine Express! Marine Express!
  Movin' down into the blue, the deepest blue
  On the Marine Express...



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2006年8月25日 (金)

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

冥王星外し、惑星数8に 国際天文学連合が新定義 (asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0824/028.html

 チェコのプラハで総会を開いている国際天文学連合(IAU)は24日午後(日本時間同日夜)、惑星の新しい定義案について採決し、太陽系の惑星を「水金地火木土天海」の8個として冥王星を惑星から外す案を賛成多数で可決した。冥王星は1930年の発見から76年で惑星の地位を失い、世界中の教科書が書き換えられることになった。

 「さて……今日はどうしました?」
 「なんとなく鬱なんです、先生」
 「誰でも気持ちが沈むときはありますよ。気持ちが沈みがちなのはなぜか、ご自分ではなにか思い当たりますか?」
 「自分でもよくわからないんですが……も、もしかすると人間関係じゃないかと思います」
 「ほぉ、人間関係ですか……。よかったら聞かせてください」
 「ずっと仲のいい友だちが二人いるんですが……最近、彼らと一緒にいると、なんとなく劣等感を覚えてしまうんです」
 「劣等感ですか」
 「いや、べつに私がそんなふうに感じる義理はないんだと頭ではわかっているんです。わかっているんですけど……。でも――でも、心の底では、やっぱりなぜか引けめを感じてしまうんです」
 「お友だちの態度に、最近なにか変化があったのですか?」
 「いえ、ないんです。というか、態度に変化がないからこそ、余計によそよそしく感じてしまうんです。ウランもネプツニウムも、私に気を遣ってくれているんだと思います」
 「じゃあ、これから何度かにわたってゆっくりお話を伺いましょう。今日はお薬を出しておきますから、きちんと時間と量を守って飲んでくださいね」
 「はい」
 「じゃあ、お大事に、プルトニウムさん」



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2006年8月24日 (木)

関敬六、逝く

「寅さんの親友」、関敬六さん死去 浅草舞台史彩る (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0823/002.html

 栃木県生まれ。大学卒業後、喜劇役者・榎本健一率いるエノケン劇団を経て、東京・浅草六区のストリップ劇場「フランス座」に所属。同期の渥美清、谷幹一とともにお笑いトリオを結成し、テレビ界の人気者に。解散後は浅草に「関敬六劇団」を結成し、浅草の舞台史を彩った。不器用ながら人間味あふれる演技で観客を沸かせ、浅草を代表する芸人になった。山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズでは、「寅さん」の親友のテキ屋役を演じた。ヒット曲に「浅草の唄(うた)」「商売繁盛」がある。

 ああ、もう再結成はないのか……。寂しい。

 なんの再結成って? スーパースリーだよ、スーパースリー! ♪コイルはでぶっちょ、ボヨヨのヨン、のスーパースリーに決まっておろうが。関敬六といえば、おれにとっては第一義的に『スーパースリー』のコイルなのだ。そりゃあもう、天本英世死神博士なのと同じくらい関敬六はコイルなのだ。しかし、こうして改めて絵を見ると、スーパースリーって、ゲッターロボに似てるな

 いつか三人で座談会とかやってほしかったのになあ……。

 寂しいので、今夜は『スーパースリー』のテーマソングを聴こう(って、ふだんもけっこう聴いてるけどな)。

 ラーーーーーリホーーーーーーーーっ!



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2006年8月23日 (水)

安めぐみのブログ

 何度も言うように、おれは安めぐみのファンではない。ファンではないのだが、ただ眺めていたい。娘のような感じである。断じてファンではない。ただ好きなだけである。殺されている当のおやじに自覚がないからこそ“おやじ殺し”などという評価があるのかもしれないが、まあ、当たらずといえども遠からずだ。「昭和の香りのするアイドル」と評されるとおり、おれが安めぐみに感じているものは、単なるノスタルジーなのかもしれない。まあ、いまの殺伐とした日本に、よくもまあこんなおっとりした娘が育ったものである。

 そんな安めぐみが最近ブログをはじめていて、「GyaO」の番組と連動してずいぶんプッシュしている。海千山千のブログの女王・眞鍋かをり姐さんがココログの広告塔であるとすれば、安めぐみは、ソフトバンクの息のかかった PlayNC Blog の広告塔という位置づけである。利発な野生児・眞鍋かをりと、天然ボケの癒し系・安めぐみは好対照だ。これに筋金入りのおたく不思議少女系の中川翔子のぶっ飛んだ物量ブログが絡んでくると、アイドルブログもなかなかどうして目が離せない。

 リッチなユーザ体験を売りとする PlayNCBlog は、ビジュアル的にはなかなか面白い機能を満載しているのだが、どうやら安めぐみ自身がまだ RSS フィードの機能を使いこなせていないようで、RSS が配信されていないのが珠に疵である。思い出したころにいちいち見にゆかなくちゃならないので、不便このうえない。安ちゃん、早く RSS フィードの機能を覚えてくださいな。いや、べつにおじさんはファンじゃないんだけどね。おれの部屋のカレンダーは安めぐみなんだけどね。なんか気になるよのね。いやファンじゃないんだ、断じてファンじゃありませんっ!

そしてね、インターネットを使うようになって
から行きたいお店を調べたり、探し物をしたり
、色々役立てているのですが、
なんかね、みたくないようなものまでも目にして
しまったり。
だから必要最低限しか使わないようにしています

そう、色々言われてしまう職業ですが、なので
分かってはいますが、
一つ言っておきたいのは、私年齢ごまかしてたり
鼻いじったりとかしてません(苦笑)

 かっ、可愛い……。そんなもん、インターネットでは日常茶飯事なんだから、笑ってやりすごせばよろしい、わが娘よ(って、いつのまに娘にしている?)。

 まあ、そんな噂の類など、慣れれば、眞鍋女王くらいに豪快にガハハハとやりすごせますから。がんばれ、めぇ――って、いやおれはファンじゃないすからね。ただ見ていたいだけでね。ファンじゃないですからっ!



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2006年8月22日 (火)

浪速のクイーン?

 おや?

 パソコンで QueenRadio Ga Ga を聴いていたら、イントロが進んでゆくうちに、なにやら唄い出さなくてはならないような気分が盛り上がってきて、身体がリズムを取りはじめた。な、なんだこれは? しかも、“唄い出さなくてはならないような”気になっているのは、Radio Ga Ga ではない。やがてフレディ・マーキュリーが唄い出すと同時に、おれの口をついて日本語の歌が飛び出した――「♪ベッドの まわりに なにもかも脱ぎ散らして……」

 いやあ、長いあいだ気づかなかったなあ。Radio Ga Ga のイントロは、おなじみ『探偵!ナイトスクープ』のテーマ曲「ハートスランプ二人ぼっち」(円広志)とそこはかとなく似ている。リズムといい、盛り上げかたといい、なんかこう、底に流れている“ノリ”が、『スター・ウォーズ』のテーマ曲と『スーパーマン』のそれくらいには似ている。実際、最初のほうは Radio Ga Ga の曲に乗せて「ハートスランプ二人ぼっち」が唄えてしまう(おれは「ハートスランプ二人ぼっち」を最後まで唄えないが……)。

 世間はとっくに知っていたのかもしれないが、おれにとっては大発見だったなあ。円広志は、クイーンにインスパイアされて「ハートスランプ二人ぼっち」を作ったのだろうか? 手元に Radio Ga Ga の音源がある人は、いっぺん試してみてください。ない人は、iTunes Music Store で視聴できます(要 iTunes )。



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2006年8月21日 (月)

あなたに似た人

妖怪そっくりコン 2人受賞、水木さんも絶賛 鳥取・境港 (Yahoo!ニュース < 毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060821-00000006-maip-soci

 「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家・水木しげるさん(84)の出身地・鳥取県境港市で20日、妖怪そっくり度を競う初のコンテストがあり、仮装部門は「子なき爺(じじい)」に扮(ふん)した男性、そっくりさん部門は「あかなめ」似の小学生女児が、最優秀賞に輝いた。審査委員長を務めた水木さんも「驚くほどそっくり」と絶賛していた。

 以前話題にした「妖怪そっくりコンテスト」の結果が出たようなんだが、あああのですね、“あかなめ”ってこれですよ。これに「驚くほどそっくり」水木しげる絶賛される小学生女児っていったい……。まあ、仮装部門はベースが似てれば熱意と技術でどうとでも似せようがあるんじゃないかとは思うのだが、そっくりさん部門ってのは“地”ですからなあ。まだ一年生の女の子だというが、けっこう肝が据わっているのだろう。“そういう方面”で人を楽しませることができれば嬉しいという、ある種の覚悟が幼くして具わっているのかもしれん。一度会ってみたいよ、このコ。

 案外、就職のときとか有利かもしれんぞ。履歴書に書ける。「第一回妖怪そっくりコンテスト そっくりさん部門最優秀賞受賞(あかなめ)」とか書いてあれば、平凡な資格やなんかが書き連ねてあるよりも、よっぽどインパクトがある。金太郎飴のような人材にうんざりしている採用担当者には、その捨て身のサービス精神が高く評価されるだろう。

 いやまあその、おめでとうございました……って言っていいのかな?



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〈月刊 ASCII(アスキー)〉2006年08月号「完全保存版 パソコン30周年記念特別号」(アスキー)

 いやあ、懐かしいじゃございませんか。一冊まるごとパソコンの三十年史を振りかえるという渾身の企画である。これは増刊号ではない。通常号でやっているのだ。というのは、〈月刊アスキー〉は、これを最後に“パソコン誌”を卒業し、ドメインを変えた新たな雑誌となる(報道によれば、ビジネス雑誌らしい)そうで、パソコン誌としての最後のけじめに、この企画を放ってくれたわけだ。むかし毎号買ってたころもあったけど、もはやたまに本屋で立ち読みをする程度で、すっかり疎遠になってしまっていた。休刊になるわけではないにしても、ひとつの時代が終わったという感じで、パソコンと切っても切れない商売で飯を食ってきた者としては、それなりの感慨がある。

 巻頭の「伝説のパーソナルコンピュータ100+」は写真をふんだんに使い、懐かしいパソコンたちの姿が拝める。中でも「モバイルの源流 プチDOSマシン」は懐かしい。「FMR-CARD」「Massif」「Quaderno」……ああ、あったあった。もちろん、名機「HP200LX」も、その雄姿が“プチDOSマシン”の中ではいちばん大きく載っている。というか、おれ、こいつを高機能電卓としてはいまだに愛用してますけど。

 「パソコン業界 あの事件を追え!」という記事では、調べるとなるとなかなかたいへんにちがいない業界三十年史のトピックがさまざまな切り口の年表でまとめられており、技術史的にもマーケティング的にも価値ある資料となっている。“完全保存版”と謳っているのは誇大な表現ではない。IT業界に身を置く人であれば、資料として持っておいて損はないだろう。

 付録のDVDも豪華。(1)2005年1月号~2006年7月号の特集を収録「特集まる読みPDF」(2)そのときどきの対立関係からみたPCの歴史「時代が見える対決特集 この4本!」(3)月刊アスキー定番の超人気技術解説連載記事を18本収録!「テクノロジー記事ベストセレクション」(4)24年分1万オーバーのニュースが見られる「ASCII Express ARCHIVES '77/07~'00/11」(5)iPod や iMac の登場の瞬間を見ることができる『「アップル社 取材ビデオ」お蔵出し!』が収録されている。とくに(4)は、パソコン関係のニュースばかりではなく、その年の主な出来事が添えられていて、時代の空気を思い出すのに便利だ。たとえば、「11月 東京・世田谷区の世田谷電話局近くで地下通信ケーブル火災。三菱銀行オンラインシステムなど電話約9万回線不通」という事件があった一九八四年の〈月刊アスキー〉6月号には、「パソコンの対ソ輸出規制」なんてニュースが出ている。時代だねえ。このころ、おれはなにをしていたかなあ……?

 おれたちみたいな年寄りがむかしを懐かしがるだけじゃなく、人生の最初からパソコンがブラックボックスとしてそこにあった若い人にも、ざっと歴史を知るのによい資料だと思う。



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2006年8月19日 (土)

日本半没

 現実というのは、SFほどきれいにはゆかないものだという気がしている。だもんだから、こんなことをふと考えた。

 めちゃくちゃに複雑な地殻変動が起こって、日本が半分だけ沈没するのである。各都道府県がなぜか半分だけ海に沈む。大きな湖なども、きれいに半分の容積・面積になるのである。そんな異変が突然起こったもんだから、日本の人口もきれいに半分になる。要するに、日本の規模があらゆる面で半分になってしまったら、いまと同じようなやりかたでうまくゆくのかという問題提起なのである。

 いきなり半分になるわけだから、現場レベルの多少の“カイゼン”では二進も三進もゆかないだろう。なにかプロセスそのものを再構築するような、大規模かつ抜本的なBPRが各所で必要になることだろう。当然のことながら、女性は男性並みに働かねばならないし、男性は女性並みに家事やら育児やら介護やらのメンテナンス労働をしなくてはならないだろう。

 一度、なんたら総研といったような、ちゃんとしたシンクタンクに、こうした“日本半没”のシミュレーションをきちんとしてほしいと思うのだ。たぶん“沈没”のシミュレーションをするより、ずっと難しいと思うし、ずっと有意義だと思うのだがな。


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『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』(タタツシンイチ/徳間書店)

 第7回日本SF新人賞受賞作品。これはもう、最後まで読むまでおれ以外の誰も気づかないだろうから伏字で書いておくと、『サイボーグ○○9』へのオマージュというか、『サイボーグ○○9』のパロディというか、そういうノリである。

 バブルが弾けず、そのまま歪んだ経済大国として日本が発展し続けている世界の二十一世紀の物語である。先進国はみなサイボーグ部隊を持っているのだが、日本だけはサイボーグ開発がうまくゆかず、西欧や中国の後塵を拝している。なぜかというと、サイボーグ部隊の強さの源泉は、テレパシーにも似た“共感能力”にこそあるのだが、この能力、西欧の言語で形成された脳でないとうまく使えないのである。日本語ネイティブの脳では、いくら頑張っても西欧人サイボーグほどの共感能力は得られないのだ。中国人は、ほとんど人格を破壊するほどの犠牲を払って、ロボットのようなサイボーグ部隊をどうにかこうにか作り上げている。まあ、連中は、ウラル・アルタイ語族だからね。日本人とは語族がちがう。

 この設定はなかなか面白い。IT業界の人間であれば、この設定にある種の皮肉を感じ取ることができるだろう。グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードに、どこをどうひねくっても馴染まないところが日本人の組織やビジネスプロセスにはあるもので、タタツシンイチはそこいらを意識しているのかなとも思う。どうやら、タタツシンイチも、規格の統一という作業に馴染まない日本人的な宇宙との対峙のしかたというものがあり、それは弱みでもあると同時に強みでもあると感じているのだろう。

 そこで日本人はどうするかというと、圧倒的なパワーを持つロボットを創るのである。このロボット「タケル01」が、アメリカのスター的存在である九人のサイボーグを赤子の手を捻るように屠ってゆく過程が、この作品読みどころである。面白いことに、九人のサイボーグの主要キャラクターには、ちゃんと人間としての背景を成すドラマがあり、それをなんの感情もない“圧倒的な力”のみの存在である「タケル01」が、こともなげに抹殺してゆくのだ。ステロタイプな日米対決を逆転している。かなり痛快であり、不気味でもある。

 劇画的なパワーがあって、楽しく読み進めることはできるのだが、やはり『サイボーグ○○9』という大きな枠組みを借りている点は無視できない。“いろもの”と言えば、“いろもの”なのである。新人賞応募作としては、大きなリスクを抱えている。それを日本SF新人賞に選んだ選考委員たちには、そのリスクを吹っ飛ばすなにかが見えたのだろうが、おれ的には、やっぱりこれはメジャーデビュー作としては“いろもの”的要素を拭えないと思う。たとえば、小林泰三のデビュー作が『ΑΩ』だったとしたら、ちょっと首を傾げるだろう。そんな感じなのだ。

 もっとも、ぐいぐい読者を引っぱってゆくパワーは文句なしにあると思うので、今後どういうものをぶつけてくるかが楽しみな作家ではある。『○○9』ばっかりやられても困りますからね。



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♪○月~は○○~でなにかもらえるぞ~

現代っ子、年120回のプレゼント 甘い祖父母 (asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0819/003.html

 現代っ子は年間120回、総額43万円のプレゼントをもらっている――。博報堂の調査でこんな結果が出た。両親や祖父母、他の親族ら七つの「金脈」をもつという。
 9歳以下の子を対象に調査。誕生日やクリスマスだけでなく、「頑張ったご褒美」「健康に役立つ」といった理由で、3日に1度は玩具や菓子などをもらっていた。

 し、信じられん! この調査、回数をひと桁まちがえてないか? い、いや、おれたちの基準では、仮に年十二回だとしてもめちゃくちゃに多い。月に一回だぞ。そんなアホなことがあるか。せいぜい、正月とクリスマスと誕生日くらいだったと思うが……。運がよければ、子供の日と盆休みになにか付くくらいのもんだ。「日本全国酒飲み音頭」じゃあるまいし、毎月なにかもらえるなどということがあるか。みんな花輪クンなのかよ!

 「頑張ったご褒美」って、あのなー! 三日に一度「頑張ったご褒美」がもらえてたまるものか。いつ頑張ってるんだ、それは?? これじゃあ、ろくな子が育たんと思うなあ。就職なんかしたくなくなるわなあ。三日に一度ボーナスくれる会社なんてないもんなあ。就職したくないもんだから、三十面提げてもずっとこの調子ってやつも、少なからずいるにちがいない。ああ、くらくらしてきた。小松左京が書いたのとはちがう形で、日本はすでに沈没してしまっているのかもしれない。



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2006年8月17日 (木)

プラネット・ダンス

太陽系の惑星、一気に3個増か 国際天文学連合が新定義 (asahi.com)
http://www.asahi.com/science/news/TKY200608160317.html

 一日経って、あちこちでSF者の知り合いが話題にしている。そりゃ驚くわなあ。子供のころから頭に刷り込まれていることが、この歳になって変わるかもしれないのだ。無意味な配列に関する人間の短期記憶は7±2個であるという認知心理学上の経験則、いわゆる“ミラーの法則”はよく知られているが、ただでさえ“ゆとり教育”のせいだかどうだかで科学民度がぐんぐん落ちているんだから、惑星が十個以上にもなったら、とても覚えられない若者が激増するにちがいない。日本がアメリカと戦争していたことすら知らない若いやつはざらにいるので、日常生活になんの関係もない(と思っていることがそもそもまちがっているけれども)太陽系の惑星のことなど、そのうち一部の知的エリートだけが独占する知識になってしまうのではあるまいか。

 「そんなアホな。そんなもん、インターネットでいくらでも調べられる」って、いやそんなことはない、調べようとしなければ、どれだけインフラが整っていようが、そんなものは積読にすぎない。要するに教育というのは、ある時点のスナップショットの知識量などといった些細なことが問題なのではなく、自分で自分を教育するための意欲と好奇心を植えつけられるかどうかが最大のポイントなのである。知らないことは知ればいいだけの話なのだが、知りたいとも思わないという点が最も深刻な問題なのだ。

 もっとも、意欲的な若者はいくらでもいるので、おれはそんなに心配してない。中川翔子がブログでこの話題に触れているが、感想がかなり的確なので非常に感心した。さすが、このコはギザアナドレヌス。セーラームーンが困るだろうなとは、おれも思ったよ。外側に追加されるぶんにはいいのだが、小惑星帯にいきなり新しいのが出現したりされては、設定が根底から崩れてしまう。まあ、二重惑星に関しては、冥王せつなにはじつは双子の妹がいて……みたいにしてしまえばいいか。

 さらに思ったのは、今回提案されたような惑星の新定義では、『重力の使命』(ハル・クレメント)のメスクリンみたいな星がほんとうに発見された場合、それは惑星なのか否か、ちょっと困りませんかね? 重力が充分強くても、なんらかの特殊事情で自転速度が異様に大きい場合、必ずしも「球状の形」とは認められない形で安定することは、可能性としてはあるんじゃなかろうか。



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巴投げ広告

 敵の本拠地を奇襲して、一気に叩くという戦法がある。

 かつて剃刀のジレットは、熊のような髭面がトレードマークであった元阪神タイガースのバース選手を広告に引っぱり出し、きれいさっぱり髭を剃らせてみせた。つるつるのバースの顔がでかでかと刷られた新聞一面広告には、日本中が度肝を抜かれたものであった。

 だから、故事に倣う手もアリだと思うのだ、メニコンさん、ジョンソン・エンド・ジョンソンさん。

 そろそろ彼女をCMに出演させるべきときではなかろうか――? “コンタクトレンズにした時東ぁみという衝撃的広告でライバルを出し抜きたいと思いませんか? おれが広告担当だったら、絶対考えるなあ。出演交渉は困難を極めるだろう。しかし、だからこそ広告効果も大きいというものだ。

 もっとも、ほんとうにそんなことをして、彼女の大ファンだという高見盛が社屋に体当たりしてきても、おれは知りません。高見盛、社屋のほうは任せた。その間に、おれは社長のほうを殴りにゆく。



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2006年8月15日 (火)

霊魂ならユビキタスでもいいじゃないか

 「個人情報の保護に関する法律」、いわゆる個人情報保護法が、個人情報を「生存する個人に関する情報」と限定せざるを得なかった最大の理由は、もし死んだ人の個人情報も対象にしたら、靖国神社がややこしいことになるからではあるまいか……などとたわけたことを考えてしまったバチあたりなおれである。

 小泉首相が参拝に行くの行かないのと騒いでいるけれども、無宗教で霊魂もなにも信じないおれからすると、なにを騒いでいるのか、実感としてはさっぱりわからないというのが正直なところだ。

 そんなおれとて、国のために死んだ人々に対して尊崇の念を抱いてはいる。今日、このようなけっこうな日本があるのは、その人たちのおかげでもあるということは忘れてはならぬ。が、おれはその“人々”に対して尊崇の念を抱いているのであって、霊魂だかなんだかわけのわからないものに対して抱いているわけではない。そもそも、靖国神社などという物理的な座標上の一点にすぎないところに、その人たちの霊魂だかなんだかがいるなどと、本気で思っている人がどれだけおるのか? おれは、霊魂だかなんだかにではなく、無念にも愛する者たちのために死んでいった“人々”に対して、八月十五日にはそっと心の中で感謝をする。文句あるか。それが敬虔な無宗教者の感謝・追悼のしかただ。みんなも神社なんかに行かずに、各自が家でそうすればいいのに。中国だろうが韓国だろうがそのほかだろうが、心の中にまでは入ってこられない。霊魂だかなんだかを信じている人たちが、特定の場所に行くの行かないのと、やたら物理的なことにこだわっているのが、おれには金輪際理解できないのである。

 とまあ、それはあくまでおれ個人の本音であって、他人がどこへ行こうと、おれがとやかく言う筋合いのものではない。小泉純一郎首相が八月十五日にどこへ行こうと、外国にとやかく言われる筋合いのものではない。

 それにしても、靖国神社だってせっかくウェブサイトまで立ててるんだから、たとえばこの神社みたいにウェブ参拝ができるようにしてくれれば、ややこしい問題が表面化しなくていいのに。半分以上本気で言っているんだが、靖国神社にウェブカメラを設置し、首相官邸から好きなときにパソコンで参拝できるようにしませんか?



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2006年8月13日 (日)

とにかく野菜を摂りましょう

 「コップ1杯で1日分の野菜」という商品にいろいろなサイズの容器があるのは納得できるのだが、「野菜一日これ一本」という商品にいろいろなサイズの容器があるのはいかがなものか――と、ふと思う夏の夜であった。ま、ツッコマれないように小さな字でいろいろ書いてあるんだろうけどね。ちなみに、おれは両方ともよく飲む。



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東京出張の楽しみ

 出張で東京に行く際、JRの浜松町駅で昼ごろに降りる機会があれば、たいてい駅構内にある「東京ブギ」というカフェで昼飯を食う。いや、じつはおととい食ったのだ。ここの“カリーライス”(カレーライスではない)が、やたらうまい。昭和三十年代くらいのレトロ調の雰囲気がウリの店だけあって、カリーライスもむかしの洋食屋さん風だ。面取りしたジャガイモやニンジンの大きな塊がごろんごろん入っていて、“食いで”がある。どうも近年はカレーと言えば本格的なインド風カレーばかり食っているおれとしては、たまーにここで食うこの“カリーライス”が、とても懐かしく、いい感じだ。日本風の“あのカレー”というのは、たいした発明だと思うのだな。八十年代あたりから、日本でもエスニック料理の店が爆発的に増え、本国風の料理が手軽に食えるようになったためか、カレーももはや、インド風の、ナンと一緒に食うようなものがメジャーになってしまった。あれはあれでおれは大好きであるが、子供のころに、特別なイベントなどのときに洋食屋さんで食った“むかしのカレー”が妙に懐かしくなるときがある。「東京ブギ」で出している“カリーライス”は、まさにそういうものだ。

 この「東京ブギ」、昨今流行のメイド喫茶のような演出もある。ウェイトレスさんたちは、ああいうフレンチメイドの格好をしている。厨房で野菜を刻んでいる女の子までが、そんないでたちだ。会計をしてくれる眼鏡っ娘は男装の麗人風ファッションで、秋葉原まで行かなくても、メイドと麗人執事が楽しめるお得な店である。四十代以上のおじさんは、浜松町でお降りの際はぜひお試しあれ。



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2006年8月12日 (土)

クラウドソーシング?

 「なあ、おかあちゃん、サンダーバード2号買うてぇな。コンテナが外れるやつ。中にちっちゃい4号が入ってるやつ」
 「あかん」
 「なあ、買うてぇな買うてぇな。みんな持ってるんや」
 「みんなは持ってへん」
 「みんな持ってるんや」
 「そんなことあらへん。そんならおかあちゃんが調べたる……ほら、みんなは持ってへん
 「…………」



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2006年8月10日 (木)

おれよりくだらないやつを探しにゆく……

 「私のハートはストップ猛暑」などというくだらないことを言っているやつが、おれのほかにもいたなんて……。く、くだらねー。しかし、ちょっとくやしい。なんと世間は広いことか。



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2006年8月 9日 (水)

私のハートはストップ猛暑

マナティー、ニューヨーク州で目撃情報 (asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0808/012.html

 それはマナティーじゃなくて、マナティーにそっくりなカナティーを見まちがえたのでは? などというネタは誰もが思いつくだろうからそこそこにしておくとして、もしかすると、あまりの暑さに川で泳いでいた近所のおばちゃんだった……なんてオチじゃないでしょうな?

 いや、おれも、電車の空いている席めがけて突進してくるジュゴンの大群をよく目撃するからさあ。ひょっとすると、セイウチだったかもしれないけど。



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2006年8月 8日 (火)

狂った朝の光にも似た

 ふと、橋本さんのことを思った。橋元さんでもいい。もしかすると、ある程度の年齢以上のハシモトさんには、子供のころにこんな替え歌で囃し立てられた共通の体験があるのではないかと、突如思い当たったのである。

♪ハシモトに~ からみ~つく~ 赤い波を~ 蹴って~

 おれの思い込みではないかとも思うのだが、たぶんそうだ、きっとそうだ、絶対そうだ。そして、大人になったいまも、ハシモトさんは全身にからみついてくる赤い波の夢を見てうなされたりするのではなかろうか。今宵は全国のハシモトさんのささやかなしあわせを想い、焼酎飲んだら屁ぇこいて寝よ。



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2006年8月 7日 (月)

意識の下の映像

 あっ。そうだ、そうにちがいない!

 いや、オシム監督の立居振舞いは誰かに似ている――と、ずっと気になっていたのだ。誰だっけ、誰だっけ? なにやら、おれの人格形成上、非常に影響のあった人物だ。何度も何度も会っているような気がする……。前意識のあたりまで浮かんできているのだが、いつもいま一歩のところで意識化できないのだった。

 いま、やっとわかった。

 刑事コロンボそっくりではないか!



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合併症?

 おなじみ「ヘンな検索語」の時間がやってまいりました。このブログを検索エンジンで見つけた方が検索に使った奇妙な言葉をご紹介する人気(?)コーナーでございます。

 さて、今日の検索語は――

「巨大眼鏡っ娘」

 いったい、この人はなにを探していたのでありましょうか? いずれにせよ、とても業の深い方のようでございます。二重苦とでも申しましょうか。この世に“巨大女フェチ”なるものが存在することは存じております。眼鏡っ娘フェチは大勢存じておりますし、なにを隠そう、べつに隠すつもりもないのですが、ワタクシもそのひとりでございます。しかし、“巨大眼鏡っ娘”となると、これはまあじつに、特殊な趣味としか言いようがありますまい。

 なんだか、文体が少しヘンなのですが、あまりのことに衝撃を受けておるのでございまして、人間というものはまこと業の深い生きものであるなあと、ワタクシ少なからず感動しておるのでございます。ひいぃ。



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「ありがとう」と「ありえない」

 「ありがとう」という言葉がある。これはまあ、誰もがご存じのように、「あなたが私のような者にこのようによくしてくださるなどということは、まったくもってふつうでは考えられないほどに発生する蓋然性が低いことである。また、そのあなたのような人が私に関わってくださるという巡り合わせそのものもきわめて稀なことであり、いまここで私を巡るすべてのことどもが、現実に発生するとはとても考え難い、“在り難い”ことである。私はなんと運のよいしあわせ者であろうか」といった意味だ。これほど奥ゆかしい感謝のしかたをする言語がほかにあるかどうかはよく知らないが、それにしてもこれは、驚くべき宇宙的な感謝のしかただと思う。「ありがとう」という言葉を聞くたび、量子論的な多世界解釈といったものがちらとおれの脳裡をかすめる(そんなオーバーな)。

 それはともかく、今日風呂の中でこの「ありがとう」という言葉に思いを馳せていたところ、「ありえない」「ありえねー」という現代の若者言葉と構造的にまったく同じであることに気がついた。「えーっ、ケータイ、トイレに落としたの? ありえねー!」などというふうに使う、あの「ありえない」である。

 「ありがとう」も「ありえない」も、蓋然性の低い事象が自分を巡って発生したことに伴う感情を表現しているわけだ。「ありがとう」のほうは、発生確率の低い事象が分不相応にも自分の身に起こったことに伴う感謝の念を表出したものだが、「ありえない」のほうは、発生確率の低い事象が不当にもわが身を巡って起こったことに対する驚愕あるいは不満を表出していると考えられよう。つまり、端的に言うと、「ありがとう」には、基本的に私などという人間は苦しみ軽んじられ蔑まれて生きていて当然という認識があり、「ありえない」には、私という人間はそれなりに尊重され、世界は基本的に私の思惑どおりに回って当然という認識があるわけである。私という人間を巡って発生する蓋然性の低い事象を、基本的にどのように感じるかで、「ありがとう」になったり「ありえない」になったりするのだ。

 言葉を発する背景の構造が同じなのだから、そのうち、未来の日本語では、もしかすると両者が渾然一体となり、「ありえない」が感謝の言葉とならないともかぎらない。未来の日本人は、川で溺れたわが子を助けてくれた通りすがりの人に対して、「ああ、あなたはうちの子の命の恩人です。ほんとうにどうもありえねー」などとありがた涙にかきくれているかもしれない。なんか、おれは厭だけど。「ありえのう」などという感謝の言葉さえ生まれているかもしれない。

 ……などとくだらないことを考えていると、ふと、うちで使っている洗濯用の洗剤が「アリエール」だということを思い出した。これなんかは、汚れの落ちかたに驚きがないようなネーミングではなかろうか。「まあ、大方の予想どおりに汚れが落ちたな」みたいな感じである。競合商品のネーミングをするなら、「アリエネー」というのはどうだろう? 「とても落ちないと思われるような汚れが落ちる!」といったイメージで、たいへん競争力があると思うのだがどうか。

 あっ、そうか――。いま、SFの新しい定義を思いついた。SFというのは、「ありえない」ことを書いて「ありがとう」という認識や感情を励起する文学なのだ。どうですかね、この新定義?



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2006年8月 6日 (日)

ものぐさな男のゴールドブレンド

Coffee 焼酎を飲んだあとコーヒーが飲みたくなったのだが、洗いものを増やすのが厭なので、焼酎カップでコーヒーを飲んでみた。ちょっぴり新鮮。







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2006年8月 5日 (土)

ぶりぶりざえもんは出ないのか?

「ダイ・ハード」4、サイバーテロに挑む 来夏公開 (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0804/001.html

 米映画大手20世紀フォックスは、人気アクション映画「ダイ・ハード」のシリーズ4作目を来年6月29日に米国で公開すると明らかにした。ハリウッドの業界紙バラエティー(電子版)などが3日報じた。
 新作の原題は「リブ・フリー・オア・ダイ・ハード」で、「アンダーワールド」のレン・ワイズマン監督がメガホンを執る。ブルース・ウィルス演じる刑事は今回、全米を危機に陥れるサイバーテロの解決に挑むという。(時事)

 ハリウッドは遅れてるねえ。そんなことは、クレヨンしんちゃんが八年も前にやってるんだよ、ミスター・カウボーイ。しかも、しんちゃんたちは、全米どころか、全世界を救ったのだ。



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2006年8月 4日 (金)

Fahrenheit 100

米国の熱波被害、中・東部にも NY市「非常事態」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0803/006.html

 すさまじいね、これは。ぬるめの風呂に何時間も入り続けているような感じなのかな。意識が混濁して「♪入浴! 入浴!」と唄い続けている人だっているだろう(いるかぁ?)。そりゃ、体力のない者は命にかかわるわなあ。なにやら電力不足を強調したような記事になっているが、ニューヨークやシカゴのような貧富の差の大きい大都市には、そもそも家にクーラーなんてついていない貧しい人々だってたくさんいるだろう。どうやってしのいでいるのだろうな? こんな熱波が日本を襲わないことを祈るばかりだ。おれは夏が苦手だから、まずまちがいなくのびてしまうだろう。

 夏ってのは、なにしろ、全裸以上には裸になれないというところが、まことに理不尽である。まあ、アメリカのニュースを見ていると、日本はまだまだ涼しいと思い込むことはできるけれども……。



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2006年8月 2日 (水)

記憶の重畳効果

 このところなんだか、スーツを着た人たちが深々と頭を下げて謝っている映像ばかりをテレビで目にするので、どれがどれやらこんがらかってわからなくなってしまった。



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また東京に活を入れてやれ

朝日放送の赤江珠緒アナ「サンプロ」登板 (asahi.com < nikkansports.com)
http://www.asahi.com/culture/nikkan/NIK200608010021.html

 ありゃりゃりゃりゃ、なんてことだ、ついこのあいだ「赤江のタマちゃんが帰ってくる」と喜んでいたら、また東下りするのか。よっぽどテレビ朝日に気に入られたんだな。日曜の番組だけだから、べったり東京へゆくことになるのかどうかはよくわからないが、せっかくであるから、人材の不足しているテレ朝で関西パワーをぶちかましてきていただきたい。

 それにしても、東京のキー局の番組って、どうしてあんなにつまらないんだろう? 関西の準キー局が作っている番組のほうが、圧倒的にパワーがあって面白い。インターネットがメディアとして無視できない力をつけてきたもんだから、カタチのうえで“中央”であることにしがみついているキー局はどんどん画一的で右顧左眄的な“薄い”存在になってゆき、いま、“濃い”ローカル性こそが電波媒体でも力を持ちつつあるのではあるまいか。

ABC、ギブソンさん番組への支援打ち切る (asahi.com)
http://www.asahi.com/culture/update/0801/036.html

 え? 朝日放送って、メル・ギブソンの番組を支援したりしてたのか? などと一瞬思ってしまった。同じ日にこういうニュースが出ると紛らわしい。



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2006年8月 1日 (火)

カテゴリーの新設

 あ、こんな記事があったのか。

ゆとり教育世代:英語力、大学生の6割が中学生レベル--独立行政法人調査 (MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2006/07/20060729ddn001040007000c.html

 ほうら、言わんこっちゃない。小学校で英語を必修化したら、大学生の六割が高校レベルくらいにはなるのかね? おれはそうは思わないね。新しく「小学生レベル」というカテゴリーができるので、何割かはそこに落ちてくるだけだ。なぜなら、小学校で英語が嫌いになってしまうやつが増えるからである。



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今月の言葉

象を鍛える大人のトレーニング


 大人なんだから、やっぱりそれくらいのことはせんと、トレーニングにならん。



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