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2006年7月29日 (土)

君の瞳に乾杯

ライス長官、ピアノで隠し芸デビュー ASEAN会議 (asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0728/005.html

麻生氏、ASEAN外相夕食会でウルトラマンと寸劇 (Sankei Web)
http://www.sankei.co.jp/news/060728/sei043.htm

 いやまあ、国務長官やら外務大臣やらともなると、いろんなことをさせられるもんだ。ライス氏がピアノがうまいのはCNNのサイトだったかで生い立ちを読んで知っていたが、麻生外相がボギーですか。ほんとは愛読する『ゴルゴ13』がやりたかったんじゃないの?

 そういえば、麻生氏もウケを取った、有名な「君の瞳に乾杯」なんだが、言うまでもなく、映画字幕の最高傑作のひとつとして人口に膾炙している。だが、そのわりには、ウェブを検索してみると、"Here's looking at you, kid."がどうして「君の瞳に乾杯」になるのかよくわからないと悩んでいる人が多いのだ。ちょっと意外である。映画か英語かその両方かが好きな人はたいてい知ってるもんだとばかり思っていたのだが、よく考えたら、おれが「なーるほど、こいつはたしかにすごい訳だ」と感心した十七、八のころからもう二十数年経っているわけで、おれの若いころでも十二分に古典だった『カサブランカ』は、いまの英語青年(?)たちにとって、おれたちが感じていた以上に大むかしの映画になっちゃってるんだろう。こういうのは、おれたちみたいなロートルが繰り返し書いて伝えてゆかんといかんのだろうな。

 「君の瞳に乾杯」に悩んでいる人は、たいてい"Here's looking at you, kid."という字面に囚われてしまっているようだ。「"Here's to you, here's to us, here's to..."みたいな乾杯はたしかに聞いたことあるけど、“瞳”はどっから出てくるの? やっぱり“超訳”なのかなあ?」てな調子で首を傾げている。この文章だけを“英文解釈”しようとしているのなら無理もない。これは映画の台詞なのだということを忘れてはいけない。本来、映像と切り離してはいけないものなのだ。

 あのシーンのボギーに感情移入して想像してみるといい。あなたは鼻が触れそうなくらいバーグマンに顔を寄せて、二人は見つめ合っている。バーグマンの大きな瞳は潤んで輝き、まるで杯のようだ。と、あなたはそこになにかが映っているのに気づく。男の顔だ。その男はじっとこちらを見つめているのだが、それはすなわちあなたが目の前の女性を見つめているということだ。そこであなたは、その瞳の美しさとそれに魅入られた自分とを端的に織り込んだ気障でハードボイルドな台詞を優しくつっけんどんに口にする……。

 そういうわけなのである。二人を横から見て、台詞の字面だけを“読もう”としていたのではわからない。映像の中のボギーに、あなた自身がなったつもりで解釈すれば、「君の瞳に乾杯」が、さすがは字幕史に残る名訳だけのことはあると、字面文法を超えたところで、しみじみと納得がゆくはずである。無粋なヴァルカン人にでも説明するつもりで言えば、「美酒を湛えた杯のような君の瞳に映っている男はじっと君を見つめていて、なんとそれはおれではないか。そのおれの感動を、いまここにこうしているおれたちの刹那を祝して、君に伝えよう」とでもいったことを、わずか六文字に凝縮しているのが「君の瞳に乾杯」なんである。まことに奇跡的な傑作、やっつけ仕事ではなく、その映画に惚れ込み、登場人物に次々と深く感情移入してゆかないと出てこない訳だ。伊達や酔狂で名訳として知られているわけではない、作品への愛が感じられる職人の仕事である。

 まあ、麻生外務大臣の演技からそういうことに思いを馳せろと言っても、多少無理があるとは思うけれども……。

 ♪You must remember this
  A kiss is still a kiss
   A sigh is just a sigh...



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コメント

ここにはこの訳しかない、という名訳ですよねえ。
「横須賀ストーリー」のあのメロディには、あの歌詞しかない!のと同じ(笑)。仕事が落ち着いたら、また観ちゃお♪

投稿: 湖蝶 | 2006年7月29日 (土) 15時31分

>湖蝶さん

 高瀬鎮夫さんの字幕は、意訳がすぎると嫌う人もあるようですが、凝縮藝とでも言うべきものがありますね。字幕に特化した藝とでも言いますか。あの「愛とは決して後悔しないこと」なんてのは、原語を超えるコピーライター的センスがある。いまは、ああいうのはやりにくいでしょうね。

 翻訳というのが、翻訳だと感じさせるべきなのか、日本人の頭と心にすんなり入ってくるほどに透明なのがいいのかは、意見の分かれるところだと思います。私は、もともと異質なものを無理やり訳すんだから、“正しいぎこちなさ”が表現されているべきであるとは思うのです。あんまりすんなり入ってくると、結局それは日本人の“世界の切り取りかた”に押し込めてしまっているわけだから、異文化を紹介していることにならないんじゃないかと思ったりするわけで……。でも、高瀬鎮夫的超絶技巧も、藝としてすごいなと思いますねえ。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年7月30日 (日) 11時14分

>、“正しいぎこちなさ”が表現されているべきであるとは思うのです。
私もそう思います。その中に、稀にああいう名訳が生まれるのが、これまたいい所な気がします。

投稿: 湖蝶 | 2006年7月30日 (日) 20時08分

500円DVDのカサブランカではあの名訳を目にする
ことはできないそうですね。

投稿: 石間 | 2006年7月30日 (日) 23時37分

>私は、もともと異質なものを無理やり訳すんだから、“正しいぎこちなさ”が表現されているべきであるとは思うのです。
ああ「正しいぎこちなさ」とは素晴らしい表現だ。私が常日頃から思っていたことを、的確に表してくださいました。ありがとうございます。いつかどこかで使わせていただくかもしれません。もちろん冬樹さんのお言葉の引用として。
(たまに翻訳の仕事もする江藤)

投稿: ROCKY 江藤 | 2006年7月31日 (月) 16時49分

>石間さん

 えっ、そうなんですか。私も500円DVDはときどき買いますが、『カサブランカ』は持ってないのです。

>ROCKY 江藤さん

 どうぞどうぞ、べつに著作権を主張したりはいたしませんので、ご自由にお使いください。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年7月31日 (月) 23時30分

500円DVDですが、権利関係があって映画字幕が
そのまま使えないそうです。
カサブランカも何点か安いのがでてて、それぞれ
違った訳で出てるそうです。
「君の瞳に乾杯」は本家でしか見られないそうです。

投稿: 石間 | 2006年8月 3日 (木) 10時33分

>石間さん

 「君の瞳に乾杯」以外の訳をひねり出さなきゃならない訳者に同情します(^_^;)。安いバージョンではどういう訳をしているのか、ちょっと興味深いですね。何種類かあって全部異なるんでしょう? それだけ訳を考えるのはたいへんだろうなあ。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年8月 4日 (金) 00時16分

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