新造ナレーション
たったひとつの命を捨てて
生まれ変わった不死身の身体
鉄の悪魔を叩いて砕く
キャシャーンがやらねば誰がやる
言わずと知れた、日本で最も有名なオープニングナレーションのひとつである(と思う)。
だがこれ、いまさらのようだが、いつも「ヘンだなあ」と思うところがある。
「不死身の身体」ってのは、馬から落馬しているのではあるまいか? 「不死身」というのを「死なない性質である」という形容動詞のようなものと捉えるとすると、それはそれでいいような気もするが、だったら「不死身な身体」でなきゃならないだろう。それもなんだか不自然だ。やっぱり、「不死身の身体」はトートロジーではないかなあ? まあ、このナレーションの韻律では、こうせざるを得ないのはわかるけどなあ。「夢を夢見る」に類する表現として容認できるかなあ。
よく考えると、このナレーション、七・七・七・七・七・七・七・五がベースの字余りで、基本的には、都々逸なんだよな。七・七・七・五+七・七・七・五になるようにちょっといじると、完全に都々逸になる。
たったひとつの命を捨てて
生まれ変わったこの身体
鉄の悪魔を叩いて砕く
キャシャーンがやらね~ば~、ァ、誰~が~やる
チン、トン、シャン……と、お座敷で謡ってみてください。
都々逸になるということは、ちょっといじれば「よこはま・たそがれ」で唄えるのではなかろうか。やってみよう――
♪たった ひとつの 命を捨てて
生まれ 変わった 不死身の身体
鉄の 悪魔を 叩いて砕く
キャシャーンがやらねば 誰がやる
キャシャーンがやらねば 誰がやる
もう 歌詞がない
それにしても、連休の朝っぱらから、ほかに頭の使いみちはないのか。
| 固定リンク
コメント
秀と申します。こんにちは。
「命」の構成要素が身体のみで無いと仮定される場合、やや舌足らずですが、より有意味な表現であると考えられるかもしれません。
> たったひとつの 命を捨てて
> 生まれ変わった不死身の身体
投稿: 秀 | 2006年5月 4日 (木) 22時45分
>秀さん
うーむ、そういう解釈もあるかもしれませんが、そもそも“新造人間”などというものが作れるという前提に立っている時点で、生気論は捨てているだろうと思うんですが(^_^;)。
投稿: 冬樹蛉 | 2006年5月 4日 (木) 23時27分