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2006年5月 4日 (木)

新造ナレーション

たったひとつの命を捨てて
生まれ変わった不死身の身体
鉄の悪魔を叩いて砕く
キャシャーンがやらねば誰がやる

 言わずと知れた、日本で最も有名なオープニングナレーションのひとつである(と思う)。

 だがこれ、いまさらのようだが、いつも「ヘンだなあ」と思うところがある。

 「不死身の身体」ってのは、馬から落馬しているのではあるまいか? 「不死身」というのを「死なない性質である」という形容動詞のようなものと捉えるとすると、それはそれでいいような気もするが、だったら「不死身な身体」でなきゃならないだろう。それもなんだか不自然だ。やっぱり、「不死身の身体」はトートロジーではないかなあ? まあ、このナレーションの韻律では、こうせざるを得ないのはわかるけどなあ。「夢を夢見る」に類する表現として容認できるかなあ。

 よく考えると、このナレーション、七・七・七・七・七・七・七・五がベースの字余りで、基本的には、都々逸なんだよな。七・七・七・五+七・七・七・五になるようにちょっといじると、完全に都々逸になる。

たったひとつの命を捨てて
生まれ変わったこの身体
鉄の悪魔を叩いて砕く
キャシャーンがやらね~ば~、ァ、誰~が~やる

 チン、トン、シャン……と、お座敷で謡ってみてください。

 都々逸になるということは、ちょっといじれば「よこはま・たそがれ」で唄えるのではなかろうか。やってみよう――

♪たった ひとつの 命を捨てて
 生まれ 変わった 不死身の身体
 鉄の 悪魔を 叩いて砕く
 キャシャーンがやらねば 誰がやる
 キャシャーンがやらねば 誰がやる
 もう 歌詞がない

 それにしても、連休の朝っぱらから、ほかに頭の使いみちはないのか。

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コメント

秀と申します。こんにちは。

「命」の構成要素が身体のみで無いと仮定される場合、やや舌足らずですが、より有意味な表現であると考えられるかもしれません。

> たったひとつの 命を捨てて
> 生まれ変わった不死身の身体 

投稿: | 2006年5月 4日 (木) 22時45分

>秀さん

 うーむ、そういう解釈もあるかもしれませんが、そもそも“新造人間”などというものが作れるという前提に立っている時点で、生気論は捨てているだろうと思うんですが(^_^;)。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年5月 4日 (木) 23時27分

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