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2006年4月 3日 (月)

意識しないと食べすぎてしまう

 丸山和也弁護士のブログ(2006年4月1日「食生活」)に、「今の日本人は基本的に食べすぎだと思う」という端的な指摘があった。おれもそう思い、以前に『「腹八分目」というのは身体に悪いのではなかろうか?』などと、ヒネた言いかたで私見を述べたことがある。あれは半ば以上本気である。おれは、とてもじゃないが、「1日2食から2.5食をずっと続け」ながら、時に百キロ走ったり、しばしば冬の川で泳いだりしているような鉄人ではないけれども、丸山弁護士のような生活をしてもべつに死にはせん……どころか、人一倍丈夫に過ごせるものなのだなと、妙に納得した。

 現代では、“ふつうに”食うと、食いすぎになってしまうんだろうなあ。“ふつう”の基準がずいぶん高いところに行ってしまっている。たとえば、マクドナルドで、百円のマックチキンを一個食ったとする(例が悪いか)。388キロカロリーである。二個食ったとする。776キロカロリーである。小ぶりのコンビニ弁当くらいの高カロリーだ。たった二百円で、これだけのカロリーが取れてしまうのだ(なにを隠そう、おれはしょっちゅう「マックチキン二個」の昼食を摂る)。まあ、栄養バランスということも考えねばならないが、単純にカロリーだけ考えるとすると、現代ではエネルギー源を摂取するのは、ことほどさように低コストで簡単なのである。“ふつうに”食っていたら、絶対摂りすぎになる。それだけの運動をしていればいいだろうが、たいていの人はそんなに運動できない。時間がない。意志が続かない。

 よって、現代では「いささか腹が減っているなあ」と感じるくらいをキープしたほうがいいのではないかと、最近とくに実感するのである。人間、ハングリー精神が大切だ……というのは、あまりにも古典的なオチだけど。

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コメント

人類はその進化の大部分の過程で常に餓死する危険と隣り合わせであった訳で、「かなりの割合の個体が食いすぎで死ぬ」という事態に直面したのはつい最近です。遺伝子(本能)は環境にすぐには対応できないので、とりあえず餓死を避けるために、食べ物があればあるだけ食べようとしてしまうのでしょう。
「いくら食べても代謝が活発で太らない体質」とか「食が細くて、ひと口で満腹」といった人たちは人類の歴史の殆どの時代で淘汰の対象だったはずです。

投稿: 小林泰三 | 2006年4月 3日 (月) 23時59分

>(前略)現代ではエネルギー源を摂取するのは、ことほどさように低コストで簡単なのである。

私は現在の日本人の所得水準が、異常なほどの高レベルなためだと思っていました。

投稿: いかなご太郎 | 2006年4月 4日 (火) 00時11分

>小林泰三さん

 たしかに、タイムラグがあるんでしょうね。ようやく飽食環境に順応してみんな食が細くなったころに、また急に食うや食わずの環境になったら、食い溜めができない個体から滅びてゆくのだろうなあ。

>いかなご太郎さん

 そもそも貨幣を持っていないと生存に必要な食物も摂取できないという事態は、生物としては奇妙奇天烈だとしか思えないのです。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年4月 4日 (火) 02時19分

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