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2006年4月 8日 (土)

英語を教えナイト? 2

「小学生は国語力を磨け」、石原都知事が文科省を批判
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200604070301.html

小学校英語必修 都知事「ナンセンス」発言に文科相反論
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200604070117.html

 「あの男が必ず批判するだろう」と思っていたら、案の定である。おれは石原都知事にも文部科学大臣にもどちらにも批判的だ。理由は先日のエントリー「英語を教えナイト?」で述べたとおり。どうして両極端になるのかね?

 その発言にはしばしば失笑させられる石原都知事ではあるが、今回は、少なくとも字面では、かなりまともなことを言っている。が、この人は、ただただ外国が嫌いなだけではないかと思えるフシが多々あるから、おれが“まとも”だと言っている部分を、本人はおれとはまったくちがう考えで言っているのかもしれず、軽々には“同意”するわけにはいかない。

 石原都知事は「自分の国の言葉を完全にマスターしない人間が、外国の知識の何を吸収できるのか」と言うが、そりゃ、吸収はできるだろうさ。問題は、なぜそんなことをしなくてはならないのか、だ。自国の言葉も満足に使えない人間を大量に生み出しておいて、なぜ、外国の言葉をそんなにありがたがって教えるのかと言いたいのだろう? そういう意味なら、おれもそう思うよ。

 また、「人間の感性や情念を培うのは国語力だ」というのは、なんの批判にもなっていない。外国語だって、感性や情念を培う。おれには日本語でしかうまく表現できない感性や情念があるし、英語でしかうまく表現できない感性や情念もある。人によっては数式や楽譜でしかうまく表現できない感性や情念もあることだろう。「人間の感性や情念を培うのに、言語は重要な役割を担っている」というのなら同意できるが、その言語が「国語」である必要は、論理的にはない。

 文部科学大臣の「日本語をしっかり勉強することが基本だが、柔軟な頭脳を持っている児童が英語に親しみ、英語教育に取り組むのは決して否定すべきことでない」というのは、至極もっともな反論だ。だが、日本語がしっかり勉強できていない学童を量産しているからこそ、あちこちから懸念の声が出ているのではないのか? 「英語を教えナイト?」で述べたように、英語教育の話ばかりするからいかんのだ。文部科学大臣にその反論のような認識があるのなら、英語教育のプランとセットで日本語教育のプランを提示すべきである。英語を早くから教えるというのなら、国語も早くからもっとみっちりやらせろ。

 「インターネットのコンテンツは9割が英語だ」に至っては、なにをか言わんやである。そりゃあ、たしかにインターネットを駆使するのには、現状を肯定すれば英語ができたほうがはるかに便利だ。だが、その状態こそが偏っていると思わんのか? この問題についても、以前、日記で書いたことがある。「事実上の世界共通語として、英語は非常にすばらしい言語であることは認めるが、たまたま母国語が英語だっただけのやつらに、でかい面をさせておくことはない」という考えは、いまも変わっていない。文部科学大臣という立場にあるのなら、「インターネットのコンテンツは9割が英語という嘆かわしい状態にあり、実利的には英語が駆使できたほうがなにかと便益が得られることも事実ではあるが、諸外国人が日本語を学んででも読みたいと思うような、日本語によるすばらしいコンテンツを質・量ともに生み出せる国民を育ててゆくべく、英語教育に力を入れると共に、よりいっそう日本語教育に力を入れてゆきたい」とでも言ってみせたらどうだ? 駐仏大使にフランス人の爪の垢でも送ってもらえ。

 ああ、まったくいらいらする。両者とも、もう一度、『窓ぎわのトットちゃん』でも読み直してはどうか? 「美しいは、ビューティフル!」だぞ。



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コメント

 都知事や大臣の見解はようするにこの二人の意見にすぎないんじゃないでしょうか。政治家がなにを言っても文部省の方針はゆらがないと思います。
 中央省庁の官僚にとって国民は商品ですから国内で多少不都合があっても英語対応は押し進めていくと思いますよ。

投稿: 東部戦線 | 2006年4月 8日 (土) 13時16分

|インターネットのコンテンツは9割が英語だ

 インターネットコンテンツの9割はSEX関連だったら、小学生から性教育に力を入れるのでしょうか。

投稿: 林 譲治 | 2006年4月 8日 (土) 15時17分

|インターネットのコンテンツは9割が英語だ
そういう理屈だとまずHTMLやXMLの教育から始める必要がありますね

投稿: つるぞお | 2006年4月 8日 (土) 20時07分

 スパムの9割も英語だなあ(;_;)。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年4月11日 (火) 01時02分

>「事実上の世界共通語として、英語は非常にすばらしい言語であることは認めるが、たまたま母国語が英語だっただけのやつらに、でかい面をさせておくことはない」

お気持ちは非常によくわかりますが、残念ながらその状況をここ10年20年で変えるのは不可能でしょう。英語が世界共通語なのはインターネットだけでなく、国際的な意思疎通を必要とするほとんどの分野でのことです。そしてそれはインターネットが広まるずっと前から続いていることなので、インターネットの日本語コンテンツを充実させるくらいではほとんど何も変わらないと思いますが。

投稿: LA | 2006年4月21日 (金) 01時22分

>LAさん

 それはおっしゃるとおりだと思います。それでもなんと言いますか、文部科学大臣ともあろう人であれば、それくらいの気概を見せてほしいとは思うわけで。

 実際、インターネットが広まる以前から、ブリティッシュ・カウンシルやらゲーテ・インスティテュートやらアテネ・フランセやらは、こんな極東の島国にまで、英語やドイツ語やフランス語を広めに来ているわけです。言語を覚えてもらうことが、親睦にもなるし安全保障にもなるという国家戦略的意図がある。それにひきかえ、わが国は……と、ちょっと情けなくなりませんか(^_^;)?

投稿: 冬樹蛉 | 2006年4月21日 (金) 01時58分

大感激です。小学校の英語教育と言っても結局はゲームをするだけの遊びにしか過ぎません。しかも中学校との連携を取らないと中一になった生徒は授業がつまらなくなるだろうし、今度はALTとしどろもどろしている中学校の先生がパニック状態に陥ってしまいます。英語の授業が原因でまた新たな学校荒廃問題が起こるでしょう。

投稿: 半仁田 厚 | 2006年4月21日 (金) 03時02分

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